Case:4 Don't be afraid, my BUDDY.

Case:4-1

 六月。それは、憂鬱な季節の代名詞だ。


 スメラギに振り回されているとはいえ、俺は一応大学生だ。必要な単位を二年生までに取っていればいい文系の学部とは異なり、理学部は一年生のうちから留年のリスクと隣り合わせになっている。

 必修単位を落としたら即留年。間違ってもスメラギ「先輩」と呼ぶ未来だけはごめんだ。


 俺の成績はと言うと、可もなく不可もなくである。そんなところまで平凡だ。とびっきりの劣等生でもなければ才気あふれる優等生でもない。適度に学び、適度にサボる。落としていい単位とそうでない単位の判別さえ間違えなければいい。それくらい弁えて大学生活を謳歌おうかしている。……謳歌、できているのかは定かでないが。


「うわ」


 前期は七月下旬から八月上旬にテストが集中しており、それをクリアさえすればあとは出席日数をクリアして無問題だ。実際は「教養科目」なる全学部共通の講義が中間テストとかいう意味不明な試練を設定しており、そのせいで俺の六月はパーである。


 中間テストを間近に控えた俺は、放課後図書館にこもっていた。俺のような見た目の人間が頻繁に出入りするような場所でもないし、周囲の視線も痛々しい。だがそんな図書館にも勉強用の個別ブースがあることを知った俺は、そこを利用している。場所も人の近寄らない百科事典の棚の奥だから、人気のなさも魅力だった。

 スマートフォンが鈍い振動をしていると思い液晶を覗けば、四月からさんざん見た名前が新着している。思わず「うわ」とか言ってしまった。

 スメラギ。


『事件の依頼があった。ついてきてほしい』


 いつもの文面だ。あいつはそんなに数は多くないと言っていたが、とんだデマだ。大学生になり自由時間が増えたことで、高校生の時よりも活動の幅は広がっているらしい。四月から六月の間でも週一くらいのペースで事件に当たっている。サークル活動かよとつっこみたくなるペースだ。

 スメラギに懇願されてついて行っても、結局アウトプット要因として傍観しているだけ。俺の的外れな推理を求める人間なぞいないし、小野江先輩の言葉もあってスメラギと少し距離を置きたくなっていた。


『テスト勉強中だ』


 短く拒絶の返信を送る。即座にバイブレーションが鳴った。


『少しくらい勉強しなくても、君ならなんとかなるだろう?』


 俺はおまえみたいな秀才くんじゃねーんだよ。どつきたくなる衝動を抑えて、俺は画面をフリックする。


『なんともならないからやってるんだ。邪魔すんな』

『そこをなんとか』

『無理なもんは無理だ。テスト開けてからなら付き合ってやるから』


 そう返信を打ち込んでいたところに、割り込む形でスメラギからのメッセージが来る。その文字に俺は固まった。


蟻浪ありなみで風俗店に勤めていた女性が行方不明になった、という事件なんだけどね』


 おい、勝手に話を進めるな。俺は行くなんて一言も言ってないだろ。

 そう返せば済む話だった。軽く小突いて、今日だけは絶対行かないからなと話を打ち切ってしまえば良かった。だと言うのに、俺の指はまったく動かない。


 ――蟻浪。その地名は、俺に少しばかり堪える。

 スメラギからのメッセージは絶え間なく続く。


『誘拐か失踪か、どっちかまだわからない。けれど不可解な点があるからと、僕に依頼されたんだ』

『失踪した人物の捜索なんて、いかにも探偵らしい仕事だろう?』

『惜しむらくは密室ではないことだけど、小さなことからこつこつと。僕は事件に巡り会えるだけで幸運なんだからね』

『――タスク?』


 自分の名前が画面に浮かび上がり、俺は我に返った。

 ああ、スメラギからのメッセージ。画面を埋め尽くすほど並んでいる。長文になるならメールでもいいじゃねえかと思いつつ反省する。俺の返信はすっかり画面外に消えていた。


『悪い。考え事してた』

『寝不足ではないかな? 体調管理も助手の努めだよ』

『ああ』


 助手ではないと訂正する気力もなかった。


 そのあとも、スメラギからの催促メッセージが続く。だが俺の目を滑るだけで、情報として頭にたたき込まれていく感覚は皆無だった。

 蟻浪は歓楽街だ。未成年が行くことは推奨されていない地区だが、早々に撤退すればまだ健全か。居酒屋が明かりを灯し、客引きが始まる前に撤収すれば何の問題もないはずだ。

 行くつもりになっている己に唾を吐きたくなる。結局俺は、スメラギに踊らされるのだ。


『今図書館。五分あれば支度できる』


 蟻浪という地名を思い出すと、どうしても鬱血うっけつを残した女子高生が脳裏をかすめてしまう。


 ***


 夕方、夕日の鮮やかな頃合いだ。大学のある熊手はオレンジ色の光に照らされ、建物という建物は燃えるような橙に変色した。三階建ての理学部棟も例に漏れずだ。元が白い建物のそれはまるでキャンバスだ。濁り一つないオレンジを一身に受けて姿を鮮やかに変える。俺は美術系に疎いし語彙も少ないから、生憎と感激するような表現をできない。ただ、眩しいなとだけ感じた。

 熊手くまのての空は夕焼けなのに、向かう蟻浪方面は不穏な雲が分厚く空を覆っている。今日は降水確率ゼロパーセントと言っていたが、あれは雨の降らない雲なんだろうか。切れ目のない深い灰色をした雲は、空を微塵も見せる様子もない。歓楽街にとって昼は閑古鳥かんこどりかもしれないが、夕方からあたりを暗くするあの雲は不気味だ。風が少しあるから雲の流れは早いはずなのに、終わりは一向に見えない。


「タスク。空に何かあるのかな」

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