episode5《舞踏会にて揺蕩ゑ》
パンを食べ終わり、遼平が運転するレンタカーに乗って、ハレアカラ国立公園を目指す。
道中、きれいな草原があったり美味しそうなアイスクリーム屋があったりして、たびたび私たちは車を降りていた。故に朝食を終えてハレアカラ国立公園に着くまで約3時間はかかりそうだった。
遼平はさすがにゆっくりしすぎたと言って、車のスピードを上げた。スピードを上げても彼の表情に明らかな焦りは見えなかった。むしろ、余裕が生まれていた。
なぜだろうと思いはしたものの、私が彼に問うことはなかった。その必要は皆無だったからだ。
店でレンタカーを選んでいるとき、遼平は言っていた。ハイウェイを車で走るのは好きだ、と。普通の住宅街を走っているときよりも余裕が生まれたのは、そのせいかもしれない。
好きなものがあるっていいな。ハイウェイのドライブを楽しんでいる遼平を見て、無意識に思った。
長時間のドライブに疲れ、眠気が私を包み始めたころに遼平が口を開いた。
「そろそろですよ。寝てたら車の中において行きますからね」
遼平はくすっと笑った。冗談だろうが、そのときの私は冗談に聞こえず、独りは嫌だと必死に目を開けた。
それまで静かに奏でられていた音楽が急にリズムを乱し、ベースとドラムが目立つバンドミュージックへと移行した。遼平が操作した結果だ。おかげで私の目はさっぱりとした。
ハイウェイを降りると森がすぐ目の前に現れた。これがハレアカラ国立公園に近づいている証拠なのだろう。
遼平が『そろそろ』と言うから、長くても10分くらいで着くのだろうと思っていたが、それは違った。実際は30分以上も時間がかかった。
まだ着かないのか、としびれを切らしそうになったが、そこは必死に耐えた。
運転してもらっているのだから、文句は一つも言えなかった。
ハイウェイから遠く離れた山奥で車は停まった。
「ここからは歩きになります。小野崎さん、起きてますか?」
遼平の余計な一言にムッとした。身体を叩いてやりたいほどだったが、そこは我慢して言葉だけで威圧した。
「起きてますよ!」
私が言うと、遼平は「それはよかった」と笑った。運転の疲れを感じさせない笑顔だった。それを見て私は、負けていられないと思った。
私、何に張り合っているんだろう……。
遼平と共に車を降りて、小石がごろごろと転がっている道を歩いた。サンダルを履かなくてよかったと思った。想像以上に石がたくさんあって、スニーカーでも歩きづらいくらいだった。
「大丈夫ですか?」
前を歩いていた遼平が急に振り向いて足を止めた。どうやら私の歩調がおぼつかないように見えたらしい。
彼に迷惑はかけないつもりで歩いていたが、もうそれは叶わないようだ。
「よかったら僕の手を貸しますよ」
遼平は少し高いところから手を差し出した。
まるで王子様みたいだった。もしかしたら、本当にどこかの王子様なのではないのか。
階段の上から手を差し出されて、それに姫が手を重ねる。きっと
私が変な妄想をしていると、遼平が無言で戸惑ったような表情をして首を傾げた。私は焦って深呼吸をした。
この手を断ったら嫌な女として捉えられるかもしれない。
また変なことを考えていることに気づいて、今度は遼平に気づかれないように頭を小さく横に振った。
ここは甘えるべき。断って怪我でもしたらもっと心配と迷惑をかけちゃうから。
「ありがとうございます」
私は今まで考えていたことを無かったことにして、遼平の大きな手に自分の手を重ねた。すると遼平はにっこりと微笑んで腕を引いた。
軽く体が持ち上げられ、それまで大変だった足元が異状に軽くなった。
驚いて私は遼平を見つめた。それに気づいた遼平も私を見つめた。
「……ど、どうしたんですか?」
戸惑った彼が顔を赤くした。そんなに長い時間みつめていたのだろうか。
ただ単に驚いただけで、深い意味は全くなかった。けれど、遼平が赤面したことによって、何か違う意味をもってしまった。
おかげで、私まで顔を赤くしなくてはならない。
「い、いえ……。なんでもないです」
お互いに目線を外して顔を伏せた。
大人に見える遼平が照れると、なんだか私の調子が狂う。ずっと遼平には大人としての振る舞いをしてほしかった。しかし、心のどこかで、子どものような一面も見たいと思っていた。
遼平がきゅっと手に力を入れたことに気づき、私は顔を上げて彼を見た。すると、遼平の赤面は既に治まっていて、笑顔が目の前にあった。
切なくなった。
大きな理由はない。ただ、大きな口を開けた暗闇に自分一人だけが落ちていくような。そんな感覚がした。
遼平が手に力を入れた理由はすぐにわかった。
「行きましょう。案内したいところがたくさんあるんです」
そう言って彼は再び私の手を引き始めた。今度は驚かなかった。あぁ、このぐらいの力で引いてくれるんだな。そうとしか思えなくなっていた。
遼平が私の足元を心配して手を取ってくれたことには感謝していた。けれど本当に、彼に対しての気持ちは“感謝”しかなくて、それ以外の感情はキパフル地区に着くまで、車から離れるほど冷えていった。
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