Case:5-5

 超能力者ではない俺は、いつ自分が「敵」に襲われるのかもわからない状況で、変に気を張っていた。

 学校から家まで、たった五分の距離。学生も多く、人通りが少ないわけでもない。でも、防犯の視点で改めて歩けば意外と街灯の数は少ないし、道もすぐ隣を乗用車が走る程度には細い。コンビニにさえ寄らず、早歩きになってしまうのは仕方のないことだろう。

 家は家でチェーンをかけるのが習慣になってしまった。戸締まりも念入りに確認する。俺は俺が思っている以上に、事態を深刻に、そして「現実に起こりうる」ものとして認識しているようだった。


 大学生活も同様だ。変に他人の目を気にして、わずかな物音にも過敏になってしまう。あんなに雑音混じりだった講義も音のひとつひとつを気にするようになる。スマートフォンのバイブレーションは犯人からのメッセージでは? と勘ぐってしまうし、近距離で人とすれ違うとそのまま睡眠薬でもかがされるのでは? とまで想定してしまう。安全な身であれば「被害妄想だ」と片づけることができよう。

 だが、相手がもし本当にSINKの人間で、本気だとしたら? 人間が人間を殺すのは意外と簡単なのだ。月一回のペースで殺人事件に遭遇し、刃物や薬物といった凶器が日常にあふれかえっていると自覚した今はそう思う。

 俺は俺自身を守るため、過剰なほど警戒していた。逆に言えば、それ以外を見る余裕がなかったのだ。


「……ん?」


 七月十日夜八時、スマートフォンのバイブレーション。スメラギからのメッセージか? 液晶画面が切り替わり……不気味な悪寒に襲われる。


 非通知。


 さんざん迷ったが、五コール目で通話ボタンをフリックする。電話、というものは昨今の情報化社会において不気味なツールのひとつだ。仕事ならともかく、ほとんどのやりとりを電子の文字で済ませてしまうティーンエイジャーにとって、声でのやりとりはつまり「至急」の意味合いを含む。鳴ることなど少ない着信音に驚くこともしばしばある。

 フリックする手は汗が滲み始めていた。


「もしもし」

『……タスク? ああ良かった、ちゃんと繋がった』


 やや強ばった声、から安堵への変容。スメラギの言葉は少なかったが、一言二言で感情が変質していくのを俺はストレートに感じた。

 いつもどこか余裕があって、気障めいた振る舞いを自然体にする男。焦りや油断を見せない彼が見せた人間らしい変化に、俺は逆に不安になる。


「どうした? 何かあったのか」

『うん。そうだね、どこから話そうか……タスク、落ち着いて聞いてくれると嬉しい』


 そう前置きされた言葉に鎮静の意味などなかった。


『僕はどうやら、監禁されたらしい』

「――は!?」


 自宅の薄い壁は、俺の驚愕を隣の音痴ボーカルに届けただろうか。短く飛び出した言葉はしかし、俺の動揺を示すに余りある。矢継ぎ早に質問を投げつけるしかなかった。


「監禁って……無事か? 怪我は? 誰かに誘拐されたってことか? そもそも犯人はどこに」

『大丈夫。ゆっくり話そう。タスク、落ち着いて』

「落ち着けって――」


 話し相手が監禁されていますと言うのに冷静でいられる人間がいるのだろうか。そういう状況に慣れた、想定した人間であればすぐ対応できるのかもしれない。しかし俺は(何度か死体に遭遇した身とは言え)平凡な大学生だ。人並みの感情、人並みの動揺をすることがデフォルトとも言えた。

 そうだ警察、警察に連絡をしなくてはいけない。監禁ってことはどこかの建物に閉じこめられているんだ。犯人がいて、スメラギを人質に何か要求を――


『タスク。僕の身の安全は今のところ保証されている。だからまず、話を聞いてくれないか』


 冷水のようなスメラギの言葉が耳を貫いていく。突き放すわけではなく、俺を宥めるような口調だ。子守歌のような、泣きわめく子供を大人しくさせるような。教師が生徒を窘めるあの言い方に、俺は徐々に冷静さを取り戻していく。

 そうだ、今電話ができている。まずはスメラギの話を聞いて状況を整理すべきか。俺の考えがようやくそこに至った。


「ああ。……悪い」

『誰しも聞いたら動揺するさ。さて、どこから話そうかな』


 スメラギが考え込む時間は長かった。話の構成を考えているのかもしれないが、あまりに悠長に過ぎる。犯人に目をつけられるのでは? そもそもスメラギはどういう状況下で電話をしているんだ? 質問が、またふつふつとわいてくる。


「お前、身の安全は保証されてるって言ってたな。あれはどういうことだ? 犯人は近くにいるのか?」


『そうだね……僕が誘拐されるまでの手順を述べようかと思ったけど、まずは僕の安全について話そうか』


 君の精神を落ち着かせるのが先だろう、と結論づけてスメラギが語る。


『僕は今、どこかわからない家の一室に幽閉されている。内側に鍵はない。簡単に言って密室だね』


 密室の王子が密室に閉じこめられるなんてね、とスメラギは自嘲する。


『僕の身の安全についてだけど――この部屋、パソコンがあってね。ネットには繋がってないんだけど、パソコンにメモが残されていたんだ。犯人から僕へのメッセージで、端的に言うと僕は殺されないらしい』

「それが身の安全の保証、ってやつか」


 スメラギを殺さないなら何故あいつは監禁されているんだ? 次の疑問は当然のように浮上する。


『僕がここに監禁されている理由はふたつ。僕にある事件の犯人を挙げてほしいという犯人の要求がひとつ。もうひとつは――ハンデ、だってさ』

「ハンデ?」


 因果関係の見えないワードだ。


『僕は自尊心の塊みたいな犯人から一種のゲームを挑まれたようなんだ。現実に起こったある密室殺人。その犯人を暴くことができるかどうか? ただ暴いてもつまらないから、僕はこの密室から謎を解く、というハンデ付きのね』

「なんだよそれ、無茶苦茶じゃねえか!」

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