灼熱の花
藤原湾
灼熱の花
さんさんと射す太陽の下で、砂が焼けるような熱を持つ。その上を、荒く編んだ紐のサンダルで、走る。砂が後ろへと蹴り上げられて、近くの女性が迷惑そうに顔をしかめた。けれども、俺は気にせずに石造りの家へと飛び込んだ。
「じいさん!」
「おや、ラリーニャ」
簡素なベッドの上で、薄布をひざにかけて体を起こしていたじいさんは穏やかに笑った。
「もう、起きて大丈夫なのか?」
「心配かけたようじゃな、もう大丈夫。まだ、外へ出て行くことは無理だがの」
楽しそうに笑いながらも、ベッドの脇の棚を、ごそごそと何かあさっている。
「なんだ、探し物か? なら、俺がするのに」
首をかしげてそう言うが、じいさんは遠慮するとでも言いたげに手をひらひらと振る。俺はあまり良い気分じゃなかったから、そっと後ろから覗いた。ちょうど、じいさんが何かを取り出すところだった。
「……なんだ、それ」
彼が持っていたのは、ごろりと大きめの硬そうな実だった。たとえてみるなら、胡桃のようなものだ。
じいさんはそれを手のひらの中でごろごろと転がして、遊んでいる。しばらくして、俺の前に差し出した。
「ラリーニャ、これはな、種じゃ」
「え? 種? 種にしては大きすぎないか?」
「いや、種じゃ。砂漠の民にとって、昔は必ず大切にしなければならなかった植物の種じゃ」
そう言われ、じっと見てみる。これを植えたとして、何が生えてくるのだろう。
「このオアシスが、“西のオアシス”という名なのは、お前も知っておるじゃろ?」
「ああ。ここの他にも、ちゃんと東、南、北とあるって聞いたことがある」
「そうじゃよ。じゃぁ、どこを中心としておるか、わかるかの?」
その問いに眉をひそめる。俺が生まれたときには、当たり前のようにその四つがあったのだから。
「――わからない。じいさんは、知っているのか?」
「知っておるよ。知らぬはずがない。わしがお前ぐらいの年齢のころ、そこに住んでいたんじゃからな」
「本当なのか? じゃあ、それはどこにあったんだ?」
ベッドに乗り上げてたずねる。その勢いに押されて、まぁまぁおちつけと彼は俺の肩をたたいた。
「なんてことはない、東西南北のオアシスの中心じゃ。地下水路が埋まってしもうて、建築を進めていた四方にそれぞれ散って今にいたるのじゃ。そのオアシスのまた中心に生えてたのがな、」
そこで言葉を切って、掌の中の種を転がして、俺に見せた。
「この種から生える植物なのじゃ……」
*
あれから、その種をひとつ譲り受けた。いつか、中央のオアシスを生き返らせてくれ、という願いとともに。
でも俺はすっかりそんなこと忘れていた。地下水路が埋まってしまったなら、もうどうにもできないと思っていたから。
ただし、それから十年後、俺はその種をしまっておいた棚から、取り出すことになる。
*
十年前と同じように、地を駆ける。けれども、もう迷惑そうに顔をしかめる人などいなかった。ただ、みんなうつむいて悲しみの色を、面に乗せていた。
「――母さん、じいさんは……」
じいさんの家に飛び込むと、母さんが立っていた。じいさんは、母さんの父さんに当たる。母さんも目に涙をためて、深い悲しみを見せていた。
俺も眉を寄せて、ベッド近くに寄る。その上に横たわったじいさんは、この気候ではありえないほど冷たい。再び眼を開くような気配は、感じられなかった。そっと、右手を握ってみた。ひんやりと、気持ちが良いほど冷たくなったその指は、もう動かない。
ぽた、と布団の上に涙が落ちた。
*
じいさんは土へ帰る。あの熱い砂とともに、風に空へと連れて行かれる。そのために、彼は灰になろうとしていたそのときだった。
「おや……」
長が、なにかを発見したような声をあげた。
「どうか、しましたか……?」
心配そうに、母さんが近づいた。俺もそれにならって近づく。
彼の視線を追うと、爺さんの左手にたどり着いた。何かを握っている。
「――それは」
思わず、声が出る。その声に、長が振り返った。
「ラリーニャ、お前も知っているのか?」
優しい、それでいて陰のある笑みをうかべて、言葉を続ける。
「――彼は、西のオアシスにおける中央のオアシスの、最後の生き残りだった。それでいて、いつか中央のオアシスに帰りたいという願いを持っていた。だから、今でもこの植物の種を捨てられなかったのだろうに……」
いつぞやの胡桃のような種。ぎゅっと握られたこぶしの隙間から、そっとその表面が顔を出していた。
俺はどうしても、そこから目が離せなかった。
彼とともに、その種が灰になるまでずっと俺は目を奪われたままだった。
*
家に帰るなり、がしゃんがしゃんと音を立てて、部屋中をひっくり返す俺の姿を見て、あきれたように母さんがつぶやいた。
「何を探しているの?」
「種」
「――お父さんが持っていた?」
そう、それ。じいさんが俺にくれた種。そうやって返事する暇さえ惜しく、無言で探し続けた。
「……あった」
俺が右手で持ち上げたそれは、太陽の光を受けて、きらりときらめいた。
**
「――と言ったって、この種どう植えればいいんだよ……」
とりあえずは、じいさんから聞いていた中央のオアシス跡の辺りを歩き回ってみるが、さんさんと射す太陽が確実に体力を奪っていく。耐え切れなくなって、焼けるような砂の熱さも気に留めずごろりと寝転がる。毛穴という毛穴から噴き出す汗が進路を変えて流れていくのがわかった。そのまま眼を閉じる。ふっと寝ていきそうな心地よさに襲われた。
しかし、突然その頬をぴしゃりとたたかれた。
「ちょっと、砂漠で寝たら自殺行為よ!? あんた、旅人? ……にしては、あまりにも軽装ね」
眼を開けると、俺より一二歳年上の女性が覗き込んでいた。黒い円らな眼がじっと俺の顔を舐めまわすように見ている。
「――そこ、どいて。調べものしてるんだから!」
彼女はそう言う。慌てて身体を起こすと、俺が下敷きにしていた土を掘り始めた。
「何をしているんだ?」
背後から声をかけると、驚いたようにこちらを振り返った。目を見開いて、じっとこちらを見ている。
「……あぁ、ごめんなさい。ちょっと、気が立ってるの」
彼女は気持ちを落ち着かせるようにふぅっと深呼吸して、頭を下げた。
それにつられて、俺も頭を下げる。そうして、彼女は自分の名前を告げた。
「東のオアシスの民、メイファよ。メイでいいわ」
手に持っていた袋から何かを取り出す。
「――それはっ!」
「中央のオアシスのまた中心に植えられていた植物の種よ。わたしは、この植える場所を探しているの」
**
すぐに、俺もその種を植えたくて、ここに来ていると告げた。
すると喜ぶようにして、俺に近づいてきた。
「あら、邪険に扱ってごめんなさい。じゃあ、どこにアレがあるか知ってる?」
「……ごめん、この種のことは何も知らなくて。じいさんがただくれただけのものだから」
そう告げると、明らかに表情が変わり、がっかりしているのが分かった。辛そうなその顔を見ていると、こちらが慌ててしまう。
「なぁ、何を探しているんだ?なんなら俺、見つけてみせるよ」
「そんなに簡単に見つかるものじゃないわ。だから、ここ一週間通いつめても、見つからないのよ」
言葉をぽつりぽつりと放った。そして、おもむろにしゃがみこんで、砂の上に指で何かを書き始めた。
「――ここの地下水路のしくみは知ってる?」
「知らない。どんなの?」
「山が四方にあるから十字に通じてて、中心に貯水池があるの。中央のオアシスが砂で埋まった今、山への水路を辿って埋まらなかった部分に新しく貯水池を設けてあるのよ」
さらさらと図を書き上げると、とんとんと貯水池に当たる部分を叩いた。
「私が探しているのは、ここ」
そして、種を眺める。
「その種は、一度育ったら滅多なことでは枯れないけど、育つまでが大変なの。水は要るし、寒さには弱いし。それも、芽が出て一昼夜だけだけど。」
また、彼女は地面を掘り始めた。おれは、どうしてそんなので見つかるのか分からず、寝転んでしまうと、そのまま転がった。
ごろごろと、土の上を転がっていると、突然熱を持った土の温度が下がる。
「!」
おれは急いで起き上がると、そこの土を掘り始める。メイは不信に思って、近づいて来たようだ。
「どうしたの」
「ここは、どうなんだ? メイ、貯水池の場所では?」
いぶかしげそうにするが、一応土に触れてきた。
「……あまり、熱くない。そうね、ここかもしれない」
だんだん彼女の目に、嬉しそうな色が滲むのが分かった。
二人で掘り続けると、やがて湿った土へと辿り着く。その後、水がたまっている場所まで、辿り着いた。
「やったっ。見つけた――!」
俺は彼女と大喜びで、手を打ち合わせた。
「ありがとう」
メイがお礼を言う。しかし、それに首を振った。
「いいよ。俺もこの種を植えたかったんだ。でも分からないことが多いから、こっちも助かった」
そして、深く開いた穴を覗き込む。
「ここに種を落とせばいいのか?」
「そうよ! はやく、はやく!」
「……でもさ」
俺は首をかしげ、視線をさまよわせた。
「今から植えると、芽がでるのは夜じゃないのか?砂漠の夜は、寒い。だから、守ってやらないといけないんだろ?」
そんな俺に、彼女は笑いかけた。
「大丈夫。どちらにしろ、一度は夜を越さなくちゃいけないのよ? なら、早い方がいいわ。後回しにすると、しりごみして結局だめにしてしまうから」
そしてすぐ穴の方に目を向けて、メイはぽとりと種を落とす。俺は、思わず空を仰いだ。しばらくして、ぽちゃんと水のはねる音がした。
「――やっちゃったんだな」
「ええ。いいのよ、あなたは。私がひとりで守るし」
その台詞に、慌てて俺は制止をかける。
「何言ってんだよ。ちゃんと、俺も見守りますって」
言葉を切って、深呼吸をひとつ。そして、笑いかけた。
「だって、俺だってこの花に興味があるんだもん」
その言葉に、メイはふふっと笑いをもらした。
**
そのまま、眺めていると穴は風が運ぶ砂によって埋まっていく。だが、その中から小さな芽が出てきた。
「これか、あの種の芽は!?」
「……そのはずよ。だって、他に芽が生えてくるなんて考えられないし」
俺は驚いたが、メイは落ち着いていた。真剣にその芽を見つめている。見ている間にもその芽はありえない速さで伸び始め、だいたい三十センチほどになった。
そのあいだも、日はだんだん地平線へと近付き、白い光から朱い光へと変化し、ついに夜の帳に空を明け渡してしまった。
「……本当に、大丈夫なのか?」
「大丈夫だってば。ここで耐えなかったら、この種を成長させるなんてできないから」
日が沈む前に、家からありったけの布を持ってきた。これで、寒さをしのぐつもりだ。メイは、木切れと火打ち石を一緒に持ってきてそれでたき火をたいた。
「とりあえず、布でもかぶせておいて、寒さを凌ごうかしらね」
メイがそう提案し、俺たちは明々と燃えるその火を眺めながら、横のあの植物を囲むように布をかぶせた。しかし、まだまだ成長し足りないのか、ちょっと目を離すと高さが増えていた。
「――意外と厄介な植物だな……」
日没後、数時間で弱音を吐きたくなった俺は、そのかわりにため息をついた。
**
その後も、なんとか寝ずにがんばろうとしたが、睡魔が常につきまとい、ふとした瞬間それに負けてしまった。
次に目を覚ました時には日こそ昇ってはいなかったが、空は白くなってきていた。
いつのまにか、横になっていたらしい。身体の上には、ありえないほどの布がのしかかっていた。
身体を起こすと、たき火を利用して、干し肉を炙っていたメイが呆れたようにこちらを見る。
「本当に、危険知らずね。日中の中何も被らず、砂漠で寝ているかと思いきや、こんな寒いところでも寝れるなんて」
それほどでも、と答えると、すぐさま誉めてないっと怒られた。
彼女が炙っていた肉を少し分けてもらい、口に運ぶ。それを一生懸命咀嚼しながら、訊ねた。
「なぁ、あの植物どうなったんだ?」
彼女はふふふと笑いながら、後ろをゆびさす。
「あれよ」
その言葉に従って、後ろを振り向いた途端、俺は言葉を無くした。
そこにあったのは、途方もない大きさの多肉植物だったのだ。
「これが、何も生えないという砂漠で唯一綻ぶことのできる花よ」
その花びら……と呼べるのか分からないそれは、真っ赤な太陽に似た色をかもちだしている。
その見上げたまま、動かずにいると、メイがナイフで茎の部分を小さく切り取っていた。
「ちょっと、これ口に入れてみて」
言われたまま口にすると、そこからさわやかな汁が滲み出てきた。身体まで染みとおり、何だか活力が出てくる。
「すげぇな……こんな効果もあるのか」
「すごいでしょ。だから、この花は、幻の花なんて呼び名もあるの」
その言葉で、小さな疑問を抱いた。そのまま、ぶつけてみる。
「なぁ、この花の名前は?」
彼女は意外にも首を傾げた。
「……さぁ。だれも教えてくれなかったわ。名前なんてなかったらしいのよ」
その言葉に俺は喜んで、反応した。
「じゃあさ、俺たちが名前付けていいわけ? いいんだよな?」
「――そうね、なんか良い名前ある?」
「まだ、考え中だよ」
そう言ってから、俺たちは黙った。静寂がその場を支配する。
メイはおもむろに、その静寂を破る。
「ねえ、これからあなたはどうするの?」
「どうするって……何を聞いているんだ……」
「わたしはっ!」
返事を途中で打ち消されて、驚く。その態度に、彼女も気付いたのか、申し分けなさそうに下を向いた。しかし、言葉は続けた。
「――わたしは、この中央のオアシスを復興させたいわ。世話になったおばさまの願いだもの。でも、あなたは?この花はもう咲いたわ。これから、どうするの?」
そう問い詰められる。真剣な目が俺を射抜いていた。
でも、そのときは何も答えられなかった。
**
数日経って、それぞれのオアシスの人々が花を見に来た。
皆、それぞれにその花を見て驚き、その花を賞賛していた。他のオアシスにいた中央のオアシスの元住民は、俺を見つけると口々に感謝を述べていった。
そのなかで、俺は彼女を見つけて、捕まえた。
「メイ!」
「――なによ!ちょっと、離してよ。もう、あなたはオアシスを元に戻そうとは思わないんでしょう?」
冷たく彼女は、言葉を放った。しかし、俺は首を横に振った。
「いいや、思う」
その言葉に彼女は目を丸くした。
「あれから、じっくり考えてみた。あの時はそんなことを考えてはいなかったけど、今ならはっきり言える。俺にも、手伝わさせてくれ」
しばらくは、黒いあの目で俺を見ていたが、ふっと笑みを浮かべると、良かったと呟いた。
「……ありがとう。そう言ってくれて、嬉しい。本当に、嬉しい」
その言葉に俺はほっとして、花の方を振り返った。
「名前、考えたよ」
「何ていうの?」
「“灼熱の花”は、どう? 太陽の灼熱を受け止める花ということで」
「……良い名前ね」
彼女はその言葉に笑って賛同してくれた。そして二人して、大勢の人が誉めるその花を眺めた。
この“灼熱の花”があれば、きっと中央のオアシスも復興できるはず。俺は、そんな根拠もないことを確信したのだった。
灼熱の花 藤原湾 @wan_fuji
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