第8話 深淵

「ぜぇ、はぁ……」


 ポスターを配り終わった後、集合場所であるリンネの屋敷前に到着した。

 最も帰ってきた、というより生還したと言った方が近いが。


「あら、二人共おかえ……!?」

「……これは随分とやられたね。大丈夫かい?」

「まぁ、なんとか……」


 リンネとイストレアから青ざめた視線を送られる。

 あの後、アタシはオオトカゲを死ぬまで殴り続けた。

 加護のおかげで身体やスタミナの心配はなかったが……合間にオオタカゲの反撃に見舞われ、後半はほぼ殴り合いの状態。

 結果、アタシ達はオオトカゲの粘液を引きずりながら帰還したわけである。

 依頼主もビビッてたしもう最悪だ。


「うっ……またもどし……」

「ヤミシノ、耐えて耐えて……」


 加護持ちと神様なので命の心配は全くない。

 しかし、体中が唾液と胃液という汚物のコンボ。

 そしてぷんぷん漂う腐臭のせいで、常に吐気と気持ち悪さが常に襲ってくるのだ。

 実際、ヤミシノは帰る途中何度も吐いていたし。


「何にせよ二人共、お疲れ様です。お風呂が沸いているので先に入ってはいかが?」

「うん、そうさせて貰うよ……ありがとうリンネ」

「こういう時は助け合いですわ。ほら、さっさと行った」


 ベトベトの体を引きずりながら、アタシ達は大浴場へと向かった。

 しかしこの屋敷は凄いな。

 大理石で出来た廊下、壁にはインテリアや絵画の数々。

 通るたびにこれはいくらなのか、と脳内で考えてしまう。

 やっぱリンネっていいところのお嬢様なんだなぁ……。


◇◆◇


「着替えは後で用意いたしますのでごゆっくり」


 パタン、と脱衣所の扉が閉められる。


「うー、このベトベト早く落としたいよぉ……」

「ん……同意……」


 服を脱ぎ急いで大浴場へ向かう。

 オオトカゲのせいで所々破れていたり、粘液が付着してるから魔法で修復出来るか心配だ。

 ま、加護さんの力に期待するとして、今は身体を綺麗にしますか。


「うーわ……これ全然落ちないじゃん……」

「んぅ……髪まで入って……こいつ……」


 各々、身体の汚れを落とす事に専念する……が、オオトカゲの粘液はかなり厄介だった。

 へばりつくように肌へついた粘液は、軽くこすっただけでは落ちない。

 何度も何度も強くこする事で肌についた粘液はようやく落ちた……が今度は髪の毛。

 面倒くさい事に粘液は毛先から毛穴までムラなく広がっており、触れば触る程新しい粘液が出てきてかなりうっとおしい。

 一人でやるには限界があるな……そう思いアタシはヤミシノを呼んだ。


「ヤミシノ-、髪の毛の粘液取りづらいから洗いっこしない?」

「ないすあいであ……今行く」


 後ろに置いたイスにヤミシノが座る。

 少し話し合った結果、アタシの髪の毛から洗う事になった。

 決めた後ヤミシノはシャンプーを手につけ、アタシの髪の毛に触れた。

 

「んぅー気持ちいい……ヤミシノ上手だねぇ」

「そう?……私はよくわからない……けど嬉しい」


 優しい触り方で尚且つ粘液を落とす程度には強い加減。

 他人にやって貰えている事もあってか、髪の毛に付着した粘液はどんどん取り除かれ、異物感も薄れていく。

 あぁ気持ちいい……なんだかこのまま眠ってしまいそうな……


「ステラ……終わった……」

「んぅ?……もう終わったの?」

「うたた寝してたから……後、お風呂での睡眠は危険」

「あーごめ……」


 身を任せすぎたかな、と思っているとヤミシノがアタシに背中を向ける。

 長い黒髪の隙間から見える、色白な肌。

 キズ一つなく程よく締まったソレをアタシはずっと眺めていた。


「……うわ」


 試しに何本かの指先で軽く触ってみる。

 指先から感じる、女の子特有の柔らかさと浮き出た背骨のゴツゴツ感。

 これが……同じ女の子?

気付けば、ヤミシノが与える未知の感触に魅了されるアタシがいた。


「ステラ……そこは髪の毛じゃない」

「え、あっ、ごっ、ごごごごごめんちゃんと洗うから!」

「……?」


 妙な罪悪感のせいか声が上ずってしまう。

 なんであんな事をしたんだろう、と数十秒前の自分を振り返る。

 ……ダメだ背中の感触しか思い出せない。

 雪のように白くクッションのように柔らかい肌を永遠に触り、ってあああああああああああ!


「ヤ、ヤミシノって髪の毛綺麗だよね……羨ましい」

「そんな事無い……終日残業で手入れもおろそか……」


 背中の事から離れようと、アタシは適当に話題を振った。

 粘液を取り除くたびあらわになる、透き通るような黒髪。

 これで手を入れてないなんてありえない。


「……もしかしてアタシに対する嫌味?」

「えっ……そんなつもりない……」

「ふふ、冗談だよ。ごめんね」

「むぅ……意地悪」


 顔をぷくーと膨らませるヤミシノ。

 ヤミシノは本当に色んな感情を表に出すから面白い。

 いや、おもちゃにしているわけじゃないからね?

 と、少しからかっている間に、髪についた粘液は殆ど取り除かれていた。


「よし……終わったよ」

「ん、ありがとう……」

「はぁー……」

「……」


 椅子の上でうなだれるアタシ。

 今日は刺激が多い日だった。

 爆破から始まり、美人の裸に終わる。

 タイプの違う刺激の数々にアタシの頭はパンク寸前だ。


「……ステラ……もう一ついい?」

「ん、何?」

「異臭……取れているか確認……」

「あー……」


 確かにそうだ。

 臭いというのは案外落ちているようで落ちない頑固なもの。

 スッキリしたつもりが実はまだ臭う、なんてのはごめんだ。

 細かい所に気づくなぁ、とヤミシノに感心していると。


「だからステラ……私の身体を嗅いで」

「……え?」


 ん、と全身を少し広げ、どこからでもこいとばかりに準備を整えるヤミシノ

 いやいやそうじゃないでしょ。

 臭い確認ってお互いの身体を嗅ぎ合うの?

 いかがわしい事考えているアタシがおかしいの?

 終わらない刺激の追撃に、アタシの頭はオーバーヒート寸前だった。


「ステラ……まだ……?」

「え? あぁはい今すぐやりますとも!」


 しかしどうしよう。

 腕だと臭いがわからないし、足だと跪いているみたいでなんか嫌だ。

 じゃあ胸……いやそれただの変態!

 頭の中でうーんうーんと考え、アタシは一つの結論を導いた。


「じゃあ、失礼しまーす……」


 いかがわしいと頭の中で考えているのか、何故か敬語になるアタシ。

 どこかは嗅がなければいけない、ヤミシノの身体。

 その中でアタシが選んだ部位は……


「すぅ……」

「……っ」


 顔と胸の間、首元を嗅ぐ。

 ……うん、異臭はしない。

 むしろボディーソープとヤミシノの匂いが混ざりあい、アタシの脳内を刺激させる。

 同じボディーソープ、同じ道具で洗っているのに何故ここまで香りが違うの……?

 知りたい、ヤミシノをもっと……。


 ペロッ

「……っひぅうん!?」

「!?」


 瞬間、大浴場にヤミシノの甲高い嬌声が響き渡った。

 それを耳元で聞いたアタシは思わず顔を上げてしまう。

 ……何、今の?

 今まで聞いたことの無い声に動揺し、アタシは恐る恐るヤミシノの顔を見ると。


「はぁ……ステラ……いやらしい……ね」

「えっ……」


 顔を赤く染め、首元を手で強く抑えるヤミシノ。

 心情を表すように内股気味で震え続けるヤミシノの足が、如何に衝撃的な出来事だったかを伝えている。

 

「舐めるなんて聞いてない……反則……」

「えっ、アタシが?」

「うん……深くねっとりとした、いやらしい舐め方……変態的」

「嘘、アタシが、……あ……」


 状況を把握出来てないアタシの視線に、ヤミシノの首元からこちらに向けて繋がる細い糸が見えた。

 キラキラとして、尚且つ粘り気もあるそれは上方向にどんどん登っていき、最終的にたどり着いた場所は。


 ピチャ……

「こ、れは……」 


 アタシの口から真っ直ぐ伸びる粘り気のある糸。

 舌先には溜まった唾液がこれでもかと付いており『深くねっとり』というヤミシノの表現が適格だったことを表している。

 気づかなかった、では済まされない行為。

 だが、アタシはそれを一時の理性にまかせ、無意識に行っていたのだ。


「違うの……アタシ、別にそんなつもりじゃ……」

「ステラ……」

「っ!……はい」


 冷たく突き放すような言い方に青くなるアタシ。

 無理もない。会って間もない女に首元を舐められたのだから。

 不順で不快感極まりない行為に、ヤミシノが怒るのも当然。

 その筈だ……。


「……もっと深いとこ……見たい?」

「え……?」


 再び嬌声が聞こえたと思えば、ヤミシノはいきなりアタシを抱きしめだした。


「っ!? ヤ、ヤミシノ……?」

「感じる……私とステラの鼓動……生きてる証」


 ドクン、ドクン、ドクン……。

 密着する事でアタシとヤミシノの鼓動がダイレクトに伝わり、呼応し合う。

 手先や舌先、先ほどまで僅かな部分でしかヤミシノを感じられなかったのに、今では全身でヤミシノを感じられる。

 それが冷静さを取り戻してきたアタシの理性を再び壊そうとする。

 だが、アタシにはわかる。

 これ以上はダメだ、と。


「ヤミシノ……もうこれで……」

「……いい」

「え?」

「ステラは何も考えなくていい……何も背負う必要なんてないよ?……」

「あ、あぁ……」


 耳元でささやかれる、悪魔の呪文。

 そこで何かが外れたのかアタシはヤミシノを強く抱きしめ、そして……。

 その先の事はあまり覚えていない……いや、思い出したくないと言った方が近いか。

 ただ無音で響きやすい大浴場だった、という事もあってか発せられた声や音の数々がアタシの耳にいつまでも焼き付いていた……。

 もしかしたらアタシは、ヤミシノの裏の顔をこじ開けてしまったのかもしれない。

 

 





 

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