第18話 青い扉の向こう、破滅の始まり

「ぐわっはは! お前らが勇者? っは、よくきたな。お前らを下ろせば、大手柄! 俺様もアニキと一緒で、四天王の仲間いりよ!」

 待ち受けていたのは巨大な、ゴリラだった。いや、悪魔? 赤色の毛、青色の顔。巨漢で、遥かに大きい。

 どうやらそこが、首謀者の居る魔物の城らしかった。

「よくも城の人々を苦しめたな! 覚悟しろ!」

「っは、勇者とやらの力試させてもらう!」

 カピンプスさんは剣を引き抜き、跳びかかる。

「カピンプス! 気をつける! 魔法が来るぞ!」

 タオさんが叫ぶ。

 刹那、その悪魔の右腕から閃光が放たれる。灼熱しゃくねつの閃光。

 カピンプスさんに直撃する。が、カピンプスさんの剣もその悪魔に届いていたようだ。

「ふむ、やるな。この俺に傷をつけるとは……! だが俺の敵ではない。勇者よ、俺の名はロン・ミン! 貴様も名を名乗れ」

 灼熱しゃくねつの閃光を受け地面に転がった勇者だったが、すぐさま立ち上がり、剣を構える。

「俺の名はカピンプスだ――覚悟しろ!」

 私はすぐさま回復魔法の詠唱に入ろうとする。カピンプスさんを回復させなければ。

 だが、私の詠唱をタオさんが遮る。

「マリアさん、全体回復魔法をお願いします」

「え、はい、わかりました」

 言われて、全体回復魔法の詠唱に入る。この魔法は、複数の仲間を回復させることができる。しかし傷ついているのは勇者だけなのに? この魔法は魔力の消費も大きいし、詠唱時間も倍以上かかる。

 私が改めて魔法の詠唱に入るが、その間、再びカピンプスさんが飛びかかった。さらにアブジさんが続き、タオさんも続く。

 その時私は気づいた。あのロン・ミンと名乗った魔物は、魔法の詠唱をしていた。

 知らない魔法だった。遠くだし、よく聞き取れない。しかし、不吉な予感がした。私は、わざと、魔法の詠唱を遅め、且つ、回復能力を高める文言を新たに付与した。そしてぞっとする。

 タオさんは――これを見越していた?

 その考えに辿り着いた刹那、カピンプス、タオ、アブジ三人が居る空間に何か、不吉な球体が跳ぶ――私は下がりながら、今にも魔法を行使せんと目を見張る。

 三人は不思議そうな顔で、未だ何も起こらないその球体を見て、いや、タオさんだけが防御の姿勢を取り。

 そしてそれは瞬く間に、その球体は、不吉な、空気を切り裂くような音を、いや、すり潰し吸い込むという表現が適当か、そんな音を立てた、そう思ったが、もう次の瞬間には部屋中を轟音が響き渡ったのだった。つまるところ爆発した。

 巨大な爆発だった。

 あれは爆発系の魔法――無慈悲で無差別な魔法だった。カピンプスさんも、アブジさんも、タオさんも吹き飛ばされる。

 そして、確信に至る。あのロン・ミンが詠唱を始めた刹那に、タオさんは理解したのだ。この爆発魔法を。だから私に、魔法を受けたタイミングで回復魔法を行使できるように、そして全員が回復できるように助言したのだ。

 私は回復魔法を唱える。

 三人の体力が戻っていく。その感触があった。

 だから、爆発が収まり、舞い上がった粉塵ふんじんが落ち着く間もなく、その微粒びりゅうの間隙からアブジの剣撃が繰り出された時、ロン・ミンは「馬鹿な」という唸り声を上げた。

 改めてタオさんの采配さいはいに感服する。

 続けて、カピンプスさんの剣撃。私は再び魔法の詠唱に入る。今度は補助系の魔法だ。皆の身体能力を一時的に上昇させる。大幅な強化ではないが、それでもこの戦いにおいては役に立つだろう。

「賢い判断です、マリアさん」

 私の魔法を受け、動作がより機敏になったタオさんが、拳をロン・ミンにぶちかます。小気味のいい音が響いた。聞いていて爽快だし、なにより、タオさんに褒められるのは嬉しい。

 順調だ、と思った。だが、敵も一筋縄ではいかない。

 その巨漢から放たれた拳に、アブジさんが吹き飛ばされる。

「くそっ!」

 アブジさんが呻く。

 その時、カピンプスさんは背後に回り込んでいた。そしてロン・ミンの正面にはタオさんが突撃しようとしている。挟み撃ちだ。が、

「カピンプス! 跳べ!」

 タオさんが突然突撃を止め、跳躍した。

 カピンプスさんはそれに間に合わなかった。ロン・ミンはアブジを殴り飛ばしたその後、つかの間で、簡易詠唱を終えていた。ロン・ミンの周囲、地面伝いに冷気、いや凍てつく氷がう。地面伝いのそれは、カピンプスさんの足に絡みつき、その動きを封じた。

「なっ!」

 声はカピンプスさんとロン・ミン二人のものだ。カピンプスさんはこの魔法に驚いていて、そして……ロン・ミンは咄嗟とっさかわしたタオさんに驚いているのだろう。

 対峙するタオさんとロン・ミン。

 私はその間、アブジさんに回復魔法を施した。

 そしてカピンプスさんを助けようと魔法の詠唱に入る。

「貴様……ただの武闘家ではないな。今の動きは、俺が魔法を行使する前から、つまり俺の詠唱を聞き分け、どのような魔法か判断した……熟練の魔法使いにしかできない芸当だ」

 鋭くロン・ミンが指摘する。それは私も疑問だ。先ほどの回復魔法の助言といい、それ以前にこの魔物の巣窟へ来るためのあの青い魔法の通路といい……博識という表現、いや知り尽くしているという表現がピッタリだ。

 魔法を使えるカピンプスさんはおろか、魔法が専門の私をも魔法の知識で凌駕りょうがしている。

 それなのに、魔法を全く使えないなんて? どういうこと?

「気にしないでください。ボクは魔法に詳しいけど、魔法は使いません」

「手加減ってか?」

 苛立ちげに、ロン・ミンが睨みつける。

「使えないんです。一切」

「っは、なら何故魔法の勉強なんて?」

「ボク自身が魔法を使わなくとも……さっきみたいに、知識は戦闘において活用出来ますからね」

 タオさんはそう言う。でもなんだかおかしい。私は疑問を払拭できない。

「っは、そうかい。嫌なやつだ」

「魔法を使わないだけ、マシでしょう?」

 タオさんは笑った。やっぱり、やっぱりおかしい。でも、今はそんな違和感を気にしている場合ではない。あいつを倒すのだ。

 私は炎の魔法を唱え、カピンプスさんの足元を溶かす。

「お、ありがとうな」

 カピンプスさんは礼を言いながら剣を構えた。

 アブジさんも、剣を構える。そしてタオさんも拳を構える。

 そしてロン・ミンも構える。私も、だ。私も攻撃魔法を詠唱しようと考えた。しかし、皆のじゃまになる可能性もある。ともかく、構えた。

 そして動く。ロン・ミンが跳ぶ。

 向かう先は、私だった――

 早すぎた。私の目では追い切れない。攻撃魔法を詠唱し始めたが、間に合わないと思い、途中で辞めた。

「っち!」

 誰かの舌打ちが聞こえる。

 アブジさんだろうか。タオさんだろうか。もう、その次の瞬間には、私の視界がぶれていた。ぐらんと揺らぐ。そして、激しい衝撃。そのまま壁に叩きつけられる。

 声も出なかった。そして視界の隅に、再びあの巨漢が跳ぶのが見えた。

 しかし次の攻撃は一向に飛んでこない。誰かが足止めをしているのかもしれない。

 回復しなければ。回復魔法を……どうせなら全体回復魔法にしよう。そう思い、詠唱にはいるが、詠唱の文句をど忘れしてしまう。しょうがないので普通の回復魔法を唱えようと試みるも、声が出ないことに気づく。そして突然、激しい痛みが体中を走った。

 思い出したように、体が悲鳴を上げ始めた。

 よっぽど重症らしい。

 まずい、まずい……急に死を覚悟した。まずいまずいまずい、死んじゃう……早く回復、回復しなければ……

 だが魔法の唱え方を忘れてしまっていた。出てこない。声も出ない。それに視界もおかしかった。グラグラ揺れている。

 完全に混乱しきっているそこへ、急に優しい光が包む。これは……回復アイテムだ。

 祝福された粉、回復作用のある不思議な粉だった。途端、意識がはっきりする。視界異常も治る。

 視界に映ったのは、タオさんだった。彼が私に回復アイテムを使ってくれたらしい。

「あ、ありがとうございます」

「いえ、それよりも立ってください。あいつは、あなたの回復魔法を厄介に思ったんでしょうね。あなたはボクが守りますから、そこから回復魔法や補助魔法で、カピンプスさんやアブジさんを援護してください」

 タオさんはずい、と私の前に立ち、ロン・ミンがいつ来てもいいように、構えた。

 それからしばらく激戦が続いた。ロン・ミン自体も回復魔法が使えたため、戦闘は長引く。その途中、ロン・ミンの部下であろう魔物達が数匹入り込んできたが、全てタオさんがやつけてくれた。私は回復魔法と補助魔法を使い、アブジさん、カピンプスさんを助ける。

 そして、――こちらが優勢になり始めた。四対一という人数差、私の回復魔法。これが勝因だろうか。

 ロン・ミンがあの時私を攻撃したのは正しい判断だったのだろう。その後も何度か私の方へ攻撃しようとするも、全てタオさんに阻まれる。

 そして決定的なのが、アブジさんがロン・ミンの左腕を斬り落としたことだった。

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 巨砲のような咆哮が響いた。

 部屋中がズシンと揺れた、そんな錯覚をする。

「終わりだな」

 アブジさんが剣を振り、べっとりと付いた血を飛ばす。

「そういうことだ」

 カピンプスさんは油断なく、ロン・ミンから距離をとる。あまりアブジさんと近くにいれば、ロン・ミンの広範囲魔法の餌食になるからだろう。二人は息ぴったりの戦い方も勝因の一つだろう。アブジさんが基本的に中心になって戦い、カピンプスさんは遠くから隙を伺い、あるいは攻撃魔法で対処する。そうすることで、向こうの広範囲魔法の巻き添えを防げる。そして遠くからであれば、容易に相手の背後に回り込め、相手にプレッシャーも与えやすい。

「貴様ら許さんぞ……!」

 ロン・ミンの怒りの咆哮。だがそれも負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。

 そして私たちは油断していたのかもしれない。

 止めを刺そうと、アブジさんが剣を構えた。

 ロン・ミンが魔法の詠唱に入る。私は、補助魔法を行使し、アブジさんの身体能力を上げた。

 アブジさんが跳ぶ。そして斬りつける。

 だが、ロン・ミンは悲鳴も上げず、魔法の詠唱を止めない。しかし、長い詠唱だ、と私は思った。どんな強力な魔法が飛んでくるのか……魔法が飛んでくると思っていたであろうアブジさんは防御の姿勢を取るが、飛んでこない。長い詠唱に疑問を持ったようだが、どうやらこのまま止めを刺すことに切り替えたようだ。再び剣を振りかぶる。カピンプスさんも魔法の詠唱にはいった。

 その時、タオさんの顔色が変わった。

「皆、離れろ!」

 そう叫ぶ。その声は、先ほどのロン・ミンの咆哮にも似た叫びだった。

「マリアさん、防御魔法を、早く! アブジ早く離れろ!」

 タオさんは再び叫ぶ。

 私はわけが分からなくて、でもとにかく、タオさんの言うとおりに防御魔法の詠唱に入る。

 アブジさんも、奇妙な表情をタオに向け、しぶしぶと言った表情で、ロン・ミンから距離を取ろうとした。

 その時私は見た。

 ロン・ミンは笑っていた。

 嘲笑わらっていた。

 タオさんに向かって、笑い顔を見せていた。

「兄貴、すまない」

 だが、笑顔はすぐに悲痛の表情に変わった。悲しそうな表情で、そう呟いた。え、魔法? なにか唱えている? 何の魔法も行使されていないけど――

 悲痛な表情は、タオさんも同じだった。今すぐにでも、アブジさんのところへ飛び出そうとしているように見えたが、実際は動いていない。そして、

 光が割って入ってきた。どこからの光なのか。いや、なんだこれは。ともかく、私は防御魔法が完成し、タオさんと私とカピンプスさんをそれが包み込む。アブジさんは遠くて範囲に入っていない。

 そして、光は。

 その光はロン・ミンから出てるものだった。ロン・ミンのどこから?

 ロン・ミンの顔がひび割れる。ロン・ミンの体がひび割れる。その間隙から光が。光が出ている。


 え


 それは爆発した。だが、何も分からなかった。突然私は吹き飛ばされた。何かの瓦解音が聞こえる。

 

「うぐああああああああ」

「くうううう」

 誰の叫び声?

 誰とも分からない叫び声。

 そして轟音。

 何が起きてるか、全く分からない。

 全身に走る痛み。

 なんだこれは。視界が何も見えなかった。とにかく体中に走る痛みを抑えようと、回復魔法を行使する。

 少しは痛みが和らぎ、ゆっくりと立ち上がる。まだ、完全に痛みが引いたわけでなく、再び回復魔法の詠唱に入る。あたりは粉塵にまみれ視界が利かない。

 回復魔法を行使し、ようやく体中の傷が癒え、痛みも引く。そうすると冷静になれる。何が起こったのか、今一度冷静に考えてみる。あいつの体にひびが入り、そして光が溢れ、轟音。そして衝撃。あれは……爆発? そう、自爆したのだ、あいつは。その直前まで魔法の詠唱をしていた。そういった自らの命を引き替えにする魔法にも心当たりがある。

 思えばあの時、タオさんは気づいていたのだろう。私に防御魔法を命じ、アブジさんに、早く離れろという指示を出していた。

 アブジ……?

すぐさま皆のことが気になった。カピンプスさんやアブジさん、タオさんは無事なのか?

とりあえず、回復魔法の詠唱に入る。今度は皆を回復させなければ。

 ようやく塵が地面に落ちていき、煙も立ち退いていく。視界が徐々に晴れてくる。

 私が回復魔法を行使すると、すぐに反応があった。

「あいててて、ありがとうマリア」

 カピンプスさんだ。

「……」

 そして、男が一人、無言で立ち上がった。……誰だろう? 

 まだ視界が悪く、ぼんやりとしか見えない。でも、位置的にいえばタオさん?

「タオさん、大丈夫ですか?」

「あ……ボクは大丈夫だ……」

 その声は虚ろげだった。どこか儚く、今にも崩れてしまいそうに思えた。

「アブジは?」

 カピンプスさんが訊ねる。

 私はあたりを見渡すが、それらしき姿はなかった。一番あいつに近かったし、一番大きな傷を受けているのは彼だろう。もう一度回復魔法を。そう思って魔法の詠唱に入った。

 どこにいるかわからないので、範囲魔法にする。さっきとおんなじだ。ここ周辺すべての者を回復させる魔法だ。

 私の何度目の回復魔法だろうか、それが、カピンプスさんやタオさんの体を癒やす。こんなに一日に何度も魔法を使ったのは初めてで、体の負担も大きい。でも、やらなきゃ。

「ありがとうな」

 と、カピンプスさん。これでさすがにアブジさんも、大丈夫だろう。そう思った。そう思っていた。でも、大丈夫ではなかった。唐突に。

「アブジは死んだ」

 誰かがそう言った。誰か?

 彼しかいないじゃない。タオさんが……タオさんがそう言ったのだ。

「おい、やぶから棒になんだよ……」

 カピンプスさんの声だった。

「マリアさん……あの魔法、なんだか理解できた?」

 タオさんはカピンプスさんの問いには答えず、私に質問を投げた。

「え? あの魔法ですか……? 詳しくは知りませんけど……あの、自己犠牲魔法ですよね」

「そう、究極の魔法だ。自分の死と引き替えに、大爆発を起こす」

「やっぱりタオさんは気づいていたんですね。あいつが詠唱していたときに、どんな魔法か」

「そう気づいていた……だから、君に防御魔法を命令した」

 そう、やっぱり、タオさんは気づいていたんだ。まって、でもアブジが死んだ?

 そんなまさか。

「アブジさんが死んだなんて、そんなまさか……」

「あの距離では、マリアさんの防御魔法も届かなかっただろう」

 確かに。あの時、私とアブジさんは離れていた。私の防御魔法はぎりぎりカピンプスさんに届いたと私はあの時感じていた。

「おいおい冗談はよせよ」

 とカピンプスさん。

「冗談ではない。あの至近距離で、あの魔法を喰らえば……死にます。もう無理です」

 彼は、タオさんは涙を流していた。止めどなくぼろぼろと彼の顔から流れ落ちる。

 泣いている。何で?

 タオさんは何で泣いているの?

「いや、そ、そうだとしても……俺たち勇者一行は精霊の加護の元にある……今すぐ、教会に行って精霊の霊験を受ければ、間に合うはずだ。現に俺はそれで一回生き返っている、マリアだってそうだ」

 そうか、たとえ死んだとしても、私たちは精霊の庇護ひごの元にあるのだ。

 生き返られる。教会にさえ行けば、生き返られる。

「そうよね、なら早く、アブジさんの……その死体を探さなきゃ」

 不謹慎ふきんしんだが私はそう言った。ほかの言い方が思いつかなかった。

「そうだな」

 カピンプスさんが瓦礫がれきをどけ始める。私もそれに倣う。

 タオさんは……呆然と涙を流しながら立ち尽くしていた。

「タオさん、あの、そんなに泣かなくとも。早く探さないと本当に手遅れになっちゃいますよ」

 私が声をかける。

「もう、手遅れなんです」

「はあ?」

 カピンプスさんが大きな声で、タオを睨んだ。

「あのな、いい加減にしろ! まだわからないだろう! 早く手伝えよ!」

 そして怒鳴る。

 だがタオさんは泣くのをやめなかった。カピンプスさんの言葉には反応せず、ゆっくりと歩いて行く。どこへ?

「どこへいくんですか?」

 私が止めるが、タオさんはそれを無視した。

「おい」

 カピンプスさんの言葉も、タオさんの耳には入っていないようだ。

 彼は、歩いて、瓦礫がれきの山を歩いて、そして、ある場所に立つ。そこは、記憶が確かならロン・ミンが自爆魔法を行使した場所だ。

「ここにいます、アブジなら」

 そしてそう言った。そうか、アブジさんはあの時、ロン・ミンの近くだった。生きているにしても死んでいるにしても、吹き飛んでいなければそこにいるのだろう。

 私もカピンプスさんもタオさんのところへ駆けた。

「ほら、戦士アブジはそこに居ます」

 タオさんは相変わらず泣きながら、指を指す。でもそこには何もなかった。

 何もなかった。

「おい、タオ、おまえおかしくなったんじゃないの?」

「そこに居ます」

 指さすそこは黒く焼き付いていて、爆発の威力を物語っている。それに何か灰のような物が落ちている。

「タオさん、誰も居ませんよ……灰しか落ちていません」

「その灰がアブジなんです」

 ――タオさんはそう言った。

「その灰が、アブジです。どうやって教会に連れて行きますか? 灰ですよ。それにいくら精霊の加護があるからと言って、灰から復活はできません――」

 意味がわからなかった。アブジさんが灰?

 どういうこと、なにそれ?

「嘘でしょう?」

 すがりつくように、私はタオさんを見る。でもタオさんの涙がすべてを物語っていた。彼は、アブジさんは死んだ。そんな、なんで? なんで死んだの? 意味わからない。どうして?

 死んだ? でも教会で生き返らせて、私も一度生き返ったことがあるし、だから、え? でも灰? 灰?

「嘘だろう」

 カピンプスさんの愕然がくぜんたる声。

「アブジはもう二度と生き返りません」

「嘘だ!」

「まだわからないんですか! アブジは、灰になったんです。そこに有るでしょう、黒い黒い灰が。体が綺麗に残っていれば、まだ生き返る可能性もあります。でも灰になれば、無意味です……どんな魔法も精霊の加護も、彼の魂を呼び戻すことはできません……体の、依り代がないのですから」

「嘘よ……そんなの」

 私の悲痛の叫びも、ただ空しくかき消えるだけだった。

「嘘よね、勇者様?」

 カピンプスさんにすがりついた。でも彼は無言で押し黙っている。

 私はぼろぼろと、ぼろぼろと泣き始めた。そして座り込む。

 アブジさん……

 ゆっくりと彼に触れた。彼は、酷く軽く、酷く脆く。そう灰だった。彼はもう灰だった。

「そんな」

 なんで? どうして?

「嘘よ」

 そんな。まさか。死ぬなんて。信じられない。これは嘘だ。

 どうして? 彼がどうして死ななければいけなかった?教会で生き返らせるのよ。でも……

 灰――

 タオさんは依代よりしろが必要だと言った。

 依代よりしろって何だろうか、人の形をしていればいいのだろうか。

依代よりしろ……」

 アブジさん、アブジさんの形でなくてもいいのだろうか?

 そう思うと、私は無意識のうちに、その黒い灰を掴んでいた。

 わしづかみ、それを口に持って行く。そして食べた。

 そうだ。依代よりしろがないなら、作ればいい。私が戦士アブジを喰らう。アブジさんは、私の中で生き続けるのだ。

 口の中に強烈な苦みが、襲う。吐き気も。でもだめだ、私はそれらをすべて嚥下えんかする。全てを全てを、涙と共に。

「! 何をしている! やめろ!」

 カピンプスさんが止めに入る。

「ははっは、依代よりしろ、これで、私が灰を食べ尽くして教会に行けば、アブジさんはアブジさんは、……アブジさんは生き返る……」

 何の味もしなかった。でも私はがむしゃらに食べた。がむしゃらに。アブジは生き返るのだ。私の中で生き返るのだ。



 そこからの記憶はなかった。気づいたら宿屋の部屋に居て、私は寝ていた。

 起き上がると、カピンプスさんとタオさんが居た。

「早く、教会へ!」

 そうだ、私はアブジさんの依り代になるのだ。だから教会に行って生き返らなければ。

「マリアさん、気を確かにしてください。アブジは死にました」

 タオさんが残酷な真実を告げる。

 刹那、嘔吐おうと嘔吐感おうとかんがこみ上げてくる。

「うううううううう」

 そして。それを吐き出した。

 いやだ。そんなのいやだ。これは、アブジなのだ。これが中に、これが私の中にあればアブジは生き返るのだ! それなのに。

 だが、奇妙なことが起きる。私の吐瀉物としゃぶつは偶然か、あるいは意思を持ってか、私愛用の杖先に固まって降りかかった。

「な、なんだこれ!」

 カピンプスさんが驚きの声を上げる。

「これは……<呪い>ですね」

「は?」

「言ったでしょう、ボクの師父は占い師でもあった、と。そのせいか、こういうのも詳しいんです」

「いや、<呪い>って?」

「アブジの<呪い>ですよ。未練ってやつでしょうね」

「どういうことだよ、未練って? 未練って、あいつはただ金の欲しさに俺たちと旅をしていたんだろう? 金や名誉、権力……そういったものへの執着が強すぎて<呪い>なのか? それともあのロン・ミンに対する<呪い>か?」

「……はい。金も名誉も権力も、全部アブジの願望でした。でも……それは真実の願望ではない。彼が、魔王討伐へ加わったのは<呪い>のせいです。彼は、彼は……マリアさん、あなたと同じでした」

「え?」

 泣きながらタオさんとカピンプスさんの話を聞いていたところへ、突如私の話になった。どういうことだ。私と同じ?

「誰にも言わないでくれって話でしたけど……本人が亡き今、話しましょう……アブジはマリアさんと同じく、両親を魔物に殺され、いやそれどころか、村を滅ぼされました……」

「……え」

「なんだって……」

 驚愕の声は私とカピンプスさんのものだ。その事実を、カピンプスさんも知らなかったのだろう。しかし、しかし……どういうことだ?

「ボク達は皆境遇が似ています。皆親族を失っている。しかしカピンプスには母親がいた。幸せな普通の暮らしがあった。マリアさんは……悲惨でしたが、それでも教会という庇護があった。ボクは生まれながらに両親を知らないから、その分皆より幸せかもしれませんが、……師父がいた。同志がいた。でもアブジには何もなかった。村を滅ぼされ、全てを恨んでいた。魔王を恨み、実を言うと人間でさえ……」

「そうだったのか……」

「アブジは<呪い>と力を内に秘めた哀れな存在です……お金が欲しいのも権力がほしいのも、そう言った俗物的な物が、実際に命をちゃんと守ってくれる物だと言うことを、アブジは知っていました。だから彼はそれらに執着した。命に執着していたからこそ、お金を欲していた。そして魔王討伐に加わったのは復讐のためです」

「…………」

 言葉が出なかった。私利私欲ではなかったのだ。それにそんな過去があったなんて。

「そうか…………そんなアブジの前で、俺は父の死の悲しみを……口にしたのだな。あいつに比べれば俺の悲しみなんて」

「カピンプス、肉親を失う悲しみは皆同じです……今はアブジの冥福を祈りましょう……マリアさん……その杖は教会に預けましょう……アブジの<呪い>を少しでも和らげましょう」

「……わかった……カピンプスさん、お願い」

「おお、分かった」

 私はカピンプスさんに杖を渡す。そしてカピンプスさんは魔法の詠唱に入った。彼は呪いを和らげたり解除したりする魔法を使えるのだ。勇者の血筋特有の魔法だった。

 光があたりを優しく包み込んだ。だが、どす黒い何かがぶわりと杖から出て、再び杖にまとわりついたのだ。

「なっ!」

「……?」

「そんな……」

 こんなことがあるだろうか。

 <呪い>は消えなかった。でもどうして?

 どうして消えないんだろう。カピンプスさんの魔法で消えない? 

 それほど強力な<呪い>ってこと?

 どうして?

 あ……そうか、私は分かってしまった。

「ね、ねえ、みんな。アブジさんはさ、まだ冒険したいんじゃない? 魔王を倒すために。だからさ、この杖私持っていく。アブジのために」

「そうかもしれませんね……アブジは……皆さんには心をひらいていましたし」

 私の意見にタオさんは賛同してくれた。

「それがいいかもな」

 カピンプスさんも同意してくれた。

(私が……私が戦士の分まで強くなる!)

 私は、心にそう誓う。


 これが、私の持つこの杖で殴られた者は、回復魔法の恩恵を預かることができなくなるという<呪い>の誕生話だ。

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