Case:4-10
今までの二件はメモと被害者の私物くらいしか物証がなかった。しかし、今回は殺人だ。死体もあがっているし、どんな方法で殺されたか、被害者が犯人に繋がる何かを残しているか、希望の持てる可能性はある。死体に希望を持つなんて、不謹慎かもしれないが。
バスから飛び降りるように降車し、俺たちは急ぎ蟻浪へと向かった。日の高いうちからネオンの灯らないアプローチをくぐり、東へと足を進める。今日もあいにくの曇り空だ。天気予報の降水確率は――忘れた。
「お前、
江藤まりえの死体発見現場に入った俺たち……というか俺に、茂庭警部はまずそう問いかけた。
シノザキカオル? 一瞬誰のことかわからなかったが、一件目の被害者のフルネームだと気づく。俺が知っていたのは派手な容姿と鬱血、そしてシノザキという響きだけだったから、下の名前を知らなかった。
「ええ、一応。話したことはないし、クラスも違いましたけど」
「んだよ、使えねえな」
善意の第三者を前に「使えない」の一言はいくらなんでもあんまりだろう。茂庭警部は普段から気むずかしい顔をしているが、俺とスメラギに対する嫌悪感は露骨だ。大人を何十年もやっている人間とは思えないくらい感情に素直だと思った。性格はまったくもって素直ではないが。
「死体は運んだから、鑑識の撮った写真はくれてやる。警察の捜査はほぼ済んだ。あとはお前がさっさと飽きてくれるのを祈るだけだ」
支倉さんからスメラギの子守りを頼まれているらしい。不愉快そうに大きなため息をついた。さっさと終わらせろと、口でも態度でも示されている。しかしスメラギが気にする様子はない。相性が最悪だなこの二人。
江藤まりえとおぼしき女性の死体は、最新式のカメラのせいなのかくっきりと写っていた。技術の進歩もいいものばかりではない。争った痕跡、乱れた茶髪が絡まって首に巻き付いている。ピンクの爪は長く、それで首の髪の毛を払おうとしたのか、首には爪を立てた跡が残っていた。控えめに言って趣味が悪い。
衣服は「店」の衣装なのか、深紅のナイトドレス。夜道を歩けば明らかに目立つ、それが歓楽街・蟻浪の外ならば。
死因は首を絞めたことによる窒息死。髪ではなく別の紐状の何かで首を巻かれ、命を落としたらしい。出血は見られない。爪の痕は首に巻かれた凶器に対する抵抗だったのか。
「盗まれたものは?」
スメラギが死体の転がっていたらしい場所にしゃがみこんで問う。茂庭警部は眉間の皺をいっそう深くしたが、早急な解決(というかこの状況からの解放)を選んだらしい。短い単語で答える。
「なし。キャッシュもカードも手つかずだった」
「服飾品も?」
「そのままだ。強いて言えば凶器が見つかっていない」
凶器。被害者女性の首を締め上げた細い紐状のものか。それには当然女性の痕跡――皮膚なり体液なりマニキュアなりが残っているはずだ。足がつくのを恐れて捨てたか持って逃げたか。
「現場一帯を捜索しているが、凶器らしきものは発見できていない」
「突発的な犯行……あるいは計画している途中で予想外のことが起きたのか。いずれにせよ、過去二件と比較するとイレギュラーですね」
スメラギが顎に手をあてて思案する。
「過去二件は未だ女性の足取りすらつかめていないのに、今回は死体が残っている。トラブルがあって殺したということなのか……」
「昨日、江藤まりえは店に出ていたんですか?」
「……深夜二時まで仕事。相手にした客はこいつの手帳を見ればわかる」
俺の問いに対する返事に必要以上の間を感じたのは気のせいだろうか。
二件目までは順調に、意図的な痕跡以外は残さずにきた誘拐。それが三件目で死体になって現れた。絞殺。紐なんていくらでもある。最悪ネクタイでも行けるわけだし。
「……ところで茂庭警部。この首を絞めた紐ですが、本当に特定できてないんですか?」
スメラギの意味深な発言。茂庭警部は不愉快そうに「あ?」と濁音まじりの返答をする。紐の特定だって? ネクタイでも紐でも残せる、じゃない。きっともう少し、この痕跡には検討の余地があるってことか、スメラギ。
写真をもう一度観察する。髪を払った状態だと赤い痕跡が鮮やかに見えた。まったくもって気分は良くない。
そしてそれを見た瞬間、俺は雷に打たれたような衝撃を覚える。いや違う、探偵特有の「一気にひとつの線になる」みたいな感動じゃない。
これは、恐怖だ。
「スメラギ。この痕は……縄か」
確かめるようにスメラギに質問を重ねていく。俺の異変に気づいたのか、スメラギは優しい声音で丁寧に返事をした。
「そうだよ。この押しつけたような模様は表面が凹凸しているから……縄の一種で首を絞めたと推理できる。縄目模様なんてまるで縄文土器だね」
笑い飛ばす余裕はなかった。
「縄って、一般人が持ってるものか?」
「そうだね……市販で買えないわけではないけれど。この太さから考えると、新聞紙を綴じる程度の細さじゃ十分とはいえないね。そういうプレイが好きなら持ってるんじゃない?」
そんなことより、俺にはある可能性が急に浮上していた。一件目、あの赤いイヤリングを見たときからすべては始まっていたんだ。
俺の記憶、無気力で何の関心もなく人間観察をして――何の関心もないはずのそれらを、鮮烈なまでに覚えていた。あの記憶はきっと、今日このときのためにあった。
女子高生の鬱血。赤いイヤリング。一件目の同級生。二件目の方位磁針。三件目の縄。
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