Case:1-6
情報が多過ぎて追い付けない。つまり? 犯人は殺すつもりでナイフを持参、被害者の家に上がる。その後不意をついて被害者の口にガムテープを巻き付ける。声を出せなくしてから背後からナイフを突き刺し、殺害。女性の悲鳴は響くことなく、彼女は事切れる――
「待てよ、じゃあ悲鳴は」
「甲高い女性の悲鳴ひとつで声の主がはっきりわかるなんて、それこそただのご近所さんには難易度が高いんじゃないかな」
女性の悲鳴は、でも確かに聞かれている。死体を発見した人間はそれを聞いて大家さんに部屋を開けるよう頼んだんだ。じゃあ、その声の主は?
「そんな、まさか」
「犯人が人を呼ぶために叫んだ。その可能性は否定できない」
「犯人が、女?」
「君、まさか女性は人を殺さないとでも思っているのかい」
そうじゃない、そうじゃないが……混乱する頭を整理すべく、俺は深呼吸する。
「あとはベランダから下の階に逃げるなり、堂々とドアを開けてその場を立ち去るなりすればいい。防犯カメラはエントランスにしかないんだ。平凡な住人のふりをしているか、一階の通路から飛び降りて逃げたのかは聞き込みするしかないだろうね」
「なんで、そんなことを」
至極平凡な感想を漏らしてしまったことに、俺はばつの悪さを感じる。あくまでこいつの話はひとつの可能性。はじめにこいつ自身が言った通り、推測だけで逮捕することはできない。これさえも誤りで、別の知らない可能性が眠っていることだってあり得る。
それでも俺は、こいつに感心してしまった。しまったから、余計自分が嫌になる。
「で、その手掛かりなんだけど」
スメラギはそう言うと、椅子から立ち上がりバタン、と床に突っ伏した。
「おい、スメラギ」
こいつが奇行に及ぶのは珍しくもないが、乾いた血のこびりついた床に倒れこむのは若干の抵抗がある。迷いなく飛び込んだこいつはやっぱり頭のネジをどこかに忘れているんだと思う。
「なんで椅子に乗せたかって、それは倒れていると不都合なことがあったんだろうね。たとえばダイイングメッセージとか」
「ダイイングメッセージだって?」
現代の殺人事件でそんな推理小説みたいなことがあるっていうのか? にわかには信じがたい。
「仮にそうだとしても、椅子に乗せたってことは犯人に気づかれたんだろ。もう消されてるんじゃないか。警察だって調べたんだろうし」
「そうだね。でも、消せないものだから移動させた。そうも考えられる」
「消せない……?」
そう言うとスメラギは倒れたまま何かを探すように視線を巡らせ……口角をあげた。獲物を捉えたような、紳士的で人のいいこいつからは想像しがたい獰猛な微笑み。こいつの好きなボードゲームで言うなら「詰み」――チェックメイトの一手を見つけたらしい。
スメラギの右腕が伸びる。人差し指が指し示す、その先にあったものは台所……違う、シンクだった。
「
「タスク、知ってたのかい? 僕はシステムキッチンを指差せれば良かったのだけれど」
「クスリの話があったからな。やっと繋がった」
SINK――シンクと呼ばれるその集団は、全国的なネットワークを持つ巨大な密売組織だ。番組改編に伴う警察特番を毎日のように見ていたから覚えていた。この前は下っ端の密売現場を抑え、現行犯逮捕しているのをテレビで見た。
つまりこの被害者を殺したのは、その組織の人間。
「じゃあわかったろうタスク。ここから先は警察の仕事だ」
「そうだな。相手が巨大すぎる。警察も壊滅に手こずってる組織なんだろ」
でも意外だった。スメラギなら犯人を捕まえるために地獄の果てまで追いかけると思っていたからだ。スメラギが床の死体を辞めて身体を起こす。質問してみようか、と思ったらスメラギは自嘲気味に独り
「大人でも子供でもない僕にできるのは、所詮は推理ごっこなんだ。……まだね」
「スメラギ」
「でもこれで終わるつもりもないよ。僕が自他共に認められる探偵になったときには――迷宮入りする事件なんてこの世からなくしてやるからね」
「大きく出たな、王子様」
スメラギは気恥ずかしそうに笑い、俺に手を差し出す。
「何だよ、これ」
「立ち上がるのに手も貸してくれないのかい? 僕の有能な助手は」
「……嫌いなんだよ、その呼ばれ方」
「でも満更でもないだろう?」
俺は無言で王子様の手を取った。
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