第9話 勇者が発つまで

 それから二年と半年が過ぎた。ドレスは十四歳になったが、相変わらずハッシュ村で過ごしていた。学校には通わなかった。シャンディゴアで既に高等学校を終了していた彼女は、今更学校などというものに行く気はなかった。ピピンやクエトがいるとはいえ、だ。

 一人でずっと研究室にこもり、魔法の研究や研磨に明け暮れ、魔法使いとしての修業を続けていた。

 ハッシュ村は居心地が良かった。ピピンやクエト以外にも友達が出来た。その内、特に仲良くなったのがザンザという男だった。ザンザは同い年の十四歳だった。筋骨隆々で、同い年のドレスやピピンよりも一回り大きい。十六歳のクエトと同じくらいの体格だった。

「クエト兄ちゃんが魔王を倒しに行くときは、俺も行くぜ」

 と、豪語していた。

 その日も、ドレスの家にピピンやクエト、ザンザが集まる。

「いらっしゃい」

 ドレスはカモミールの紅茶を入れ栗色の母親直伝のクッキーを作って待っていた。

「俺が一番乗りだ!」

 ザンザが勢いよく、ドレスの家に滑り込む。ザンザはいつも一番が好きだった。ドレスはザンザのたましいも覗き見たことがある。彼のたましいは、ピピン以上に元気で、激しく、情熱的に脈を打っていた。とげのついた鉄球がごとき魂だった。

 ザンザの次に家に入ってくるのはピピンだ。

 最後には、やれやれといった感じでクエトがドレスの家に入って来る。

 その他にも、何人かの友人がおり、ドレスの一人暮らしの家は格好のたまり場になっていた。ドレスもそれを歓迎する。

「今日は三人だけ?」

 ドレスが首を傾げた。大体いつも五、六人は来るのだ。

「うん、今日は、学校で再試験があるから、こられない人が多いね」

 ピピンが答えた。

「再試験? ザンザが再試験になっていないことが驚きだわ、筋肉だけではないのね」

 ドレスはにべもなく言った。ザンザはドレスの焼いたクッキーを食べながら、笑う。

「煩いな、才女さん。俺は頭もいいんだ」

「それが意外だと言っているの」

「心外だな」

 そんな何気ないやり取りに、ドレスは救われる。無論そんな事おくびにも出さない。

「それで、今日はどんな魔法を教えてくれるの?」

 ピピンが身を乗り出す。

 ピピンとクエトは、ずっとドレスから魔法を習っていた。勇者の血筋だということで、二人には魔法の才格があったが、ドレスの足元にも及ばなかった。だからドレスが二人に手解きをしていた。

「でも魔法なんて覚えてどうするの?」

 ドレスは訊ねる。

「勇者だからな、おれは。父親の敵討ちだよ」

 クエトが答える。

「敵討ち? 魔王を倒すってこと?」

「そういうことだ、おれはもう十七になるしね」

 ドレスは嫌な予感がした。もしかしてクエトはこの村を出て、魔王討伐の旅を行うのではないかと。魔王を倒す。そんな偉業をクエトが出来るわけない。

「兄ちゃんなら大丈夫だろ、いや、ぼくも一緒に行くし。ぼくだって、父さんの息子だ」

「おう、クエト兄ちゃん、俺も手伝うぜ」

 ピピンとザンザが呑気のんきに笑った。ただドレスだけが凍り付いている。

「ああ、おれの父親は魔王を倒しているんだ。大丈夫、おれだって魔王を倒せるさ」

 確かに、クエトは村一番の剣術使いだ。十七歳の少年ながら、村のどの大人よりも強い。魔法だって、ドレスには及ばないものの筋も良い。そして彼は何事においても努力家であった。彼の実力は真実だ。

 だが、彼のたましいは……

 勇者と言う殻をかぶっている彼の、その、中核は……

 クエト、あなたは、臆病なんでしょう? あなたは、勇者の器ではない。あなたは、勇者という周囲の期待を受け、勇者を必死に演じようとしている。

 ドレスにはそれが見えるのだ。

 そのたましいは、消え入る寸前だ、そうドレスには感じられる。

「止めてよ」

 ドレスは叫ぶように言った。

「またか」

 クエトは溜息を付く。このやり取りは既に何度か行っていた。

「行かないで、死ぬわ。クエト、あなたは死んでしまう」

 ドレスは懇願こんがんした。

「ドレス、大丈夫。おれは死ぬつもりはなし。魔王を倒すさ」

 クエトは平然と言ってのける。だがその言葉は虚仮こけだ。ドレスにはそう見えて仕方がなかった。蜉蝣かげろうのように命ははかなく散ってしまう。そんな未来が見える気がした。

「ひゅー、愛されてるね、クエト兄ちゃん」

 ザンザがそうはやしたてる。ドレスはザンザを睨み付けた。

「あなたも友人なんでしょう? 止めてよ、クエトが死んじゃうんだよ?」

 凄みを利かせ、語気を荒くし、ザンザに詰め寄る。

「ド、ドレス……そうは言っても……」

 突然のドレスの怒りに、ザンザはたじろいだ。

「お兄ちゃんは、勇者だから、大丈夫だよ。それにぼくもお兄ちゃんを助けるし」

 ピピンはその場の静まった空気、緊迫した空気を全く意に介さず、笑ってそう言った。相変わらず屈託くったくない笑顔が、顔に浮かんでいる。

 ドレスは溜息を付く。ピピンも、クエトも、ザンザも、この村の友人たちを、誰一人失いたくないのだ。

 誰も、失いたくない。この居心地のいい空間を捨てたくない。



 それから一週間が経つ。その日、ドレスは栗色の家族の家に居た。ピピンもクエト、それにサリーと一緒に夕食を食べていた。ピピンは学校の出来事を嬉しそうに話す。

 クエトは今、三日間王国城下町へと赴いていた。その報告を食事の最中していた。彼は、王国の兵士や将軍を前にその実力を披露ひろうし、それから、稽古をしてこの村に戻ってきた。来月からは魔法都市シャンディゴアのシャンディゴア大学で、本格的に魔法を勉強するようになっていた。ドレスの生まれ育った街だ。

 クエトは勇者としての準備を着々と進めていた。魔王軍は強大で、王国としても手をあぐねていた。しかし新たな魔王政権は未だ不安定である。この機に是が非でも、魔王軍を弱体化させたいという国の意図があった。クエトの父は実際、前魔王を討ち滅ぼしているのだから。

「すっげーな、ぼくも城に行ってみたい……」

 ぽつりとピピンが呟いた。

「いやいや、お城なんて疲れるだけだって」

 クエトがしたり顔で答えた。その間ドレスは上の空で、サリーの作ったスープとパンを口に運んでいた。

「ん、どうしたの? 行き詰った?」

 サリーはドレスに声を掛けた。ドレスは研究が行き詰まり頭を悩ませることがあった。そんなときは、いつも上の空だった。そのため、サリーはそう思ったのだろう。だが、違う。心配事はクエトのことだ。彼は勇者の器ではなかった。ドレスはそう思っている。

 村の期待、弟の期待、国の期待……そんな、あらゆる期待を背負って、致し方なく勇者になろうとしているのだ。それだけに過ぎない。大きな薄いまく、それは、張子の虎の暗示だ。彼は、確かに実力があり魔法においても才覚を持ち得ているが、勇者の器では決してないのだ。だから、彼は死ぬ。ドレスはそう思っていた。

 その夜、ドレスはサリーに散歩を申し出た。ドレスが家に帰るその途中まで送ってほしい、とそう言ったのだ。いつもはクエトかピピンが送る。サリーが、ドレスを送ったことは一度もなかった。サリーは特に何もドレスに訊ねず、快諾する。ピピンやクエトは不思議そうにドレスを見たが、「女同士の話があるのよ」と栗色の母は言う。栗色の兄弟は特段それ以上追及することもなかった。

 二人は夜の暗い道を歩く。ドレスの家は隣の通りなので、実質数分の距離しかない。

 夜道でドレスは何も口を開かなかった。サリーも、一言もしゃべらない。ドレスは何と切り出せばいいか考えあぐねていた。

 月は三日月で、雲も出ていた。魔法都市シャンディゴアと異なり、魔法街灯も村には存在せず、足元は非常に暗かった。

 何の会話もないままドレスの家に到着する。

 ドレスは家の扉を開き、「話があるので、中で」とサリーを招いた。サリーは快諾する。

 椅子に座り、ドレスはローズヒップの紅茶を煎れた。

「それで話って何? ようやくわたしの子供になる気になったの?」

 笑いながらサリーは言う。それから紅茶に口を付けた。栗色の髪が揺れた。

「私はもう十四歳です」

 ドレスは毅然と言った。

「わたしから見ればまだ子供よ」

「……そうですか」

「まあ、いや、あのね。私の子供になる気になったっていうのは、あなたを子供扱いして言ったわけではなくてね、逆よ。うちの息子と結婚しないの?」

「――え?」

 唐突の、サリーの言葉にドレスは言葉を失った。結婚? そんな事考えたこともなかった。結婚だなんて。

「あれ、話ってそういう話じゃないの? たぶんクエトの方でしょう? ピピンはちょっと子供染みているし。でもクエトは奥手だからねえ」

 サリーは息子のことを他人事のように話した。ドレスは話の展開に付いていけなかった。結婚と言う言葉に、自分の頬が赤く染まっていくのを感じた。それを振り払うようにドレスは口を開く。

「あの、違います。クエトの事には違いないんですけど、その、あの、クエトはこの村を出るんですよね?」

「そりゃ、出るだろうね。早くて来年、遅くとも二十歳までには出ると思うわ」

「勇者としてですよね」

「ええ、そうね。わたしの夫と同じようにね」

「いいんですか?」

「……うーん、そうね。そりゃ、寂しくなるし、不安がなわけではないけれど、クエトはわたしの自慢の息子だよ」

「私は……嫌です。クエトに死んで欲しくない」

「死ぬって決まったわけじゃないでしょう? クエトは、わたしの自慢の息子、きっと魔王を倒し、帰ってくるさ」

「でも、サリーおばさん、あなたの夫は帰ってこなかった」

 サリーの顔が凍り付く。表情が消えた。ドレスは毅然きぜんとした態度を崩さなかった。

 静寂は数秒間続いた。何十分もの長さに感じられた。

「……そうね、確かに。わたしは、息子を死地にやっているんだろうね……うん、そうなんだろうね。だけども、息子は幼い頃よりその義務を背負って、そして、クエトにはその自覚が十分にある。誰も止められない」

「……いいえ、サリーおばさん、あなたなら止められるはずです」

「無理だよ、クエトはお父さんが大好きだったんだ、だからあの子は止まらない」

「死んでも、いいというのですか?」

「死なないわよ」

 埒が明かなかった。

 この村で、勇者クエトの誕生を、勇者クエトの出立を反対する者はドレスを除いては誰も居ない。



 それから二年が過ぎた。ドレスとザンザとピピンは十六歳に、クエトは十九歳となった。その年の初め、クエトはハッシュ村をついに発った。村の皆はそれを盛大に見送った。ただ一人、ドレスだけはそれを忸怩たる想いで見送ったのだった。

 クエトが魔王討伐御旅に出た後、ドレスは蘇生の研究を始めた。死を超克する不死の魔法。その完成を志す。クエトが死ぬ。それは彼女にとって確定事項のように思えていた。もはや強迫観念とも言えた。村の皆は勇者クエトの心配をしないわけではないが、どこか楽観視している節があった。ザンザやピピンも、そして母親サリーでさえそうだ。勇者クエトは死体でこの村に帰って来る。そんなイメージが頭の中にこびりつき離れない。

 だが、不死の魔法など、どのようにして完成させればいいか、皆目見当がつかず、研究は容易に成らなかった。一か月が過ぎ、二か月が過ぎ……。焦燥だけが募る。

 やがて、ドレスは別の研究を始める。アプローチを変えたのだ。

 それは過去へ戻るという研究、時間遡行そこうの魔法だった。仮に勇者クエトが死んだならば、時間を巻き戻し自分が助けに行けばいい、そう考えたからだ。

 無論時間遡行そこうの魔法も不死の魔法と同じく、容易ならざることは想像に難くない。だが、この世界には「グオチージン」と呼ばれる時間を巻き戻す特殊な金属が存在するのだ。その時間はおよそ十数秒から十数分。わずかな時間だが、その金属によって戻せるのだった。

 だから、その十数秒と言う時間を一時間、いや、数日、ないしは数か月まで伸ばす事が出来れば、とドレスは考えた。全く手ごたえのない不死の研究よりも幾分成功の可能性があるのではないか。

 実際に研究は順調に進む。グオチージンは魔力を流し込むことで時間を撒き戻すことができる金属であった。本来十分程度しか戻せないその金属を用い、ドレスは三十分戻すことに成功する。金属にただ魔力を流し込むだけではなく、そこにドレスはオリジナルの魔法を組み込むことにより、成し遂げたのだ。あとは同じ要領で三十分を一時間、一時間を一日、一日を一週間と伸ばしていけばいい。

 そう思った矢先、勇者クエトの訃報が、ハッシュ村に届いたのだった。


 

 これは必然なのだ。ドレスはそれを知っていたはずだ。彼は死ぬ。クエトは勇者の器ではなかった。でも止められなかった。魔王軍に殺されたのだ。

 許せない。クエトは大切な人だった。それを失ってしまった。

 魔王が許せない。勇者と言う肩書が許せない。そして、死ぬと予感していながら止められなかった自分が許せない。

「ドレス、おれ、魔王を殺す旅に出るよ、止めても無駄だ」

 ピピンは凍り付いた表情で言う。彼の勇者の弟は、兄よりも勇者然としていた。

「俺も手を貸すぜ」

 ザンザは言う。巨大な剣を背中にひっさげ、甲冑に身を包んでいた。

「私も行くわ」

 ドレスは二人にそう告げた。これ以上友達を死なせるわけにはいかない。ピピンもザンザもドレスにとっては大切な友人だった。孤独だった彼女を救った友人だ。

 もしもあの夜、クエトに出会わなければ。

 もしもハッシュ村に来ていなければ。

 もしもクエトやピピンと友達で無かったら。

 その自分の人生は、おそらく、辛く哀しいものだっただろう。ドレスはそう思うのだ。

 三人は、クエトの死を悼み、喪に服したのち、村を出た。未だ十六歳という若輩であり、勇者クエトが死んだ直後であったため、村の人には反対される恐れがあった。だから三人は誰にも言わず、栗色の母サリーにさえいとまを告げず村を飛び出したのだった。

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