Case:4-9
「考えていそうな顔をしてたから」
愉快そうに笑う男が憎らしい。俺は視線を逸らしてカフェモカを更に飲み、空白を作る。その間に恐ろしいほど考えた。犯人がわざと暗号を残す理由。
暗号の、意味。
無意味に残すとは考えられない。それではあまりにリスキーだ。女性が続けて失踪しているだけでも、人間の出入りや何やらで容疑者候補に入れられそうなものなのに、危険を冒してまでする理由が、きっとある。ないと説明がつかない、理性的な人間であるならば。
「どうしても、伝えたいことがあったとか」
「たとえば?」
「いやなんつーか……メッセージを解読した先に残っているのが警察とか社会への怒りだったり、あるいは誰かの悪事を暴露する内容だ、とか」
「すると、その犯人はさぞや義憤に燃えているのだろうね」
スメラギにそう要約されると、何か違うなという気持ちになる。
「女性を誘拐している時点で義憤とは縁遠い気がするが」
「水商売という職業を嫌悪しているのかもしれないよ? そういう仕事を不健全だと糾弾したがる人間もいる」
あまり治安のよろしい場所での仕事とはいえないかもしれないが、思考にロックがかかるのもよくない傾向だ。すべての人間が公務員をやれば社会貢献度が高いかとか、そういう話では片づかないと思うし。
「社会への怒りから水商売の人間を誘拐? だとしたら方位磁針に則って誘拐をすることには何の意味があるんだ」
「方位磁針そのものにはメッセージがないのかもね」
スメラギが足を組みながら呟く。
「事件の場所を線でつなぐと浮かび上がるものがある、とかさ」
「今は直線でしかないがな」
「EとW次第さ。もっとも、事件が起こるのを指をくわえて待っていたくはないけれど」
そう言うとスメラギはスマートフォンの地図アプリに指を滑らせ、NとSの点を繋いだ。
「この線と、EとWの線が交差する点、とかね」
***
スメラギの推理は打ち砕かれることになる。
翌日、眠い目を擦って午後一番の授業を受けていた俺に、非日常への誘いを告げるバイブレーションが鳴った。三コマ目というのはどうしてこんなにも無気力なもので無意味な時間なのか、と
『女性の他殺体が蟻浪で発見された』
それは、俺の眠気を一気に覚ますものだった。失踪、からの誘拐、ついに殺人。俺が知らないだけで、市内にはこんなにも殺伐とした事件が転がっているものなのか。
四月からこれで三件目だ、「殺人」に遭遇するのは。
『詳細は?』
『発見場所は蟻浪の雑居ビル。地図で言うと東側に位置する物件だ』
東。俺は唾を飲み込んだ。
非常勤講師のスライドショーなんてお構いなしで、俺は液晶画面が更新されるのを食い入るように見つめていた。そして飛び込んできた文字列に、俺は絶句する。
『被害者は江藤まりえ。残されていたメモは――I』
「――は?」
思わず漏れた呟きは、講義室を構成するノイズの一つでしかない。さして気にされることもなく、ただ俺の周りの空気だけが張りつめていく。
江藤まりえ。おそらく読みは「エトウ」だろう。地図的にも東だし、方位磁針のメッセージが正しければ残されるべきアルファベットは「E」になる。しかしスメラギのメッセージを何度読み返しても、そこにあるのは「E」ではなく「I」だ。打ち間違いを期待したが、メッセージが修正される気配はない。
『本当か』
それだけで俺が聞きたいことはスメラギに伝わったらしい。
『アルファベットのメッセージは考え直しだね。放課後、現場に向かおう。支倉さんにお願いして現場の許可は取ってある』
『了解』
断る理由はなかった。急展開を見せる事件に、俺はただ動揺を隠せない。結局午後の授業はほとんど頭に入らず、俺は悶々と悩み続けた。
放課後、スメラギと図書館前で落ち合いバスで蟻浪を目指す。夕方の時間帯は大学から駅前までシャトルバスが出ている。蟻浪は駅前から少し歩いたところだから、熊手キャンパスから歩くよりはずっと時短だろう。何故昨日は使わなかったかと言えば、時刻が合わなかったせいだが。本数が中途半端なのが困りものである。
「SとNとIか。いよいよつながりが見えなくなってきた」
暗号とは本来、増えればヒントになる。露出数が増えればより解読の能率があがると踏んでいた。スメラギは険しい表情でバスの最後列で足を組む。隣が俺でなければ迷惑な座り方だ。
「江藤まりえのどこにもIのイニシャルはないんだろ?」
「源氏名を聞いたけど、マリエで活動していたとのことさ」
「本名と同じ、か」
珍しい、とでも言えばよかったのかもしれないが、今はアルファベットの関連性探しに必死だ。
「でも、今回は死体が残っていたぶん得られる手がかりも多い」
「犯人の痕跡があるかもしれないってことか」
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