Case:5-15

 物語なんかじゃない。これは現実だ。遊びでもギャンブルでもなく、ひとつの事実をすくいあげるための戦いなんだ。遊びと戦いじゃ、かけているものが違う。だから俺達は、絶対にこの人を捕まえる。何が何でも、絶対だ。


「俺達は、あなた一人ですべてをやったとは言いません。名取美和を誘拐したスメラギの監視役にしたように、当然協力者はいる。ただ一連の犯行を計画したものとして、俺達はあなたを告発します」

「告発か。まさか自分に向けられる言葉になるとはね」


 感情の乗っていない声が返る。


「この殺人事件における論点は、大きくふたつ。どうやって毒薬を渡すか? フェイクのノートパソコンをどうやって用意し、運び込むか?」


 でもそんなこと、何も難しくなかった。犯人が「県警刑事部長」支倉玄蔵ならば。


「期待させる口上で申し訳ありませんが、至極簡潔です。毒薬についてもパソコンについても――あなたに従順な部下にやらせればいい」

「……それは」

「物語としてはあまりにやっつけなシナリオだと言いますか? 殺人事件に相応しい難解なトリックがお望みですか? それは大いに違う。俺達はあくまで現実を突きつけているだけ。ゲームにつき合う必要はまったくありません」


 それに、チープな事件を起こしたのは紛れもない支倉玄蔵自身だ。駄作を名作にリライトしろと言うわけでもあるまいし。


「動機については推測の域を出ません。ただあなたと沢木がSINKの人間だった以上、何らかのトラブルがありあなたは沢木を殺害することになった。沢木が不眠症に悩み睡眠薬を服用していたのは、組織対策課の人間に少し話を聞けばわかることです。部下にまで配慮の行き届いた人望溢れる上司としての評価もうなぎのぼりですね」


 下っ端まで話を聞くことが怪しくても、課長である岸辺ならば事情が聞ける。何か困っていることはないかね、部下や同僚で気になることがあればどんな些細なことでもいい、私に聞かせてくれ――とでも言えばいい。魔法みたいに情報が流れてくるだろう。何の疑問も抱かせずに。


「沢木の弱みを見つけてしまえば、それを利用して殺せばいい。毒薬を用意して組織対策課の人間に託せばいいんです。あなたの息のかかった人間がいれば、確実に箝口令が敷かれる。あなたの存在は霧の奥に消え、沢木はそこそこ仲のいい誰かから『安眠効果があるらしい』など嘘八百並べたクスリを受け取るわけです」


 沢木の殺害に関してはそれで完了だ。ではその後。無駄にしか思えない……いや、ゲームだからこそ意味をなす謎の偽装工作についてだ。


「ノートパソコンをわざわざ用意した理由。それは翌日捜査に来た俺達のためのヒントだったのでしょう。あくまでも犯人にとってこれは犯罪である前に遊びだから。考えていたんです。沢木の家にあがったことのないあなたが、どうして沢木のパソコンの型を知っていたのかと。……答えは、これにありましたね」


 支倉さんが紛れ込ませた写真。県警の忘年会でのヒトコマだ。大量のプレゼントをバックに、沢木と海老名隼人が肩を抱いて笑い合っている。


「忘年会のビンゴの景品で、沢木はノートパソコンを当てたそうですね?」


 銀色の安い外国製。それでもパソコンはパソコンだ。


「忘年会に参加した人間ならば、沢木があのノートパソコンを当てたことを知る。普段使いしているかはともかく、沢木に挑戦状の指示を出すときに言えばいいんです。足がつくのを防ぐために警察のパソコンは使わず、自宅のノートパソコンを使えと」


 フェイクのパソコンは挑戦状以外のデータがデタラメだった。それは支倉さん自身が俺に伝えた情報だ。犯人は沢木のパソコンの中身までは知らない。でも挑戦状のデータとパソコンの型だけは知っている。ちぐはぐな知識が逆に容疑者を絞り込む。


「自宅へと運び込むのも、簡単です。見張りがグルならあの夜は『無人』になる。誰もあの部屋に入った人間はいないと、見張りに証言させればいいだけです」


 推理小説としては面白味もなんともない展開だが、これが組織の力というやつだ。警察は縦社会。それは違法薬物を扱う組織だって同じはず。表でも裏でも絶対的な権力者である支倉玄蔵を前にして、あらがうことは社会的な死を意味する。


「裕福で、コネがあって、警察官を意のままに動かす権力があって、名取美和を共犯者に選べる。これらの条件に該当するのは――支倉刑事部長、あなたです」


 数拍の沈黙。俺が初手に放った言葉と同じように、吟味していると言うのか。光年にも思える長い沈黙の後、ふうと静かに吐き出される息に俺は身を硬くする。


「発言していて、わかっているんだろう、君自身。そこには物的証拠がないと」


 そして鋭く正確に、あの事件を追いつめるときの鷹の目で、支倉さんは事実を射抜く。まったくその通り。俺達がやってきたことはあくまでも容疑者に該当する「候補」であり……誰かを逮捕するための物的な証拠は何一つ、ない。

 それでも俺は次の言葉を待った。


「わかっています。だから、俺はここに来たんだ」

「――何?」


 県警の重鎮であり人身掌握に長けた人間が、そう易々と証拠を残すはずがない。それでこそのダブルフェイスだ。

 なら俺がすることは何か? 最後の証拠を引きずり出す、そうして支倉玄蔵と事件を結びつけることしか、できない。推理がスメラギのメッセージなら、証拠をもぎ取ることが俺の抵抗だ。もう一般人だなんて、誰にも言わせない。


 くすんだ白の長テーブルに、俺はボタンを置いた。金色の装飾めいたボタンだ。むしられたのか、青い糸がわずかに絡んでいる。支倉玄蔵の表情筋が凍り付いた。


「……それは?」

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