Case:5-13

 事件を追いかけた結果、俺のなかで最有力の容疑者候補は海老名隼人。しかしスメラギが言っていた誘拐犯の人物像――財力とコネを持つ人間とはほど遠い。このギャップは何だ。まだ見えていないピースがあるのか。


 いずれにせよ、それは支倉さんからもっと詳しく話を聞くことで解決できるだろうか。今はとにかく情報だ。情報を精査して、輪郭を浮き彫りにしなくては前に進めない。ちぐはぐな犯人像が、蜃気楼の向こうで俺をあざ笑うような耳鳴りがする。今日も暑い。熱中症に気をつけて、俺はエアコンをフル回転させて眠りについた。


 ***


「誘拐と殺人事件の犯人像が一致しない、か……」


 二度目の邂逅。県警刑事部長と安い食堂で、しかもサシで会っていいのだろうか。

 二つ返事で「いいよ」と会合をセッティングしてくれる姿を見ていると、この人が多忙な刑事部長であることを忘れそうになる。とはいえ、黒い手帳には三十分単位でスケジュールが細かく刻んであるし、胸ポケットの振動は頻繁に見ている。多少の罪悪感も覚えるというものだ。

 俺の胸中はおいといて、支倉さんはスメラギと俺の「食い違い」について興味深そうに顎をなでた。


「誘拐犯はある程度財力がないと成立しない。殺人犯は沢木くんの家に頻繁に出入りする人物。言葉だけ聞けば一人くらいいそうな気もするが」

「支倉さんにもらった容疑者リストだといなくなってしまうんです」


 容疑者を広げて考えるべきなのか? だが、警察が調査してここまで絞り込んだ結果だ。見逃しがあったとしても素人の調査で解決できるようには思えない。


「支倉さん。警察が現場を見張っていたあの夜、現場に出入りした人はいませんか? パソコンをすり替えるならあのタイミングしかないはずなんです」

「現場に出入りした、か。日中はたくさんの刑事でごった返したけどね。パソコンを持ち込んだ奴がいれば間違いなく浮くだろうし」


 ちょっと待ってくれ、と支倉さんは機能性重視の大容量バッグの口を開け、資料を探し始める。「ああ、その間にこれもあげよう」と俺の前にクリアファイルがずいと差し出された。捜査資料の追加分らしい。文書といいうよりは写真がメインだ。

 支倉さんの捜索は少し時間がかかりそうだ。お言葉に甘えて写真を何枚か見る。死体の状況や現場については何枚か写真をすでにもらっていた。ここにあるのは押収した遺留品など。今話題にしている「本物の」沢木のパソコンもここにあった。それと普段から飲んでいた睡眠薬の袋。膨らんでいるように見えるから、まだ睡眠薬自体は残っていたのだろう。


「あれ」


 パッケージされた証拠品の写真が続く中、突然パーティー帽をかぶった沢木が目に飛び込んでくる。「慰安会」の横断幕をバックに、海老名隼人と肩を抱いて笑っている。忘年会とかクリスマス会の類らしい。福利厚生が充実していらっしゃる。

 その写真に、俺は再び目を奪われる。


「接木くん。すまないが」


 そこで支倉さんの言葉が飛び込み、俺は写真をクリアファイルの中に押し戻した。ろくに見ず詰め込んだせいで不揃いに写真が散らばっている。


「担当刑事に確認したが、あの夜部屋に入った人間はいないそうだ。大きな荷物を抱えた不審人物含め、誰もいなかったと。まあ事件があった日だ、警察の警備も厳戒態勢だし、そううまくはいかなかったね」


 支倉さんと会話を繰り返す。事件に関する質問を、いくつか。でも結論から言ってしまえば収穫と言える収穫はなかったし、容疑者は絞れずじまい。「誘拐犯と殺人犯は別物では?」という支倉さんの言葉は可能性としてはもっともだが、何故か俺は首を縦に振れなかった。脳内には数多の写真がぐるぐると渦を描く。


 ***


「確信が持てた。そして、僕は怖い」


 スメラギとの電話。番号を見ても驚かなくはなったが、今はそれどころではない。支倉さんとの会話で得るものはほとんどなかったが、スメラギの方は大分事件の全貌を掴んできているらしい。相変わらず恐ろしい男だ。

 そのスメラギが、怖いと言う。


「怖い?」


「ああ。この糸の果てに見える人間を――信じたくなくて。僕はそれが恐ろしい」


 スメラギの声にいつもの覇気はない。それどころかか細く、時折不安定に揺れている。彼の精神状態をそのまま反映したみたいな声に、俺もよくわからない不安に襲われる。

 ただ吐き出さないと前には進めない。あのメイドさんね、と前置きをしてスメラギは静かにその名を口にした。


名取なとり美和みわ。僕の最初の事件。その犯人の、奥さんさ」

「――加害者の嫁?」


 ナトリミワという女が、スメラギと由縁があるのはわかった。だが今回の事件でどうして引っ張り出されている? 意味がわからない。

 意味がわからなければ、どうしてスメラギの声が震えているのかも理解が及ばない。こいつは何に怯えているのだろう。


「どうして彼女がいるんだろうって考えていた。でもわかった瞬間――僕は人間を信じられなくなりそうだ。タスク、聞いてくれるかい、彼女がキャスティングされた意味を」


 名取美和がどういった存在で、彼女がどうしてここにいるのか。その予想をスメラギが伝える。その「推察」に、俺は戦慄する。


「確かに、信じたくないな。おまえなら尚更だろう」

「挑戦状の意味が、今わかった」


 スメラギが力なく呟く。

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