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蓮とディーンが、タオルミーナのホテル・パラッツォのスィートルームで祝杯を挙げている頃。


シチリア島ではパレルモに次いで2番目に大きな都市であるカターニアの、ビーチまで徒歩3分の高級リゾートホテルのレストランを貸し切り、ある会議が開かれていた。



北側を向く大窓には、島のシンボル的活火山であるエトナ山の勇壮な光景を望む。

普段は丸テーブルが並ぶフロアには巨大な円卓が置かれ、点在するように6人の男たちが着席していた。どの男も、一癖も二癖もありそうな面構えだ。

シチリアンマフィアのトップであるカポと、アンダーカポが服役中の現在、複数のファミリーを束ねる幹部たちカポ・レジームによる、コミッションと呼ばれる緊急会合が開かれていた。


議題はふたつ。

アメリカ人の金髪実業家への今後の対応と、服役中のボスへの報告についてである。

招集したのは、組織の相談役であるコンシリエーレだ。

二つのファミリー幹部のトラブルの報告を聞き、急遽二つのファミリーだけでなく、全てのファミリーのトップを招集した。

それほどに深刻な事態だった。


「なぜ、あの方がこのシチリアに居る?」

「だから、それを探る為に、ウチの幹部が動いたんだ」

「だが、なぜ銃口を奴に向けた!」

「部下の話では、あの方がシチリアに居ることすら知らないし、その連れが店内に居たことすら知らなかったらしいんだ」

「だが、事は深刻だぞ。あの方を怒らせて唯では済まないことは、ローマのファミリーが僅か数か月で潰されたことで証明されている。――あの時は、他所事ながら肝が冷えた」

一番の年長者らしい禿げ頭の男が、顔をしかめてため息交じりに吐き出した。


その時、ノックもなく唐突にレストランのドアが開かれた。

一瞬浮足立つ6人は、その姿を見た途端、顔を青ざめさせる。

そこには、黒に近い茶色の短髪を、一筋も落ちることを許さないとばかりにキッチリと後方に撫でつけた、神経質で生真面目そうな男が立っていた。

眼鏡のレンズが反射してその表情は読めないが、全身からはあからさまにピリついた不機嫌の色が滲み出ている。

その傍らには、マシンガンを片手に赤毛の女が堂々とした態度で並ぶ。

こちらは、明らかに怒り心頭といった感情がその鋭い視線から見て取れる。

どちらも、顔も名前も、所属する組織のボスの名とともに、彼らの肩書きも知っていた。


とりあえず、相談役のコンシリエーレが起立した。

「この度は、組織の者が、コールド様にご不快を与える真似を致しまして、組織を代表してまずはお詫びを……」だが、その言葉を遮るように、スチュワートは言い放った。

「それ以上、動くな。お前達全員の脳天には、すでにウチの狙撃班の照準が合わされている」

そして、色めき立つものの、言葉を発せずにただ動揺する老人たちへと、冷静に言葉を突きつけた。


「今回の件。ボスは、表のビジネスの為に、このシチリア島を訪れていた。だが、当方の最重要人物を勝手に貴様らのトラブルに巻き込み、命の危険に晒したことについて、ひどくお怒りになっている。依って、シシリアンマフィアに対し、償いを求めるとのことだ。その内容は、欧州南部を統括するカエサル、並びに収監されている貴様らのボスもすでに了承済だ。但し、当方の条件を飲めば、今回の一件に関する償いは保留にしてやると仰っている」


つまり、すでに牢獄の中のシシリアンマフィアのトップだけでなく、南欧州への影響力が絶大な国際的な組織のトップも、償うことを受け入れたということになる。

それイコール、シシリアンマフィアの終焉だ。


現在、組織が置かれている状況に加え、騒ぎを起こしたのは、昨日の昼。

たった1日でそこまで手を回す迅速さに、ファミリーのトップ連中は息を飲んだ。

だが、そんな老イタリア人たちの動揺などお構いなしに、スチュアートは尚も淡々と続ける。


「ひとつ。タオルミーナでの我々のビジネスに、一切口を挟まないこと。本日、今を以って、タオルミーナは当方の直轄地となる」

そんな、と思わず口から零れたのは、タオルミーナを含む東エリア一帯を統括しているアルティーニファミリーのトップだ。

だが、すかさずミラーの持つマシンガンの銃口が、その男へと向けられる。

張りつめた雰囲気の中、スチュワートはさらに続ける。


「ふたつ。今後、シチリアを当方の関係者が頻繁に訪れることになるが、その者に対しての狼藉、並びに不利益、不快を与えることを一切禁ずる。――とにかく明るく、優しく、真心もって丁重に扱え、だそうだ」

少し自棄になった感もある神経質そうな白人男の口調は、もはや一切の抵抗を許さないといった雰囲気だ。

「以上、そのふたつの条件を飲むことで、今回の制裁は保留とする。尚、どちらかの条件が破られた時には、シシリアンマフィアは速やかにこの地上から抹殺されることになる。無論、独房に居る者も罪を負う」


眼鏡の男の言っている事は、脅しではない。

5年前、ローマンマフィアが数カ月で壊滅に至った時、彼らの殺戮は徹底していた。

社会に居る者だけでなく、当時、収監されていた牢獄で、最高幹部までもが殺害された。

その手口と容赦のなさは、今でもイタリア中のマフィアから恐れられ、畏怖をもって“ローマの落日”と呼ばれている。


「Sì」とイタリア語でYesの返答を、ひとり、またひとりと返す。

「ところで、その者とは誰だ? ちゃんとひと目見て、分かるんだろうな。せめて名前くらい……」

最後に頷いた、アルティーニファミリーのトップが問いかけた。

だが、その言葉にミラーは嘲笑を向けた。

「坊やの名を軽々しく明かす事は禁じられている。当然だ」


そして、強気な顔つきで、老人たちを見据える。

「だから、今ここでその特徴を覚えな! 黒髪に、エメラルドグリーンの綺麗な瞳の日本人。こんな特徴的な人間、世界中探したってそんなにいないから、ひと目見ればすぐ分かる。ついでに言えば、小柄で若く見えて、肌が綺麗で可愛い感じの青年だ。そいつが、我らのアンタッチャブルな存在だと肝に銘じておけ、クソ野郎ども!」

そして、尚も専属ファイナンシャルアドバイザーの特徴を、己の主観を交えて捲し立てる女の襟首を掴み、眼鏡の白人男は律儀にも一礼して去っていった。

それは、本日の天気のように、まさに嵐の如き宣言だった。


「この程度で済んで良かったのか?」

「だが、カエサル、――南欧州の皇帝まで巻き込んでいるぞ」

「ということは、ローマの奴らの時より、酷い事になるってことか……」

「これは、シシリアンマフィア存続の為、5つのファミリーが交わす血の契約だ」

「絶対に破ってはならない、マフィアの掟だぞ」

「直ちに、全ての組織の者に通達しなければ」


そして、全員が立ち上がった。

黒髪と緑の瞳の日本人。小柄で若い男。肌が綺麗で可愛いとも言っていたか……。

アンタッチャブルな存在の特徴をブツブツと唱えながら、各ファミリーのトップたちは、シチリア島の己の縄張りへと一目散に散っていった。


・・・・

敏腕秘書から報告を聞き終え、ディーンは音を立てることなくスマホをテーブルへと置いた。

そして紫の瞳を、ディーンのジャケットを掛け、傍らで気持ちよさそうに眠るあどけない寝顔へと向ける。


交渉の成功を祝う祝杯の2杯目でうつらうつらと舟を漕ぎはじめ、3杯目を一口飲んだところで、黒髪の天才アドバイザーはソファーに撃沈した。

酒に弱いことは知っていたが、さすがに嘘八百で騙し通した今日の説明会には気疲れしたのだろう。

もっとも、無理やり棚上げにさせた銃撃によるパニック症状について、表面上はビジネスに集中する振りをしても、内心ではずっと思い悩んでいた影響もあるようだ。



確かにあの時の蓮は、過呼吸の症状を示していた。

唐突に重度のストレスがかかり、心身がパニックを起こしていた。

しかも、当人では全く心当たりがないストレス原因によるものだ。

だがそれは、蓮の無意識下に潜む、心が抱える闇の存在を意味する。


ディーンは、寝こける青年の肩に手を置き、ため息混じりに独り言を呟く。

「……お前自身も知らない、心の闇か。はたして、暴いていい代物なのか……」


その時、ブーンという振動音とともに、テーブルの上のスマホが忙しなく振動を始めた。

その音に、僅かに身じろぎした青年の肩に置いた手を伸ばし、スマホを握る。

そして、相手を確認して通話を始めれば、「やあ! 昨日ぶり」と、切り出した陽気な声に、うんざりとした顔で「ああ」と、ひと言だけ返す。

「監獄にいるカポは、君の下した寛大な措置に、有難いと歓喜に咽び泣いていたよ。あの変顔、汚くてすごく面白かったよ」と、ケラケラと軽薄そうな笑いが混じった報告に、以後は相槌ひとつなく、ただ黙ったまま相手の長話に耳を傾ける。


大体の用件を聞き終え、気疲れした重いため息をひとつ吐くと、ディーンは陽気な通話相手に対して、低く唸るようなバリトンボイスで警告を発した。

その相手に対して、ディーンが伝えたいことは、ただ一つ。

「お前が何と言おうと、ウチのファイナンシャルアドバイザーに関する事は、一切カイザーにツァーリ、マハーラージャには言うな。特にスルターンに漏らしたら、絶対に許さんからな。いいな!」


その敬称は、ドイツ語、ロシア語、サンスクリット語、アラビア語の4つの言語で、皇帝、あるいは王の中の王とされる者を呼ぶものだ。

そして、ディーンは苛立ちをぶつけるように、相手の返答も待たずに即刻通話を打ち切る。



昼から嵐となった、シチリア島。

リビングの大窓を、流れるくらいに大粒で勢いをつけた雨が激しく叩きつけている。


宿題として課したディールは成功したものの、黒羽蓮に係るいくつかの良からぬ不穏な予感に、アメリカの実業家ディーン R コールドは、世界でも希少なバイオレットの光彩抱く目を、物憂げに静かに閉じた。

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