Case:5-8

 刑事が首肯する。俺はごくりと唾を飲み込んだ。

 睡眠薬を飲むことを習慣としていた被害者。錠剤か粉薬かカプセルだか知らないが、似たような見た目の毒物を「睡眠薬」と偽って飲ませることは可能だ。何より、この事件は「犯人」から密室殺人だというオーダーが出ている。「犯人」はこの事件の犯人について何か知っているのだろうか?


 密室については簡単に説明が付く。被害者が鍵をかけておけばいいのだ。施錠せずに眠るような無防備な人間でもあるまい。すでに毒物という凶器は被害者の手の中にあって、あとはそれを本人が飲めばいいだけなのだから。被害者が勝手に密室を作り上げ、その中で勝手に死ぬ。

 ならば、犯人は被害者に「毒」を贈れるような間柄の人間でなければならない。睡眠薬を処方している医者か? よく眠れるなどと言って試供品を渡す友人か同僚か上司か?


 「組織対策課」の文字が飛び込んでくる。俺はぞくりとした。スマートフォンに手を伸ばす。昨日スメラギから伝えられていた電話番号を叩いた。コール音。一回目の途中で応じる声がする。


『もしもし』

「スメラギ。今、現場を捜査中なんだが」

『朝から精力的じゃないか』


 この状況下においても余裕を取り繕っているように感じられる。昨日ほどの動揺はないにしろ、非日常なシチュエーションであることに変わりはないのに。


「事件の状況はどれくらい聞いてる?」

『君が手にしているだろう捜査資料のレベルだよ。支倉さんから被害者の氏名、死因などは聞いている』


 密室だと言うけれど――とスメラギは言葉を濁す。現場を見ることはなくても、報告された言葉で状況はおおむね理解しているようだ。


「被害者には夜、睡眠薬を飲む習慣があった。睡眠薬と毒薬をすり替えれば他殺は容易だ」

『被害者に毒薬を飲むよう唆して、かい?』


 わかっているだろうに、意地の悪い言葉選びをする。俺は現場の状況をできる限り詳しく言語化した。


「死体発見前日、ベッド脇に飲み干したグラスがある。粒子が底に残っている痕跡はない。おそらくカプセルか錠剤だろう」

『彼が普段飲んでいる薬はどこにある? 形状はそれを見ればわかると思うよ』

「ちょっと待ってろ」


 ベッド脇のテーブルにある小さな引き出しを片っ端から開けていく。上から三段目にそれはあった。病院の名前と処方箋。薬の入った袋には「一日一錠、就寝前」の文字がボールペンで走り書きされている。


「錠剤だ。二週間分くらい残ってる」

『普段はそれを飲んでいて、間違って毒薬を飲んだか。あるいは誰かに薦められて昨日だけ別の薬――毒薬を飲んだか。なるほど、どのみち密室の作り方は簡単そうだね』


 被害者が施錠して証明完了Q.E.Dだ。


『そうなると、次は犯人探しだね。僕を誘拐した犯人との関連性も気になる。タスク、その部屋にパソコンかスマートフォンはないかい? 何か接点になるデータが眠っているかもしれない』

「パソコンはあるが……」


 スマートフォン。現代日本において必需品とも言えるものを、そういえば見ていない。刑事の許可をとって、普段愛用しているらしいネイビーの鞄の口を開けた。

 機能性と丈夫さに重きをおいているらしい無地の鞄は、マチもしっかりしている多収納タイプだ。俺はできるだけ現場保存を気にかけ、鞄のなかで四苦八苦しながら手を動かす。

 長財布、免許証、ペンケース……スマートフォンも携帯電話も見あたらない。念のため刑事に聞いたが、警察が押収したものには含まれていないそうだ。


「ない。犯人に持ち去られたってことか?」

『……見られるとまずい情報でもあったのかな。気に留めよう。じゃあ次はパソコンだ。望み薄だが、何か残されているかもしれない』


 これまた刑事の許可を取って、俺はノートパソコンを起動させた。シルバーのシンプルなデザイン。安価な外国メーカーの一品で、数万円で買えたと記憶している。大学でよく見るタイプのパソコンだ。

    

 ブルーの画面からデスクトップに切り替わったのを確認して、俺はまずアイコンをざっと眺める。警察という組織にいる以上、情報統制は徹底されているはず。事件に関するものは個人のパソコンに持ち帰れない。バレたらマスコミからバッシングの嵐だろう。沢木は組織対策課に所属していると情報があったが、管理職にいたわけではない。

 適当にフォルダを開こうとすると、パスワードを要求された。さすがに一筋縄ではいかないか。諦めてメール画面を開く。ログイン画面。IDとパスワードも知らない。リスクなく開けるものから探してみる。

 テキストエディタを開いてみると、画面に小さな注意書きが表示される。「編集中のデータがあります。編集を再開しますか?」――俺は迷わず「はい」をクリックした。一秒ほどのラグの後、画面が切り替わる。開かれたのはA4一枚分の文章だ。文字にすればそれも数行。しかしそれは、俺の頭を鈍器で殴りつけるような衝撃を俺にもたらした。


『挑戦状』


 その言葉が、一気に糸をつなげていく。糸を手繰って、手繰ったその先に――スメラギの背中が見える。


『SINKの壊滅をもくろむ、無謀な子供へ。これは警告である。その牙を突き立てたモノがいかなるものか、ひとつの謎解きをもって思い知ることになるだろう』


 文言は途中で終わっている。宛名も差出人もない。だが、俺の知る限り、この「挑戦状」の受取人はきっとすぐそこにいる。


「スメラギ」

『どうしたんだいタスク。手がかりになるものがあったのかい?』

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