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ジェントリー・ハーツ・ファンドより送りつけられた突然の意向表明書に、ホテル・パラッツォのオーナーを始めとする10名のホテルオーナー達は、木製の重厚な長テーブルに横一列に並び、呼び出し主が現れるのを待っていた。
オーナーたちの背後には、彼らが連れてきた経営コンサルタントたちも同席している。
だが、そこに居る者全員が、一様に困惑や不安の表情を浮かべていた。
説明会の会場は、ホテル・パラッツォ本館の最上階にあるレストラン。
テラスに面した一面は窓ガラスで仕切られるものの、クーラーが効いた室内で、どこまでも続くイオニア海と青く澄んだ空を見ながらの開放感は、このホテルの売りのひとつである。
もっとも、それはシーズン中に限ったことで、シーズンオフの今、朝から降りだした冷たい雨と吹きつける海風で、窓ガラスの全面は気泡が立ったように雨粒が張り付いている。ゴロゴロと時折雷鳴も鳴りだし、ディールのスタートを切るには、あまり雰囲気はよろしくない不穏さが漂う。
オーナー達がレストランに通された時には、すでに室内にはプロジェクターやパソコンがセットされるなど、主催者側によって万全の準備が整えられていた。
おもむろに、レストランの観音開きの扉が開いた。
先頭を歩くのは、金髪の白人。
スタイリッシュにスリーピーススーツを着こなし、一見するとモデルか俳優と思うくらい容姿の整った男だが、その堂々とした立ち居振る舞いから、見た目の年齢よりも威圧感がある。
その後に、黒髪の青年が続く。
細身で小柄な体つきもあり、可愛らしい印象を受けるが、その凛とした表情は他を寄せ付けない、知的さを感じさせる。また、エキゾチックで艶やかな黒髪に加え、透明感のあるエメラルドの瞳は、よりミステリアスな印象を与える。
オーナー達に相対するように席に着いたのは、このふたりだけだった。
ふたりに続いて入って来た3名は、眼鏡をかけた白人は金髪の男の後方に、もう一人の黒人は入口で止まったまま地獄の門番のように仁王立ちしている。
最後に、紅一点の赤毛の女は、黒髪の青年が頷いた合図で、オーナー達に縦に置いても立つと思えるくらいに分厚い書類を配り始め、その作業を終えると、沈黙したまま腕組みをしてスクリーンの横に立つ。
その間、蓮はノートパソコンを開いて立ち上げ、ひと通りの準備作業を終えると、ひとつ息吸って切り出した。
緑の瞳が、横一列にならぶ経営者たちを、臆することなく見据える。
「私は、イギリス、ジェントリー・ハーツ・ファンド、ニューヨーク支社、海外事業部所属の黒羽蓮と申します。本日は、専属ファイナンシャルアドバイザーを務めさせて頂いている、アメリカ、レテセント・リージェント・グループの事業拡大のため、皆様方にいくつかのご提案をさせて頂き、皆さまと基本合意書を締結致したいと考えています。」
そして、ディーンへと顔を向ける。
「こちらは、レテセント・リージェント・グループのオーナー、ディーン R コールド氏です。ご質問があれば、今回の提案に関しては私が、グループの経営に関してはコールド氏が後ほどお答えさせて頂きます。では、さっそく説明を始めさせて頂きます」
蓮がパソコンのキーを数回押すと、プロジェクターが光を放つスクリーンに、折れ線グラフが映し出される。
「これは、年間を通したシチリア全体の観光客数のうち、宿泊した人数をひと月ごとに示したものです。そして次の折れ線が、ここタオルミーナの宿泊者数です」
そして、またひとつキーを押す。折れ線グラフは2本になった。
「一目でおわかりでしょうが、11月から4月までのオフシーズン中はタオルミーナの宿泊者数が激減し、1月と2月は、ひとケタ台にまで落ち込んでいます。原因はお分かりだと思いまずが、オフシーズン中は一番のセールスポイントであるビーチで泳げない事。そして、シチリア観光において、パレルモやシラクーサのような観光地に宿泊客が集中してしまうからです。続いて、オフシーズンは休業している、ここにいらっしゃる10のホテルが、もしもオフシーズン中に休業しなかった場合の売上を試算して、年間の業績を月ごとに算出してみます」
すると今度は、折れ線グラフに重なる様に、棒グラフが各月の上に縦に伸びる。
だが、宿泊者数に比例するように、1月と2月は赤字で0の文字しかない。
「このように、1,2月は、たとえ宿泊客がいたとしても、確実に赤字となります。その他の月も、皆さんの客室全てを合わせても20に届かない」
その時、あるオーナーの背後の席に座っていた、40代くらいのスーツ姿の恰幅のいい女が手を挙げた。
彼女の事は、各ホテルのアドバイザーの有無について事前に調査した時、リストの中にあった。
山側にある、経営破綻しかかっているホテルの経営コンサルタントだ。
「オフシーズン中の売り上げの試算は、どうやったのかしら。実際の数字は、誰にも分からないと思うけど?」
赤いフレームの眼鏡をずいっと上げて、高慢な態度で質問する。
だが蓮は、人当たり良い柔らかな笑みを彼女に向けた。
「確かに、正確な数字を提示することは不可能です。ですが、おおよその推測は出来ます。我々は、オフシーズンの間に、世界各国の旅行会社がイタリア観光庁に問い合わせた、昨年のタオルミーナの宿泊に関する数を、そのまま宿泊したものとみなしました。それと、観光業の動向は年により変動することも踏まえるため、過去10年分のイタリアの経済白書も参考にしています。そこで推測した宿泊者数と、皆さんのホテルの宿泊料金、もちろんシーズン中の一番価格が高い部屋の料金ですが、それを掛け算して試算しました。それでも赤字となるのは、人件費などの必要経費を差し引けば当然となります」
それは、タオルミーナのホテルにとっては寛大な試算方法である。
実際はゼロと言われても仕方のないところを、なんとか数字をつけて利益として計上しているのだ。
経営者達は、なるほどといった表情で互いに顔を見合わせる。
一方、蓮の隣に座る金髪の経営者は、僅かに口角を上げた。
というのも、実のところ、今の蓮の回答が真っ赤な嘘だということを知っているからだ。
経済白書に、10年間の観光の動向が分析されているかなど、調べてすらいない状況だ。また、仮に観光庁に問い合わせたところで、タオルミナの宿泊問い合わせ数などという数字が分かる訳がない。
この質問は、当初から想定されたものであり、その際、オーナーたちが納得するもっともらしい説明さえ出来れば良かったのだ。
理由は簡単。
出し抜くために、まずは取引相手の信用を勝ち取るためだ。
そして実際の試算は、ハッキングで各ホテルの財務状況を探った際、各ホテルに寄せられた旅行会社からの問い合わせ記録を確認していた。事実に基づく数字は、おそらくオーナーたちも感覚的に納得しやすいだろう。
女がそれ以上問答を続ける意思のないことに、蓮は内心ホッとしつつ、再びパソコンのキーをひとつ叩く。
そこには、その場に集う10人の経営するホテルの写真が並ぶ。
「そこで、今回の提案です」
いよいよ正念場となることに、小さく唾を飲み込み、切り出した。
「我々は、このオフシーズン期間のホテルの経営権を、皆さんから買い取りたい。広義で言えば、共同経営です。つまり、変則的な共同経営という形ではありますが、期間を区切り、その間はそれぞれが独立して経営するというスタイルをとりたいのです」
一般的に共同経営とは、ひとつの事業に対して2人以上の者がほぼ対等な立場で意思決定し、経営していくことをいう。だが、シーズンにより経営者が変わるなどという、現在提案されているケースは異例だ。
当然のごとく、その提案に一同がどよめく。
だが、青年は動じない。
「皆さんは、これまで通りに5月から10月の観光シーズンの経営をなさって下さい。我々は、オフシーズンとなる11月から4月までの経営をする」
そして、再び棒グラフを表示し、レーザーポインターで指し示す。
「このように、皆さんの5月から10月までの利益は、年間収益の96パーセントを占めています。残り4パーセントは、4月から営業なさるホテルが何件かあった為です。キャッシュフロー計算書を見せて頂ければ、シーズン中、皆さんがいくら現金を稼げるか、さらに正確な数字を提示できます」
そして、経営者たちへ、穏やかな光を湛える緑色の瞳を向けた。
「つまり皆さんは、ホテル経営でシーズン中に稼いだ金を、今後は閉鎖しているオフシーズンに補填する必要がなくなるということです。その間の維持、管理にかかる経費や手間も、我々が行います。――いかがです? これまでと同じ状況で、収入は増え、手間も省ける。皆さんにとって、決して悪い提案ではないと思いますが」
だが、先ほどの女がまたも手を挙げた。
「ずいぶんと私たちに有利な提案ですが、ひとつお伺いします」
勝ち誇ったような物言いで、女は嘲笑を浮かべた。
「では、貴方達は何のために、何の利益も生まない冬場のホテル経営権を欲しがるのかしら。本当の狙いを聞かせてもらおうじゃないの。うまいエサでそそのかして、後でどんでん返しをくらうのは御免だわ」
何か裏があると決めつけて、挑発的に言い放つ女の問いに答えたのは、ディーンだ。
チラリと目で合図を送った蓮の視線を受け、ひとつ頷いて話し始めた。
同じタイミングで、蓮がパソコンのキーをひとつ叩く。
スクリーンには、一隻の豪華客船の写真が映し出された。
「これは、当社が保有するクルージング旅行用の船のひとつだ。これを含め、当社は三隻のクルーザーを保有している」
画面が、世界地図に変わる。
そして三つのエリアが薄い赤の丸で囲まれた。
「一つ目は、11日間でカリブ海の3か国とフロリダを巡るコース。二つ目は、北欧・バルト海を9泊10日のクルージングで6ヵ国6都市回るコース。そして三つ目は、12日間でギリシアとサントリーニ島を巡る地中海クルーズ。通常は、約月2回のサイクルで稼働している」
そして、蓮へと発言のバトンが渡る。
「けれど、それだけの集客が出来ない時期もあります。理由は、ただひとつ。普通の方は長期の休暇を限られた時期にしか取れないからです。そこで、バカンスシーズンは割高にし、それ以外の時期の料金を落とすことも考えましたが、我々は抜本的にプランを考え直すことにしました」
蓮は、キーボードのボタンをひとつ押す。
スクリーン上の地図には、新たな黄色の点線のラインが3つ出現した。
一つは中国香港から台湾を通り、日本の神戸までを結ぶライン。
二つ目は、ロシアのサンクトペテルブルクからフィンランドのヘルシンキを通り、スウェーデンのストックホルムに向かう。
そして三つ目は、イタリアのジェノバからナポリ、そしてタオルミナを通りベネチアで止まる。つまりは、リグリア海をスタートし、ティレニア海とイオニア海、そしてアドリア海を巡るコースだ。
「御覧の通り、オフシーズン中は、短い期間でお客様が参加しやすいように、日程を含めコースをタイトにすることにしました。上記のコースは、最長でも5日間と設定しています」
そして、自信にあふれた顔を、経営者たちに向けた。
「ただ一つ、問題があるとするなら、寄港地です。三つ目のイタリアンクルーズは、5日間を予定していますが、クルージング旅行の特徴の一つで、時々は上陸して宿泊したいというお客様の要望があります。ですから、我々はその宿泊地を、クルーズの後半に差し掛かる時期に通る、このタオルミーナにしたいと考えました。理由は、カターニアのホテルでは、他の観光客も多く、クルージングのお客様を多くのホテルに分散させることになります。けれどもこのタオルミーナでは、この10のホテルの全室を使えば、宿泊するホテルを分散することなくまとめて泊って頂く事が出来ます」
「これで、お分かり頂けたでしょうか?」と、蓮は静かにノートパソコンを閉じた。
「我々の利害と、貴方達の利害は一致しているんです。この提案は、変則的ではありますが、双方にとって高いシナジー効果を生むものだと、我々は考えています。――どうぞ、前向きにご検討下さい」
緑の光彩の色を深め、にっこりと笑う蓮に対して、それ以上意見や質問をする者はいなかった。
・・・・・
「おそらくこれで、あの経営者たちはsìと言う他あるまい。買収金額も、こちらが出していい最大金額のバイヤーズバリューを、オフシーズン期間の収益の倍掛けで提示した途端、思わず口元に笑みが浮かんでいたくらいだ。何の文句もあるまい」
「安く買って、低コストで高い利益を上げるように育てる。ホテルのオーナーたちを騙したようで申し訳なかったですが、これでこれからの交渉も上手くいきそうですね」
スィートルームのリビングで、ふたりはシャンパンボトルを開け、祝杯をあげていた。
今頃は、本館のレストランで、経営者たちは顔を突き合わせ、頭を悩ませているだろう。
だが、彼らが最終的に出す答えは、すでに分かっている。
「それにしても、クルージング旅行についての提案も、今後は考えた方がいいな。お前の指摘は確かに事実だ」
途端にオーナーの顔つきとなった男に、蓮は目を丸くした。
「ディーンまで騙されないで下さい。長期のクルージング旅行に参加しようなんて、暇と金を持て余しているお金持ち以外に居る訳ないじゃないですか。もしも利益率を上げることを考えるとすれば、50日程ほどに日数とコースの距離を伸ばして、旅行代金を引き上げることをお勧めします。その方が効率性は確実にアップしますよ。……っていうか、今のは、分かっていて言いましたよね」
そんな頬を膨らませた青年に、ディーンはニヤリと口角を上げる。
「細かい客をチマチマと集めるより、ドンと金払いのいい連中を長期で捕まえておく方が、手間も労力も省けるしな」
「やっぱり分かってた」と、蓮は不満そうにむくれるが、ふいに何かを思い出したかのように不安そうな顔になり、所在なさげに手にしていたシャンパングラスを、ユラユラと揺らす。
「どうした? 何か、気になることがあるのか?」
その問いかけに、蓮は意を決したように顔を向けた。
「ところで、オレが気にしていた件はどうなりました?」
その言葉に、ディーンの顔つきも一変する。
なにせそれは、今回のディールに重大な壁となる懸念があるからだ。
そして、信頼するアドバイザーの懸念を払拭すべく、説明を始めた。
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