第五章 二つの記憶の騎士と夢魔の章

第29話 アーキュラス・アラ・ドレス

「皆だめ」

 アーキュラス・アラ・ドレスが叫ぶ。

「え?」

「だめ。それ以上進まないで」

 ドレスの叫びに勇者ピピン、戦士ザンザ、それに修道女ミティキアも困惑気味に、視線を送る。

「死ぬ。殺される。このままいけば全滅よ」

「何訳の分からないことを」

 ザンザが呆れたように言う。

「だめ、今すぐ、茂みに隠れるの」

 勇者ピピン一行がいた場所は森の中だった。魔王領と聖アルベリオ王国の国境付近の森だった。

 ドレスは三人を力づくで、森へと引っ張る。無論、ピピンやザンザが抵抗すれば、はねのけることもできただろうが、二人は大人しくドレスに従った。

「喋らないで、静かに。絶対に」

 数分の後、今まで勇者が歩いていた場所を、屈強な魔物が通り過ぎた。漆黒の鎧に身を包んだ騎士風の出で立ち……暗黒騎士という魔物だった。

 通り過ぎたのを確認し、ドレスは口を開く。

「私は、グオチージンで二十分前から戻ってきたわ。もしあのまま、闘っていたら私たちは、殺された」

「え?」

「いい、ピピン。今のままではだめ。装備ももう少し整えてやはりもう少し仲間が必要よ」

 ドレスはそう提案した。

 その提案も結局は――無駄だった。ドレスは何十回ものやり直しを強いられた。そうして何度も仲間の死ぬ姿を見て……そうしてあの宿敵ともいえるスライムと出会った。

 何故だか遠い遠い昔のことをドレスは思い出していた。

「入るわよ」

 考えても意味のないことを思い出した。今だ。大切なのは今で、感傷かんしょうひたっている暇はない。

 隣の男に言う。

「ああ」

 二人は扉に手を掛けた。



 「アーキュラス・アラ・ドレス! あいつが何故魔王の記憶の中に出てくるんだ!」と、そう。勇者が叫ぶ。マリアには勇者が叫んだことの意味がよく分からなかった。

「何? 勇者、何故お前がドレスを知っている?」

 魔王は戸惑いを見せた。

 その時だった、突如まばゆい光が辺りを包んだ。マリアは己の禁術【魂の上書と拡張】が破られるのを感じた。

 誰が?

 糞……! 四天王の一人イリスとフィリがまだ外には居る。魔王の部屋の入り口を守っている。彼女らの仕業か?

「魔王様……もうしわけございません……」

 現実、つまりマリアの精神世界から、魔王の間へと引き戻された。そして一番初めに聞いた声は、サキュバス種四天王イリスの声だった。

「何が起こった!?」

 魔王が狼狽うろたえる。魔王も事態を把握していないらしい。

「人間が……」

 イリスが呻く。

 人間? 私以外にも魔王を倒す一行があるという事か? マリアは目を見張った。

「人間だと? 何者だ!」

 魔王が叫んだ。

「勇者の仲間といえばわかるかしら?」

 声は女のものだった。

 女が立っている。そして女の後ろには男も立っていた。女と男、二人が立っていた。

「こんにちは、マリアさん。初対面だけど……私はあなたを知っているわ。そして……申し訳ないけど、その扉からこっそりあなたの話を聞かせてもらったわ」

 女がマリアに向かってほほ笑んだ。知っていると言われたが面識はない。

 赤色の長髪、翡翠ひすい色の双眸そうぼう、赤いコートを羽織り、黒い帽子を被った女だった。

 男の方も見覚えがなかった。甲冑かっちゅうを身にまとった騎士がごとき出で立ちだ。

「……何者だ! わが魔王城に入ってくるとは只者ではないな」

 魔王が苛立ち気に言った。

「カピンプスもタオもアブジも……皆あなたの中に居るのね」

 その女はマリアを見て、うれいの表情を見せる。

 勇者の知り合いか? 確かに、さっきもそんな事を言っていた。

「……みんな死んだわ。そして私の中にいる……」

「聞いていたわ。あなたの話を全て」

 その女は、震えながら言った。その時心の中で、タオがマリアに語り掛けてくる。

(マリア……!)

(タオ! 良かった無事なのね)

 魂だけの存在となって、今しがたマリアの内に魂だけ存在が確認することができた。魂だけで、あの術を使い、精神世界でなければ会えないと思っていたが、どうやらタオとはこうして会話が可能のようだ。

(誰なの? あれ? カピンプスさんの知り合いみたいだけど?)

(あいつは……)

「わずらわしい……人間が二人増えたところで……どうというわけではない」

 魔王が憎々しげに言う。それに気を取られタオとの会話も途切れた。

「イリス、フィリ、こいつらを殺せ。三対三だ。もうボクは疲れた。さっさと終わらせるぞ」

『御意』

 魔王の言葉に、二人の魔物がこちらへ構える。

 女は勇者たちの知り合いであるようだが、もう一人の男は何者だろうか。一応味方として見ていいのだろうか? それにしても、この魔王城に乗り込んでいた人間が私達以外にもいた? 彼らが勇者一行というなら、納得はできるが……しかし、私の話を聞いていた?

 それにしても、この女、どこかで会ったことがある。そんな気がしてならなかった。

「そしてスライム、あなたが魔王になったのね」

「そうボクが魔王だ」

「そう……そうなのね、あなたが魔王になったのね……未来は変わってしまった」

 彼女はそう言った。

 未来? その言葉は……今しがた聞いた。魔王の記憶の中で。

(マリア!)

 タオの叫び声。心の内で響く。

(あの女って、まさか……)

 マリアは恐る恐るタオに尋ねる。

(そうです、彼女はアーキュラス・アラ・ドレス……ボクとカピンプス、アブジそしてドレス四人で魔王討伐の旅をした……前に言ってたろう、魔法使いが居たが、恋に落ちて、旅を辞めたと。そして隣の男が、その恋の相手だ……)

 まさか。では、今しがたの魔王の記憶に出てきた女が、今目の前に居る女で、しかも……勇者たちと旅をした魔法使い?

「お前、まさか……」

 魔王は震えた。震えながら、恐怖をその目に湛えていた。

「今更気づいた? 私よ、ドレスよ……あなたを殺しにきたわ」

「……! 六百年前の……まさか、ドレスだというのか?」

 魔王が震えながら言った。

「そういうこと」

 女はにべもなく言う。

「どういうこと!? じゃあ、あなたは六百年未来へ行く方法を見つけたの!」

 マリアが叫んだ。

「うーん……あなたには簡単には説明できないわね。って、待って、なんであなたがそれを知っているの? 私とあなたは初対面のはずでしょう? それにその事は勇者たちも知らないはず」

 ドレスは怪訝けげんそうに訊ねる。

「魔王の記憶よ、そこに居る魔王の記憶を私は持っている」

「はあ? 何それ? まあ、なら話は早いわね。そう、殺しに来たわ。六百年の過去から、今に、ね。魔王オブリュッドを殺すためにやってきた」

「人間が六百年も生きられるものか……! お前、何者だ」

 魔王は叫ぶ。

「あなた、強情ね。私の最後の言葉忘れたの?」

「最後の言葉?」

「私は時間を跳躍して、未来に来たの。あなたを殺しにね。行きつく先は同じでしょう?」

「……馬鹿な……未来に飛ぶなど不可能」

「……できたから私がいる。勇者たちが死んだのは……残念だわ。でも、彼らがそこの僧侶の中にいるというなら役者はここにそろったのね」

 ドレスは言う。

「どういう意味だ?」

 魔王オブリュットは訊ねた。

「あの時の状況と同じってことよ。勇者と戦士と盗賊と魔法使いと僧侶、武闘家六人が……魔王を追い詰める。そういう状況と」

 そういえば、魔王の記憶の中でそんな事もあった、とマリアは思い返す。

 最初は勇者、戦士、そしてドレスの三人だった。けれども、グオチージンでの時間遡行で、勇者たちは仲間を増やし、魔王へ挑戦したという。確か……僧侶と武闘家がオブリを倒す場に居て……そして、あ、もう一人! 白頭の男が居た。そいつは、呆気なく魔王アイリスに殺されたけれども……あいつが盗賊で……あ、あいつも髪が白く、ガロと同じ盗賊? この符号ふごうは何を意味するのだろうか。

 戦士に勇者に僧侶に盗賊に武闘家、そして魔法使い?

「……!? 馬鹿な! つまりここにいる僧侶とすでに死んだ勇者たちはあの時の奴らと同じだというのか?」

 魔王は声を荒げた。怒声、いや、罵声ばせいちかしい声で叫んだのだ。

「そういうこと、私は六百年という時間をさかのぼってしまったけど、再びここへ舞い戻った」

 ドレスはにやりと笑う。

「……私がさっきの魔王の話に出てきた僧侶と一緒?」

 そんな話当然信じられなかった。

「……ならばなぜ……魔王アイリスは、ソヨンはドノヴァは……現れなかった……六百年という時間を経て彼らは現れなかった……ボクがあれだけ探したのに! 何故!」

「それはあなたが未来を変えたから……私もそうだけど。だから勇者も僧侶も戦士も武闘家も……そしてたぶん盗賊も私のことを知らないし……私と魔王との戦いも知らない。名前も違う。前の世界の勇者はカピンプスなんて名前じゃなかった。……私と魔王が、世界を変えてしまったの。だからあの時の僧侶と今の僧侶は違うし、勇者や戦士も違う。けど同じ。たましいは、同じ。ここにある。私と魔王の存在が、未来を変えた。いえ、未来ではないわね。私からしてみれば、現在から過去へいき、また現在へと戻ってきた……でもね、現実は変わったけれども、世界はその変わった現実を元に戻そうとしている。そんな力が働いている。たましいは変わっていない」

 魔王は茫然とドレスを見つめ返す。

 マリアは理解が追い付かない。いや、だが一つ分かったことがある。

 この女……ドレスは確かに勇者一行だったということだ。ならば何故……何故……もしも、もしも、カピンプスやアブジ、タオが、魔王の記憶に出てきた勇者たちと魂が同じで……ドレスが再び勇者一行として魔王を倒すためにここに来たと言うなら、何故、何故何故!

「ドレス! あなたはどうして勇者たちから離れたの? あなたは私たちの、未来というか現在というか、ともかく『昔』一緒に戦った仲間だったんでしょう? どうして、恋なんかで、……あなたが勇者一行から抜けなかったら。皆死ななかったのに! ガロも!」

 叫ぶ。そうだ。彼女はある意味勇者を裏切っている。

 途中で旅を辞めたのだ。それが今更のこのこと、しかもタオ曰く隣の男は恋に落ちた相手らしい。そんな男を連れていけしゃあしゃあと!

「……運命よ」

 ドレスは答えた。

「運命ね……そんなものが……そんなもののせいで……アブジは死んだの? ガロは死んだの? カピンプスは……タオは……」

「でも全員あなたの中にいるんでしょう?」

「……わからないわ。あなたの言っていることが。あなたは誓ったんでしょう。何度も時の金属で繰り返す中で、今度こそは勇者も戦士も誰も死なないやりかたで、魔王を倒すって!」

 マリアが叫ぶ。女は、ドレスと名乗る魔法使いは、冷徹な笑みをマリアへ向けた。そしてマリアに掴みかかり、叫ぶ。

「私が! 悲しんでないとでも思っているの! 私は、かつての勇者を殺されて! カピンプスやタオ、アブジも殺されて! 何度も何度も仲間を殺されて! それを、それを悲しまないとでも思っているの……?」

「ドレス止めろ」

 ドレスを止めたのは、もう一人の男だった。

「そうね……取り乱して悪かったわね、たましいはここにある。運命はそういうものなの……何度何度挑戦しても、未来はある一つの結末へ集結している。だから勇者は死に、戦士は死に、武闘家も死に……そういう結末。でも、魔王は倒す」

 ドレスは言う。マリアには理解できない。この女何を言っているのだ?

「……もういい、戯言ざれごとは聞き飽きた。死ね」

 魔王オブリュッドが魔法詠唱に入る。マリアも魔法詠唱に入る。

 イリスも拳を丸める。フィリも魔法詠唱に入った。

「まだよ……まだ! まだ話は終わっていない!」

 ドレスが叫ぶ。その叫び声は、オブリュッドの魔法詠唱を中断させた。マリアもフィリもまた同様に、動きを止めた。

「そう、まだここで話が終わっては困る」

 そして。口を開いたのはドレスの恋人という男だった。紫色の奇妙な色の鞘と柄の剣を腰に下げている男。

「ええ、そうだな。どこから話したものかな。……なあ、久しぶりの再会だなオブリ。おれを覚えていないか? おれだ、ドノヴァだ」

 男は言った。

「何……?」

 魔王は絶句した。忘我ぼうがの表情で、騎士を見据える。

「ふざけているのか! ドノヴァだと!?」

 続いて魔王は激昂げっこうした。

「意外ね。あなたならオブリ……一発で気づくと思ったけど」

 ドレスはそれを鼻で笑う。

「馬鹿な。ドノヴァは魔物だぞ! 暗黒騎士だ! 人間であるわけがないだろう」

「信じないのね。まあ無理もないけど」

「ばかげている」

 魔王は憎々しげに、ドノヴァと名乗った男を睨みつける。

「……そうか、ばかげているか」

「言ったでしょう。私とあなたのせいで、世界は変わってしまった。もはや同じ歴史は歩んでないの。彼が人間だとしても何ら不思議な話ではないわ」

「下らん、もう終わらす」

 魔王は魔法の詠唱をしようとする。

「オブリ……」

 どこか悲しげに、そのドノヴァは呟く。

 その時、イリスが大きく口を開いた。

「お前えええええ! ドノヴァというならあああああ! 何故人間側にいるううううう!」

 魔王の魔法詠唱はまたしても中断される。激しい咆哮ほうこうがその部屋中に響き渡った。その声は……イリスのものだった。

「もういい。イリス、余はこんな戯言ざれごとに付き合う気はない」

「オブリ……おれはお前を殺すため、おれはここへ来た」

 ドノヴァはそう言って、とても悲しそうな表情で、魔王を見た。

「おれは後悔していた」

「後悔? 何を」

 鼻で笑うように、魔王は言う。

「お前を拾ったことを。そして、お前の人生を実のところ、羨んでいた。かつてのおれは」

「人間が戯言ざれごとを」

「何度も繰り返すという、お前の人生を……おれはうらやんでいた」

「黙れ!」

 魔王は、ドノヴァの言葉に激昂げっこうし、灼熱しゃくねつを口からき出した。

「させないわ!」

 だがそれは、ドレスの氷雪魔法によって止められる。

「オブリ、おれはずっと知っていたんだ。お前が何度も人生を繰り返していることを」

「……そこのドレスに聞いたのか?」

 魔王が問う。ドノヴァは首を振った。

「いいや、おれが魔王様と結婚した日に知った。おれはな生まれた時より二つの記憶があった」

 彼は、ドノヴァは、語り始める。

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