21 連日の大入り

 裏口から入ってきたのは、背の低い痩せ型の男で、蔵人がイメージする酒屋の配達員とは少し違っていた。

 男は荷物を運びこむ様子もなく、手ぶらのままライザのあとについて店に入る。


(御用聞きかな……?)


 よくよく考えれば先ほど起きたばかりのライザが注文をしているはずもない。

 電話などの通信手段がないのであれば、直接注文する必要はあるのだろうが……。


(だとしたらいつ呼び出した? 定時に来るようになってるのか……?)


 ダンパーペダルのかかり方を調整しながら、蔵人はそんなことを考えていた。


「ったく、そっちから来てくれりゃこっちも楽できるし、ちったぁ安くできるんだぜぇ?」

「しょうがないだろ、寝過ごしたんだから……」

「あれか、ピアノの兄ちゃんと朝まで……って、おお! ピアノの兄ちゃんじゃないか!」


 蔵人に気付いた酒屋の男が手を振ってきたので、苦笑いを浮かべて軽く会釈をしておく。


「んだよ……やっぱお楽しみだったんじゃねぇか」

「っるさいねぇ! アンタは黙って仕事してりゃいいんだよ!!」

「あーはいはい」


 ライザは照れ隠しのように口調をきつくし、酒屋の男はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべて適当にやりとりをしながら、ふたりは裏口とは別のドアをくぐって消えていった。


 ダンパーペダルのかかりをある程度調整し終えたところで、蔵人は調律に入る。

 一度音叉おんさを手に取ったが、手早く終わらせたほうがいいだろうと、この日もチューナーを使うことにした。


 調律が半分ほど終わったところで、ライザと酒屋が戻ってきた。


「あーしんど……!」

「悪かったね、大量に」

「まぁ昨日の調子じゃあ、あれくらいあったほうがいいんだろうなぁ」

「だねぇ。後半のオーダーはほとんど売り切れで、在庫あるヤツから順番に捌いてたから」


 そんなことを言いながら出てきた酒屋の男は、やはり手ぶらだった。


「お、ピアノの兄ちゃん今日も演るのかい?」


 再び蔵人に気付いた酒屋が声をかけてくる。


「ええ、まぁ」

「へへっそうかい。じゃあ今夜もノリのいいやつたのむぜぇ」

「ははは、いいですよ」


 蔵人が酒屋の男に愛想よく答えるのとほぼ同時に、ライザが男の後頭部を軽くはたいた。


「調律の邪魔だよ。用が済んだらさっさと帰んな」

「へいへい。邪魔して悪かったねぇ」


 酒屋は半笑いを浮かべて肩をすくめながら歩き、裏口から出て行った。


「ごめんよ、うるさくして」

「いや、あれくらいなら大丈夫」


 その後ライザはカウンターに戻り、空っぽになった棚に酒瓶を並べていった。

 その作業が終わるのと、蔵人の調律が終わるのとがほとんど重なり、タイミングを見計らったようにフィルが食事を用意したので、ふたりで昼食を済ませた。


**********


 その日からしばらくは、フィルやライザの予想通り客の多い日が続いた。

 バイトの数は日に日に増え、一番多いときにはホールに3人、厨房に調理補助が2人と皿洗い専門要員が1人、バーカウンターにも補助が1人はいった。

 さらに冒険者ギルドから客の出入りを誘導する人員が2人配置され、それでなんとか運営していった。


 その間の蔵人の生活だが、まず朝起きてピアノを弾くようになった。

 というのも、さすがに何日も即興で場を持たせるのはしんどいので、うろ覚えの曲などを弾きながら、簡単な楽譜をいくつも作ることにしたのだ。

 異世界ものによくある、普通の紙が高価でペンが羽根ペンしかない、ということはなかったので、そのあたりは気にすることなく楽譜を作成することができた。

 楽譜といってもコード譜に毛が生えたような物で、本人以外が見てもなんのことやらさっぱりわからないだろうという程度に簡略化された物だ。

 しかも記憶違いなどでコード進行が違っていることも多々あるだろうが、誰も正解を知らないのだから、別に問題はないだろう。

 気分によっては楽譜を無視することもよくあった。


「コーヒー、ここに置いとくね」


 ちょうど1曲分の採譜が終わったところで、近くのテーブルにライザがコーヒーを置いてくれた。


「悪いな、朝からうるさくして」

「んーん。クロードのピアノを独り占めしてるみたいでなんか嬉しいよ」


 そうやってある程度ピアノの練習や曲の確認、採譜が終わると、休憩を挟んで調律をおこなう。

 調律が終わるころにはバイトが何人か来て開店準備を始めるので、それが一段落ついたあたりで食事をとり、ほどなく店はオープン。


 大体0時前後に閉店し、片付けなどが終わるのが午前1~2時。

 そこから寝て、朝を迎える、という具合だった。

 ときおり寝坊することもあるが。


(そういや朝から起きてるときは、酒屋が来ないな……)


 3日目の朝に来た酒屋の男は、ライザが寝坊したときに限って店を訪れていた。

 それ以外の日は男が来た様子はないのだが、酒はきっちり納品されているようだった。


 そんな生活が10日ほど続いたあたりで、客足も落ち着いてきた。


「明日は休みにするよ」


 落ち着いたとはいえ立ち見客がいなくなったくらいで、テーブルやカウンターは常に埋まっている状態だった。

 まだ十分利益は得られると思っていたので、蔵人はライザの言葉を意外に思った。


「さすがにこれだけ毎日客が入ったら、店の中がいろいろ散らかってきたからね。開店前と閉店後の何時間かで対処できる状態じゃないから、業者に頼んで1日かけて掃除やらメンテやらしてもらうよ」

「あー、なるほどな」

「それに……」


 そこで言葉を切ったライザは、少し心配そうな視線を蔵人に向けた。


「蔵人だって毎日何時間も弾きとおしじゃないか。ちょっとは休まないと」

「そういや、そうだな」


 純粋な演奏時間だけで間位置に3~4時間は弾いている。

 さらに毎朝1~2時間を練習や採譜に費やし、そのうえ調律まで行っているのだ。

 なかなかの重労働である。


「いい加減疲れがたまってるんじゃないのかい?」

「んー、そうでもないんだけどなぁ」


 ライザに言われて初めて体調に意識を向けたが、特に問題はなかった。

 というより、かなり調子がいい。

 日々の作業を振り返るに、3日も続ければ疲労で倒れそうではあるが、10日以上経つのに疲れがないというのは、ちょっとおかしいのではないだろうか?


(まぁ、工房の仕事に比べれば肉体的には楽か……。フィルの作るメシは美味いし、睡眠も充分取れてる。なにより……)


 自分の演奏で客が楽しんでいるを実感できるのは、とても幸福だった。

 そういった精神の高揚が疲労を忘れさせているのかも知れない。


(ライザの存在も、小さくはないだろうな……)


 そう思いながらじっと見つめていると、ライザは少し落ち着きをなくし、ほんのりと頬を染めて視線を逸らした。


「な、なにさ……?」

「いや、美味いメシ食わせてもらって、毎晩しっかり寝てる・・・・・・・から、元気なのかなって」

「ば、馬鹿なこと行ってんじゃないよ! とにかく、明日は休みにするからね!!」


 蔵人の返答を受けて目を見開いたライザは、少し乱暴に言い残してカウンターに入っていった。


 その日は蔵人がこの店でピアノを弾き始めて以降もっとも客の入りが少なく、0時を少し過ぎたころにはフィルやバイトを帰してやることができた。

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