第23話 ガロの一生


 魔王城目前。勇者達と別れた後、ガロは己の人生をしばし懐古していた。

「何でこうなってしまったのか……」

 盗賊として気楽にやっていた。悪いこともした。しかし、子悪党集団で大それたことはしてこなかった。人生が変わったのは魔物に親友を殺されてからだ。

 親友を殺されて以来、魔物を憎悪し、魔物退治に勤しんだ。親友のかたきのためにと必死になって魔物と戦った。そして盗賊をやって居た時の罪滅ぼしとして、小さな村の護衛なども引き受けた。人間としてまっとうな道を歩むようになった。そう思った。思っていた。



「ガロよ」

 初老の男が悲しそうな表情でガロを見ていた。

「なんすか村長?」

 彼は、今ガロがいる村の村長だった。ガロは傭兵として雇われていた。

「お前は、今や我が村にとっては英雄みたいなもんだ」

 村長の物言いに違和感を覚える。何を今更そんな事を?

「はは、なんすかそれ、照れんすけど」

「昔は恨んだりしたもんだがな……」

「あの頃はマジ申し訳ないっすよ」

 かつて盗賊団として、この村を窮地きゅうちに追いやったことがあったのだ。

 恨まれていて当然だった。しかし、ガロは、今村の皆に受け入れられている。彼は腕っぷしの戦士で、貧しいこの村を守っている。

「もうあの頃のことなど水に流した。お前のことは、お前の存在は本当に有難く思ってるよ、お前はこの村の英雄だし、他の村でも同じだろう」

 ガロはこの村専属の傭兵というわけではなかった。近隣の村の傭兵もやっていたり、または自治体に協力したりしている。いわばこの地域の守り手だった。

「なんか変っすよ、いきなりそんな? どうしたんっすか?」

「非常に……非常に切り出しにくいのだが……あちらにおられる方から話がある」

 村長が指さす先、そこには神官が立っていた。

「神官?」

 嫌な予感がした。神官――しかも見ればかなり高位の神官のようだ。大仰な装飾品に、杖も立派なもので、先端には大きな宝石がめられている。国によって異なりはするが、多かれ少なかれ教会は政治的な力を持っている。ことこの国においては、強い力を持っていた。たとえば、宗教以外で、教育関係、医療関係、そして司法関係は教会がその主たるにない手である。

「迷ったが、やはり良くないことは、良くない」

 苦しげに、村長が言葉をつむぎだした。

「……? 何の話……」

 しかし心の内では見当がついていた。ガロが率いる盗賊団は各地で大暴れをしていた。盗賊団ガロと言えば、中央にも名の知れた盗賊団だったのだ。解散してまだ二年しか経っていない。いくらガロがこの村で、贖罪しょくざいとして働こうともその罪は消えぬ。そういうことだろう。もしかしたら懸賞金でもかかっているかもしれない。

「私は、城の教会で神官をしているダジミチェスト・レグリウスだ」

 ガロは押し黙る。そして悔やまれる。全てが遅すぎたのだ。足を洗うには遅すぎた。

「村長に頼まれてな」

 神官は言った。そうか、やはり。疑念は確信に変わる。

「村長、オレを売ったんすか……当然……っすよね……オレは盗賊だから……だから」

 憤怒を感じた。諦観しながらも、それでも憤怒を感じた。いつかこうなるとは思っていた、とはいえ。仕方がないこととはいえ。憤りを感じずにはいられなかった。

「ガロ! 違う、そういう話ではない……! いや、あるいは、……そうしておけばよかったと思うこともある。もっと早くならば、お前を、城に引渡し牢獄にぶち込む……ということでもよかったかもしれん」

「所詮、オレは盗賊っすね。いいです、もう無駄なていこうはしません、連れて行ってください、牢獄に」

 ガロが言うと、神官は困惑の表情を浮かべた。

「マディソン村長、いまいち私には話が分からないのですが」

 そして神官は村長に問う。ガロも困惑する。

「ああ、勘違いを彼にさせてしまったようだ。実を言うと彼は昔盗賊をしていてな、だが昔の話だ、今ではない」

「ああ、なるほど。それで神官の私が居たので、捕まると……」

「え? オレを捕まえに来た――そういう話じゃないのか?」

 ではいったい? しかし……いずれにせよいい話ではない。

 村長は悲しそうな表情をしているし、神官も気難しい顔をしている。

 神官がその重そうな口を開く。

「教会の、この国においての役割を知っているかい?」

 突然の質問。知ってはいた。

「司法ですよね」

 ガロは答える。

「そうだ。しかし、他にもある。教育にも医療にも携わっている」

「はい、知っています」

「私はね、その中でも医療、特に現場近い人間だ」

「え?」

 意外な言葉だった。医療?

「私自身が回復魔法に特化した神官でね」

 その意味することが掴めなかった。そんな人間が、何の用だろうか?

「この間、魔物に手痛くやられたそうだね」

 そういえばそんなことがあった。この間、と言っても一か月ほど前の話だ。

「ああ、そうですけど。でも一か月くらい前ですよ? 瀕死ひんしに近かったけど、まあ何とか助かったっすよ、それが?」

「助かった、か。いや、助かってなどいないんだ」

「え?」

「強力な呪いが掛かっている」

 神官は言う。確かにあの時、瀕死ひんしだったうえに、変な呪いをかけられた。しかし、それはこの村で治療して、呪い自体も解除してもらったはずだ。

「え? でもそれは、村の教会でもう解いたはずじゃ……」

「そう報告を受けている。君はこの村の教会で、治療を受けた。呪いも解除してもらった」

「なにが言いたいんですか?」

 訳が分からなかった。今更一か月も前の話を掘り返して、一体何だというのだろうか。

「呪いが、君の病気の進行を早くした」

 神官の言葉の意味が解らなかった。病気? オレが病気だと? ガロは狼狽ろうばいする。

「病気? オレが一体何の病気だっていうんっすか!?」

「最初は些細な病だったらしい、詳しいことは解らないが……内臓が炎症を起こしている……薬さえ飲めば、簡単に治る病気」

「え! じゃあ、神官さんは薬を渡しに来たんですか?」

「いや、もう手遅れだという話だ。この村の神父に話は聞いている、万が一病気ではなく呪いの可能性もあるかもしれない、ということで、私が呼ばれたのだ。君が本当に病気のせいかそれとも呪いのせいか」

 ガロは押し黙った。目の前の男のシャベル言葉が理解できなかった。

「結論を下そう、君の呪いは既に解かれている。だが強力な呪いと君の病気とが相まって、君はもうすぐ死ぬ」

「意味、分かんないっス……なんスかそれ……」

「信じられないだろうな。残念だが……、さっきも言ったようにこの村の神官は呪いに詳しい。彼が言うには、その呪いは、傷口やダメージを拡大する呪いなのだが、君の場合、病気の進行を早めたらしい――それが彼の推測だ」

「いやいやいや、なんスかそれ」

「最近体調良くないだろう?」

 確かに心当たりはある。あの瀕死ひんしになって以来、どうも体調が良くない。嘔吐おうとすることもままあったし、どうも腹部に慢性的な痛みを感じていた。しかし、そんなに深刻だとは思っていなかった。神官は両手をガロの腹部に置く。そして何やら早口で詠唱を始める。何か魔法を行使するのか?

 やがて、暖かい光が神官の手に集まる。しかし、ガロ自身の体に変化はなかった。

 そしておもむろに、

「もって半年だな」

 神官は言った。

 半年? 何が? オレの余命? 馬鹿な……ガロは茫然自失ぼうぜんじしつとなる。

「もう、オレは死ぬしか無いんですか」

 愕然がくぜんと聞きながら、当然そんなことは信じられない。

「残念ながら」

 神官は言う。それは、それは……事実なのだろう。

 何故こんなことに? どこで道を間違えたのだろうか。親友を失った日からか?

 否――違う。そうではない。それが始まりではない。それが結果だったのだ。

 もう、初めから誤っていたのだ。盗賊団という始まりがそもそもの過ち。その時点で結果は出ていたのだ。この程度の贖罪しょくざいでは許されるはずがない。ならば、ならば……

「オレ、旅に出ます」

 ガロは決める。憎悪をぶつけよう。この贖罪のために。

「! 私の話を聞いてなかったのか? 君はとても旅を出来るような体ではない」

「いいんです、どうせ死ぬなら、かっこ良く散って行きたい、オレは、魔王を倒す旅にでます」

 そう、魔王を倒そう。己の憎悪を魔物にぶつけよう。それが贖罪しょくざいになりうるかはわからないが、それでも。

「正気か?」

 神官が訪ねる。村長も心配そうにガロを見た。

 ガロは笑った。そして答える。正気です。と。

餞別せんべつだ、受け取れ。これは痛み止めだ。あくまで痛み止めだ。病気を治すものでも和らげるものでもない。二十粒しかない」

 神官が錠剤を投げて渡す。

「ありがとうございます」

 ガロはもう一度笑う。哀れな悲しい笑顔を、二人に見せたのだった。


(そしてオレは単身魔王を倒す旅に出た、その途中で勇者一行に出会った)


「そこに居る人! 危ない!」

「殺人鬼族! 早く離れなければ!」

 二人の男がガロに向かって叫ぶ。ガロの眼前には、巨大な斧を振り上げた魔物が立っていた。魔物自体も巨漢で、ガロの伸長を優に超える。筋肉質な体で、その質量は通常の人間をはるかに凌駕りょうがしていた。

 だがガロは動じなかった。彼からすれば雑魚に過ぎない。それよりも声をかけてきた二人の男が気になる。こんなところに人間? よく見れば、もうひとり女がいた。

 その魔物は勢いよく斧を振り下ろす。だが遅い。

 初動さえ掴めれば、かわせぬ攻撃ではない。筋肉の動きで、相手の動きが分かるし、だいたい大仰に斧を振り上げるおかげで、ずいぶんと攻撃に時間がかかっている。ガロは魔物がそれを振りおろし始めたころには、既にナイフを首に突き刺していた。

 無論、その斧の攻撃などかすりもしない。その大男のような魔物はあっけなく地に伏す。

「スゴイ、一撃で!」

 女が感嘆かんたんの声を上げる。こんな魔王領付近で人間三人が何をやってるんだ?

「強い! しかしキミ、ここは魔王領との国境近くだ。一人でこんなところにいると危ないぞ」

 それはこっちの台詞だ。ガロは思う。

「ご忠告どうも、しかし、あんた達だって危ないでしょ、何してるの?」

「俺達は勇者一行です、魔王を倒すために今魔王領を目指しています」

 リーダーらしき男が答える。

 聞き違えたかに思えた。勇者? そんな馬鹿な? こんなところで? いや、こんなところであったのだから、そりゃ勇者であってもおかしくはないだろう。

「勇者? マジで?」

「ああ、これが証だ。王様から授かった<勇者の証>。それに、これは<王者の剣>」

 どちらもガロが知っているものだ。少なくとも王者の剣は絵で見たことがある。本物かどうかはわからないが、わざわざ模造品を用意し、ここまで旅をする馬鹿はいないだろう。天命に思えた。あるいは、これは贖罪しょくざいをしている自分への、ささやかな神の贈り物なのかもしれない。そう思った。直感だった。

「勇者……か、いや、勇者様、オレをその……魔王討伐の仲間に加えてください」

 そして、すぐさま頭を下げる。これについていこう。腕には自信のあるガロだが、さすがに一人で魔王を倒せるとは思っていなかった。

「え?」

 勇者は困惑する。

「ふむ」

 もう一人の男は値踏みするようにガロの体を見ていた。

「いいんじゃないですか、カピンプスさん。この人は、力もありそうですし、さっきの戦いでそれは垣間見れたでしょう」

 その男は言った。


(そうして勇者の仲間になって、旅をして、エルフ領に行って、エルフたちを助けて、魔王領に入って……)


「エルフってほんとうにいるんっすね」

 ガロは言った。今しがたエルフ達と話していた。エルフは魔王領の中に領土を持ち、孤立した存在だった。人間にとってみれば、会う機会がなく、おとぎ話のような存在だ。

「そりゃそうだろう。お伽話とぎばなしだと思っていたのか?」

 カピンプスが笑う。

「そりゃ今まで一度も見たことないっスし」

 その時だった、激しい嘔吐感おうとかんが押し寄せ、咳が出る。

「どうした? 風邪か?」

 カピンプスが心配そうに尋ねた。

「いや、なんかなんでもないっす。ちょっとトイレっス」

 そう言ってその場を離れる。途端、咳は激しくなる。そして。

 見えたのは赤い血だった。

「……血? 血か……血を、吐いてるのか、オレもう長くないのか、先が長くないのか」

 神官の言葉がよみがえる。己の寿命はもう幾ばくも無い、ということなのだろう。


(そして、オレは自分の死を覚悟した。エルフの領で爆弾を大量に買い込み、そして……あの機械仕掛けの魔物との戦闘で……瀕死になって……)


 ガロの話、病の話を聞いた勇者たちはついに、決意をした。ガロが陽動し、その隙に魔王城へ乗り込むという決意だ。

マリアはそう簡単にはいかないようだ。しかしタオに引っ張られ去っていく。三人が去っていく。そう、去っていく。そうか、自分は、もう、死ぬ、のだ、それは。確信している。

 死が怖くないわけはない、怖い。堪らなく怖い。だからガロは泣いた。

「ユフィ、オレは死ぬのが怖い」

 親友の名前を呟き、人知れず泣いた。勇者たちはもう視界から消えた。返事は、無論どこからも返ってこない。

 ひとしきり泣き、ガロは歩きだした。左手には爆弾のたくさん詰まった袋がある。

 魔王城下町正門へ歩きながら、再び思索にふけった。

 自分はどこで道を誤ったのだろうか。何故、盗賊なんかになったのだろうか。

 生きていくためだ。盗賊団を始めたのは生きていくためだ。でも、ほかに道もあったはずだ。

 何故盗賊なんか?

 だが答えは出ない。無意味な問答なのかもしれない、と思い始める。

 自分は何のために生まれたのだろうか。ふとそんな疑問が過る。

 しかし、しかし。哲学など似合わないと思った。その疑問をすぐさま棄却ききゃくする。ユフィに出会った。カピンプスに出会った。タオに出会った。マリアに出会った。それで十分ではないか。

 正門に辿り着き、ようやく、魔物がこちらに気づく。間抜けめ、と思った。

 袋に入っている爆弾を一つ取り出す。躊躇なく門に投げた。爆発音。

「ドーモ、オレは盗賊です。魔王を殺しに参りました」

 ガロは言った。門番たちは今の爆発で死んだが、他の魔物たちが集まってくる。素早く門の中に入り、城下町へと足を踏み出す。そして、袋から残り全部の爆弾を出す。

「はい、はい、下がってー吹き飛ぶよ! これ爆弾だから!」

 言いながら奥へ奥へと進む。時間を稼ごう、できるだけ時間を稼ぐのだ。魔物たちは爆弾に恐れをなし、距離をとってガロを囲んだ。存外ぞんがい時間が稼げるものだな。そう思った。

 が。痛みが走った。足に痛みが走った。何かが刺さった。確認する必要はなかった。いや、その気力もなかった。どうせ、間もなく死ぬのだ。矢かなにかだろう。そして。

 次の瞬間には、己の胸部に矢が突き刺さっていたのを確認した。

 ああ、そうか、死ぬのだ。ここで終わりだ。でも、道連れだ。

 ガロは倒れこみながら、起爆させる。さあ、五秒で爆発だ。皆近寄れ。そして死ね。

 五、四、三――


 張り裂けるような轟音と、眩い閃光の先に見えたのは、親友の笑顔だった。



「それがお前の記憶か」

 魔王が問う。ガロは答えなかった。己の死を見つめている。死の間際の記憶。そして失った女の記憶。そこで永遠に死を見つめろ。そして精神を崩壊させろ。魔王は、そう嗤う。

「愚かな」

 この人間の一生に意味などあるか? いやない。無意味で無価値だ。

「お前ごときが魔王に勝てるとでも? 本気で思ったのか?」

 笑った。この精神の壊れている木偶のような人間を。壊れたのだ。他の人間と一緒だ。皆、精神を壊してしまった。これで終わりだ。あとは、容れ物を壊せばこの有象無象たちは、消滅するだろう。だが。

「…………勝てます」

 木偶と思っていたそれは唐突に喋った。口を開いた。

「ふん、お前の魂はこの瞬間消滅する」

 魔王はやや驚いたが、すぐさま興味を失い、それを壊そうとした。

 黒い霧を放つ。己の分身のようなものだ。それがその人間ガロに纏わりつく。

「   」

 抵抗はなかった。彼の魂は微塵もなく、消し飛んだ。はずだった。

「   だ  め  っすよ、 魔王さん オレの  本業 知ってます?」

 が、彼は生きていた。

「へへ、残念。盗んじゃいました、あんたの魂の一部、かけら! 消えないっすよ、オレ!」

 彼の右手には黒い塊が握られている。魔王の一部だった。

「盗賊か……」

 意外だった。すぐさま殺せると思ったのに。しかし、まずい。アレは……

 いや、――いいか。関係ないか。

 たましい。そのかけら。魔王に限って言えば、鎖のように連なる一つ一つのかけらそれ自体が本体と同一だった。そして、それは記憶を有する。たましいは記憶を有する。

「! なんだこれ、流れてくる、映像が……これは……!!!」

 そう、だから、記憶が流れ込んでいく。

 あの盗賊のせいで、勇者やほかの人間も正気に戻った。だが、だが。今度は記憶を流し込む。魔王の記憶だ。別に見られて困る記憶ではなかった。皆殺すのだから。

「或るスライムの一生だ。魔王の誕生を、垣間見るがいい」

 黒い塊はそう言った。

「スライム・オブリが、魔王オブリュットへとなった、ボクの遠く長い記憶だ」



「何が起こっているの……」

 イリスが不安げに呟く。

「女も魔王様も全く動かないですね。しかし……魔王様が何故スライムなんですか?」

 フィリが問うた。

 スライム――魔物の中で最弱の存在。その出自は不明である。さまざまな説がある。例えば何らかの魔法、その残滓ざんしから生まれたとか。あるいは原始生物の一種ではないか、と。

「魔王様がスライムであることの理由ね。それは最強だからよ」

 イリスが淡々と語る。確かに、あの女を抑え込んだスライムは、まさに最強の魔物といえよう。だが何故スライム? スライムとは、最強と対極に居る存在ではなかったのか。

「魔王様は最強。最強であるがゆえに魔王、でも、スライムが王というのは、魔族にとっていいことではない。少なくとも求心力はないでしょうね……。スライムに従いたい魔物などいないわ。いくら最強でもね」

 どこか哀しそうにイリスは言う。

「でも、その力を示せばよかったのでは? 現に、私はあの力を目の当りにしたら、魔王と納得せざるを得ません」

「力を示すか……」

 うれいを含んだ声で、イリスは呟いた。

「え?」

「フィリは力を示すというのがどういうことかわかる?」

「……今みたいに、その力や魔法力を存分に発揮して……」

「違うわね。力を示すとは、戦争をすることよ。それも人間相手ではだめ。魔族、魔族の間で戦争をし、力を誇示しなければならない。でも、ね。スライムという種族が魔王になるため力を示そうとすれば、それは……滅びを意味する」

「え? 意味がよくわかりません」

「魔族の滅び。それほどまでに魔王様は強い。しかし、それほどまでにスライム種というのは、弱すぎるの。故にスライムが魔王の座に就こうとすれば――それを納得させるため、多くの血が流れる。だから、四天王を作った。力を直接示さず、四天王しか魔王の存在を知らず。実際の支配は四天王が行う。これが四天王が全滅するわけにはいかない理由よ。一度作り上げたこの装置は、四天王が全滅すれば、また一から作り直さなければならない」

「……よくわかりません、何故魔族が滅びると?」

 フィリが問う。イリスは一際大きな溜息をついた。

 そして語りだす。

「昔、……かつて、遠い遠い昔の話よ。ある魔王がいたの。その魔王は、スライムほどでないにしろ、魔王という座位にはふさわしくない種族だった。私達と同じサキュバス種よ。力もそこそこあり魔法も使えたけど、男をたらし込む淫乱いんらんで下劣な魔物という位置づけだった。それが魔王になる、そんな事があった。魔王と認められる道のりは険しかったわ。男からの風当たりは強く、さりとて女から支持されるわけでもなかった。サキュバス種はもともと、魔族の中でも風当たりの強い存在だったのだ。今でもそうでしょう?」

「そうですね」

「その当時は今以上よ。今は、魔王様が、保護なさっているし、まあ、ともかく、その当時は風当たりが強く、これはもう力を示すしかなかったの」

 話を聞きながらフィリは考えていた。いつの時代の話だろうか。そんな話聞いたことがなかった。現魔王が王位につき、三百年と言われている。それより前は、ドラゴン種のハーケル・ナディシャスが魔王だった。在位期間は百年余り。その前は、デーモン種プルトギリア。在位は二百年ほど。その前は、エビルディア、夢を操るナイトメア種だった。在位期間は五十年。ここ、六百年ほどをさかのぼってみるが、そんな話聞いたことがない。それより以前もそうだ。少なくとも記録の上では、千年さかのぼってもサキュバスの魔王など居ない。それより以前となると、もはや神話の話になってしまう。神話時代ということなのだろうか。

「その魔王は、サキュバスの魔王は力を示し、王位についた。その結果、領土の多くを失った。人間にとられたの。多くの魔物が死に、魔王領全体が弱まり、人間たちに領土を取られた。そして力が弱まった事で、さらに魔王への風当たりが強くなり、だから魔王はまた力を示さねばならなかった。粛清せいしゅくよ。そして、魔王はようやく魔王の座に就いた。サキュバス種でさえこうなんだから、よりにもよって、ただのスライム種ならば、それ以上困難な道となるわ」

 言われてみれば確かにそうかもしれない。フィリも今しがたの戦いをこの目で見なければ、スライムに服従するなど納得しないだろう。最弱たるスライム種なのだから。

 しかし、だとすると、このスライム魔王は如何にして誕生したのだろうか?

 如何にして最弱種が最強となりえたのだろうか。

 ぼんやりとそんな疑問を抱きながら、フィリは動きのない女と魔王を見守っていた。



 ついについに、だ。魔女アーキュラス・アラ・ドレスは震えた。

 ついに、殺すべき魔王と相見えた。

 魔王オリュブッド。いや、魔女からすれば、魔王ではない。憎き憎きスライムだ。

 こいつがいたがために、皆死んだ。勇者も……死んだ。

「勇者の……皆のかたき……」

 震えながら呟く。

 それから、その憎悪の目線を、傍らの男にも向けた。紫色の剣鞘を背負う騎士のいでたちの男。

「ああ、終わらせよう」

 二人は扉に、手を掛ける。

 魔女六百年の悲願。いや、そんな年月では到底かなわない遥かな時間を隔てた、悲願の達成を、魔女は今果たそうと、扉に手を掛けるのだ。

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