27 冒険者ギルド
長めの入浴を終えた蔵人とライザは、果実水で喉を潤したあと街に出た。
少し遅くはなったが、昼食は街を案内がてら歩きながらの立ち食いにしようということになったのだった。
「考えてみれば昼間に街へ出るのは始めてか」
日の沈んだ暗い時間にこの世界を訪れて以降、蔵人は店にこもりきりだった。
調律と演奏に明け暮れ、外に出る余裕もなかったのだが。
「あの、ごめんね」
「別に不満があるわけじゃないよ。ずっと楽しかったしな」
誰に聞かせるつもりもない独り言に、ライザが申し訳なさそうな反応を示したため、蔵人はそう言って彼女に笑いかけてやった。
それを受けて安心したのか、ライザのほうも笑顔を返してくれた。
「綺麗な街並みだな」
街の雰囲気は初日に思ったとおり、古い欧風のものに近いだろうか。
石畳の敷かれた道に石造りの家。
街のあちこちには露天が開かれ、活気の溢れる往来には元の世界ではお目にかかれないような、いろんな種族の人が行き交っていた。
「おっちゃん、串焼きふたつおくれ」
「おう、ライザか。ってこたぁそっちの兄ちゃんが噂のピアニストか?」
店主と思われる男は興味深げな表情で蔵人に目を向けた。
そして目が合うなりにかっと笑いかけられたので、蔵人は軽く頭を下げた。
「いいから、早くよこしな」
「へいへい」
数枚の硬貨と2本の串焼きを交換したライザは、蔵人のところへ戻ると1本を差し出す。
「はい」
「ん、ありがとな」
ふたりは並んで歩きながら、串焼きかじりついた。
見た目も味も食感も、塩味の焼き鳥のようだった。
その後も露天のいくつかを覗いては食べ歩きに向いたものを買い食いし、店から近い一角を案内されているうちに、蔵人の腹はいい具合に満たされた。
「さて、着いたよ」
ふたりはただぶらぶらと街を歩いていたわけではない。
一応目的となる場所があり、そこに向かっていたのだ。
街の案内を兼ねていたので多少の寄り道をしながら、店を出て1時間ほどでその場所に到着した。
「冒険者ギルドか」
建物の看板には『冒険者ギルド・ブロンヴォグ支部』と書かれてあった。
ブロンヴォグというのはこの町の名前だ。
開け放たれた広い入り口を通って中に入る。
ギルド内はかなり広く、受付は少し奥にあるようだった。
酒場が併設されているようで、まだ日没まで時間があるせいか、席はまばらに埋まっているだけだった。
ライザはこの町では有名人らしく、この場にいたほとんどの冒険者が彼女を知っているようだった。
親しげに声をかけてくる冒険者を軽くあしらいながら、酒場の脇を通って受付に向かう。
「あら、ライザさんがくるなんて珍しいですね。警備のご依頼ですか?」
蔵人が来て以降、行列が出来るようになったライザの店では、人員の整理や酔客同士の揉め事を止めるための警備員として、冒険者を雇っていた。
ただ、これまでの依頼はフィルを通じて彼のダーリンでありこの冒険者ギルド支部のギルドマスターでもあるガエタノが人員の手配を行なっていたので、ライザがここに来ることはなかった。
「いや、ちょっとガエタノに用があってね」
「ギルドマスターにですか?」
上司の名を出された受付嬢は、少し困ったような表情を見せた。
「どういったご用件でしょうか? 一応いらっしゃいますけど、お忙しい方なので……」
いくらライザがガエタノの知り合いだからといって、たいした用もないのにほいほいとギルドマスターに繋ぐわけにもいかないのだろう。
「
身を乗り出し、受付嬢に顔を近づけ、周りに聞こえないように声を落としながら、ライザはそう告げた。
ライザの言葉を受けた受付嬢は少し目を見開き、チラリと蔵人を見たあと、彼女はすぐにライザへと視線を戻し、静かに頷いた。
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
受付嬢はさらさらと何かメモのようなものを書くと、手元の小箱にそれを入れ、そのすぐ近くにあったベルを鳴らした。
それから1分ほど待ったところで先ほどとは少し音色の異なるベルの音が鳴ると、受付嬢は同じ小箱を空けて、中からメモ用紙のような紙片を取りだした。
「お会いになるそうです。すぐに案内の者をこさせますね」
「ああ、頼むよ」
ほどなく別の女性職員が現われ、彼女のあとについてふたりは歩き始めた。
階段を上って2階へ行き、その中の一室に通される。
「こちらでしばらくお待ちくださいませ」
応接室のような場所に案内されたふたりは、革張りのソファに腰を下ろした。
それからしばらくのちに、ガエタノが部屋に現われた。
「待たせたな」
ガエタノは低い声でそう言うと、蔵人とライザの向かいに座った。
「身分証が欲しいのだったな」
「ああ」
ライザが冒険者ギルドを訪れた理由は、
この世界はよくあるファンタジーものの世界と異なり、戸籍の管理がしっかりとしている。
どんな田舎であっても、生まれた者は戸籍に登録され、15歳で成人するとともに市民証が発行されるのだ。
『田舎から出てきたばかりで右も左もわからないが、とりあえず冒険者ギルドに登録したい』
という、異世界もののファンタジーでよくあるセリフを言ったところで、市民証の提示を求められ、持っていないとなれば生まれ故郷の役場に問い合わせられることになる。
だが
そんな
「というか、役場で手続きは出来ないのか?」
「うむ。なぜか
「
「そのようにいわれている」
なにやら勇者たちの変なこだわりを垣間見た気がして、蔵人は軽く苦笑を漏らした。
ちなにみ蔵人がこの町の有力者であろうギルドマスターに気安い態度を取っているのは、毎日のように店を訪れ、『枯れ葉』をリクエストするガエタノとの距離がすでに縮まっているからで、彼が礼儀知らずというわけではない。
「しかし、クロードが
「驚いたかい?」
「……いや、むしろ納得した」
ガエタノはそう言って何度か頷いたあと、上着のポケットから1枚のカードを取り出し、蔵人に差し出した。
大きさも厚さもクレジットカードとほぼ同じであり、表面にはこちらの文字で『冒険者証』と書かれていた。
「あとでそれを受付に持って行って登録作業をしておいてくれ。ギルドマスターの裏書きがある冒険者証はどこにでも通用する身分証となるはずだ」
カードを裏返してみると、そこには『ブロンヴォグ支部16代ギルドマスター・ガエタノ』と刻まれていた。
「ああ、そうだ。クロードは冒険者として活動するつもりはあるのか?」
「冒険者というのは、魔物を倒したり、薬草を採取したり、雑用をしたりする何でも屋で、仕事をこなすうちにランクアップしたりするような職業のことか?」
蔵人の言葉に軽く目を見開いたガエタノだったが、すぐに苦笑を漏らした。
「ふっ、さすがニホンジンだな。勇者の立ち上げた組織のことはよくわかるらしい」
「日本人ならだれもが持ち合わせている知識ってわけじゃないんだけどな。たまたま俺は知っていただけだ」
「そうか。とりえあず冒険者に対する認識はそれで問題ない」
「だったら俺は冒険者として活動するつもりはない……が、活動しないとまずいことはあるか?」
「通常、特に理由なく半年以上業務を怠った者は降格や除名処分となるが、
ガエタノの答えに、蔵人はほっと胸を撫で下ろした。
例えばこの世界にピアノが存在しないのであれば、糊口を凌ぐため冒険者業務に勤しむ必要はあったのかも知れない。
しかし幸いなことにこの世界にはピアノがあり、蔵人は彼自身の能力を使って仕事を得ることができそうだったので、冒険者という職業にあまり興味は湧かなかった。
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