episode4《滾れ落ちた本性》
こんなに買って腹に入るのか、と心配になるほど買った。しかし、後悔は全くない。逆に、幸福感が私を満たしている。
遼平と共に会計を済ませたあと、私たちはイートインで朝食となるパンを食べることにした。
目の前に7つのパンが並ぶ。それぞれが食べて欲しそうに輝いていた。思わず笑みがこぼれる。こんなにも朝食が幸せだったことは、今までに一度もない。幸せすぎて、夢なのではないかと疑うほどに。
どれから食べようか迷っていると、向かいに座った遼平が頬杖をついて私を見ていることに気が付いた。そのとき、やっと彼が意識に入った。パンを選んでいたときはとにかく美味しいパンが食べられるということに夢中になっていて、周りが見えなくなっていたのだ。
遼平がパンに夢中になっている私を見ていたということを改めて考えると、自身のおかしな一面を見せてしまった気がして、また顔が赤くなりそうだった。しかし、もう恥ずかしいという感情は彼の前では捨てようと思った。
今からなら全て遼平に曝け出せた。
「全部おいしそうでどれから食べようか迷いますね」
無理やりのような無意識な笑みを浮かべ、私は今の気持ちを伝えた。すると、遼平は驚いたような表情をした。それにつられて私も驚く。
「え、私、何か変なこと言いました!?」
自分の言動が急に不安になり、口を抑えた。きょろきょろしていると、遼平が口を開いた。
「いえ……、ただ。あまりにも笑顔が魅力的だったので、つい、見とれてしまって……」
今度は遼平が顔を赤くしていた。
エガオガミリョクテキ……。えがおがみりょくてき……。笑顔が魅力的……。笑顔が魅力的!?
やっと彼が言ったことが理解できて、顔に赤みが戻った。膝を突き合わせているこの状況では、何も言えないし何もできなかった。
そんなことはないと否定したほうがいいのか、ありがとうございますと感謝すればいいのか、その判断すらも今の私にはつけられなかった。だから話をそらせることにした。
「はっ、早く食べましょう! せっかくの温かいパンが冷めちゃいます!」
そう言って私はメロンパンから手をつけた。先ほどはあんなにも迷っていたのに、遼平に笑顔を褒められたら、自分の中にあった簡単な迷いですら吹き飛んでしまった。
私がメロンパンを口に触れさせると、彼が小さく呟いた。
「そうですね、冷めちゃいますね」
私の言葉を復唱した彼は、寂しそうだった。
寂しそうな顔をした遼平に見とれた。惚れるとかそういうことではなく。そこに何かが隠されていて、それを無性に知りたくなった。
私がメロンパンを、遼平がコッペパンを食べ終わるまで、私たちは一言も会話をしなかった。これといった原因はなかったが、二人の間に気まずい空気が流れていたことは確かだった。
私がこの空気をどうすることも出来ずにいると、遼平が口を開いてくれた。
「小野崎さん、今日のご予定は?」
なんとも控えめな質問だった。きっと遼平もこの空気の中、口を開くのに勇気が要ったのだろう。話のネタを出してくれたことに感謝だ。
「そうですね……。昨日は海に行ったので、今日は少し山を登ったところにある公園に行きたいと思ってます」
そう言って、私は次のクロワッサンを口に含んだ。まるで話の区切りをするかのように、クロワッサンがさくっとよい音を立てた。しかし、実際には話の区切りなんて存在しなかった。
私が山の公園と言ったからなのか、遼平は少し考えを巡らせる様子を示し、右手の人差し指をピンと伸ばした。
「では、ハレアカラ国立公園なんてどうでしょう? 山頂までは3,000mちかくあって登るのは大変かもしれませんが、キパフル地区ならハイキングコースとして道が造られているので観光しやすいと思いますよ」
十二分に蓄えられた遼平の知識に驚きながらも、私はそのハレアカラ国立公園について耳を傾けた。
どうやらハレアカラ国立公園は、ハレアカラ火山を主体とする国立公園らしい。山頂地域とキパフル地域に分けられており、キパフル地域は谷の下方部にあって、そこには珍しい淡水魚や絶滅危惧種がたくさんあるらしい。
一通りの説明を終えたあと、遼平が笑った。
「まぁ、マウイ島は海に囲まれていて、どこに行っても海が近いんですけどね」
つまり、どこまで行っても木がある、という景色がほぼないのだと。
それでも遼平は私の山の公園に行きたいという願望を叶えようと考えてくれた。
もしかしたら彼は、写真家ではなく旅行会社の人なのでは。そんな疑いをもったほどだった。
遼平の拠点はペルーだと聞いた。マウイ島の説明を受ける限りでは、ペルーよりもマウイ島についての方が詳しいのではないかと思わざるをえなかった。むしろ、ここまでマウイ島について知っているのだから、拠点であるペルーを案内してもらったら、現地の人も知らない穴場を教えてもらえそうだった。
遼平の最後の一言につられて私も笑った。今日の観光はハレアカラ国立公園で決まりだった。
「今日はハレアカラ国立公園のキパフル地区に行ってみます。ご提案、ありがとうございました」
丁寧に私が言うと、遼平はどこか不満そうな表情をした。先ほどユーモアを付け加えた人とは思えない顔だった。
心配になって私は声をかけた。
「あの……何か問題でも……?」
私の声が届いたのか、遼平がはっとして首を振った。
「あ、いえ! なんでもないです……」
そう言ったわりには言い淀んでいた。本当に言いたいことは何なのだろうか。
頭の片隅に浮かんだことをこそっと言ってみることにした。
「……一緒に行きます?」
内緒話をするように言うと、遼平の表情がぱあっと明るくなった。やはりハレアカラ国立公園に行きたいと思っていたのだ。
自分の予感が的中して私は少し嬉しくなった。
「ご一緒してもいいのでしょうか……」
遼平は心配そうな声でそう言ったが、顔は素直だった。心配そうな声音の裏側で、本音が行きたいと前面に出ていた。
これを断るわけにはいかない。
「もちろんです。私も都合が合えば小林さんと一緒に行きたいと思ってました」
つい私の口から本音が出た。
遼平と一緒に行きたくなかったわけではないのだが。こんなことを口走った自分が恥ずかしくなった。
しかし、私が恥ずかしがっていることに、ウキウキとしている遼平は全く気づいていなかった。
とりあえず安心したが、この先、彼と一緒にいるときは注意をしなくては、と肝に銘じた。
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