第13話 魔王と呪われし修道女の前哨戦

 フィリは緊張で心臓がはちきれんばかりだった。再び魔王の部屋である。しかも今は緊急事態だ。勇者一行が攻め入っているというのだ。

『ふむ、ロン・ウェンほどのやつがやられるというのか?』

 ベール、その奥から、声が響く。声の質は、よくわからなかった。魔法か何かで声が変わっているようだ。それにこの部屋全体に声が響くようで、実に奇妙だった。フィリが魔王に面会するのは二度目だ。もっともその姿は見えず、隠匿いんとくされている。魔王の存在は頑なに秘匿ひとくされていた。聞いたところによるとその姿は、四天王以外知らないらしい。

『アル・バジャラと、アゾテックが死んだのか。うむ、四天王の穴を埋めねばならぬな。その上ロン・ウェンまで死ぬとなると……フィリだったか? お前も四天王になるか?』

 布の向こう、また声が反響する。

 不思議な声だった。なんの特徴もないような、そんな声。魔王様とはいったいどんな存在なのだろうか。

 フィリは魔王の声を聴きながら、ただ茫漠ぼうばくとした思いを抱いていた。だから魔王の言葉にさほど注意を向けておらず、名前を呼ばれたのでとりあえず「はい」と返事をした。

「魔王様、御戯おたわむれを。今のフィリに四天王になる実力はございません」

『お前は、そのフィリとやらにご執心しゅうしんのようだな、イリス』

 魔王の笑い声が反響する。そこで、フィリはようやく魔王に何を言われたのか、事の重大さに気づいた。

「ま、まさか、私は、その私は……四天王なんか、無理です、あの、ごめんなさい」

 慌てて床に額を付け、土下座をした。目には涙が浮かんだ。自分は死ぬかもしれない。ああ、ここ二週間で死を覚悟したのはこれで何度目になるだろうか。

「止めなさい、フィリ」

 イリスがフィリを立たせた。フィリはそれに従ったが、顔は上げず、魔王の方を向こうとはしなかった。自分の不遜ふそんさに申し訳が立たない。

『まあ、しかし今はその勇者とやらを倒す必要があるのだろう。四天王云々の話はそれが終わってからだ』

「おっしゃるとおりでございます、しかし、そいつは勇者ではないようです。勇者一行ではあるが、勇者ではない」

『何? 只の人間だというのか? 信じがたい……そもそも勇者でさえ、……余の四天王を倒すというのが、特にロン・ウェンを上回るというのが解せぬ』

「そうはおっしゃいますが、かつて、先代勇者が攻め入った時トーハがやられたでしょう」

 イリスが言う。

 トーハ、それは前の四天王のことだ。ロン・ウェンにも匹敵する強さを持ったドラゴン種だったとフィリは聞いている。

『そうか、そうだったな……空いた穴をアゾテックが埋めたのだったな。あの時はトーハ一人だったが、今回は三つも席が空くことになるな……』

 魔王が憂鬱ゆううつげにぼやく。

「……魔王様、先程から戦闘音がしないようですが」

 イリスが指摘した。

 確かに。静寂だった。先刻まではロン・ウェンの部屋から、爆破音や衝撃音が響いていたのに、今はしない。

 勝負がついたのだろうか。そして足音――

 居る。

 フィリは思わず扉から飛び退いた。扉が……開いた。

「どうも、ここが魔王の部屋? ずいぶん小さいのね。さっきのサキュバス四天王さんに、ああ弱そうなサキュバス……、そしてあの布の向こうが魔王ってわけかな」

 女は睥睨へいげいして、フィリを見遣った。

 女は、奇妙な格好だった。いや、奇妙ではない。冒涜的ぼうとくてき不埒ふらちな格好だった。

 ロン・ウェンが穿いていた下着をまとっていたのだ。女には大きすぎるであろうロン・ウェンの下着を引きちぎって結んでその体に巻いていた。

 フィリは驚愕の視線を女に向けた。この女は化け物だ。悪魔だ。最強の四天王を殺し、その身ぐるみを剥ぎ、それを着るなど。

「ああ、下着よ。剥ぎ取ったの。最悪ね、まったく。でも私、あのゴリラとの戦闘で、服全部破けちゃったし。さすがに最終決戦を全裸で迎えられないでしょう」

 事も無げに女は言う。

 フィリは失神するのを何とかこらえる。イリスは冷静に女を見ていた。怒りの表情がちらりとだけ垣間見られたが、今は無表情だ。

『ほう、人間、それは面白いな』

「あなたが魔王ってわけね。不思議な声ね。魔法で変えているわね」

『そうだ』

「小心者ってわけ?」

『まあそんなところだ。聞くところによると、お前は勇者ではないそうだな。勇者はどうした?』

「死んだわ」

『なるほど……なるほど、お前の後ろにあるその棺桶かんおけのどれかに、勇者の死体が入っているのだな。残りの二つには別の仲間の死体か』

 確かに見れば女は棺桶かんおけを三つ引きずっていた。イリスの部屋に来た時も引きずっていたことをフィリは思い出した。

「どうでもいいでしょう。始めましょう」

『余に勝つ気で居るのか? くくく、四天王を尽くほふったことは、認めよう。お前は強い人間だ。だが余には勝てん』

御託ごたくはいいの、聞き飽きたわ」

『よかろう。イリス、フィリ、扉を塞げ』

 魔王はそう命令した。「御意」と言い、イリスは即座に女の後ろに回り込む。

 フィリは一瞬遅れてそれに倣った。

 女は油断なく、距離をとる。

「挟み撃ち? それとも逃げ出すと思っている? 逃げも隠れもしないわ、魔王を殺してやるわ」

 女は背後の二人と魔王、両方同時に注意を向けている。

『ふむ、……いやたとえ扉を塞がなくとも余はお前を逃すつもりはないし、お前から殺されるつもりもない。挟み撃ちの必要もない』

「ではなんだって言うの? 保険? 慎重な魔王のセイジってやつ?」

『政治? そうだな、政治かもしれん。お前を逃さないように、という意図ではなく、これは外部から誰も入ってこないように、という配慮だ』

「仲間の命が大切ってわけ? 戦いに巻き込まれないように?」

『そうだ。仲間の命は大切だ。余の姿を見たものは、消せねばならぬからな』

「なにそれ」

 魔王と女のやり取り、それをフィリは手に汗握り聞いていた。

 どういうことだ。フィリは今の会話のやり取りに疑問を抱いた。

 ――消さなければならない? 魔王の存在はそれほど秘匿ひとくしなければならない存在なのか?

「……何? 見たら死ぬ呪いでもあるの?」

『呪い、ではない……いや呪いのようなものかもしれぬが……』

 ――呪い? 呪いとはどのような呪いなのだろうか。見たら死ぬ? いや、しかし四天王はその姿を見たことがあると言っていた。

「もういい、うざいわね。死になさい! 荒ぶる竜巻よ――」

 女は魔法の詠唱に入る。

 だが、

『無駄だ――』

 魔王の声。

 同時に女の魔法が行使される。

「全てを巻き上げろ――」

 竜巻を発生させる魔法。

 が、部屋が揺れたような錯覚に襲われる。何かが弾けた。弾けた? 何が?

「……発動しない?」

 女は不思議そうに自分の手を見つめていた。

『無駄だ、と言ったはずだ。お前の魔法を打ち消すなんぞ、造作も無い』

「さすが魔王様ってわけね」

『女よ。お前は勇者ではないというが、何故勇者が居ない? 他の仲間は? 何故単身で乗り込む? 魔王の決戦の前に、町の教会で生き返らせようと思うわなかったのか? 神の加護があるのだろう? それとも、生き返ることかなわなかったか? 余は興味がある』

「どうでもいいでしょう……関係ないわ! 死ね!」

 女は勢い良く飛び出す。

 杖を大振りに構えて。あの布の先、魔王へ向かって。しかし、その足が突如止まる。

 女は、地面に縫い付けられたように動けなくなってしまった。

『興味がある。女よ、お前は今までどんな旅をしてきた? 如何にして四天王を打倒しうる力を手に入れた? その魔法の源は何だ? お前の背後の棺桶かんおけ、何故そんな荷物をお前は持っている?』

「あなたが興味あっても、喋るはずないでしょう! あなたは今から死ぬの。冥土の土産も残さない!」

『話せ――旅だ、お前の旅を話せ』

「……!」

『分かっているだろう、お前は……話なせええええええええええええええええええ! おまああああああああああああええええええええはああああああああああああああ』

 傍から見ると何が起っているかはわからなかった。フィリは怪訝そうに、女を見た。

 女は苦しそうにうずくまっている。

 魔王が何かをしたのだ。それだけが、フィリに理解できることだった。

「旅……?」

『そう、お前はどこで勇者に出会い、どんな旅をしてきた?』

「……わたし……の……たび?」

『そう、お前の旅だ』

「私は……」

 女は口を開き、その生涯を語り始めた。

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