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「先ほど会合が終了したとスチュワートから連絡があった。そろそろ、待ち合わせ場所のレストランに行くぞ。ボスを待たせる訳にはいかん」

人通りも少なく、閑散とした4月9日広場のフェンスを握り、海に向かって盛大なため息をついていたところ、口数少ないボディーガードが呼びかけてくる。

4月9日広場の名前の由来は、革命記念日や独立記念日などといった華々しい世界史的な日に、ちなんでいる訳ではない。

イタリア統一の三傑、英雄ジュゼッペ・ガリバルディのシチリア来島の情報が、誤って民衆に伝えられた日を記念しているそうで、わざわざそんな日を選んで名前につけたイタリア人の感覚は、少し変わっている。

だが、17世紀の時計塔や、15世紀のゴシック様式のサンタゴスティーノ教会など、ここもタオルミーナの見どころのひとつである。

すっきりと晴れ渡っていれば、さぞかし美しい南イタリアならではの眺望に感動出来ただろう。


オフホワイトのダウンジャケットにジーンズと、ラフな格好の青年が、黒いトレンチコート姿の厳つい黒人を引き連れて歩く光景は、本来ならば相当悪目立ちするのだろうが、肝心の通行人が少ないことで、周囲から奇異なものを見るような視線が向けられる事はなく、かなり自由に市内の散策を楽しんでいた。

とはいえ、オープンしている土産物屋はなく、店の入口に電話番号が貼り付けられているのは、まだいい方だ。大抵は、“CHIUSO”(キューゾ)と閉店のプレートが掛けられている。

「タオルミーナでは、おみやげは諦めるしかないな」

蓮は再び小さく諦めのため息をつくと、ジャクソンの大きな背に続いて歩きだした。


二人が向かったのは、4月9日広場に面した洒落たレストランだ。

新鮮な魚介や野菜などを用いて、本格的なイタリアンを提供する地元でも有名な店と聞いていたが、入口ドアを開ければ灯りこそついているものの、店内に客の姿はない。

店の一番人気であるテラス席を尻目に、四人掛けの丸テーブルの客席が点在する横を通り過ぎ、ジェイソンは植え込み用の間仕切りで囲まれた、10人ほどが座れそうな重厚な大テーブルへと蓮を促した。

ぶっ通しで3時間歩き続けた足の疲労感に、やれやれと木製の重い椅子に座り、蓮はふと気になったことへの質問をボディーガードにぶつけた。

「二人での食事なのに、こんな大人数用のテーブルは必要ないんじゃ……」

だが、言いかけた途端に、ギロリと黒人から睨まれる。

「ここは広場に接した一面が窓だ。襲撃を受けた時、その間仕切りが盾になってくれる。それに、裏口がある厨房への逃げ道も確保できる」

なるほど、と頷いた蓮に、ボディーガードは小さくため息をつくと、「ちょっと裏口の確認に行ってくる。そこで大人しくしてろよ。絶対に動くんじゃないぞ、いいな」と、くどくどと念押しして行ってしまった。


その大きな背と入れ替わるように、細身のウエイトレスが注文を取りに蓮の傍らに立つ。

ひとつに結んだ長い金髪は、ディーンのものよりも黄色味が濃い。

ぼんやり、そんな事を考えつつ「では、ミルクティを……」と言いかけた蓮は言葉を失った。

ウエイトレスの手には、銃が握られている。

赤いルージュを引いた口元には、寒々しい笑みも浮かんでいた。

だが、次に聞えた声は意外なものだった。


「お前さんが、コールドさんの連れかい? あの方がタオルミーナに来たと報告をもらってね。しかも、ずいぶん毛色の違う者を同行させているっていうから、様子を見に来たのさ。確かに毛色が違いすぎるな、お前さん。名前は何て言う?」

それは、男の声。

だが、男にしては高めのアルトボイスだ。キンキンとしたような声と拙い英語が、やけに癇に障る。

その声が、銃を握る女の背後から聞こえることに気付き、緑の瞳に警戒心が宿る。

女の影に隠れるように、女より小柄で細身な中年の男が立っていた。

光沢のある深緑色のカラーシャツとストライプのスーツに身を包み、整髪料をふんだんに使って癖の強そうな黒髪を後へと撫でつけている。

素足に白いエナメルの靴を履く、その悪趣味な井出達は、どうみてもその筋の人間だ。

何系のものかは知らないが、きつすぎるトワレの匂いが空気を汚染し、その不快感に思わず蓮は眉をしかめた。

「俺の名前はルカッティ。この辺をいろいろと面倒見ている者さ。お前さんがここにいることも、潜入させていたファミリーのこいつが教えてくれたのさ」


ルカッティは、ようやく女の影から出てきた。

「ところでちょいと聞きたいんだが、コールドさんは何をしにこのシチリアまで来たんだい? それを教えて欲しいんだよ」

だが、軽い口調のその問いかけに、蓮の緑の光彩が色濃くなる。

「それは無理です。スィニョ―レ ルカッティ。たとえ銃で脅されても、それを第三者に明かせば秘密保持契約に違反する事になるので」

契約? と中年男は首を傾げたが、続く蓮の言葉に目を見開いた。

「とにかく、オレに聞かないで下さい。知りたければ、直接ディーンに問い合わせれば、貴方の知りたい事について教えてくれるかもしれません。無理だとは思いますが」

「お前さん、あの方をファーストネームで呼ぶのか……」

その時、尻ポケットのスマホが振動しはじめ、不意打ちを食らって驚いた蓮が、慌てて腰を浮かした瞬間。


唐突に銃声が聞こえ、傍らに立っていた女が、頭から赤い飛沫を散らしながら吹っ飛んだ。

飛び散る血飛沫が、蓮の白いダウンジャケットにいくつもの赤い染みを作る。

同時に、どこからかジャクソンの野太い叫び声が耳に届いた。

「伏せろ、坊や!」


その声に無意識に反応し、椅子から転げ落ちるように床にしゃがみ込む。

同時に、複数のマシンガンの連射が一斉に始まり、シャンデリアは砕け散り、壁という壁がたちまち穴だらけになった。

蓮の目の前には、四肢を力なく投げ出した女が横たわっている。

黄色味の強い金髪はベッタリと潜血に染まり、床に血だまりを作り続けていた。

蓮は、この最悪な状況を受け入れる事ができず、反射的に膝に顔を埋めて耳を塞ぎ、ぎゅっと目を瞑る。

ルカッティがどうなったかを確認する余裕もない。


そして、心の奥底に沈んでいた朧げな光景が、ふわりと脳裏に浮かび上がる。

その瞬間、心臓が早鐘を打ちはじめた。

呼吸も浅く速くなり、息苦しい。

体は無意識に小刻みに震えてしまう。

酸欠なのが、頭が割れるように痛い。

――怖い。怖い。怖い。怖い。

その強烈な感覚が、蓮の全てを縛り付けた。



ふいに耳を塞いでいた手首が誰かの手で握られ、蓮は恐怖から無意識に振り払う。

だが、今度は両方の二の腕が強引に掴まれ、馴染みのある声が耳に届いた。

「しっかりしろ、蓮! 目を開けろ!」

その声に恐る恐る目を開ければ、目の前には綺麗なバイオレットの瞳が輝いている。

「大丈夫か? お前、ケガはしていないのか?」

その固いバリトンボイスの問いかけに、ディーンとその名を呼ぼうとするが、口の中が乾いてうまく声にならない。脳はクラクラとした感覚に麻痺して考える機能を止め、視界は急速に暗転する。

抵抗する気力すらなく、そのまま闇の世界に堕ちるように、蓮は意識を失った。


・・・・・

呼び出してきた相手が確保したリゾートホテルの一室での会合を終え、不機嫌丸出しのディーンは、イラつく感情から意識を反らそうと、内ポケットからスマホを取り出した。

ここから、専属ファイナンシャルアドバイザーとの待ち合わせのレストランまでは、徒歩でも5分で到着する距離だ。スチュワートがあらかじめボディーガードに連絡しておいたとのことで、今頃は黒髪の青年もレストランで待っている事だろう。

それでも、苛立ちを沈静化するために、生意気な高めのテノールの声が聞きたくなり、一応の状況確認と自分に言い訳して電話をかけるものの、一向に出る気配がない。

だが、それは非常事態を予感させた。


M&Aビジネスにとって、情報は命だ。

置かれている立ち位置や刻々と変化する状況に敏感でいなければ、急変する事態に即時に対応できず、巨額のディールを逃すことに直結するからだ。

日本に居る蓮と、電話やメールでやりとりするようになって気付いたことがある。

時差など構わずに電話をかけても、5回以内のコールで必ず通話は始まった。

メールなら、内容にもよるが30分以内には返信が来る。

それが、コールし続けても通話ボタンが押されない現状。

速やかに蓮への呼び出しを止め、今度は同行しているはずの黒人ボディーガードを呼び出す。

だが、通話の開始とともに、ファンファーレの如くけたたましいマシンガンの連射音が、ディーンの耳に飛び込んできた。


「ジャクソン!」

思わずボディーガードの名を呼べば、珍しく焦った無骨な喚き声が報告してきた。

「たぶんマフィアの襲撃だ。裏口の確認中に襲われて……」

そして、続く報告は、さすがのディーンの胆を冷やした。

「坊やの所まで、銃撃が激しすぎてなかなか辿りつけねえんだ! すまねえ、ボス。絶対に傍から離れるべきじゃなかった!」

その言葉に、ディーンは駆けだした。


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