Case:4-2

 スメラギの話を一方的に無視して上を見てりゃ、そんな返事が来ても当然か。

 皮肉でもなく、純然たる興味といった様子で、毒気のない問いを投げるスメラギ。ベージュのジャケットはお役御免の季節になり、薄手のグレーのカーディガンを羽織るようになっていた。なで肩じゃないからやっぱり憎らしいほど着こなしている。派手なアイテムでもなかろうに。


「別に。雲があるから暗いなと思っただけだ」

「雲?」


 「今度帽子でも買ってみようかな」と呟いていたスメラギは無視して、先の問いに答える。何の変哲もない、日常にありふれた会話だ。


「先週は天気予報で曇りだったのに土砂降りだったからな……今日は降らねえだろうな」

「そうだね。蟻浪の方にあるけど、雨は降らないんじゃないかな」

「そういう雲か?」


 黒いからてっきり、と俺は呟く。スメラギはおとしめるでもなく、自慢するでもなく、己の「推論」を披露する。


「雨が降る雲ならもっと濃いと思うな。雲の境目を見るにそこまで厚いわけでもないし」

「そうか?」

「入道雲みたいな雲じゃないからね」


 ただ気温は下がってくると思う、とスメラギは言う。


「曇天だと星も見えないから、寂しいものだね」

「天体観測が趣味なのか?」

「高校の時に天文部の彼女がいたんだ」


 意外な趣味だな、という感想は口から出る前に抹殺した。そんなことだろうと予見はできた。予見したからと言って実際に起こるかはまた別の話だ。言われると無性に腹が立つ。


「ナチュラルにモテ自慢するのやめろよ、殺すぞ」

「物騒なこと言うなよタスク。君ってそんなに言葉遣いの荒い人間だったのかい?」


 おまえがそうさせてるんだよ、と拳で無防備な背中を小突いた。


「いった! ちょっと、本気で手を出すとは思わなかったぞ」

「男なんだから雑な洗礼にも慣れろ。全然痛くねーから」

「僕はそんなにタフじゃないんだから、タスクの体力を基準にしないでほしいなあ」


 男子大学生の放課後。サークル、バイト、バカ騒ぎ。男のロマンを追い求めて、袋とじをどうにかして覗こうとしたり、パチンコに興味を持ったり、徹夜で麻雀したり――大学生の謳歌の仕方があるとすれば、そんなイメージを実行することだと思っていた。


 今、なんてことのない話題でスメラギと盛り上がり、雑談し、無邪気に笑いあい、スキンシップという名の殴り合いをすること。それが俺とスメラギの間では「異常」だった。

 俺は必要以上にスメラギに近づかない。対等でありたいなどと思わない。あいつに暗い感情を抱いて、それでもツールとしてあるだけ。

 スメラギも俺に過度に近づかない。きっと求めているのは事件と助手なんだろう。利用価値がなくなれば、彼女と同じように廃棄される。


 歓楽街・蟻浪に行く間、ゆえに俺たちは異常だった。何故か? スメラギじゃない、俺のせいだ。俺がこんな空気を作り上げた。事件の概要、蟻浪という街、夜の華咲き乱れる濁った泉に……俺は神経を削りたくなかったから。


「タスク。君、蟻浪に強い思い入れでもあるのかい?」


 密室の王子様は、これでも探偵志望だ。だから俺の変化など見逃すはずもない。


「ん? いや別に、歓楽街ってのに興奮してるだけさ」


 それでも俺は嘘をつく。こじ開けられたくない扉を全力で押しとどめるために。


 ***


 県内でも最大規模の歓楽街、それが蟻浪だ。不夜城とかネオン街とか夜の街とか、とにかくそんな言葉ばかりが並ぶ。

 未成年の俺がそこの詳細を知るのは、番組改編のときにテレビプログラムに組み込まれる警察特番だ。SINKの件を知った、あの番組である。酔っぱらいの仲裁だ、ツケの踏み倒しだ、キャバクラ嬢へのセクハラだ、暴行事件だ、治安の悪いニュースと警察官の奮闘ぶりを目にする。実際はもっと流血沙汰や泥沼劇場もあるだろうに、「警察官は今日も不夜城・蟻浪の治安を守っている」と無理矢理まとめあげたナレーションで片づけられるだけだ。本当の蟻浪の姿など、俺は知らない。


 夕方五時。まだ客引きもまばらである歓楽街は、ネオンが灯ってもいなかった。夕方六時からが本番である夜の街は、昼から夜へ化粧直しの最中だ。夏至が近づく梅雨入りの時期、太陽が落ちるにはまだ遠い。


「蟻浪に来たことはあるかい?」


 派手なカラーリングのアプローチをくぐり、スメラギが問う。洞察に秀でた両目を見たくなかったから、周囲のビルを見回しながら俺は答えた。


「ねーよ。ゲーセン行くために近くを通り過ぎるくらいだな」

「タスクって意外と真面目だよね。その見た目なら少しくらい羽目を外してそうなのに」

「うるせえ」


 見た目が変わったところで変貌するのは周囲の目だけ。俺自身の中身は変わらないままだ。


「僕はあるよ」

「は」

「事件でね。前の冬だったかな……今回の事件に似たものを扱ってね」


 大学受験が差し迫った時期に高校生をなんつー場所に送り込んでるんだよ警察は、というか支倉さんは。


「だから今回の事件を他人事には思えなくて、受けることにしたんだ」


 なるほどな、といかにもな相槌を打っておく。本当は話の八割くらいは彼方に吹き飛んでしまった。


 蟻浪。夜の街。名前を脳味噌が認識するたび、光の速さで高校時代がフラッシュバックする。

 やたらと派手な見た目の女子高生。思えばあのけばけばしさも、夜の街に繰り出す為だったのかもしれない。彼女に似た――というか同類の、目元が黒くて明るい髪を盛ってデコルテを晒す顔写真は、ここでいくらでも見れた。きっと彼女がいた世界はこんな感じだったのだろう。

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