30 謝罪と要望

 ライザの店から街の中心を目指して歩くと、狭い間隔で街灯が並ぶ、夜だというのにかなり明るい通りに出た。

 ここがこの街のメインストリートらしい。

 そのメインストリートの一角に、目的地となる『ヴォルフガングのステーキハウス』はあった。

 看板はかなり明るく、他の店より目立っていたが、店内の灯りは少し暗めなのか、外からは中の様子が見えないようになっている。

 高級店とまではいかないが、それなりに格式は高そうであり、日本で主に大衆的な飲食店を愛用していた蔵人は少し気後れしてしまい、入り口手前で立ち止まってしまった。


「どうしたの? 入るよ」

「あ、ああ。えっと、この格好、変じゃないよな?」


 少しフォーマル寄りな格好の蔵人だが、これはこの日のために購入したわけではない。

 最初のほうこそフィルとガエタノのお下がりを着ていた蔵人だったが、少し余裕が出たあたりで、ライザが見繕って買ってきた物を着るようになっていた。

 それはステージ衣装のようなもので、ピアノの前に座っているときは特に気にならなかったが、こうして街を歩き、雰囲気の良い店の前に立つことで、少し緊張してしまったらしい。


「出る前にも言ったけど、いつもより男前だよ」


 出発前に顔をあたって無精髭を落とし、整髪料で髪を整えた蔵人に、ライザはそう言って笑いかけた。


「それより、あたしのほうこそ変じゃないかい?」


 そう問い返すライザは、カジュアルめのドレスに身を包んでいた。

 普段は動きやすさから、大抵カットソーと七分丈のボトムスにハーフエプロンという格好をしているので、スカート姿のライザは新鮮だった。


「おう、よく似合ってるぞ」

「そ、そっか。じゃあ気にせず店に入ろう」


 蔵人がじっと見つめていると、ライザは恥ずかしそうに踵を返した。

 いつもは癖のある赤い髪をざっと束ねているだけだが、いまは丁寧にブローし、アップにしていた。

 そのせいでいつもは見えないうなじが見え、蔵人は少し胸が高鳴るのを感じた。

 店のほうからは品のある佇まいとは裏腹に、肉の焼けるある種下品とも言える匂いが垂れ流され、前を歩くライザとその匂いに促されるまま、蔵人は店に入った。


「よう、ライザ。よくきたな」


 ふたりを迎え入れたのは、浅黒い肌にがっしりとした体格を持つ、背の低い中年の男だった。


「ヴォルフ、今日は期待してるよ」


 男の歓迎に応えたると、ライザは振り返った。


「蔵人、紹介しとくよ。ここのオーナーのヴォルフガングだ。ヴォルフ、ウチのピアノ職人のクロードだよ」


 ライザがあいだに入って互いを紹介する。

 ヴォルフは蔵人を見上げてニッと笑うと、手を差し出した。

 蔵人が握り返した手は、思っていたよりも大きかった。


「ヴォルフガングだ。ヴォルフと呼んでくれ、クロード」

「蔵人です。はじめましてヴォルフさん。今日はよろしくお願いします」

「ま、俺のほうは初めましてじゃねぇけどな。何回かピアノを聴かせてもらったよ」

「それはどうも」


 ヴォルフの案内で店内を歩き、ほどなくフィルとガエタノが待つ個室にたどり着いた。


「ワイバーンのいいやつが入ってる。今日のおすすめだ。じゃあ、ゆっくりしていってくれ」


 それだけ言い残すと、ヴォルフは入り口ではなく店の奥へと姿を消した。

 どうやら蔵人とライザを特別に迎え入れてくれたようだ。


「よくきたわね、ふたりとも。さぁ立ってないで座って座って」


 フィルに促されて個室に入ったライザと蔵人は、ガエタノらと向かい合うかたちで並んで座った。


「乾杯の前に少しいいか?」


 蔵人らが席に座り、少し落ち着いたところでガエタノがふたりに問いかける。


「ウィードの奴が君たちに謝罪したいと言っていてな。できれば先に済ませておきたいのだが……」

「嫌なら日を改めてもいいし、なんなら断ってくれてもいいわよ」


 ガエタノとフィルにそう言われてライザを見ると、彼女は軽く肩をすくめるだけでとくに何も言わなかった。

 蔵人の判断に任せる、ということだろう。


「ってことは、彼はここに来てるのか?」

「ああ。別の席で待たせているが……ウィード自身無理を言っている自覚はあるようだから、それは気にする必要はない。帰れと言えばおとなしく帰る」

「いや、まぁせっかく来てくれてるんなら、日を改めるのも面倒だろう」


 断って謝罪そのものを受け入れないという選択もあるが、同じ町に暮らしている以上、二度と顔を合わせないというわけにもいかないし、蔵人自身そこまでウィードを毛嫌いしているわけでもない。

 ならばさっさと謝罪を受け入れ、わだかまりはなくしておいたほうがいいだろうと判断したのだった。


 蔵人の承諾を得たガエタノは、給仕に声をかけてウィードを呼びに行かせた。

 ほどなく現われたウィードは、蔵人らを一瞥すると、その場に膝をつき、さらに手をついて頭を下げた。


「先日は申し訳ないことをした。今後クロードとライザには迷惑をかけないと誓うので、許して欲しい」


 土下座である。

 それがもともとこの世界にある習慣なのか、それとも勇者がもたらしたものなのかは判然としないが、謝意は充分に伝わった。


「顔を上げてくれ」

「では謝罪を受けて入れくれるだろうか?」


 ウィードは手をついたまま顔を上げ、文字通り許しを請うように蔵人を見上げた。


「ああ。俺も少し煽りすぎたと反省しているんだ。これからは気にせず店に来てもらえると嬉しい」


 そう言って蔵人が手を差し出すと、ウィードはその手を取りながら立ち上がった。


「ありがとう、クロード。ライザも僕のことを許してくれるだろうか?」

「んー許すも何も、あたしゃ最初からなんとも思ってないからね。ちょっと口説かれたくらいでいちいち怒ってちゃあ、酒場の主人なんてやってられないさ」

「そうか……ありがとう」


 そう言ってほっと息をつくウィードの手を、蔵人は少し強めに握る。


「ただ、今後もライザにちょっかいをかけるというなら話は別だが」


 蔵人が少しわざとらしく口の端を上げて目を細めると、ウィードは苦笑を漏らした。


「大丈夫だ。その心配はもうないと、誓っていい」


 ウィードはそう言うと、蔵人から目を逸らした。

 薄暗い店内のためはっきりとはわからないが、彼の褐色の肌は少し赤らんでいるように見える。

 そして自分から逸れた視線の先にフィルとガエタノがいることに気付いた蔵人は、反射的にウィードの手を離した。


「わ、わかればいいんだ、うん。じゃあ話はこれで終わりだな」

「いや、ちょっと待って欲しい。もうひとつ話があるんだ」


 手をほどかれたウィードが、再び蔵人を見る。

 その視線になにか熱っぽいものを感じ、蔵人は少し身体を反らして距離を取ろうとした。


「実は僕も音楽が好きでヴァイオリンを弾けるから、よければ一緒に演奏して欲しかったのだけど……だめだろうか?」


 軽く仰け反り、顔を引きつらせた蔵人の態度を拒絶と受け取ったのか、ウィードは眉を下げ、申し訳なさそうに問いかける。

 自分の態度が相手を誤解させたかも知れないと思った蔵人は、軽く咳払いをして表情を改めた。


「もう一度確認するけど、俺たちにちょっかいはかけない?」

「もちろんだとも! 僕はただ演奏家として、君のピアノに合わせてヴァイオリンを奏でたいだけなんだ」

「しつこいようだけど、俺と・・ライザにはちょっかいをかけず、ただ演奏家として関わりたいってことでいいんだな?」

「ああ、その通りだとも」


 ウィードが純粋に自分と演奏したいだけだとわかったので、蔵人はほっと息をついた。

 彼自身に危険がないというのであれば、この世界の演奏家がどんなプレイをするのか興味深いところではあるので、蔵人にとってウィードの申し出はありがたいものだった。


「じゃあ、開店前か休みの日に、一度合わせてみようか」

「ありがとうクロード! 楽しみにしているよ!!」


 それから二、三言葉を交わしたあと、ウィードは去って行った。


「で、あんたらウィードに何したのさ?」


 ウィードが去ってすぐ、ライザは意地の悪い笑みを浮かべてフィルとガエタノに問いかけた。


「なにって……べつに? 3人でちょーっと楽しいことしただけよ。ね、ダーリン?」

「ああ」

「あらあらクールぶっちゃって。ダーリンたらなんだかんだで、いつもより楽しんでたでしょ?」

「む……」


 フィルに指摘されたガエタノは、何を思ったのかほんのりと頬を赤らめた。


「まぁ、たまには攻めるのも悪くないな……」


 その答えにライザはくつくつとくぐもった笑いを漏らし、蔵人は顔を引きつらせるのだった。

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