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急転直下の状況下で、クラウン・ジュエルでのディールを成功させた報告後、約束していた翌日から大遅刻したさらに二日後に、アメリカ人実業家から「明日の朝、迎えをやる」と、ようやく連絡があった。
サイン済みの株式売買契約書や入金手続きに関する書類の入ったブリーフケースを片手に、ビジネスホテルのまん前に横づけされたリムジンに乗り込めば、そのまま鴨川を望む京都一高級といわれる外資系のホテルへと向かう。
銀髪マッチョな黒人に続いてエレベーターへと乗り込み、パネルのボタンか色づいて行先を示した階は、最上階。
そのホテルで最も広いデラックススイートのリビングに足を踏み入れた瞬間、全面に広がる大窓の眺望に息を飲む。また、その部屋のセールスポイントのひとつである大窓の前に設えられた、コの字型に配置されたソファーは、一体何人座るのかというくらいに長い。
その中央に、ドラマか映画のように優雅に足を組んで座るのは、今回のディールのキーパーソンとなったホワイトナイトだ。
相変わらず、スリーピースのスーツを堂々と着こなす様は圧巻だ。
「ここって、何人部屋ですか?」と間抜けな問いが、おはようの挨拶より先に口に出て、言った途端に蓮はたちまち頬を染める。
だが、そんな不躾な質問に、ディーンはニヤリと意地悪い笑みを返した。
「このフロアに泊っているのは俺一人だ。何なら、お前が宿泊しているビジネスホテルから移って来るか? お前の借りている部屋は、刑務所の独房より狭いと聞いていたが?」
「独房は言いすぎです。確かにオレも来日当初は驚きましたけど、国土の狭い日本特有のミニチュア規格も、住めば都です。アメニティなどの室内サービスは、どの国の五つ星ホテルよりも優っているし、何より、己の価値観を超えて適応しようとする意識は、人間性を豊かにしてくれますよ、ディーン? 貴方こそ、僕の泊っているホテルに移ってきませんか? 感動する価値観が180度変わって、とてもエキサイティングな体験が出来ますよ」
そんな楽しい軽口の応酬を終え、二人はさっそくビジネスに入る。
ただ、事前に眼鏡秘書に必要な書類は渡してあったため、今日の作業は書面上でも互いに適切な処理が成されているかを確認する程度だ。
だが、今回の会合を以って、蓮がするべきこのディールでの仕事はクロージングすることになる。
後は、ジェントリー・ハーツとレテセント・リージェント・グループで、それぞれが出した専属担当チームが取り扱うことになる。
クロージング特有の一抹の寂しさを覚えつつ、蓮が確認を終えた書類をブリーフケースに戻していると、ディーンが徐に問いかけてきた。
「お前、ファンドマネージャーとして、独立する気はないのか? 何なら、俺がスポンサーになってやるぞ」
突飛な申し出に、思わず「はあ?」と首を傾げれば、金髪の美丈夫の顔がなぜか不機嫌な色を浮かべる。
それでも、独立という魅惑的な言葉には、反射的に俯いていた。
「これまで、何度かヘッドハンティングされかかった事はありましたけど、全てお断りしました。オレには、ジェントリー・ハーツには、十八歳のどう転ぶかも分からない若造を採用してもらった恩がありますし、先のことは何かしら恩返しをしてから考えます。……いずれは、とは思っていますが」
そんな、甘ちゃんな回答に、ディーンは金糸の髪を掻き上げ、まっすぐに緑色の瞳を見据える。
「なら、俺とアドバイザー契約を結ぶ気はないか?」
その申し出には、即答で緩く頭を横に振る。
「もしも、ファイナンシャルアドバイザーを求めているんでしたら、アメリカ支社の人間を手配しますよ。オレは日本支社勤務ですし、これまでイギリスでアドバイザーとして担当していた会社も、転勤が決まってからはジェントリー・ハーツ本社の別の者に引き継ぎました。――ウチの会社、社員間の余計なトラブルを避けるために、国を跨いだ担当制は認めていないんです。――現社長の方針です」
自分を評価しての、せっかくの申し出を断ることに後ろめたさを感じつつ、小さく笑みを浮かべた。
そしてまっすぐに、紫色の瞳を見つめ、語りかけた。
それは、蓮が滅多に明かさない本音だ。
「貴方と一緒に仕事が出来て、色々と貴重な経験が出来ました。正直、とてもエキサイティングで、たぶん一生忘れられないディールになったと思います。……その、人生初の銃撃戦とかもあったし」
言葉を紡ぎながら、内心、蓮は戸惑っていた。
ただのクロージングの寂しさだけではない、何やら複雑な想いが湧きだしていた。
ただ、それが何なのかは分からない。
そんな、急にトーンダウンした蓮に冷静な眼差しを向けていたディーンは、徐に何かを思いついたように策士の笑みを浮かべた。
「ちなみにお前は、恩返しとは何を以って達成したと判断するんだ?」
意外な問いに目を瞬かせ、蓮はついうっかり口走ってしまっていた。
「それは、すごく重要なディールを成功させるとか、ですかね?」
「重要なディールと言えば、お前はもう、本社にいる頃にいくつか成功させてきただろう?」
そんな指摘を、蓮は鼻で笑い飛ばした。
「大型ディールはいくつか成功させましたけど、絶対に成功する自信はありましたし、頭の中で考えていたほど手こずりませんでした。だから、オレが思う恩返しは、会社の危機的状況を一発逆転してディールに勝つとか、そういう感じです。まあ、本当にそんな状況になっても困るんですけどね」
苦笑いする日本人に、金髪の実業家はそれ以上突っ込んでこなかった。
ただ一言、バリトンボイスがニヤリと笑う。
「……恩返しが、早く出来るといいな」
そして、会話の終了を待っていた眼鏡秘書が、黄金色のシャンパンが注がれたグラスを二人の前のテーブルに置く。
どちらともなく、そのグラスを手に取る。
まだ午前の時間帯などという、野暮は言わない。
「――今回の素敵なディールに」
「――この、奇跡の出会いに」
チン、という軽い音を立てて、掲げた互いのシャンパングラスを当てる。
互いに希少な瞳の光彩を鑑賞しながらの、それぞれの乾杯の言葉を以って、激熱の京都を舞台としたディールは、無事、クロージングすることとなった。
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