第24話 輪廻の魔王

 ガロは、いや、ガロだけではない。マリアもタオもアブジもそして勇者も。彼らには魔王の記憶が流れ込んだ。

 遠い昔の記憶だった。遥か昔の記憶。少なくともそのスライムにとってははるか過去の記憶だ。一匹のスライムが誕生した。

 スライムは両親の愛情を受けすくすくと育ち、そうして――殺された。

 彼のスライムの両親が、あっさりと殺された。

 彼の問いかけに、両親は答えない。既に事切れている。何かの魔法のせいだろうか、父など弾けて原形をとどめていない。誰がこんなことを?

 スライムは憎悪を抱く。かたきをとる。そう心に決める。

「かわいそうに、勇者にやられたんだね」

 その惨劇の場所に、たまたま通りかかった同じスライムがそう言葉をかけた。

「勇者?」

「そう、人間だよ。人間の勇者」

「……勇者」

 その言葉を胸に刻み込む。いつか倒す。そう決心した。

 その日から、毎日体を鍛えた。走り込み、魔法も勉強した。彼の住む場所で、多くのスライムから突出した存在となった。スライムとしては、彼は力もあり、体力もあり、魔法も操るという強力な戦士に育った。

 しかし、それはあくまでもスライムとしてだ。

 間もなく、彼は勇者に出会う前にどこと馬の骨とも分からぬ人間に殺された。



 ―――――――殺された。はずだった。しかし、視界がぼんやりと開ける。

 誰かいた。

「え、お父さん?」

 目の前には確かに死んだはずの父がいた。殺されたはずの父……

「おお、可愛い可愛い息子が喋ったぞ!!」

 父が嬉しそうに言う。

「スラポン、もう喋ったのかい!」

 母も笑顔で言った。

 スラポン――? 己の名前はそんな名前ではなかったはずだ。

 しかし、思い出そうとしても思い出せなかった。自分はどんな名前だったのか。

「弟のくせに、生意気ね」

 そして聞こえるもう一つの声。

「あらあら、お姉ちゃんなんだから弟には優しくしないとダメよ」

 母がたしなめる。

 姉? 自分に姉など居ただろうか? …………いや、居たか。そうだ。

 母親がいて父親がいて姉がいたのだ。そして自分の名前はスラポン。

 なにか嫌な記憶が、脳裏にちらついたが、あれは夢だったのだろう。そう思うことにした。

「どうしたスラポン?」

 怪訝けげんな表情のスラポンを心配してなのか、父が声をかける。

「怖い夢を見た」

 スラポンは答えた。

「怖い夢? お前、そんな言葉、いつの間に覚えたんだ? いや、どんな夢だ?」

 いつ間にそんな言葉いつの間に覚えた、だと?

 父は何を言っているんだろう。まるでスラポンが赤子のような扱いだ。既に己は魔法も習得した立派な成人スライム――のはずだった。しかし、夢の内容を喋ろうとするがうまく言葉にならなかった。内容がぼやけているし、何より、言葉がうまく使えない。

 夢の内容――そう、真っ二つになったのだった。母も父も真っ二つになって。


 ――え?


 一瞬だった、眼前の父が真っ二つに割れた。

 勇者なのか、あの時の。スラポンはそう思った。勇者? あの時の?

 思ったはいいものの、それが何を指すか分からなかった。体は恐怖で動かなかった。母も姉も動かない。

「っち、スライムか」

 人間か勇者か、それは鬱陶うっとうしそうにぼやく。

「きゃあああ、ニンゲン!!」

 姉が叫ぶ。

「おい、何をしている。行くぞ」

 別の人間の声が聞こえた。二人いるのか。厄介だ。スライムなのだから、簡単に勝てる相手ではない。――しかし、しかし、己は修行したではないか。勇者を倒すために。今戦わずにどうする? スラポンは覚悟を決める。そして飛びかかろうとする。が。

「ああ、すぐ行く」

 人間はそう吐き捨て、そして、極短い呪文の詠唱をする。一瞬のことだった。その人間の右手から炎が噴き出る。避けようがなかった。

 一瞬にして、スラポンは、スラポンの母は、姉は焼け炭と化す。スライム一家は燃え尽きた。



 三度目でようやく気付く。繰り返しているのだ。己は、人生を死ぬ度に、新たなスライムとして再出発している。スライムという一生を何度も何度も繰り返すのだ。

 それを何度も繰り返した――何度繰り返しただろうか。スライムに転生し、何者かに殺される。そんな一生を何度も何度も何度も何度も。記憶は不確かだった。はっきりと引き継ぐわけではなかった。何も気づかず、その時その時、スライムとして、ただ一匹のスライムとして一生を終えることもあった。一生は、概ね途中で途切れる。大凡おおよそニンゲンに惨殺される。

 息子を殺されたことも、娘を殺されたことも、父親、母親、弟、姉、妹、兄、……何度も家族を失うという経験をする。

 そして……何度目の転生だろうか。その時そのスライムはスディという名前だった。

「どうした?」

 友人がスディに訊ねる。

「二十三……」

 スディはぽつりと呟く。

「は? なんだそれ?」

 友人は首をかしげた。だがスディはその問いに答えなかった。

「俺旅に出ようと思う」

 そしてそう続ける。

「スディ、どうしたんだよ?」

「信じてくれないかもしれないが、俺はおそらく殺される。ニンゲンに」

「なんだそれ」

「いや、何もない。ともかく旅に出て修行して。俺は勇者を倒そうと思う」

「勇者を? よせよせ、おれたちはスライムだ。無理無理」

 友人は笑った。

「そうだな、無理だろうな。でも、それでも俺は旅にでる」

「そっか。なら、おれも一緒に行くぞ」

 友人が申し出る。心強い味方だ。

「ありがとう」

 スディはそれを受け入れた。そしてスディと友は旅に出た。

 人間どもを襲い、村の破壊の限りを尽くした。無論、スディ達スライムだけではそれは無理な話だ。だから途中魔王軍に入った。魔王軍に入り、その助力を得て勇者を倒そう。そう思った。

 でも、ある日あっけなくスディは死んだ。ニンゲンに殺された。

 そうしてスライムは、二十三度目の転生を終えた。

 二十四度目の人生ではスライムは己が記憶を引き継いでいることに、すぐさま気づいた。引き継いだのは記憶だけではなかった。記憶と共に、知識、身体能力、魔法や特技を引き継いでいることに気づいた。生まれながらにして、高い能力を備えたスライムとして、二十四度目のスラッタとしての人生を歩む。スラッタはまた、旅に出た。勇者打倒の旅に。

 しかし、二十四度目の人生も呆気なく終わる。

 彼は、絶望を、あらゆる絶望を噛みしめた。両親を人間に殺され、友人は火災で死んだ。それでもスライムは生きた。五十度目の名前は、スラスラ。

 スラスラはその後しぶとく生き延びた。彼の住む村を人間に壊され、一人流離の旅に出た。

 そして、美しい一匹のスライムと出会い、ようやく報われた気がした。子供も生まれ、幸福というものがぽんと落ちてきた気がした。でも偽りだった。子供と妻を、呆気なく失った。

 彼は泣いた。そして絶望した。スラスラ――彼はすべてを呪った。

 目の前で両親を亡くし、友人も亡くし、妻も子供も奪われた。

 こんな理不尽、何故許される。何故? 許される? ……怨嗟。あらゆる怨嗟を、スラスラは願う。己の怨嗟を世界に向け、放った。絶望、そして怨嗟。その中でスラスラは息絶えた。

 ――百二十四度目の転生だった。その時の名前は、エストレア。エストレは魔物に殺された。

「魔王陛下万歳」

 そう叫ぶあるサキュバス。サキュバスは興奮していた。

 サキュバスは笑いながら、爪を振るう。

 突然だった。何もない。突然、その女はエストレアを切り裂いていった。

 魔物からでさえ――スライムは魔物からでさえ殺される存在なのだった。

 理由など知らない。ただそこにいただけ。たぶんそうなのだろう。スライムがスライムであるために死が訪れる。容赦なく、だ。ニンゲンだろうと魔物だろうと、あるいは何らかの自然災害が、蟻を踏みつぶすかのごとくスライムを殺していく。

 何度転生をしただろうか。スライムはずっと記憶を引き継いでいる。

 何度、何度死んだだろうか。何度、何度大切な人を目の前で失っただろうか。

 旅に出て修行をしては殺され、スライムという現実を痛感した。

 スライム、スライム、スライム、スライムというこの世界で最弱の存在。

 他の生物に捕食され、殺される、ただそれだけの存在。

「……百二十五回目か」

 人知れずつぶやく。既に彼はそれだけ人生を繰り返していた。

「ぱーぱーーはやくー!」

 百二十五回目――その人生では、スライムは旅には出ていなかった。打倒勇者、その目標をすでに諦めていた。

 娘が居て妻が居て幸せな家庭を築いていた。

「おいおい、あまり遠くに行くと危ないぞ」

 その時の名前を、イルムルと言った。イルムルはこの幸せに満足していた。

 これで終わりにしようと思っていた。この転生の続く人生、ここで終わりだ。

 終わらせる方法は分からない。分からないが、何となく老衰で、寿命で死ねばいいのではないだろうか。そんな考えがイルムルの中にあった。

 確信はない。でもそんな気がした。殺されるのではなく寿命で死ねばこの転生連鎖は終わる。

 妻と娘と幸せに、イルムルは人生を閉じる。

 既に百二十五回の転生で、知力・体力・知識・魔法力・膂力、全てがスライムの範疇はんちゅう逸脱いつだつしていた。だから無理に旅に出なければ、妻と娘くらい守って穏やかに生活できる。そう思っていた。しかし。所詮スライムだったのだ。イルムルは痛感する。

 遊びに出かけた娘はその日、帰って来なかった。後日無残な死体で発見される。

 怒りに打ち震えたイルムルは旅に出た。そして死んだ。人間に殺されたのだ。

いくら記憶を引き継いで、魔法や特技を引き継いでも運命は変わらない。

 スライムは悟った。運命は変わらない。全ては虚しい。

 この記憶の引き継ぎはなんなのだ? 記憶を引き継ぎ、何度も死を体感する。こんな拷問、いつまで続く。次の転生の時、百二十六回目、スライムは若くして自殺をした。この自殺で転生の連鎖が終わると、僅かな希望を抱いて。



 でも。何も変わらない。何度何度何度何度何度父親を目の前で殺されただろうか。

 何度何度何度何度何度母親を、友達を、娘を、息子を、妻を。何度何度死んだだろうか。

 スライム――その時、そのスライムはオブリという名前を与えられていた。ごく普通に村の中で過ごしていた。そして成長し、青年になった時、彼は再び旅に出ることを決意する。

「何故旅に出る、オブリよ?」

 出発間際、村の長老にそう問われる。オブリはしばし沈黙する。

「この世は螺旋らせんだ」

 そして答えた。転生・螺旋らせん・連鎖、それが人生だ。

 長老は首を傾げる。

「魂と記憶の螺旋らせん、あなたにはわからないでしょう」

 オブリは心底うらやましそうに長老を見る。

「それではお元気で」

 オブリは旅に出た。旅は順調だった。百二十六回の知識と経験がオブリを生き長らえさせた。

 旅の中で夢を見る。記憶の連鎖と螺旋らせん。魂の渦と連環れんかん。全てが繋がっている。

 魂だ。魂が記憶であり、その魂と記憶表裏一体の何かが、世界という土台の中で、連鎖と螺旋らせんの渦を描き、天へと連環れんかんしてうねり上がっている。それは鎖として繋がっているけれども、誰一人、どんな魔物も人間も理解・認識できていない。

 そんな夢。しかしそれは世界の真理に思えた。

 その世界に声が割り込んでくる。人間の声だった。

「おい、スライムが居るぜ」

「っは、なんだ寝てるのか?」

「おい、魔物の仲間を呼ばれたら厄介だ、殺してしまえ」

「了解、炎たる精霊の加護よ!! 悪しき魔物を焼き払え!【火炎】」

 人間が【火炎】の魔法を行使する。

 オブリは業火に包まれながら自分の螺旋らせんを、運命の位置づけを感じていた。誰も感じない認識しない理解しない螺旋らせんの真理。しかしオブリだけは感じ取っていた。

 遥か上空に螺旋らせんの到着点があるのだろう。なんとなくそう思った。

「ばかな? 死んでない? くっそ、どうことだ? ただのスライムだろう」

 人間が声を荒げる。オブリは生きていた。

 魂と記憶の世界。その最下部に位置づけられたスライムは、一歩一歩運命と記憶と世界の螺旋らせんを、登りはじめた。そして、様々な記憶がオブリに流れ込んでくる。スライムたちの、死したスライムたちの記憶だった。記憶・知識・経験・魔力・特技・体力――魂の引継ぎ。

 既にその身体能力はスライムを超越し、たかだか人間ごときに負ける道理がなかった。

「なんだこいつ? もう死んでいるのか?」

 別の人間が、驚きの声を挙げる。

「ならオレが剣で!」

 さらに別の人間が、剣を振り上げオブリを襲う。鋭い痛み。しかし、生きている。

「……手応えがいまいちだが、死んだか?」

 流れこんでくる記憶。オブリは戸惑う。

 死の記憶の塊。流れこむ他の人生。スライムという種族の結末。

 既にわかりきっていた、そう思っていた。なにせそのスライムは、もうスライムの人生を何度も何度も繰り返している。そして、多くの悲劇を観てきたから。

「なんだよこれ」

 オブリはようやく完全に覚醒した。

「ん? なんだこいつ、起き上がった!?」

 見上げると三人の人間が立っていた。

「どうして、こんな……」

オブリは泣いていた。

「っち、炎よ再び、襲え! 踊れ! 【火炎舞踏】」

 人間の呪文の詠唱。炎がオブリを焼く。

 だがまだ生きている。

「なんだ、効いてないのか? スライムなのに?」

 人間たちは驚き困惑していた。

「【炎】」

 そして。ただそれだけ呟く。魔法の詠唱とは言えぬ、ただ一単語それのみを呟く。刹那、火炎――強烈な火炎が三人の人間を襲った。激しい炎だ。人間たちは焼き尽くされる。一瞬だった。

「……スライムであることに、何の罪があるというのだろうか」

 そのスライムが見た記憶。虐げられてきた記憶だった。何も、人間だけがスライムの敵ではなかった。本来仲間であるはずの、魔物に殺されることもままあった。侮蔑ぶべつの対象は当然のこととして、迫害や暴力もごく当たり前だった。だから――――

 オブリが魔王になる決意をしたのはその時だった。魔王になり、スライム以外を全て滅ぼそう。それがスライムの幸せを実現する唯一の道だと思った。もはや、今しがた人間三人を殺したことは、魔王への道のりの些末さまつな出来事に過ぎなくなっていた。

「まずは、どこに行けばいいのだろうか」

 人知れずオブリは呟く。そのつもりだった。しかしそれを聞いていた者が居た。

「おい、お前」

 声が降りかかる。振り返る。漆黒色の甲冑かっちゅうを着た何者かが立っていた。

「……? 誰?」

 敵か味方か。魔物に見えるが、こちらはスライムに過ぎない。たとえ相手が魔物であっても油断は禁物だった。些細ささいな理由で攻撃してくるかもしれない。

「オレはこの地区の人間殲滅せんめつを担当している、魔王軍第十七部隊の暗黒騎士・ドノヴァだ」

「……暗黒騎士」

 ドノヴァと名乗った男は漆黒色の甲冑かっちゅうに身を包み佇んでいる。暗黒騎士――魔物の中でも随一の強さを誇るエリート種だ。スライムなど、彼らにとってみれば虫けらに過ぎないだろう。

「そうだ。お前強いな。スライムのくせに、見上げた強さだ。今人間どもを殺すのを見ていた」

「そうですか」

「どうだ? お前もモンスターの端くれなら、魔王軍に入ってみないか? 丁度今から殲滅戦を行う」

「魔王軍……」

 スライムであるオブリが入れるほど生易しい場所ではない。以前、一度だけ入ったことがある。しかし、その一度きりだ。その一度も、末端であり、差別され、いじめられ、そういった立場だった。だが今のオブリはスライムの常識を超えている。

「今のお前の強さなら出世も夢ではないな」

「わかりました」

 オブリは首肯しゅこうする。魔王となる。その決意を実行する。先ずは、魔王軍に入るのだ。このエリート種に付いていけば悪いように扱われないだろう。まずはこの男に気に入られるように行動することだ。

「よし、そうと決まれば一緒にこい!」

「はい」

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