Fragments:The lost memory

 髪を染めよう、と思ったのはなんとなくだった。


 初めて手を出したのは高校生のとき。学年は正直覚えていない。二年の終わりとも、三年の始まりとも思える。俺にとって高校時代というのは対して興味の持てない時代だった。普通だったら華の高校生とか言って、部活に勉強にときには恋にとエンジョイすると聞いている。だが俺にそんなときはなかった。


 無気力だったのだ。

 部活は帰宅部、勉強は下から数えた方が早い、友達もさして多くなく。窓際でぼんやりと外を眺める日々。なんのためにこの先過ごすのだろうと、どこか哲学的な思考に陥ることもあった。


 髪を染めようと思ったのは、そう、指導された場面を見たせいかもしれない。


「おい、そこの女子! なんだその髪は!」


 生徒指導の教師に捕まった女子は、まあ派手な身なりをしていた。あからさまに染めたとわかる明るいブラウンの髪を「盛る」勢いで巻いていた。さらにけばけばしい目元をしたメイク(つけまつげだと後にわかる)、丈の短いスカートから見える太いもも。校則なんか知るものかと訴えているような、挑戦的な外見だった。


「……水商売?」


 ぼそりとつぶやいた単語は、誰の耳にも留まることはない。俺のことを気にする人間なんて誰もいないし、俺の近くにそもそも人間はいない。こんなに多くの人間が行き交う廊下でも、俺はまるで亡霊のように風景と同化する。だから、その亡霊が何を口走ったところで誰も気にしないのだ。


 女子が派手な化粧をしている理由はわかった。やたらと髪を盛って巻いているのは(髪の量から考えるとウィッグもつけている)、首筋の跡を隠すためだ。

 巨大な巻き髪。そして大振りのピアスをわざと反対側の耳にだけつけている。それはそちらに気を引かせてもう片方を注視させないため。厚めのファンデーションで首の色は手とまったく違う色をしているが、それでも赤い痕跡がうっすらと視認できる。首の後ろの方だから、前からでは気づけないだろう。

 相手――まではわからない。


「昨日さ、蟻浪ありなみに行ってたんだ。そうそう、めっちゃいるの。三時間で五人だよ、五人。すごくない?」


 これは教師が来る前に女子が友人に対してした発言。蟻浪は地元でも有名な歓楽街だ。眠らない街、不夜城とも呼ばれる。別に進学校でもないこの高校じゃ、そういう非行に走る生徒も少なくない。本当にやっている人間を見るのは初めてだけど。

 「五人」というのは……首の跡の数と時間から鑑みるに、「お客さん」の数だと思う。


 さて、文句を垂れる女子と、ジャージ姿でガミガミと叱りつける教師。そのとき俺は、何故かよくわからないが、「その手があったか」と思ったのだ。

 平凡で、つまらなくて、何のために生きているかわからない俺。そんな俺が金髪とかにしたら――誰か俺を叱ってくれるだろうか。

 「そんなわけない」と、あざ笑う声がどこかから聞こえた。

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