3

「蓮はどうしている?」

「とりあえず、間仕切りを盾にして、うずくまってはいるが……」

ジャクソンの声のトーンが変わった。明らかに、険を帯びている。

「坊やの他に誰かいる。ひとりは女だが、死んでいるな。もう一人のおっさんの顔は見えねえが、あの悪趣味な雰囲気には覚えがある」

そして、噛み殺したような声がディーンの耳に響いた。

「思い出した! アルティーニの所の奴だ。確かルカなんとかっていう、あそこの金庫番だ」

「アルティーニファミリーを襲うとなると、相手は小競り合いわしているコルレアーニの奴らか? 銃撃している奴らの中で、誰か見知った顔は見えるか?」

しばらくの沈黙の後、唸る声が答えた。

「いる。名は分からんが、あそこの実働部隊にいた奴だ。背がやけに高い奴だが」

それは、ディーンにも覚えがあった。

媚びへつらって愛想笑いを浮かべるでもなく、反抗的に見返すこともしない。ただ、権力ある者の前に、委縮し怖れをなして怯えた瞳を向けた小心者。そのくせ、自分の部下たちには、横柄を絵に描いたような尊大な態度で接していた。

「もうすぐ着く。切るぞ」

スマホをポケットに戻しついでに、ディーンは懐から銃を取り出す。

待ち合わせのレストランは近い。

不愉快なマシンガンの音が、ディーンの耳にもはっきりと届いてきた。



テラス席に面した店の窓の外には5名の男たちが、高笑いしながらマシンガンを順番に撃ちまくっている。

まさにゲーム感覚だ。

ディーンは迷わず、銃弾が飛び交う店の玄関ドアを蹴破り、襲撃者達の一瞬の隙をついて、お遊び気分の乱射に高みの見物を気取る、背の高い男の持つマグナムを撃ち落とした。

襲撃者達は一旦銃撃を止めたものの、その銃口が一斉にディーンへと向かう。

だが、阿吽の呼吸の如く、ディーンの背後に居た秘書が、すかさずその肩越しに小型のロケットランチャーを構え、男たちへと向けた。

その一触即発の状況に、大慌てでストップをかけたのは、銃を撃ち落とされた背の高い男だ。

「やめろ! 絶対に撃つな! ……な、何でアンタがタオルミーナに居るんだよ」

幽霊でも見たかのように、その細面の顔がみるみる青ざめていく。

その変化に、ディーンのバイオレットの光彩が色味を深め、美丈夫な顔には冷酷な嘲笑が浮かぶ。

「俺に向かって、まだ手下に銃口を向けさせるのか? それとも、この状況をコルレアーニも承知しているのか?」

途端に、背の高い男はブンブンと大きく首を振り、手下を怒鳴りつけて銃口を降ろさせる。

それに構わず、あちこち穴だらけとなり、すっかり破壊しつくされた店内へとディーンは無遠慮に足を踏み入れた。


「お前、俺の連れが店の中に居ることを知っていて、襲ったのか?」

絶対零度の紫の眼差しに、問いかけられた男はビクッと長い体を震わせ、再び音がしそうなくらいのオーバーアクションで首を横に振る。

「俺はただ、調子に乗っているルカッティの奴を懲らしめようとしただけだ。アンタの連れなんて知らねえ……」

だが、その紫の瞳には、さらに残忍な色が浮かぶ。

「そうはいっても、仕出かした事に変わりはないな。いずれ、落とし前をつけてもらうぞ」

そして、奥にある間仕切りで区切られた客席へと向かう。

銃を構えたジャクソンも、銃撃が途絶えたことで厨房に続く廊下から姿を現した。


そこは集中的に狙われたのか、荒れ様はさらに酷い。

最初に目に飛び込んできたのは、床に転がる女だ。

ピクリとも動かず、頭部周辺の床に血だまりが出来、明らかに絶命している。

「――即死だな」

興味なさそうに呟いてその先に視線を向ければ、ようやく目的とする白いダウンジャケットの男を見つけた。


間仕切りに寄り添うように膝に顔を埋め、両手で両耳を押さえている。

ディーンの顔色が変わったのは、そのオフホワイトに赤い飛沫を見つけたからだ。

すかさず駆けより、耳を覆う手首を取れば、もがくように振り払われる。


だが、触れた瞬間に理解した。

その全身は小刻みに震え、浅く速い呼吸が、蓮の味わった恐怖を物語っている。

仕方なしに両方の二の腕を強引に掴んで拘束すると、敢えて声のトーンを抑えて呼びかけた。

「しっかりしろ、蓮! 目を開けろ!」


その声に、恐る恐る反らしていた顔を上げ、怯えきった緑の瞳がようやくディーンを映す。

「大丈夫か? お前、ケガはしていないのか?」

その固い声の問いかけに、なにやら口を動かすものの、声は出ないようだ。

普段は意志の強い光を湛える緑の瞳は輝きを失い、ただ怖れしか伝わってこない。

その現実に、ディーンの全身に憤怒の感情が走った途端、ふいに蓮の全身からストンと力が抜けた。

魂が抜け出た死体のように、無防備に倒れ込んでくる身体を支えれば、その瞼はすでに固く閉じられている。


腕の中に抱いた蓮を仰向かせ、目視でケガの有無を確認する。

そして、とりあえずどこにもケガをしていない事にひとつ安堵の息を吐くと、力なくディーンに身体を預ける青年を肩に担ぎ、両足に力を込めて立ち上がった。

そして、先ほどから少し離れたところにしゃがみ込み、おどおどと怯えている小柄なイタリア人へと、無慈悲な視線を向ける。

「俺の連れに近づいたのは、どういうことだ? お前如きに、それが許されると思っているのか?」

明らかに険を孕んだ凍えたバリトンボイスに、途端に男が竦みあがる。

だが、容赦はしない。

「アルティーニには、とりあえず大人しくしていろと伝えておけ。コルレアーニへの報復も許さない。いずれ、双方に落とし前はつけてもらう。――重々覚悟するように伝えろ」

そして、イタリア人の懇願めいた視線を振り払い、店の出口へと歩き出す。

ディーンの傍らで、銃とロケットランチャーを構えていたジャクソンとスチュアートも、その前と後を護衛するかのように付き従う。



店の外に出れば、ミラーと配下の者達が、それぞれ様々な銃器を構えて、ぐるりと襲撃者達を包囲していた。

とっくに戦意を喪失しているマフィアを包囲した黒スーツの一群の先頭に立つミラーが、ディーンが肩に担いだ蓮の姿を見た途端、息を飲む。

「ボス。……殲滅作戦の指示をお願いします。シチリアンマフィアを皆殺しにします」

その怒りを押し殺した低めのソプラノボイスに答えたのは、先頭を歩いていたジャクソンだ。

だが、その勢いはいつもよりもトーンダウンしている。

「心配するな、ミラー。坊やは無事だ。――今は銃撃されたショックで気を失っているだけだ」

だが、その報告に安堵の息を吐き出すものの、実働部隊の女リーダーは全く引く気配をみせない。

「だけどこいつらは、坊やに銃口を向けたんだ。それだけでも万死に値する」

そして、あからさまに低くなった女の声が、指示を求めた。

「ボス。――殲滅の命令を」

そんな一歩前に出て訴える殺気だった女リーダーを、厳しい表情で一喝したのは、主の背後でロケットランチャーを構えていた男だ。

「状況を考えろ、オリビア! 今、最優先するべきは、坊やだ!」

そして、常に冷静である秘書は、持てるスキルを最大限に活用して己の感情を諫め、押し殺したような声で諭す。

「……私情を捨て、ボスの最優先事項に従え、ミラー。今、一番にしなければならないのは、坊やを安全な場所で休ませることだ」

スチュワートの正論に、グッと拳を握り反論を抑えたミラーはひとつ息を吐き出す。

それでも治まらないのか、狂犬とあだ名される女は、悔し気に部下たちに指示を出した。

「――撤収。だが、安全が確保できたと判断するまで、ボスと彼への警護は続行する。ふたりに銃口を向けた奴は、即刻撃ち殺していいぞ。以上!」


人気のレストランを破壊しつくした襲撃は、ディーンの登場によりあっけなく幕を閉じた。

だがこの出来事は、後にイタリア3大マフィアの中でも、もっとも狂暴とされるシシリアンマフィアを震撼させる事態を生む事になる。


・・・・・

「大丈夫なのか?」

ロフトからの階段を下りてきた蓮に、リビングのソファーから声がかかる。


その手には脚の長い、グラス部分は小振りなチューリップ型のグラッパグラスがあり、中ではグラッパという透明な蒸留酒が揺れている。

グラッパは、ぶどうの残りカスを蒸留して作るイタリア特産のブランデーで、清々しい見た目とフルーティーな香りが特徴的だ。

「それって、グラッパですよね。オレも少しもらっていいですか?」


ソファーに腰を降ろした青年の珍しい申し出に、眉を僅かに動かしつつディーンは立ち上がり、部屋の片隅にある備え付けのミニバーからグラッパグラスを取ると、冷凍庫に放り込んであった酒瓶を取り出す。

「そうはいっても、度数が高い酒だ。あんまり呑み過ぎるなよ」

グラスを手渡しながら蓮の様子を確認するが、顔色は未だ青ざめ、空のグラスを受け取る手も微かに震えている。

蓮の隣に腰を降ろして三分の一ほど注げば、蓮は何か思いつめたようにじっとグラスの酒を見つめ、ぐいっとひと口飲み干した。

途端に、強いアルコールにむせて咳き込む蓮に、ディーンはため息を漏らし、その手にあるグラスを取り上げる。


「目の前で女が撃たれたのがショックなのは分かるが、自棄になるのはおかしいぞ。その女もお前に銃口を向けた奴らと同じなんだ。人に銃を突きつける以上、その逆もあることを覚悟していたさ。まして、巻き込まれたお前が、奴らの抗争で死んだ者に心を痛める必要はない」

蓮もひとつ、ため息をついた。ディーンの言っている事は、正論だ。

「確かに、目の前で人が殺されたのはショックです。あんな映画みたいな状況、オレには無縁の世界だし。今も怖くて、思い出すだけで手が震えてしまいます。でも……」

一旦、言葉を区切り、力なく俯く。

「あの時、訳が分からなくなってしまったのも、なぜかは自分でもよく分からないし、どう言えばいいかも分からないんです。――ただ、あの女の人が撃たれた光景を見た瞬間、何かモヤモヤした覚えのない記憶のようなものがフラッシュバックした感じで、その後はただ怖くて、混乱してしまって……」


いつになく、蓮の遠回りな説明に、ディーンは形のいい片眉を上げた。

「それは、京都で銃撃された時に言っていた、お前が世話になった人間がテロに遭ったことが関係するのか?」

だが、蓮は緩く首を横に振る。

「あの時とは違います。もっと、朧げで、不確かな感じで。……本当に自分でもよく分からないんです。ただ、その感覚からなのか、なぜか今、貴方の顔を見ると泣きたくなっちゃうんです。――オレ、変ですよね」

俯いたまま苦々しく笑う横顔を見れば、その緑の瞳には今にも零れ落ちそうに透明な滴を湛えている。

「なんだ、それは? 俺は、お前を泣かすような事をした覚えはないぞ」


ディーンは手を黒髪の上に置き、クシャリとかき回す。

「とにかく、今は考える事をやめろ。心が弱っている時にあれこれ考えても、ろくな事はない。それに……」

そして、蓮の顎に手を添え、強引に自分の方へと顔を向けさせる。

ようやく、紫と緑の瞳の視線が重なる。

「お前はビジネスでタオルミーナに来たんだろう? それを放り出してもいいのか?」

真摯な紫の瞳の光に、蓮は大きく目を見開いた。

その動きで、ポロリとひとつ涙が零れ落ちる。


顧客の意向を受け、蓮は現地調査を終了させ、買収に向けて動き始めることにしたと、昨夜、互いのベッドルームに引き上げる前に言っていた。

「ゴーサインはとっくに出ています。ならば、時間は有効に使うべきです」

「今晩のうちに狙いをつけたホテルのオーナーたちには、LOI――意向表明書を送り、明日には全員に直接会って、説明を行う旨のアポイントを取ります」

LOIとは、買手企業が買収を受けた会社の経営陣に買収の意向と条件などを提示する、ディールのスタートとなるものだ。

つまりは、ここで相手が納得できる説明ができなければ、今後の計画にも支障が出る可能性がある。



俄かに、蓮の緑の瞳に輝きが戻ってきた。

「貴方が言っていた通り、オレは浮かれていたんだと思います。でも、もう大丈夫です。オレは、ここに仕事に来たんですから。――大切な事を思い出させてくれて、ありがとうございました」

そして柔らかい笑みを浮かべた。

ようやく、安堵したようにディーンはひとつ息を吐くと、同じように口元に笑みを湛える。

「それを言うなら、俺の方だな。浮かれ過ぎて、ここがシチリアだということを忘れ、色々な事を甘くみすぎていたようだ。――危ない目に遭わせて済まなかったな」


そして、先ほど取り上げたグラッパグラスを蓮へと渡し、自分もまた手に取る。

「とにかく、お互い仕切り直しだ」

「気を引き締めて、このディールを成功させましょう」

ふたりは、それぞれの緑と紫の瞳の視線を交錯させ、グラスを掲げて誓いをたてた。

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