Case:4-8

「失踪する直前、彼女の周りでおかしなことはありませんでしたか? あるいはトラブルがあったとか、迷惑な客がいたとか」

「迷惑な客はしょっちゅうですからね」


 店長は苦笑する。


「駆け出しのホステスでしたし、うまく客が取れないことも多かったです。お客様に水を引っかけて怒らせてしまったこともあります」


 成功よりも失敗の方がずっと多いですよ、と店長は語る。


「ああ、でも一人、彼女を熱心に指名する男性がいましたよ」

「一人?」

「まあ彼女のお客は何人かいますけど、彼女がここで働き始める前から追っかけている男性とかで。彼女、ここに来る前も風俗店で働いていたらしくて、その縁で知り合った男性だったと」


 ***


「どう思う? タスク」


 シノザキの働いていた店を出て、俺たちは蟻浪歓楽街の入口にある喫茶店に入っていた。

 時刻はもう午後七時。夏至が近いとはいえ空は紫色に染まりだしていた。あまり長居をすると厄介な客引きに遭うからと、チェーン店の喫茶店に逃げ込んだ次第だ。俺はスメラギと再会する前に全力疾走していたし、座って休めるのはありがたい。

 カフェモカを頼んだ。スメラギはブラックコーヒーにミルクポーションをひとつ。


「君、意外と可愛いの頼むね。女子力?」

「うるせえよ」


 注文一つで難癖つけられてはたまったものではない。ブラックコーヒーは好きじゃないだけだ。苦くて飲めないとかじゃない。ミルクさえあれば飲める。ただ金を払ってまでそんなリスクを冒したくないだけだ。


「事件の起こった順番で言うと、シノザキのあとに三上早苗、か」


 どう思うという問いに対して、俺は情報を束ねることで応じる。


「シノザキさんの失踪は一週間前。三上早苗さんの失踪は昨日。アルファベット順が失踪と関係しているなら、Nの三上さんが先のはずだけど」

「アルファベット順の失踪は消えたな」


 このアルファベットのメモがどこまでも悩ませてくる。規則性が見えてももやの中にあるような、納得できないルールだ。シノザキの「S」に菜々美の「N」。あるいは別の意味を持った何か。


「それとも、SとNの二つに関連性があるのかな?」

「SとN……磁石か?」

「EとWも増やして四人失踪でもさせてみるかい」


 笑えない冗談はやめてほしい。俺はカフェモカをすすってスメラギを咎めようとする。甘い味が口いっぱいに広がるなか、俺は何故か痺れるような衝撃に襲われた。

 もし、もしSとNだけでは意味がないとしたら? その先を言うのははばかられる。


「なあ、スメラギ。それ、本気にしていいか」

「笑えない冗談だと一蹴されるかと思ったよ」


 ブラックコーヒーにミルクポーションを落とし、マドラーでかき混ぜながらスメラギは笑う。カランと鳴る氷は涼しげな音のはずなのに、静かな店内に嫌に響きわたる。


「言っただろう。連続失踪事件だって」

「連続誘拐事件の真っ最中ってことかよ」

「ねえ、タスク」


 スメラギがにこりと笑う。とびきりの悪戯を思いついた子供みたいに。


「もし、本当に方位磁針の方角通りに店が配置されていて、そこにいる人が失踪していたら――現実には起こりえないくらいゾクゾクする事件じゃない?」


 まさか。

 言葉にできなかった。俺が動揺し脳内整理をしているうち、スメラギはスマートフォンを起動させる。ラウンドテーブルの真ん中に置いて開いたのは地図アプリだ。俺たちがいる蟻浪を拡大していく。ビルの名前がわかるくらいの大きさになった。


「シノザキさんが失踪した現場と、三上さんの働いていた店はそれぞれここ」


 どうやら書き込めるらしく、スメラギは指で各場所を囲っていく。赤いペンの軌道が丸を描いた。


「ちなみに、方角で考えるなら今のところは成立しているよ」


 シノザキのイヤリングが落ちていた路地裏は北、三上早苗の働いていた店は南の方角。ならば、本当に東と西で失踪が起こるって言うのか。


「あと二件、犯人はホステスを失踪させる腹積もりか」

「あるいはもう失踪しているのかもしれない」


 スメラギはブラックコーヒーを一口すすって応じる。冷静な語り口だった。ゆとりのあるようにも見えるスメラギの態度に、俺も落ち着きを取り戻していく。頭の思考速度が処理できる程度になった。


「シノザキの件みたいに、まだ明るみになっていないだけって可能性か」

「聞き込みをすれば候補があがるかもしれない。県警に伝えておくよ」


 さらりと県警の名を出すところが恐ろしい。「県警に伝える」なんて、とんでもなく縁遠い言葉だ。文字通りの人生であってほしい。


「客引きにひっかかると厄介だし、今日は撤退だね」

「お前のことだから、もっとつっこむのかと思ったぜ」

「公序良俗はわきまえているつもりだよ」


 優等生のお手本みたいな言葉が、優男の口をついて出る。悔しいくらい似合っていて、こいつは教授のお気に入りになりそうだなと腹立たしい感想を抱いた。


「でも、考えることはできる」

「と言うと?」

「犯人がメッセージを残した理由さ」


 シノザキと三上早苗に面識は無いため、残されたアルファベットは当然犯人による。現代社会において、犯人からの暗号というイレギュラーな行為をしたのは何故か。その理由を考察する価値はあるし、俺とスメラギの残り時間はそれに費やされるのだろう。

 カフェモカを口に含んでスメラギの言葉を待つ。


「タスクはどう思う?」


 待ったが、返ってきたのは問いかけだった。


「どうして俺に振るんだ」

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