Case:4-3
赤い鬱血が何重にもなって再生される。欲情しているわけでも、女を乱したい願望があるわけでもない。ないといったら嘘になるが、それとこれとは話が違うというやつだ。彼女は何の関係もないはずなのに、どうして心に巣喰って離れないのだろう。
「――タスク」
少し機嫌の悪そうなスメラギの声で俺ははたと立ち止まる。機嫌が悪い、は違うか……叱りつけるような、注意するような、年長者が年少者に物申すような言い方に似ている。有り体に言えば「怒られる」ときみたいだ。
あんなに避けていたスメラギの両目に吸い寄せられる。濁りのない双眸は
「君、僕の話を聞いていたかい」
「……ああ、悪い。聞いてなかった」
そうそう来れる場所じゃないからついな、と俺はまた嘘をつく。半分は真実だが、スメラギは俺の言葉などもう無意味だと知っているのだろう。オレンジ色の空は雲に覆われ、灰色の影が俺たちを傍観している。
「君の事情は聞かないよ。聞いたところでまだ誤魔化すつもりみたいだから。でも、これから始めるのは調査だ」
スメラギの声は厳しい。真剣に事件に向き合っているからこそ、と受け取ればいいのだろう。だが俺の歪曲した五感は、決してそれらを文字通りに受け取らない。独善的なフィルターを通して、彼の言葉は俺に都合のいいように
「君は僕の助手であり、アウトプットの相手であり――相棒なんだ。これから失踪現場に入るけど、事件に集中してもらわないと」
つまり? おまえにとってのツールである俺には、道具らしく感情なんて殺して事件に専念しろって言うんだろ。俺にはおまえみたいな鋼の心も機械仕掛けの目も嘘八百の口もないっていうのに。
俺はおまえとは違う。完璧な助手がほしいなら、それこそ機械でもお友達にすればいいんだ。
「あーそうかよ。じゃあ使い物にならない俺は用無しだな」
「タスク?」
俺は踵を返す。もうスメラギは見ない。キラキラ輝く完璧超人の姿なんて、もう追いかけたくない。
腕を掴まれた。肉のさほどついていない手。論理と理屈でできた腕は、意外にも強い力で俺を繋ぎ止めていた。
「誰もそんなこと言っていない。タスク、僕の話を正しく理解してくれ」
正しく、だと?
スメラギの目は見なかった。視線を合わせたくなかったから、適当に鼻先に焦点を合わせる。そこから上の情報は抹消した。視界にすら入れない。でも、真一文字の口がまんまるく開いたから……俺の当時の顔は、きっと見せられたものではなかったんだと思う。
「うっせえよ。テメェの言葉を凡人が理解できると思うな」
腕の力で繋ぎとめる鎖なんてあまりにも
もう声は聞こえない。いや、何か言っていたかもしれないがもう俺の耳には届かない。俺の興味、関心、取捨選択した情報は、俺から住良木密に関するものを除外した。
夕暮れの歓楽街を駆ける。行く宛があるわけではなかった。けれどまっすぐ帰る気にもなれなかった。がむしゃらに走り、息を切らしていく。
上を見れば真っ黒にも近い曇天なのに、雨がぽつりとも来ないのが憎らしい。こんな天気なら土砂降りにでもなるだろ、クソが。俺は行き場のない思いを無様に八つ当たりするしかなかった。その掃き溜めを求めていた。
「はあ、……は……っ」
俺は長距離の選手ではない。たぶんもやしみたいな優男よりはずっと走れるとは思うが、十分強走り回ってさすがに疲弊した。ずっとフルスロットルで走ったわけでもないとはいえ、この程度しかもたないとは。
呼吸困難に陥る前に、適当に自販機でペットボトル飲料を買っておく。炭酸飲料ばかりが並ぶラインナップに一切の慈悲を感じず、悪態をついて取り出し口を蹴飛ばした。
五百ミリリットルのスポーツドリンクがあったので、それを買って路地裏に逃げ込む。歓楽街ならではというか、メインストリートを逸れると複雑な小道が枝分かれしている。人目をはばかって何かをするには好都合な街並みだろう。
間隔の狭いビルの隙間に無理矢理身体をねじ込ませているみたいだった。野良猫が根城にしていそうな水色の蓋付きゴミ箱は薄汚れてしまっている。いつか刑事ドラマで見たような絵が本当に実在しているんだなと、荒い息を整えながら思う。
スポーツドリンクのキャップを強引に回して、流し込むように天を仰いだ。適度に冷やされた甘い飲み物が食道をハイペースで落ちていく。それが胸を通過し胃に至るまで、身体に浸透していくのを感じた。
――何をしているんだ、俺は。
カッとなった頭を冷やすことは意外と早くできた。もっとがむしゃらに走り回って、発狂して大声で怒鳴り散らしたい気分についさっきまでなっていたのに。あの場での振る舞いとして、スメラギは正論だったことは百も承知だ。俺は感傷に浸って心ここにあらずだったし、そんな俺をスメラギが咎め、「仕事に集中しろ」というのは当たり前なんだ。冷静に考えなくてもわかる。さっきのは俺の暴発だと。
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