3 終わりのない地平が嗤った

「――二人きりね、カミト」

「それよりも、入り口の戸が消し飛んでいることについて問いたい」

 木々がなぎ倒されたかのような轟音がしたかと思うと、小屋に紫電が走った。

 土埃が晴れると、闇色やみいろのドレスを身にまとった、黒髪の美しい少女が立っていたのだ。

 くすっと悪戯いたずらっぽく微笑ほほえむ表情。優しい黄昏たそがれ色の瞳。

 レスティアはチラッと入り口を見たが、再び視線を元に戻した。

「――おい、今確実に『しまった』って思っただろ!」

 片目を閉じてぺろっと舌を出すレスティア。

「だって、木々が立ち塞がって、私がカミトにいに行こうとしているのを邪魔しているような気がしたんだもの……」

「森だからな。そこら中に木があって当然だからな――」

「それよりもカミト――」

 闇色の精霊が腰をかがめてカミトの顔をのぞき込んだ。

「な、なんだよ……」

「――縛られてるのね」

「ああ。不覚をとってな。頼むレスティア、このロープをほどいてくれないか?」

「――ごめんなさい、カミト。こんな機会もうないかもしれないから……」

 そっと、カミトのほほに手を触れた。

「レス……ティア…………」

「ねぇ、カミト、あの剣精霊さんと私なら、私の方がと思わない?」

 なんの話だと思考を巡らせていると、レスティアが突然脱ぎ始めた。

「――ま、まて、まて、まて、何してるんだレスティアっ!?」

 待ったを掛けたせいで、中途半端な状態で衣服が着崩れていた。

 滑らかな肌が目に映り、ゴクリとつばを呑み込む。

 床にひざまずいたレスティアが予備動作なくカミトのくちびるを奪った。

「ん……っ!?」

 もう少しでいろいろと見えそうな体勢だ。

 唾液の線を引いて口を離すと、上気した闇精霊の姿が瞳に映る。

「あぁ……カミト……」

 この少女の姿をした精霊は別世界の美しさだ。

 レスティアが首に手を回してくる。

「――カミトから離れてください、闇精霊!」

 エストは普段から表情の変化が少ないので、気持ちが分かりにくいが、今は確実に怒っている。

「エ、エスト――っ!?」

「あら、もう遅いわ。カミトは私の――」

 レスティアの方から、縛られて動けないカミトを抱きしめた。

「ぐぬぬっ――闇精霊! 決着をつけるときが来ました、覚悟はいいですか」

「――いいわ、カミトに相応しいのはどちらなのか、白黒つけましょうか」

 睨み合う二人の精霊。

(――頼むから、喧嘩よりも先に俺の拘束をどうにかしてくれないか……)

 カミトはため息をいた。


  ◇


 ――待って!

 頭の中に直接響く声が停止を呼び掛けて来た。

「どうした?」

 カゼハヤ・カミトになりすましたジオ・インザーギは立ち止まってたずねた。

 クレア・ルージュの火猫ヘルキャットに正体を見破られたため、ジオたちは学院の敷地内にある精霊の森へと逃げ込もうとしていた。

 ――カゼハヤ・カミトがこちらへ来るわ!

「――何!?」

 精霊は膨大な神威カムイを感じ取り、注意を促した。

「クレア・ルージュに姿を変えるわ、ジオ、うまくやってね――」

(……クレア? ああ……さっき泣いてたあかい髪の貧乳女か――ったく、面倒クセぇなぁ……)

 木々をって、双剣の精霊使いがあらわれた。

「クレ……ア……!?」

 カミトはクレアと喧嘩分かれしていた。

 心の準備がまだだったが、ばったり出会ってしまった。

「き、奇遇ね、カミト君――」

「クレア――?」

 ジオは、クレアの口調を失念しており、最初に自分を捕えたフィアナの口調を使ってしまった。

 カミトはそれに対して怪訝けげんな表情を浮かべた。

 ――カミト、あれはニセモノです。

 ――カミト、あれはニセモノだわ。

 エストとレスティアがほぼ同時に告げた。

 ――真似マネしないでください、闇精霊。

 ――あなたこそ、私の答えを聞いて言ったんでしょ、聖剣さん?

(ぐっ……。やはり神威でバレるのか!?)

 ――あなたの残念な演技のせいね……

(――いや、テメェの力が貧弱なせいだろ)

 カゼハヤ・カミトが白銀と漆黒の精霊魔装エレメンタルヴァッフェを構えて臨戦態勢になる。

「いくぞ、エスト、レスティア!」

魔王殺しの聖剣デモン・スレイヤー〉と〈真実を貫く剣ヴォーパル・ソード〉が輝く。

 ――私はカミトの剣、貴方あなたの望むままに

 ――私はあなたの剣、あなたの望むままに

『――真似まねしないでください、闇精霊』

 クレアに身を変えたジオは後ずさる。

 今は闘う力がない――

 ――逃げるしかないわね……

 変身精霊が警鐘を鳴らす。

 半歩さがり、一歩さがり、それから一目散に駆け出した。

「――あ、おい! 待て!」

 ジオは顧みずに走り去った。

 学院内に不審者を野放しにはできない。

 カミトは当然あとを追ったが、途中で見失ってしまった。


  ◇


「……ったく、ひでぇめにったぜ」

 ――あんな演技じゃ当然ね。

「は? テメェのせいだろ! ――神威が漏れねぇーようにしとけ!」

 ――残念だけど、それは無理だわ。

「――あんた、何してるの?」

 突然、第三者の声が割り込んで来て振り向いた。

 振り向くと、クレア・ルージュがそこにいた。

 窓から逃げたカミトを追って来たのだろう。

 二人のクレア・ルージュが鉢合わせてしまった。

 互いにしばらく見つめ合う。

「な……。な、な、な、あ、あたしっ!?」

 本物のクレアが驚いて声を上げた。

 だが、すぐに表情を改めると――

 ――あかほのおの守護者よ、眠らぬの番人よ!

 ――いまこそ血の契約に従い、我が下にさんたまえ!

 精霊語の召喚式サモナルを唱えて炎の鞭フレイムタンを呼び出した。

 素早くニセモノの体に巻き付ける。

「観念しなさいっ――!」

(……ハハハ、詰んだか。流石さすがにこの状態を切り抜けるのは困難だ)

 ――いいえ、まだ諦めるのは早いわ。

 精霊が本気を出したような気がした。

「クレアっ!」

 声を掛けられて後ろを向いた。

「カ、カミト――!」

 ――しかし、その姿は一瞬で消えてしまう。

「え……っ!?」

 急いでニセモノの方に視線を戻すと、そこには、ダラリとほどけたフレイムタンが残されていた。

 ニセモノの逃げて行く様子が目の端に映った。

「――あっ! 逃げたわね――!」

 本物のクレアは急いで追い駆ける。

 嵐が去るとほっとため息を吐いた。

「テメェ、精霊じゃねぇな……」

 体を透明化させたり、身代わりを作って見せたり。それはもはや変身ではない。

 ……ま、流石にバレちゃうよね。

「なんで黙ってた? ――何が目的だ?」

「私は、幻惑精霊〈フュルギア〉。私の力を知った者がたびたび悪用しようとするんですもの――だからあなたにも隠しておきたかったの……」

「確かにな。おまえの力があれば、ほとんどのことは思い通りになりそうだな――」

「うん、だから……」

 純白の精霊がパチンと指を鳴らすと、忽然こつぜんとジオ・インザーギの姿が消えた。

「……気まぐれで脱獄を手伝ったけど、彼は野心が過ぎるわね――」

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