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2発の乾いた銃声が響き、1発はグラスラックに逆さまに吊るされたワイングラスを粉々に砕き、2発目は酒が収められているミニバーの冷蔵庫の扉に風穴を空けた。

ふたりで重なるように床に横たわったまま、ディーンの鋭い視線は、しばらくの間そのミニバーに向けられていたが、やがて小さなため息とともに、バスローブの胸元に顔を押し付けるように搔き抱いていた黒髪の頭をそっと解放し、銃を置いた。


覗き込むように見つめる紫色の瞳には、面白がるような輝きが光る。

また、もう一方の、その視線を受け止める緑の瞳にも、同様の輝きが灯っていた。


「……見たか?」

「……見ました。チラっとですが」

「本当に出たな」

「出ましたね、本当に」

「中世っぽい服を着ている男だったな。少し透けていた」

「オレは、そこまでちゃんと見られませんでした。――ちょっと残念です」


そして、視線を相手の瞳に固定したまま、二人はそれぞれの口元に、小さな笑みを浮かべた。

「まさか、現れた途端に銃で撃たれるなんて、今頃はゴーストも驚いているでしょうね。そんな物騒な人間、貴方だけです」

面白がる青年に、ディーンは意地悪い笑みを返す。

「金を払って泊っている部屋の主に断りもなく、勝手に入ってきた奴に文句を言われる筋合いはないぞ。2発で済ませてやっただけ、有難いと思って貰いたいくらいだ」

そして、ディーンは問いかける。

「それで、お前はどう判断するんだ? このホテル、――買うのか、買わないのか」

その問いに蓮が答えようとした途端、ソファーの上に放置されていたディーンのスマホが振動を始めた。


片手を伸ばしてディーンがそれを取れば、画面にはジャクソンの名が記されている。

スピーカーフォンで通話が始まった途端、普段は無口な男の怒鳴り声が室内に響いた。

「無事か、ボス! 今の銃声は何です!」

だが、慌てた問いかけに、ディーンは小さく口角を上げた。

「心配ない。ただ、招かざる客を追い払っただけだ。そいつも、今はもういない」

途端に安堵のため息が、スマホから漏れる。

「なら、今、坊やの部屋の前まで来たが、なんか中で暴れている音がするんだ。まさか襲われて……」


その要らぬ心配には、さすがのディーンも苦笑いを浮かべた。

「それも心配ない。蓮は今、ここに居る。ずっと俺と一緒だ」

そして、名を呼ばれた蓮が、興味津々に瞳を輝かせた。

「ところで、ジャクソンさん。貴方の方は何か不思議な事はありましたか?」

その期待感あふれる声に一瞬間を置き、ジャクソンはバツが悪そうに答える。

「少し前にベッドに横になったら、急に知らない女が枕元に立っていた。だが、腹が立って、殴りかかった途端に消えちまった。――人の寝入り端を襲うとは、まったく忌々しい。今度出てきたら、ボスのように撃ち殺してやる」

その苛立つ答えに、とうとう蓮がクスクスと声をあげて笑い始めた。

「ボスがボスなら、部下も部下ですね。とっくに死んでいる人達なんで、撃ち殺されることはないでしょうが、今夜はゴーストたちにとっては厄日かもしれません」

そんな蓮に、ディーンも面白がるように笑みを返すと、「とにかく、俺達は大丈夫だから、お前も部屋に戻れ」と、一方的にジャクソンに指示を出し、通話を切る。


ようやく身体を起こしかけた男を、蓮は寝転がったまま見上げた。

「買うのか、買わないのか。――オレの判断をまだ伝えていませんでしたね」

そして、ディーンの瞳を見据えた。

いつしか、そのエメラルドの光彩の色味が深まっている。

「――絶対に買うことをお勧めします、ディーン。理由はいくつかありますが、とりあえず今すぐに開業する必要は無いし、もしも手に余った時は、引く手数多で買い取り先はすぐに見つかりますから、高値で売却すればいいんです。どちらにせよ、オカルト好きなイギリスでは、ここのゴーストたちは、このホテルの貴重な売りになります。――手に入れておいて、貴方に損はないかと」

にっこりと笑みを深めたアドバイザーに、グループオーナーは表情を改めると、真摯な口調で語りかけた。


「これだから、お前を手に入れたくなる。だから、余計な心配などせず、俺の所に来い」

ラブコールにも聞こえるその誘いに、蓮は一瞬息を飲み、そして俯いた。

そのまましばらく沈黙していたものの、ようやくポツリと呟くように言葉が零れる。

「――少し、考えさせて下さい」

その横顔には、明らかな動揺の色が滲む。



ディーンは小さく息を吐くと、潔く身体を起こし、そして立ち上がる。

そして、ミニバー周辺に散乱するガラスの破片を恨めしそうに見て、ポツリと呟いた。

「たとえゴーストでも、元が人間なら少しは空気を読め。おかげで、肝心な事を聞きそびれた気がする」


その愚痴は、床に寝ころんだまま、深刻な表情で考え事に没頭しはじめた青年の耳には届かなかった。


・・・・・・

自室の天蓋付きのベッドに横になり、ようやく蓮は全身の強張りを解いた。

ディーンの帰還を知らせる電話の前までは、スツールの上に置いた小物が突然落ちたり、ごみ箱が転がりまわるなど、あれほど騒がしかった室内は、嘘のように静寂に包まれている。

だが、そんな不可思議な現象すら気にならない位、蓮の思考はあるひとつの問題に支配されていた。

ゴーストが姿を現す直前に、蓮が言いかけた言葉。


――それともまさか、本当は貴方が、香港からピィンアン・ファンドに資金を提供して動かした黒幕ですか!


蓮が、その可能性に思い至った理由は3つ。

ひとつ目は、老紳士の言葉だ。

――もしも、香港関連でトラブルがあるのでしたら、ボスに相談なさったらいかがですか?

――香港は以前、イギリス領でした。その流れで、ボスのビジネスにおいては、香港はこのイギリスの様に、直接関与できる中国で唯一の場所で御座います。ご心配なさらずとも、香港で困った事があれば、ボスが大抵の事は解決して下さいますよ。


ディーンが、日本の夢の屋グループを手に入れようとしたのは、表のビジネスでのアジア進出の足かがりを作る為だった。

だが、もともと香港という拠点があるにも関わらず、それを表のビジネスで利用しないのには訳があるはずだ。

つまり、香港というアジアの地は、彼の裏のビジネスでの拠点ということになる。


そしてふたつ目は、これまで発したディーン自身の言葉だ。

――お前の本社で、香港絡みで何かトラブルがあったと、キングからの報告にあったが、それと関係があるのか?

――俺なら、それくらいの手間をかけても、お前を手に入れたいと思うぞ?

――つまりは、強硬手段に出ざるを得なかったんだろう。そいつらの狙いはお前だ、蓮。

――ならば、俺がお前を買いとってやる。ジェントリー・ハーツという王冠に輝くエメラルドの宝石は、誰にも渡さない。俺が手に入れる。

――これだから、お前を手に入れたくなる。だから、余計な心配などせず、俺の所に来い。


そして、それらの彼の言葉は、三つ目につながる。

――この茶番で、一体、誰が一番得をするのか。


蓮は、思わず両手で顔を覆う。

ディーンがそんな馬鹿な事をする訳はないと、信じている。

だが、どうしてもその可能性が払拭出来ないのは、明快に「違う」と言い切るだけの要素がないからだ。

それに「信じている」と言っても、蓮はあの金髪の実業家のことを、ごく浅い部分でしか知らない。

あの男が抱える闇を薄々は気付いていたが、敢えて見ないようにしていたのも、本当の顔を知るのが怖かったからだ。

――知ることで、オレは何かを確実に失う。

そんな予感めいた弱気な想いに従ったばかりに、現状は裏目に出ている。

――知らなかったことで、オレは確実に仕事を失うことになる。


蓮は、「知りたい」と行動することを捨ててしまった自分への後悔と、今回の事で芽生えたディーンに対する疑念という存在に、ただ困惑しながら、眠りという深淵の縁を彷徨い始めた。



盛大に鳴り響くスマホの呼び出し音で蓮が跳び起きれば、そこはヴィクトリアンスタイルならではの、装飾が美しい天蓋付きのベッドの上だった。

考え事をしながら眠ったせいか、どこか陰鬱な気分が残る。

蓮は一度、両手で自身の両頬を叩いて気合いを入れると、素早くナイトテーブルの上のスマホをスピーカーフォンに切り替え、通話ボタンを押していた。

何回目のコールで取れたのか、蓮には定かではない。


「おはようございます」と、耳に聞こえてきた声は、白髪の老紳士のものだった。

「ボスはすでにお出かけになられましたが、坊ちゃんは朝食を如何致しますか?」

まるで執事のような問いかけに、ベッドから身を起こす気力もなく、寝ころんだまま「オレは部屋で……」と言いかけて言葉が止まった。

そして、慎重に言葉を選びながら、伺うように問いかけた。

「あの、ディーンはどこに行ったんです?」

極力相手を警戒させないように、敢えて明るく言ったつもりだ。

だが、相手は敏感に蓮の動揺を察したようだ。

「ご心配なさらずとも、お仕事ですよ。今日は、香港行きの船の積み荷の受け渡しをなさっています。お相手も、バウヒニア・カンパニーというお得意様ですし、何も坊ちゃんが心配なさる事はございませんよ」

だが、その説明に息を飲んで言葉を失った蓮を気遣うように、老紳士は穏やかに呼びかけた。

「でしたら、その様子をご覧になりに、港までご案内致しましょうか? 今朝は、珍しく大型船を使っての取引なので、積み込み作業を見るだけでも、面白いと思いますよ?」


蓮の頭の中では、ディーンに関する色々なキーワードが飛び交う。

その混乱した状態のまま、答えを口に出していた。

「――オレを連れて行って下さい。ドーバー港に」

その要請に、老紳士の声が柔らかなトーンで答えた。

「無論、お安い御用です。坊ちゃんのご命令は、ボスの命令と同等でございます。喜んで、ご案内いたしますよ」

蓮はひとつ息を吐いた。

「シャワーを浴びたいんで、30分後くらいに迎えに来てください。今のままの寝癖では、とても人前には出れませんから」

「了解しました。どうぞ、ごゆっくりとお仕度なさって下さい」


その言葉を最後に、電話はそこで唐突に切られた。

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