Fragments:The first contact

 接木ツギキタスク

 我ながら補佐とか助言者とか、そういった役回りが適任そうな名前だと思う。だって「ツギキ」に「タスク」と来た。単体ならともかく名字と名前の相性が最悪だ。もし俺が脚本家なら、こんな名前のやつに主人公は間違ってもさせないと思う。


 さて、俺は小、中、高と大きな問題も起こさず――まあ、「多少」見た目が派手だから、柄が悪いとは言われたが――平凡に充実した日々を送り、まあそれなりの努力をして大学の門を叩くことができた。三年後には大学院で研究でもしないかぎり、就活という茨の道が待っている。就活がしたくて大学生になったわけではないが、これが現代日本に生きるということ。数年先の未来を考えず、できれば穏やかに楽しくキャンパスライフを謳歌したいものだった。


 スメラギと出会ったのは、四月のサークル歓迎会でのことだ。


「こういうのって、居酒屋とかでやるんじゃないんスか」


 折り畳み式のテーブルに、小ぢんまりと身を寄せ合う大学生たち。俺が所属したのは「ミステリー研究会」という、ともすればオカルト方面に受け取られてしまいそうなサークルだった。


 ミステリー研究会、通称「ミス研」は推理小説好きな人間の集いである。ミステリーツアーに行くわけでも、ミステリーサークルやUMAの調査をするわけでもない。

 シャーロック・ホームズや江戸川乱歩といった国内外時代さえも問わず、ただ好きな推理小説に没頭し、その魅力を語り合う。まあ、ただの読書会だと俺は思っている。

 そういう地味な、かつコアなサークルだから、予想していたが人数は少ない。先輩もここにいる三人の他にはバイトに明け暮れるという三年生が一人の計四人だけ。そして新入部員は、俺含め二人だけだ。


「んー、それでも良かったんだけどね。ここにある本全部持ってくわけにもいかないし」

「本持参するつもりだったんですか」

「だって、ミス研だよ? ミステリ片手に酒飲みしないとそれっぽくないじゃん、歓迎会だし」


 俺と……恐らくもう一人の新入部員も、まだ未成年だからそもそも居酒屋が不適切だとは思うが。自分で言ってなんだが、朝まで飲み明かすとかそういう体育会系の洗礼はなさそうで安心した。


「ツギキくん、だっけ。なーんか面白い名前だよね」

「はあ」


 アヒル口の女性がへにゃりというのが適切な、蕩けるみたいな笑顔を浮かべる。毛先を巻いた赤みがかった茶髪はカラーリングを日常的にしているせいか、ぱさぱさに乾いているようだった。


「そっちの彼と合わせて、樹木コンビ、みたいな? ツギキにスメラギだもんね、面白ーい」

「面白い、ですか」


 俺は納得できず、もう一人の新入部員を見やる。短い脚の折り畳みテーブルに俺と並ぶように座ったその男は、きっちりと正座をして背筋を伸ばしていた。

 しゃんとした居ずまいに、先輩とは逆に毛先まで艶めいた黒髪。ベージュのジャケットを嫌味なく着こなす細身のそいつからは、なんだか場違いなオーラみたいなものを感じた。うまく形容できないが……「適当」な俺たちからは明らかに浮いている、というか。


「そうだ、新入生くんたちはどんな作家が好きなんだい? 俺は自他共に認めるシャーロキアンなんだけど」


 部長だと名乗った男性――確か経済学部四年の「カミヒラ」とか言っていた――が、部室奥のベッドに脚を組み直して問いかける。病院にあるみたいな質素なつくりだし、マットレスも薄汚れてぺらぺらだ。なんであるのか、まだ聞くに聞けていない。

 知識人特有の鼻にかけたというか、シャーロキアンであることで全知全能にでもなったかのような、そんな雰囲気を部長からは感じる。深く関わりたくはないタイプだった。


「俺は基本的に何でも読みますよ。現代作家のミステリにも面白いものはありますし」

「でも、所詮は古典のオマージュだろ?」


 二番煎じにすぎないよ、と得意気に語る口ぶりが、やっぱり好きになれなかった。俺が一番好きな作家が現代日本におけるミステリの金字塔的存在なだけに、これ以上口を挟むものかと心に決める。


「あたしはクリスティかな。同じ女だし、親近感みたいな?」

「エルキュール・ポアロだね! ホームズほどじゃあないが良い探偵だ」

「まーた始まったよ、部長のシャーロック賛美」


 呆れたように肩を竦めるのは、俺から見て左側に陣取った二年生。名前は……忘れてしまったが。

 というか、クリスティだって一世紀前の人間だろう。二十世紀の作家は良くて二十一世紀の、現在進行中で活躍中の作家は批判ってなんなんだ。本当にミステリが好きなのか。


「スメラギくんは? どんな作家が好き?」


 俺が憮然ぶぜんとした表情で紙コップに注がれたオレンジジュースを一気飲みしていると、質問の矛先が新入部員に向けられた。ベージュのジャケットを着た、スメラギという名前の男子学生だ。

 そうですね、と顎に手をあて思案する仕草は読者というよりも――


「推理小説もいいですけど、僕は実際に推理するのが好きです」

「推理マニアかあ。本読みながら犯人考える的な?」

「いえ」


 にこりと微笑んで、住良木密は明朗な口調で言い切った。


「探偵志望なんです。僕」


 目を丸くした。絶句するほかなかった。探偵、このご時世に探偵だって?


 でも笑顔で言いきるこいつをどうしてか一笑することもできなくて、俺はただ呆然とこの新入部員を見つめるしかなかった。


 ***


 宴もたけなわ、新入生歓迎会はこうして大盛況のなか幕を閉じ、俺は幸先の良いキャンパスライフをスタートさせた。……そんなわけあるか。

 あのあと聞かされたのは部長のシャーロック・ホームズ話と、二年生からの忠告。それにスメラギとかいう部員目当てのアヒル口の彼女がそいつにすり寄っていたくらい。歓迎会とは名ばかりに感じ、俺はストレスを溜め込んで適当においとました。

 肩をいからせて歩く。歩幅も心なしか大きくなる。頭ごなしに趣味嗜好を否定されたことが、何より腹立たしかった。……サークル、辞めようかな。


「接木くん」


 住良木密に声をかけられたのはその帰りだ。大股で歩く俺を追いかけてきたのか、小走りでこちらに向かってくる。俺は消化不良な思いを抱えたまま足を止めた。


「良かった。君、歩くの早いね」

「……何か用か。忘れ物でも?」

「いいや。君と話がしたくて」


 彼は人当たりの良いにこやかな笑みを浮かべて言った。


「サークルの部員としてって意味なら、俺、たぶん辞めるから」

「いや、サークルなんてどうでもいいよ。君自身に興味があるんだ」


 興味? 俺が吟味するように、不審者を見る眼差しに変わったことは彼にもお見通しのようだった。金髪にピアスもつけてるし、お世辞にも話しかけやすい見た目だと思っちゃいない。彼はしかし気にも留めず話を進める。


「君、僕の助手になる気はないかな?」


 ざあっと四月のあたたかい風が駆け抜ける。俺と住良木密の間をやけに荒々しく抜けて、サークル棟脇の大きなケヤキがざわざわと木の葉を擦らせた。


「……ぁ……」


 貼り付いた声を出そうとするも、唇がやけに乾いて続かない。風に砂でも混じっていたんだろうか、喉の奥がイガイガする。


「君からは似たものを感じるんだ。僕の見立てだと、君も推理することが好きなんじゃないかな」

「推理?」


 ようやくそれだけオウム返しに問う。住良木密はその通りと首肯すると、また話を戻す。


「僕が小野江おのえ先輩と話していたとき、君は彼女をずっと見ていたね。女性を値踏みしていたわけじゃない。傷んだ毛先、アヒル口、こびを売るとき腰をくねらせる仕草。君は彼女を『観察』することで彼女のひととなりを理解しようとしていた。立派な推理さ」


 オノエ、と言うのはこいつの言い方から察するに女の先輩だろう。クリスティの人だ。


 いやそれよりも、俺は今こいつと何を話しているんだ? 確かに推理小説が好きで、その反動というかで読む「だけ」じゃ物足りなくなっているのは事実だ。誰のためでもなくただぼんやりと人を眺め、分析することは誰にも話さないけど趣味ではあった。


「俺が先輩を見てただけで、わかったのか」

「人は目に感情がこもるものなんだ」


 君の視線からは彼女を性的に見る、独特の嫌らしさがなかった。そう彼は続ける。


「部室でも言ったけど、僕、探偵志望なんだ。まだ経験も浅いけどいくつか仕事ももらってる」


 それでね、と住良木密は俺を真っ直ぐに見つめて語りかける。


「この前わかったんだ。僕一人の独善的な推理じゃ、目の前にあったはずの真実を掴み損ねてしまう。僕の推理が正しいかアウトプットし、相談できる相手が欲しいんだ」

「それが、俺だと?」

「君なら適任だと思ったんだ。どうかな」


 正直、頭は正常かと思った。平凡に過ごして、就活して、妥当なラインを見付けて社会の歯車として機能する。大きくなったらスポーツ選手になる、みたいな夢のある話ができるのは努力と才能に愛されたやつだけ。中途半端にした人間には、口にするだけで馬鹿にされる。

 それなのに探偵、って。


「仕事、あるのか。お前」

「まあほどほどにね。四六時中引っ張りだこというわけではないよ」


 それは後に謙遜だと知る。

 何故その提案に応じたのか――大学一年生の春、俺を変えた運命的な出会い。きっとその答えは、俺自身のなかでくすぶっていた不満の種にあるのだろう。平凡な毎日から少しだけ羽目を外して、見たことがない世界を見られるなら。


「……いいぜ。乗った」

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