Case:2 Break the garbage

Case:2-1

 理学部の講義はつまらない。

 ……なんて言うと教授から大目玉をくらいそうだ。大学に入ってまだ数ヶ月。理学部らしい講義なんてろくに受けていないくせに、何を知った気でいるのだと。

 外の桜はすっかり花を散らし、新緑の若葉がまぶしい午後の三コマだった。一年生は基礎学力や一般教養を身に付けてもらうとかいう方針で、理系の勉強なんて全然本格的ではない理論ばかり。「ああ、高校で聞いたな」という話をほんの少し掘り下げる。そんな日々が続く。


「ふぁ」


 噛み殺せないあくびを誤魔化すために手のひらで口を覆ってみた。後ろの方に座っているから教授からはよく見えたかもしれない。でも別に構うものか。授業に出てノートさえ取っていれば、一年生の単位はどうにかなる。例のサークル……ミス研の部長はそういっていた。真理であることを願う。

 スメラギは今、講義だろうか。学部が違うから何をしているのかわからない。一般教養の授業で同じものをとっていれば別だが、何をとってるかなんて俺が知るはずもない。そこまでベッタリでなくてもいいだろう。


 鞄が鈍い振動音を立てる。後方のバイブレーションが響き渡るほど、この部屋は静かではない。もっさりとした冴えない教授の声に掻き消された。無論、俺は鞄に手を伸ばす。


『今日、放課後付き合って欲しい』


 ……スメラギが俺を連れ回す理由なんて、ひとつしかない。講義をBGMにして、俺は机の下でスマートフォンをいじる。


『どこへ?』

蛇霧へびきり

『ヘビキリ? 何の事件だ』

『それは着いてからのお楽しみだよ』


 スメラギの愉快そうな笑顔が容易に想像できる。何を企んでいるのやら。

 とにかく、俺に拒否権はない。いや、先約があれば断ることはできるだろうが……凡人である俺をスメラギは執拗に同行させたがる。あいつが何で俺を連れ回すのか、その意図は完全には掴めない。もし、あいつが本当に探偵を目指してて、さしずめ俺をワトソン代わりにしたいのなら――「助手」という言葉は、やっぱり嫌いだ。

 授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。


 大学のある懐奇かいきちょう――これまた不気味な名前だ――は、なんだか珍妙な名前の地区が多く存在する。かつては霊山とも呼ばれた日本昔話とか言い伝えの多く残る土地で、地名もそういった類に由来するものが多い。俺にとってはこの街の言い伝えそのものが「怪奇」だ。


 スメラギが話していた蛇霧地区は、大学のある熊手くまのて――クマノテキャンパス、って正直どうかと思うネーミングだ――地区と隣接している。大通りを歩いていけば二十分ほどで辿り着く距離だ。今日は最終コマのない日だったから夕方四時くらいに落ち合うことが出来た。一年生の教養授業は大半が四コマ終わりだ。


「やあタスク。待っていたよ」


 待ち合わせ場所の文学部棟前に着いたとき、スメラギは嫌味なくそう言い放った。清々しい発言自体がどことなく気に障る。それはこいつの爽やかで清潔感のある外見のせいなのか、俺に刷り込まれた偏見のせいなのか。


「そこは嘘でも言わないとこだろ」

「何を……ああ、待ってたのくだり? 別にいいじゃないか。僕は事実を述べただけだよ」


 デートで十分遅れたときの彼女みたいなことを言うね、とスメラギはけろりと言い放った。俺は露骨に渋い顔をする。嫌悪感剥き出しというやつだ。誰がお前の彼女だ。


「無頓着な男は嫌われるぞ」

「大丈夫だよ。薬学の知識を得るためにお近づきになっただけだから」

「お前本当最低だな」


 スメラギの彼女はころころと変わる。こいつと知り合って日も浅いはずなのに、この一カ月で三人目だ。こいつの「彼女」という感覚が他者と異なるのも災いしているかもしれない。

 探偵に必要なことならどんな奇抜な手も採用する。それが一番効率的なら。スメラギはどうやら常識では推し量れない人間らしい。わかりきっていたが。

 で、と話を戻すようにスメラギが歩き出した。正門を抜けて蛇霧へと向かう。


支倉はせくらさんから連絡があってね。僕が好きそうな事件だからと」

「……この前も思ったが情報漏洩ろうえいも甚だしいよな。いいのかよ、警察上層部がそれで」

「悪く言わないでくれ」


 スメラギは困ったように肩をすくめた。


「僕は警察から正式に要請を受けて捜査に意見しているんだ。汚い方法をとっているわけではないよ」

「警察の手に負えないような事件に行くのか。近くにそんな事件が?」

「手に負えない、というよりも手間を省きたいんだろう」

「手間?」


 反芻する俺にスメラギは首肯する。大通りの信号に引っかかり、足を止めた。


「推理なんて空想、警察の人員を割いてするには時間が惜しいだろう? まずは足、証拠をかき集めることだ。不審死だったり、謎の残る単純な死だったり……不鮮明な『憶測』を僕がする。地方の小さな事件に何百人も増援を送るわけにはいかないだろ」

「なるほど。つまり、お前はいいように利用されてるわけか。無報酬で」

「報酬はちゃんともらってるよ?」

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