Case:1-3

 ざっと見、黄色、黄緑といった色が全体の六割くらい。スメラギが言ってたシトラスの香りだかなんだか、だろう。ラベルを見ても香料の番号とかが並ぶばかりで理解不能。瓶を開けなくても漂ってくる、鼻腔をつく匂い。自然と眉間に皺が寄る。ツンとした感じ、人工的だけどなんとなく酸っぱそうな匂いがした。

 残りの四割はピンク系。むわっと広がる甘ったるい匂い。洗濯の柔軟剤みたいな匂い、これがスメラギの言うところのフローラル。くさい。それしか感想を抱けない。


「別にピンクと黄緑とかばっかで、おかしいとこは……」

「本当にないかな? 僕の有能な助手さん」


 試すような口ぶり。俺がその呼び名を嫌っているのを知っていて使う。そんな風に喧嘩を売られたら買うしかない。俺にはスメラギみたいな頭脳もなければ洞察力もイマイチだ。しかし推理小説好きとして、「こんなことも解けないのか」と挑発されたら応えるしかない。


「あーわかった。絶対見つけ出してやんよ」

「ラインナップをよーく見てごらん、タスク。違和感はそこにある」

「ヒントなんていらねえよ」


 スメラギの優しさは、売り言葉に買い言葉状態の俺には素直に受け止められない。俺は悪態をついて再度香水たちとにらめっこする。だがラインナップと言われても、似たようなものばっかで違いが色くらいしかわからない。……色。


「そうか、色か!」


 俺はがばっと顔をあげた。満足げに微笑んでいるスメラギがむかつくが、俺は密室の王子に答えを告げる。


「この香水……一本だけ、色の系統が違う。これだけ無色透明だ」

「そう。僕もそれが気になっていたんだ」


 さすがは僕の助手、と軽く返されても、俺は笑顔で受け流す器量を持っていない。スメラギの助手――その呼び名は嫌いだ。

 とにもかくにも違和感には気づいた。問題は何が問題かということ。


「しかもね、これだけ香りがしない……控えめな香りのものも確かに存在するけれど、これは別物だ」

「どうして断言するんだ? 瓶を開けて嗅がなくてもいいのか」

「ラベルと中身が矛盾しているからさ」


 開けてみるまでもない、とスメラギは自信満々で断言した。


「ラベルにある香料がもし本当に含まれているなら、開ける前から強烈な香りを漂わせているよ」


 そんなものなのか。俺はラベルひとつひとつ、香料の番号とかまで見ていない。見てもわからないから。スメラギがそう言うならきっと、そうなんだろう。

 さて、とスメラギが飾り棚から視線をこちらに移す。


「じゃあこの『香水』の中身は……何だろうね」

「香水が殺人と関係あるのか」

「調べないとわからない。だから考えているんだ」


 スメラギは堂々と言ってのけた。


 事件は午後二時二十七分に発生。鈍い何かが床に転がる音。女性の悲鳴と死体。背中を一突きしたナイフと、背もたれに身を預けた発見現場。通報者と大家が開いたドアから飛び込んだ。

 飾り棚の香水。


「……そういや、現場は荒らされてなかったんだな」


 飾り棚が無傷ということは格闘はなかったということだ。テーブルクロスやテレビも乱れた様子はない。死体がもたれた椅子と近くの床に血痕が飛び散っているくらいで。

 スメラギは神妙な顔をして首肯した。


「となると、知人の犯行が濃厚だね。まあ、容疑者の特定は後でもいい。まずは現場の謎を解明しよう」

「被害者が客人を招いて、不意をついて殺したってことか」

「それに限定してはいけないけれど。でも、被害者が犯人を室内まで招いた、それは重要だ」


 荒らされていない部屋と、椅子にもたれるように死んだ女性。まず、そこに矛盾が生じる。


「死体は、死んでから椅子に座らされたんだよな」

「気づいたかい?」


 俺がひとつひとつ昇ろうとする階段を、数段上から見下ろされている感覚。「今頃気づいたのかい、さすがは僕の助手だ」――と、馬鹿にされているような気がする。スメラギの反応を快く思わないが、俺は続ける。


「死体は背中から一突きされたんだろ? 背もたれがある椅子じゃあ、背後から突き刺せない」

「ご明察」


 スメラギは例の小瓶を右手でつまんで、警察がまばらにいるリビングを徘徊し始める。こいつの考えるときのクセ、そのひとつだ。


「だから、被害者は殺害された後に椅子に座らされた。それに意図はあったのか。他殺だなんて状況を見れば一発だからね」


 犯人が特定できるかはわからない。けれど、警察が大方調べたこの「普通の殺人事件」に、スメラギが口を出す余地などあるのか。


「血痕が飛び散ったのはダイニングテーブルのあたりだから、被害者がダイニングまで案内し、そこでナイフをぐさり、かな」

「ナイフは自前か」


 なら、販売店とかを洗えば犯人が浮かび上がるのでは? そう言おうとした俺の考えは顔に出ていたらしい。スメラギは残念そうに首を横に振った。


「ナイフから犯人を特定するのは難しそうだよ、タスク。僕も聞いたんだけどね、アウトドアに使う量販品で取り扱い店舗も星の数、だそうだ」

「……そうか」


 ひとつの可能性を潰されてへこむ。それが俺が探偵に至らない理由であり、スメラギの助手呼ばわりされる一因かもしれない。本来ならすぐ次の可能性を検討すべきなのに。スメラギはだって、まだ俺に答えを期待している。


「このマンションの防犯カメラは? それで逃走した犯人を追えば」

「タスク。追うべき事柄を変えようか」

「追うべき事柄を変える?」


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