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時は、シチリア島タオルミーナの期間を限定しての経営権買収について、初めて蓮がプランを説明したニューヨークにあるディーンの執務室に巻き戻る。
「10のホテルは、隠れ債務や不良債権、それに担保物権などのマイナス要因も、ざっと調べた限りはありませんし、基本合意後のデューディリジェンスでの詳細調査でも、何も出てこないと思います」
キックオフミーティングで蓮の説明をひと通り聞き、ディーンはパソコンの画面から、アドバイザーの真意を探るように、その緑色の瞳へと視線を移す。
「それで、タオルミーナの経営権を手に入れた暁には、どうやって観光資源がないオフシーズンに収益を上げるつもりだ?」
もっともな質問に、蓮はにっこりと笑った。
「貴方のグループのクルージング旅行を、さらに充実させることも考えましたが、試算してみた結果、もっと高い収益を上げる方法を思いつきました」
そしてパソコンをワンクリックすれば、画面には一隻の船が映し出される。
「これがどんな船か、分かります?」
ライトアップされ、ディーンの持つ大型クルーザーよりもだいぶ小さいが、乗客を300人くらいは収容できるクラスである。真っ白な船体が上品な雰囲気を醸し出している。
「昨年まで、インドからタイやマレーシア一帯のクルージング旅行に使われていた船です。名前はタージマハル。180人の乗客の収容が可能です」
そして、緑色の光彩の色が深まった。
「インドの首都、デリーに本社がある、この船を所有するダンニャバード・クルージングは経営破綻寸前です。そこで、彼らは事業の見直しを行い、採算効率の悪いこの船の処分を検討しています。ですが、船体自体は新しいのですが、客室などの設備がイマイチで、買い手はなかなか現れないでしょう」
蓮の説明に納得いかない点があるのか、ディーンは思わず眉をひそめた。
「だがこの船はどう見ても、300は収容出来るだろう? それとも何か特別な施設でもあるのか?」
その鋭い指摘に、蓮は肩をすくめて見せた。
「正解です、ディーン。この船は、客室一つ一つが普通の船室より広めに作ってあるのと、船のワンフロアがカジノになっています。けれど、ギャンブルにはもともと否定的な宗教観があるエリアですし、奇をてらって事業を始めたものの、思った以上に市場の需要が無く、クルーズは常に定員に満たずに採算割れを起こしています」
その説明で、ディーンの紫の光彩にも光が瞬く。
「そういうことか。だが、それをタオルミーナの冬の観光にどうつなげる? カジノは、イタリアにもある……」
そこまで言いかけて何かに思い当たり、ニヤリと笑った。
「確かにイタリア南部には、カジノはないな。無論、シチリア島にも」
その言葉に、蓮も確信犯の笑みを向ける。
「タオルミーナは、イタリア南部でも屈指の高級リゾート地です。バカンスシーズンに集まってくるのは世界中のセレブ達。その知名度も高い。そこに、オフシーズンだけ限定のカジノ、しかもベネチアのような大衆的ではない超高級なカジノが出来たら、とても魅力的だと思いませんか?」
そして、先ほどの船を示す。
「この船をカジノ専用の船に改造して、タオルミーナの沖合に停泊させます。無論、設備はカジノに関するものはもちろん、バーやカフェなども充実させ、船内ではセミフォーマル以下は不可、サービスも一流のスタッフを揃えます。そして、10のホテルの宿泊客限定で利用できるようにする」
ディーンは満足そうに薄い笑みを浮かべて、専属アドバイザーの説明に聞き入っている。
「イタリア最大の売り上げを誇る、カンピオーネ・ディタリアの年間賭博総収益は1億8000万フランと言われていますが、オレの試算ではその三分の一の収益を見込んでいます」
「年間稼働が半分でも、その試算がでるのか。つまりは、ホテルの利用客はセレブ達。さぞかし大金を落としてくれるだろうな」
ひとつ頷くと、ディーンは「もうひとつ質問がある」と、その長い足を組みなおした。
「それで、夏場はどうする? まさかカジノ船を半年寝かせておくつもりか?」
蓮の答えを予想した上で敢えて問いかけてくる男に、蓮は悪戯っぽく笑った。
「まさか。ちゃんと稼働させますよ、別のリゾート地で。だからクルーザーなんです。土地を買収して建物を建設するコストも抑えられるし、最大のメリットは移動が出来ることです」
ディーンは「なるほど」と頷くが、蓮の答えにはまだ続きがある。
「けれど、タオルミーナ同様、シーズンを含んだリゾート買収は手間も時間もかかりますし、他のカジノやリゾート地と張り合っても利益は上がりません。ですから、手間も時間もかけず、安く手に入る場所を見つけておきました」
紫の瞳は、蓮の説明にさっそく興味を持ったようだ。
蓮はパソコンを操作し、あるファイルを開けた。
そこには、白い砂浜、透明度のある水色の海。そして色とりどりのサンゴ礁の写真が写っている。
「世界で一番、天国に近い島です」
「――フランス領、ニューカレドニアか」
ディーンの回答に、頷きながらにっこりと笑う。つまりは正解だ。
「南半球は、四季が北半球と逆転します。ということは、4月頃から10月頃までは海に入れない場所で、ビーチリゾート以外は、これといった観光資源に乏しい場所を選んでみました」
「だが」と、すかさずディーンが眉を僅かにしかめた。
「本島のグランドテール島の北部はジャングルのような勇壮な景観もあるから、オフシーズンもそれなりに観光客はいるんじゃないか? それに首都のフランス領ならではの洒落た街並みも、それなりに人気がある」
だが、蓮はさらに笑みを深めた。
「そんなメジャーな所に興味ありませんよ。さっきも言ったように、オレの条件は海しか観光資源がないところ。――つまりは島です」
そして、地図を画面に表示する。本島から南東に海を隔てた小さな島だ。
「イル・デ・パン島です。ニューカレドニアの中でも、最も美しい海と言われています。ここの3つのホテルに、オフシーズン中の共同経営話を持ちかけます。ちなみに、現在その3つのホテルは、リーマンショック以後はシーズン中も以前よりも業績が上がらず、オフシーズンの収入はほぼゼロ。依って現在、廃業を模索中か、もしくは買い取り先を探しています。ちなみに、島には小さいですが空港もありますから、セレブたちは気軽にプライベートジェットで訪れることが出来ます」
ディーンが短く口笛を吹く。
「なるほどな。廃業や売却を模索していても、シーズン中はそれなりに稼げるから、オフシーズン狙いで話を持ちかけて、考えを変えさせる訳か。確かに、相手にしてみれば美味い話だからな」
「それに、タオルミーナ以上に交渉し易い上に、価格ももっと安く手に入ります。どうです、お気に召しましたか?」
ディーンは、手を伸ばし黒髪をかき混ぜ、ふわりと笑った。
「そちらも話を進めろ。現地調査に行くならば、早めに言えよ。俺にも色々と都合がある」
付け加えられた言葉に、蓮はギョッとする。
「まさか、付いてくるつもり……」と言いかけてやめた。
美丈夫な顔には、当然だと言わんばかりに憮然とした表情が浮かんでいる。
そんな顧客に、蓮は盛大なため息をついた。
ここまでは、何の問題も無い。
だが、どんな事にも、障害はある。
それを察知して対策することも、アドバイザーの仕事のひとつだ。
「ただ、ひとつ気になることがあります」と、蓮は表情を曇らせた。
「ニューカレドニアは問題ないとしても、タオルミーナの場合、イタリアンマフィアが最大の懸念材料です。彼らは、カジノなどの賭博については毛嫌いして直接手を出さない一方で、みかじめ料など営業に対して占有料を要求してくる可能性があります」
その懸念に、ディーンは肩をすくめて見せた。
「その点は心配いらない。カジノはあくまでも海の上だ。奴らが海の上まで占有を主張した時点で、即刻叩き潰す」
相変わらずの物騒な文言に蓮は眉をひそめるが、それでも憂いの表情は消えない。
「むしろ、逆です。オフシーズン中はディーンがいれば、何とかなるかもしれませんが、シーズン中に10のホテルが潰されるような事態は避けたいでんです。それに、タオルミーナ自体、結構安全な街だと聞いています。セレブ達を呼び寄せるためには安全の確保は必須だし、血の匂いがするイメージ自体、売り上げに響きます」
自分たちの利益のために、タオルミーナのホテル経営者たちが危険に晒されることは避けたい。
そんな、心優しい日本人に向けるディーンの視線は穏やかだ。
「その件は、前向きに検討しておくから心配するな」
穏やかに呼びかけ、「新たなビジネス展開での事業拡大という点は、気に入った。さっそく買収計画をスタートさせるぞ」と、大きな右手を差し出した。
その手を小ぶりな手が、はにかみながら嬉しそうに握り返す。
「これって、貴方からの宿題は合格ということですよね。でしたら、オレはさっそく、今週末にでもシチリア島にリサーチに行ってきます」
蓮のひと言に、その希望の光が輝くグリーンの瞳を見つめながら、「なに?」とディーンは握る手の力を強めた。
シチリア島高級リゾート地を舞台とした、レテセント・リージェント・グループの事業拡大プロジェクトは、こうして開始されることとなった。
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