Case:4-11
可能性はいくらだってある。俺の答えが完全解なわけでもない。穴も矛盾も、未解決な部分もきっとある。使えていない材料、不鮮明な状況。だけどこの可能性を、俺は埋めたままにしたくない。
きっとこれは、スメラギにだってたどり着けない――俺にしか見いだせない、可能性だ。
「スメラギ。俺の推理を、聞いてくれるか」
相棒はにっこりと笑って、もちろん、と言った。
***
歓楽街・蟻浪、日常と非日常の境目。昼と夜の境界線、白と黒の中間。
なんとでも形容できるボーダーの上に存在する喫茶店で、昨日と同じ席に俺は座る。カフェモカは散々な評価を受けたので、今日はアイスカフェラテにした。ガムシロップはひとつだけ。それすらスメラギに見咎められないかと、正直ハラハラした。
スメラギは何も言わなかった。注文は変わらずブラックのアイスコーヒー。紙ナプキンをグラスの下に敷いて、その海を静かに見つめている。
第一声が思いつかなかった。否、適切な一言目が浮かんでこなかった。あれよあれよという間に事件は進み、俺たちはひとつの結論を持ってここに座っている。
時刻は午後七時。蟻浪からは撤退した方がいい時間帯だ。それでも今この時刻に境界線の店に腰を下ろしているのは――積もる話があるからで。けれどその一歩を踏み出せない。何を言えばいいのか。別に大したことでもなかろうに。
「後悔、しているかい」
切り出したのはスメラギだった。ああ、こいつは罪悪感を感じているのかと、コーヒーをただ見つめる表情から察する。ならばこれ以上言わせるのは、傷をえぐる行為だろう。俺は全く、問題ない。
「まさか」
「でもこの結末は、あまりにも」
「それは、犯人が俺の高校時代の風紀指導教諭だったことか? そいつが痴情のもつれで誘拐と殺人に及んだことか? その結論を俺が出したことか?」
「……全部だよ」
力なくスメラギは答える。
「僕は君に、こんな結論のために推理をしてほしいわけじゃなかったんだ」
「一生間違った推論をさせたかったのか、俺に」
「違う、けど」
スメラギの言葉に覇気はない。
事件の概要としては、表向きは風紀指導の教諭という立場にありながら、キャバクラ通いが趣味だったあの教師の性癖から語るべきか。俺としては別に個人の趣味嗜好だし、プライベートまでどうこういうつもりはない。
ただ、蟻浪で篠崎薫に出会ってしまったのが不運だった。
元々交際などで「お小遣い」を得ていた篠崎薫は、高卒で年齢を偽り、風俗店で働き始める。駆け出しのキャバ嬢だった彼女と客として巡り会ってしまった教諭。当然、向こうは彼を覚えている。そこにどんな取引があったか――語るまでもない。教諭は篠崎薫になかば脅される形で彼女を指名し続け、貢いでいたというわけだ。
ある日、そんな日々に変化が訪れる。込み入った事情だ、いつ崩壊してもおかしくない。そこで教諭は篠崎薫を誘拐し……殺害、したと言う。口封じのために。
「誘拐の時点で最悪の可能性も考えた。お前もそうだろ」
スメラギは答えない。
そう、本来ならここで終わるはずだった。路地裏で篠崎薫に睡眠薬をかがせ、気絶した彼女を誘拐。人目につかない場所で殺害し、山奥にでも遺体を埋めてジ・エンド。本人もそのように供述しているらしく、現在はその山奥を警察が捜索中だ。
カフェラテにガムシロップを入れて、かき混ぜる。カランと氷が涼やかな音を立てた。風流だとか普段のこいつなら言いそうなものだが、今日は一言の感想も漏らさない。こんなスメラギははじめて見る。もちろん、沈痛な顔をしているのも。
「何故、連続殺人に及んだか? こっちの方が、俺には狂気の沙汰に思えるよ」
教諭は気が動転していた、と言う。篠崎薫が行方不明になって、もし死体が発見されたら? 疑われるのは彼女の関係者、つまり彼女を「指名」し「脅迫」されていた自分も候補にあがってしまう。店で顔は割れている。指名の少ない彼女の客など指折りできる程度。彼女を殺す利益は、自分にしかない。
だから、彼女を「一件目」にした。
「本命の殺人を隠すための連続殺人、そして連続性を示すためのアルファベット。こんなの推理小説の中だけの話だと思ってた」
それに出会えたのは、お前が導いてくれたからだぞ、スメラギ。
「……僕が招いた結果だ」
沈痛な面持ちのまま、一切コーヒーには手を触れずにスメラギは吐露する。
「この謎は、きっと……君にしか解けなかった謎だ」
「そうだ。お前は持ってなくて俺しか知らない情報。だから俺はお前を出し抜けたってわけだな」
努めて軽く言うが、スメラギの表情は晴れない。
篠崎薫と逮捕された男が高校時代に接点があったことは、同じ高校にいた俺は知っていてもスメラギは知らない。同様に、その男が体育教師であったことも、スメラギ当時知らなかった。当然だ、捜査中に名前すら挙がらなかったのだから。
風紀を担当する教諭は往々にして体育教師であることが多い。体育教師なら学校の備品――たとえば、運動で使うような器具や、そこそこの太さを誇る縄なんかも調達できる。三件目の縄の跡を見て、俺はようやくたどり着いた。すなわち冒頭でスメラギに告げた結論に。
「僕は君に、こんな悲しい結末を君の手でだしてほしくはなかったんだ」
「そうか。でも、真実とは時に残酷なものである、って言うだろ」
「……っ」
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