31 歓迎会とこれからのこと

「待たせたな。ワイバーンもも肉のステーキだ」


 ワインで口を湿らせ、サラダで胃をならしたタイミングで、ヴォルフ自ら大皿を運んできた。

 皿に盛られたステーキは、いい具合に火が通され、ソースも絡められ、切り分けられていた。


(おいおい、いったいなんキロあるんだよ)


 盛られた量は、かなり多かった。

 おそらく4人でシェアするのだろうが、それにしても多すぎるのではないかと、蔵人は少し怯んだ。

 ただ、皿から立ち上る湯気には、肉の焼ける匂いと、ソースの香りが混ざり合っており、それをひと息吸い込んだ途端に、サラダで適度に満たされたはずの胃が、グゥと音を立てた。


「焼き加減も味付けも、俺が最高だと思うようにしてある。まずはそのまま食ってくれ」


 そう言ったあと、給仕がいくつかのボトルをテーブルに置いた。

 それらには、ソースや調味料、香辛料などが入っている。


「味付けが物足りないってんなら、好きに使ってくれ。焼き加減が気にくわねぇんなら、つぎの注文で指示してくれ。ひとそれぞれ好みってのがあるからな」


 それだけを言い残して、ヴォルフは店の奥に消えていった。


「相変わらず美味しそうじゃないか」

「ふふ、よだれがでちゃうわねぇ」

「うむ、ではいただこうか」


 ライザ、フィル、ガエタノがそれぞれ感想を述べる。

 そして、トングを持ったフィルが、各人の取り皿に数キレずつ、ステーキを載せていった。


「はい、クロードちゃん、どうぞ」

「ああ、ありがとう」


 皿に載せられたステーキに、視線を落とす。

 ワイバーンというのは、空を飛ぶ竜のような生き物だろう。

 分類としては、爬虫類になるのだろうか?

 元の世界でも、蛇やワニなどの肉を提供する飲食店はあったが、蔵人は爬虫類の肉を食べたことはない。

 噂によれば、鶏に近い食感や味であるらしいが……。


(牛肉っぽいよな)


 ワイバーンもも肉のステーキを見た、それが蔵人の感想だった。


 初めての体験ではあるが、見た目も匂いも美味そうなので、蔵人はとくに躊躇することなく、フォークを刺し、ひと口大というには少し大きなステーキ片を、口に運んだ。

 口に入れた瞬間、ソースが舌に絡みつき、香りが口内から逆流して鼻腔を刺激する。

 噛めば適度な弾力に歯が押し返され、内部から肉汁があふれ出してソースと混ざり合う。

 適度な噛み応えはあるが、決して硬すぎない。

 上質な赤身肉のようだった。

 咀嚼するたびに旨みを口内にまき散らしながら、肉はちぎられ、すりつぶされ、やがてごくりと飲み込まれた。

 食道を通り、胃にたどり着いてなお、その味は口内に残り、香が鼻をくすぐる。


「……美味い」


 思わず漏れた蔵人の言葉に、ほかの3人は誇らしげな微笑を浮かべた。


 ワイバーンのもも肉ステーキは、脂身が少なく、味付けも濃すぎないので、いくらでも食べられそうだった。

 そして赤身にしては柔らかいので、噛み疲れることもなく、結果、多すぎると思われた大皿は、すぐ空になった。

 さすがヴォルフが最高と自負するだけあって、焼き加減は満足のいくものであり、味付けも過不足がなかった。

 とはいえそこはやはり好みがあるようで、ライザは蔵人と同じく、とくに手を加えなかったが、フィルはソースを、ガエタノは塩を少し足していた。


「満足してもらえたようで、よかったよ」


 ライザが、蔵人を見ながら嬉しそうに言う。

 油のせいで、てらてらと照明を反射する唇は、少し下品ではあるが、それ以上に色っぽいと思えた。


「いままで食ったなかで、一番美味いステーキかもしれん」

「ふふ、ニホンジンにそう言わしめるとは、さすがヴォルフだな」


 ガエタノの言葉に、蔵人は思わず肩をすくめた。

 どうやら過去の渡人わたりどたちのせいで、日本人は食にうるさいと思われているのかもしれない。


「お酒がなくなってるわね。お肉はもういいかしら?」

「ああ。満足だよ」

「それじゃあお酒と、ちょっとつまめるものでも頼もうかしらね」


 フィルの提案に、蔵人は軽く頷いた。


 そのあとも、ささやかながら楽しい歓迎会はしばらく続いた。


**********


 蔵人が異世界に来て、ひと月ほどが経った。


 ときどき参加するようになったウィードとの演奏は、かなり好評だった。

 どうやらこちらの世界には、過去の勇者や渡人わたりどが伝えたらしい楽譜があった。

 五線譜や音符、記号などは、元の世界と全く同じだったので、ウィードが持っている楽譜を元に演奏したり、あるいは蔵人が覚えている曲の楽譜を起こしたりして、レパートリーを増やした。


  客足もかなり落ち着いてきたので、営業時間を短くし――正しくは蔵人が来る以前に戻し――、定期的に休みも取れるようになった。

 自分の時間を持てるようになった蔵人は、町へ出るようになった。


「ありがとねクロードさん。はい、こちらお代ね」

「まいどあり」


 蔵人は軽く頭を下げ、中年の女性から紙幣を受け取った。

 この世界には紙幣があり、通貨単位は円だった。

 過去の勇者が広めたのだろう。


 ライザの店以外にも、もちろんピアノを所有している人はいたので、そう言った家や施設に行き、調律をするようになった。

 ただ、ロードストーン社製のピアノは、ライザの店以外でお目にかかることはなかった。

 ほとんどがモントフォリオというメーカーで、ときどきリヴェローヌというのもあった。

 どちらもこの世界発祥のピアノ工房で、あたりまえだが素材もすべて異世界産だ。

 元になっているのがロードストーンだからか、構造はどれもこれも似ていた。

 音も決して悪いものではない。

 木の鳴りが恐ろしくいいものもあった。

 調整次第では、ロードストーンを超えることも可能ではないかと、思われた。


「ただ、どれも塗装が残念なんだよな」


 いかにも安そうなものは、塗りムラが見受けられたりしたが、中には綺麗に塗装されたものもあった。

 しかし、どんなに綺麗に塗られていても、光沢に違和感があった。

 うまく言葉にはできないが、光沢に深みがない……あるは高貴さが足りないと言うべきか……。

 塗料の問題なのか、塗装方法の問題なのかは、実際に工程を見てみないと判断は難しい。


「こいつも、ちゃんと修理してやりたいんだけどなぁ」


 店に戻った蔵人は、ロードストーンを見て嘆息する。

 決して状態がいいとはいえないピアノである。

 できれば弦を張り替えたいし、側板や大屋根についた傷も修復したい。


「細かい傷は、【祝福】とやらのおかげで、直るらしいんだが」


 細かな傷がないぶん、【祝福】の効果が及ばない、大きな傷や、少し欠けたような部分が目立つ。


「傷を埋めるくらいは、すぐにでもできそうなんだけどな」


 他社製のピアノをいくつも見たが、使われている木材は、ロードストーンでも充分に使えそうな物もあった。

 ならば、その傷を埋めてやることは可能だ。

 しかし、その際に塗装を剥がす必要があった。

 そしてもちろんのことながら、塗装し直す必要もある。

 だがこちらの世界……少なくとも異世界のピアノメーカーには、ロードストーンにふさわしい塗料、あるいは塗装方法がないらしい。


「この世界の技術を、もっと知れないだろうか」


 異世界に来ておよそひと月。

 生活に慣れてきたぶん、蔵人はそんなことを考えるようになっていた。

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