5

それからの二人の行動は早かった。


足早にリムジンに向かいながら、蓮はジェントリー・ハーツ日本支社の庄司を呼び出し、幸恵の入院している病院名を教えてもらう。

庄司の話では、幸恵は寺で迎えの車に乗り込む直前に、黒ずくめの男に刺されたらしい。

犯人はそのまま逃走したが、周囲に何人もの人がいた事と、その中に看護師がいた事。そして、すぐに車で病院に運び込む事ができたことなど、いくつかの幸運が重なり大事には至らなかったそうだ。

幸恵のいる病院までは、嵐山からは約30分はかかる。


次に蓮は、病院に向かう車内で、直接本社への了解を取り付ける。

海外事業統括部長を呼び出し、ディールの方向を転換する事。

その為に、クラウン・ジュエルを仕掛ける事を説明した。

「だが、買主はどうする? 買手がなければ、話にならんぞ」とダミ声が喚くが、蓮はにっこりと余裕の笑みを浮かべた。

「ホワイトナイトはここにいます。ディーン R コールド氏はアメリカの実業家で、世界的に展開するホテルグループのオーナーです」

そして、ディーンへとスマホを渡した。

「コールドだ。ディールの概要は黒羽から聞いている。こちらは、彼のどんな無茶な要求にも応じる用意があるから、金について心配する必要はない」

そして、再びスマホが蓮へと戻る。

「とにかく、時間がないんです。もしも放置すれば、近江さんはまた命を狙われます。だからこの勝負に絶対勝って、悪循環を断ち切ります」

蓮の勢いに押された部長は、ため息混じりにゴーサインを出した。

『ただし、あんまり無茶をするんじゃないぞ。夢中になると、お前はすぐに突っ走るから……』と、愚痴混じりの心配を最後に、イギリスとの通話は切られた。


すぐさま借りたノートパソコンで一枚の契約書を作成し、病院のアドレスにメールで転送する。また、契約書は病院側がプリントアウトし、蓮が到着する頃には受付に置かれるよう、依頼文をメール本文に綴った。

次に、傍らのディーンに画面上の契約書を見せながら、クラウン・ジュエルの概要を説明する。

二、三の質問と回答をやりとりし、ディーンは「交渉成立だな」と右手を差し伸べ、その手を蓮は苦笑いを浮かべて握り返した。

そしてその後は、真剣な表情でネットの海に旅立っていく。

キーボードの上を、細い十本の指が忙しなく舞い始めた。



一方、ディーンは助手席に座る眼鏡の秘書にいくつかの指示を与え、その後はひたすらキーボードを高速で叩き続ける日本人青年の横顔を観察していた。

襲撃を指示した黒幕の正体をつきとめると言ったものの、どういう手段で探るのか、正直疑問ではあった。だが、パソコンの画面に何重にも重なるウインドウを見て気がついた。

蓮は、裏切ったファンドマネージャーのメールアドレスを手掛かりに、相手の個人用パソコンへの侵入を果たしていた。

そして、クレジットカードの使用状況や、財産などの金に関する情報を次々と探っていく。


――ハッキング。

しかも、相当、手慣れている。


素直で心優しいM&Aの天才かと思っていたが、意外な裏の顔を見た気がして、ディーンは口元に笑みを浮かべた。

おそらく、会社にも内緒で、自身が関わるディールに関する事は、いつもこの手法で必要な裏情報をかき集めているのだろう。

そして、そのギャップは決してディーンの嫌うところではない。むしろ、まだ隠されているであろう青年の別の顔が、もっと見たくなる衝動に駆られる。

再びディーンが画面に視線を向ければ、今度はいくつかの金融機関の口座番号を探っていた。

一度、蓮は「ん?」と声を上げて何やら不満そうな顔つきになり、キーボードを叩く手がピタリと止まった。

だが、ディーンが声をかける前に、十本の指は再びしなやかに動きはじめる。

そしてその表情には、まるでオンラインゲームの中で強敵に挑み、奮闘することを楽しむような恍惚に近い笑みが浮かんでいた。

赤い小さな舌が引き結ばれた唇から僅かに覗き、ペロリと下唇を湿らせる。

最大集中している様子に、どうやらハッキングも佳境に入った状況を察する。

やがて、目的地のある市内に入った頃、それまでの真剣な横顔が、パアッと花開くような笑みを浮かべた。


「黒幕の正体が分かりました。半日ほど前に、名義は違いますが、ファンドマネージャーの私的口座に大金が振り込まれています。何度か金の出処を隠そうとしてマネーロンダリングを繰り返していましたが、振込んだ足跡を逆流して突き止めました」

法に触れる行為をしたにも関わらず、蓮は達成感あふれる爽やかな顔を、ディーンへと向けた。

「けれど、オレはその手の事に詳しくないので、ひとつ質問させて下さい。ジャパンとコリアの二つのマフィアと、この人ってどんな関係なんですか?」

そして、パソコンの画面を傍らの男へと向ければ、画面を一瞥したディーンは「なるほどな」と一言漏らし、色味を濃くしたバイオレットの瞳を質問者へと向けた。


「こいつはシャンハイマフィアの最高幹部だ。ということは、手っ取り早くいえば、取引場所をシャンハイが握ることで、コリアを排除してジャパンとの取引に持ち込むということだ。つまり、コリアから取引先のジャパンを奪おうとしているんだろう。シャンハイは、昔からジャパンを狙っていたし、コリアとは犬猿の仲だ」

その端的な説明に、今度は蓮が「なるほど」と、ひとつ頷いてさらに笑みを深める。

「でも、それにしては、さっきの襲撃は派手すぎだと思いませんか? 同じように襲撃されたと言っても、近江さんはナイフなのに、オレ達はマシンガン。あまりにやり方が違いすぎるんで、まだ何か裏があるかと思って、さらに探ってみました」

そして、キーボードのエンターキーをポンと押し、再びディーンに画面を見るように促す。


たちまち、紫の瞳が面白そうに笑った。

「ロシアンマフィアか。それも極東エリアの連中ねえ……」

パソコンの画面には、ファンドマネージャーに振り込まれた同額が、ロシアの銀行から上海の銀行に振り込まれたデータが映っていた。もちろん、送り主と受け取り主の名が記されている。

ふいに、男の大きな左手が艶やかな黒髪に乗り、クシャリとかき混ぜた。

「同じ大陸にあるチャイナとロシアは、もともとつながりが深い。今回、俺の排除を画策して資金提供をする代わりに、シャンハイの動きに便乗したんだな。おそらく、お前を消す手伝いをするとでも言って、シャンハイを出し抜いたんだろう。上手くすれば、俺の首が獲れる。失敗しても、ジャパンもしくはシャンハイの仕業にして、俺からの報復が避けられる。……逃げ道を作ってからでないと喧嘩も売れない。相変わらず、セコい連中だな」

憤慨するかと思えば、次に発した声には満足の色が滲んでいた。

「女帝との交渉が完了したら、連絡しろ。こちらの片が付くまでお前にはボディガードを付けるが、あまり危険な真似はするなよ」

「了解です。韓国人と中国人、それにロシア人には気をつけます」

「おい。肝心の、人相の悪い日本人を忘れているぞ? また走って逃げる羽目になる」

互いに笑みを交わし、決意の光が輝くバイオレットとグリーンの視線が交錯する。

このリムジンを降りれば、それぞれの戦場での闘いが待っている。

病院正面玄関に黒塗りのリムジンが横付けされるまで、タッグを組んだふたりの視線が互いから逸らされることはなかった。


・・・・・

腹部を数か所刺されたものの、近江幸恵は比較的軽傷で、蓮が病室に入った時には意識もあり、会話ができるくらいの元気もあった。

マフィア絡みは伏せたまま、今回の幸恵の襲撃がアメリカファンドの敵対的買収に関連するもので、即刻クラウン・ジュエルの対抗措置をとることを進言する。


――クラウン・ジュエル。

企業内の価値ある部門や事業を切り離して売り払い、一時的に企業的価値を下げて相手の買収意義を損ねるという、M&Aディールにおいての敵対的買収への防御策のひとつである。


本来は、買収者の買収意欲を失くすことを目的としているが、今回は、それに加えて緊急回避の意味もあり、変則的に取り扱うことにした。

無論、対抗措置の発動以後、幸恵の責任が問われないように、危機的状況が去った後に売主が望めば、同額で買い戻すことができる買戻条項も付け加え、それはホワイトナイトであるディーンの了承も得ている。

もっとも、今回の売却にはその必要はないと思われた。

というのも、今回売り払うのは夢の屋旅館と、奈良、愛知、大分、秋田の5つの老舗旅館で、営業利益と宿の価値が上から高い順に選んだ。また、売却後は完全子会社化する訳ではなく、マネジメント・バイ・インで買主側から各旅館に数名が出向して経営に参画はするが、基本は現経営陣が主導することになる。

つまりは、それぞれの旅館自体が行う日常業務は、何も変わらない。


また、主だった5つの旅館が去った後のグループも、危機に陥れた夢の屋旅館の社長は責任を取って退陣するが、後釜にはアメリカで武者修行していた甥っ子が帰国して跡を継ぐ算段も、アメリカ支社が遂行中だ。

甥っ子とのファーストコンタクトは上々だと、先ほど報告が入った。

――どちらにとっても、利益こそあれ、不利益などない。

5つの旅館は、言わば世界的に展開するホテルグループのバックアップを受ける立場となり、買主であるディーンのホテルグループも、唯一進出していないアジア圏に、老舗旅館という強力な武器を足がかりにして進出するという新たなビジネスチャンスを獲得出来る。

「――それで、残ったグループの旅館達はどうなるのかしら?」

憂いに満ちた女帝のもっともな質問に、蓮は人懐っこい笑顔を向けた。

「当然、これまでの予定通りに、今回獲得したお金で債権処理を進めます。ですが、お荷物となっていたビジネスホテルグループは、今回のクラウン・ジュエルで、バルクセールのようにこっそりと同時梱包しちゃいましたから、後はミスターコールドが煮るなり焼くなり、なんとかしてくれます。……たぶん」

その後は言葉を濁す。



「もしかしてオレは、貴方のボスを危険に晒す情報を渡したのでしょうか……」

面会を終え、病院の廊下を歩きながら、ディーンを案じてポツリと漏らした言葉に、ボディガードとしてディーンが付けた銀髪マッチョな男、ジャクソンは仏頂面を崩すことなく答えた。

「襲撃者のロシアンマフィアは、いずれ報復を受けることになる。それに、ジャパンマフィアにも、自分達のシマでボスに手を出された失態について、ボスは必ず落とし前をつけさせる。当然だ」

報復、落とし前という物騒な文言に、蓮は思わず問いかけていた。

「それって、また撃ち合いとかですか?」

だが、不安そうな日本人に視線を落とし、ジャクソンは目を細める。

「おそらく、どちらも金だろう。素直に応じなければ、そういう事になるが」

それでも尚、憂いが晴れない顔つきの蓮の背中を、励ますように大きな手がドンと叩いた。

「坊やは心配するな。ジャパンマフィアは今後一切、夢の屋にも、坊やにも手出しは出来なくなる。なにせ、これからはボスがお前達のバックにつくのだからな」

そして、独りごとのように呟いた。

「今頃ボスは、一杯食わせようとしたシャンハイ相手に、喜々として報復の算段をして楽しんでいるんだろうなあ」

マッチョな黒人の、どこか羨ましがるような言葉に、思わず蓮は眉をしかめた。

だが、寡黙なボディガードがそのまま口を閉ざしてしまった為、それ以上の会話は続かず、迎えに来ていた来た時よりも小型のリムジンに乗り込み、まっすぐに蓮が滞在するビジネスホテルへと向かう。


――今日一日に起こった、出会いと出来事。

そのセンセーショナルでドラマティックな非日常性への気疲れから、月単位で借り上げていたビジネスホテルの部屋の鍵を閉めた記憶を最後に、黒羽蓮の意識は真っ黒な無意識の中に溶け込むように薄れていった。



――ディーン R コールド


病院に向かう車の中で、ディーンに分からないように、同時並行で身元の確認を行った。

ホワイトナイトとして、本当に夢の屋グループを任せられるのか。確認するのは当然だ。

そして、ディーンの名前を検索だけで、レテセント・リージェント・グループがヒットした。


レテセント・リージェント・グループは、ニューヨークに本社を置き、高級ホテル経営だけでなく、豪華列車や豪華客船を保有し、ラグジュアリーな旅行プランを世界的な規模で展開する、旅行関係の事業を手掛けるアメリカの観光グループ企業だ。

資本や事業展開など、夢の屋グループなど、足元にも及ばない規模である。

だが、彼はただの実業家ではない。


ハッキングという情報収集が出来ない環境下で、ずっと抱いていた疑念が確信に変わったのは、ビジネスホテルの部屋の廊下に横たわり、目を覚ました翌朝だ。

近江幸恵との交渉が成立した報告を入れ忘れたことを思い出し、寝癖が躍る黒髪を大きく振って眠気を振り払う。

そして、尻ポケットに収まったままのスマホを取り出すと、リムジンを降りる直前に交換したプライベート用のナンバーをコールした。

すぐに受話器の向こうから名乗る声が聞こえ、「うまくいきました」と、交渉成立の報告をひと言で伝える。

「随分と遅い報告だが、それは良かった。――だが、今は忙しい。明日、俺からかけ直す」

その上機嫌なバリトンボイスの背後では、銃声やドカンと複数の爆発音が鳴り響く、戦争映画を彷彿とさせるBGMが断続的に続いていた。



おそらく、彼は裏社会とのつながりは深いのだろう。

だが、それがどの程度根深く、どんな闇なのかも分からない。

通話が途切れた後、蓮は悶々と考え始めた。

――あの美丈夫なアメリカ人実業家という仮面の下に隠れた本当の顔は、一体どんな顔をしているのだろうか。


蓮はひとつため息を漏らし、スマホを握ったまま立ち上がる。

ディールがクロージングするまでは、彼は切り札であるホワイトナイトだ。

そして、危機的状況を一発逆転させるために、成り行き上だが手を組んだパートナーでもある。

たった半日程度の付き合いで、盲目的に信頼するほどの関係性はないが、それでも何故か、素性も分からない彼を信じてみたいという、希望的な想いに駆られている自分に、正直驚いていた。


「そういえばオレって、あの人の事を何にも知らないな……」

気付けば、ぽつりと独り言が零れていた。

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