Case:2-4
机の本棚にこぎれいに並べられた本の背表紙――あいつはそこまで見ていたって言うのか。確かに向かって右側の本棚には「社会 3」の文字。3は三年生という意味だろうから、姉は三年生だ。
左側の本棚には「こくご」「さんすう」といった教科名しかないけれど、「せいかつ」の教科書があること、そして机に広げられた書きかけの「こくご」のノート。ゆがんだ「あいうえお」がひたすら書き連ねてある。その練習をするのは、一年生だろう。
「ストーカーみたいな執念だな」
「失礼な。探偵志望者の
自分で言う辺りが気障ったらしい。
夫婦の方も、寝室に赴けばわかった。小学生の娘二人がいるにも関わらずのクイーンサイズのベッド。大きいとは言えひとつのベッドで二人が寝るのだから、険悪だったらそんな芸当とてもできない。旦那が医者だと言うのは、寝室に飾ってあった感謝状からわかった。「あおやま小児科 院長 青山
「しっかし、開業医で夫婦仲良好で娘も二人とは。順風満帆としかない家族じゃねえか」
「タスク、ステータスだけで幸せは測れないよ」
「一般人の感性からすれば不満なんてなさそうなんだよ」
スメラギは妙に浮き世離れしているところがある。自分の知識のために女性とつきあうとか、金髪ピアスの俺を捕まえて探偵の真似事に駆り出すとか。頭のいい人間のすることは訳がわからない。だから、俺含む一般人の「普通」が理解できない、そんな顔をするときがある。
「……『幸せ』な人間に見えるから、自殺なんてあり得ない。タスクはそう言いたいのかな」
スメラギが一拍置いてそう問いかけたとき、あいつの目には変な光があったような気もする。
「あくまで普通に考えれば、だぜ。おまえの言うとおりホントは幸せじゃなかったのかもしれねーけど……少なくとも俺には、不満なことなんてない人生に見える。それで自殺する理由は考えにくいな」
死体は夫婦の寝室から発見された。亡くなったのは家主の青山道男。小児科をやっている開業医だ。その病院に世話になったことはないが、蛇霧小学校の近くにあるとかで、学校の健康診断とかインフルエンザの予防接種とかでそれなりに重宝されていたらしい。
遺体の身の上話はそのあたりにして、発見されたとき青山道男はベッドから落ちて床に転がっていた。ベッド脇の床は血溜まりになっていて、出血量の激しさを物語っている。死因は失血死。自宅にあった包丁が傍に置かれていたという。
現場写真と現場を交互に眺めるスメラギは、真剣な眼差しそのものである。医者にちなんで凶器がメスなんてオチがなくて良かったと、俺は場違いな感想を抱く。
「包丁と死体の傷口が一致。腹部を一突き、大分深く刺さっている……見てごらん、タスク」
俺の了承を得る前にずいと写真を眼前に出される。死体に動揺しないとは言え、心の準備とやらをさせないのがこの男だ。
写真はスメラギの言った状況がそのまま残っていた。まあこいつが写真を形容したんだから当然か。とにかく、俺が見るべきなのは深く刺さった凶器らしい。写真をのぞき込むと、なるほど確かに。柄の部分まで血がべったり、刃の部分に関しては赤黒い面積がほとんどだ。それが腹から抜けて横に転がってたんだから、そりゃ出血もひどいし失血死も免れないか。
「これで自殺だって?」
思わず口にする。スメラギは真顔でうなずいた。
「現場に他者が入れないなら、自分で自分を殺した。警察はそう考えているみたいだ」
「確かに、理論上はそうなるよな」
理論上は、なんて不満がある言い方をしてしまった。「これは自殺じゃない」と主張するような言い回しだ。俺にそう断言するだけの根拠はないのに。だが、スメラギはその意見に賛同しているようで、静かに首肯する。
「部屋が密室で、腹部の傷による失血死で、現場には被害者しかいないなら……自殺。そう考えるのが妥当だ。でも根拠は『他に人がいないから』だ。消極的な推察は、僕の良しとするところではない」
「奇遇だな、俺もだ」
そう言った途端、スメラギは破顔した。どこかお高く止まっている気取った王子様ではなく、この瞬間のスメラギは、年相応の大学生男子に見えた。
「君を助手に選んで良かった」
「助手って言い方はやめろ」
「君も僕を王子と呼ぶだろう? ほんの意趣返しさ」
あの呼び名は好みじゃなくてね、と笑うスメラギ。このとき俺はようやく、住良木密という男の核に少し触れたような気がした。
「さあ、では密室をこじ開けるとしよう。堅実に、でも大胆にね」
密室が密室でなくなれば、事件に新しい側面が見えてくる。本当に密室だと言うのなら、それはそれでスメラギの知的好奇心を震わせるだろう。どちらにしてもこいつにはご褒美だ。
それにしても、この事件を迷いなくスメラギに伝えた支倉さんは――どこまで真実が見えているのだろう。まるでスメラギがこうなるとわかっていたみたいにお膳立てされたステージだ。……どのみち俺が考えたところで、県警の重鎮の思慮深い思惑など検討もつかない。今は目の前の密室を掘り下げるとしよう。
「密室、って言ってたよな」
「だから支倉さんは僕を呼んでくれたんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます