Case:2-3

 エレベーターに乗り込み、高層マンションの上を目指す。想像よりも勢いよく、心を置いてきぼりにするように無慈悲な鋼鉄の箱は上昇を続ける――とでも言えば詩的かもしれないが、今回の現場は三階だった。

 高層マンションであっても、住まいがそれほど高くなければ特段感動することもない。何を求めて高層マンションの低層階を選んだのか、などという小学生じみた感想は胸の奥にそっとしまっておく。こういうところがスメラギに理詰めで小馬鹿にされるのだ。自覚はある。

 部屋番号、三○七号室。表札には明朝体で「青山」の文字。スメラギがインターホンを押した。ピンポン、と鈴の短い音が鳴る。


「俺は嫌だったんだ」


 扉を開けて部屋に入るなり、茂庭警部はそんな愚痴をこぼした。

 清潔感を感じさせない、厭世的なおじさん。茂庭警部の第一印象はそれだ。灰色のスーツはシワもなく型くずれしていないのに、この人が着るとだらしなく見えてしまう。にも関わらず頼りなく見える訳でもない。白髪が混じりだした刈り上げも、眉間に刻まれた険しい皺も、そして何より不愉快そうなその顔も、この人を近寄りがたくとらえどころのない人物たらしめる。

 結論、嫌味と愚痴がトレードマークの謎めいたおじさん、になってしまう。


「あんたが支倉さんのお気に入りじゃなけりゃ、現場を子供の遊び場になんてしないのによ」

「僕は遊びに来ているわけではありません」

「どうだか」


 生真面目に返すスメラギに対し、茂庭さんが取り合う様子はない。気のない返事をして、茂庭さんはそっけなくきびすを返した。


 支倉さんのお気に入り。スメラギがこうして事件現場に踏み行って捜査の片棒を担げるのは、県警上層部の後ろ盾があるからだ。支倉はせくら玄蔵げんぞう――物々しい響きだ――その人のおかげで、俺とスメラギはここにいる。俺は実際に会ったことがないからわからないが、スメラギの話と警察官の態度を見るにかなりのお偉いさんであることは察している。


「じゃあタスク。密室現場に向かおう」


 スメラギの声は明るい。そう装っているようにも、茂庭さんの言葉を気にしていないようにも聞こえた。スメラギは俺に配慮した言動を取るが、俺はそれができるほど心の機微にさとくない。


 毎回、俺とスメラギが死体と対面するわけではない。この間は茂庭さんもおらず、スメラギに好意的な警察官が比較的早く現場に通してくれた。だから死体に対面した、それはレアケースと言えよう。一介の大学生に、本物の死体などおいそれと見せるべきものではない。俺もあのとき死体は初めて見たが、……思いの外動揺しなかった自分に内心ぞっとしている。

 それこそ殺人現場に立ち会ったとか、そんな非常事態でもない限りあり得ないだろう。俺たちの前にあるのは警察が散々調査をしたあとの「名残」だ。死体の代わりに目の覚める黄色のテープがいびつに貼られている。几帳面な人の手によるものなのか、直線のテープは切れ端さえもはみ出すことなく、正確に死体のあった箇所をかたどる。その几帳面さがかえっていびつさを助長していた。


 先日の事件は一人暮らしの女性に似つかわしくない広さと高級感だったが、今回は家族で暮らしていたようだ。2LDKの間取りは子供部屋と夫婦の寝室にそれぞれ使われており、ダイニングは兼客間という使い方をしていたらしい。というのは、スメラギの受け売りである。


「応接間に使えそうな和室がないからね。お客さんが来たときはテレビもテーブルもあるダイニングを活用していたようだ」


 ダイニングテーブルには普段使いにはちょっとハイソな、レースをあしらったクロスがしみひとつない状態で敷かれている。更にその上には造花を挿した花瓶と、来客用の仕立てが整っていた。それくらい俺にも気づけたのに、こいつは俺が口にするワンテンポ前に答えを出してしまう。学校の先生だったら生徒がくすぶり、不満が溜まっていくタイプだ。


「四人暮らしで子供は二人、夫婦仲は良好……ってか?」

「さすがタスク。目敏いね」


 俺を立てる言葉も素直に吐く。だと言うにいい気分になる前に落とされる。スメラギの更なる推測によって、だ。


「小学生のお嬢さんが二人。片方は小学三年生で、もう片方は今年一年生になったばかりかな? お父さんはお医者さまだったようだし、金に困っている様子もないね」

「おい」

「どうかしたかい?」


 そうして情報の洪水に溺れる俺に対し、嫌味のない嫌味な笑みを浮かべスメラギは解説を始める。「どうしてそんなことがわかるんだ?」――この質問をするときが、俺はこいつの隣にいて一番嫌いだ。


「子供が二人、女子ってのもなんとなくわかる。けど、学年までわかるのかよ」

「子供の人数がわかったんだろう? なら同じ、観察さ」


 同じ方法でわかる、と言われると、おまえは観察不足だ、と言われているような気がしてくる。こいつに悪意がないと頭ではわかっていても、俺には皮肉めいた言葉に聞こえてくる。スメラギに長年の友人がいないのも、おそらくはこいつの性根を理解できる人間が少ない為だろう。無論、大学に入ってからの知り合いでしかない俺はこいつのふるい友人などではない。


 子供部屋には学習机が二つ、仲良く並んでいた。ベッドも二つ。ついでにカーテンやシーツ、小物類がピンクや赤でそろえられていたため、女子かなという印象を抱いただけだ。推察であって、確定事項などではない。学習机の横にミルキーピンクのランドセルが掛けてあることからも、小学生であることは導けるだろう。問題は、学年だ。ランドセルの蓋を開けたわけでもあるまいに。

 俺が不服そうに首を傾げていると、おいおいとスメラギが嘆息した。


「目の前にあるだろう? 教科書さ」

「教科書?」

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