第二章 輪廻の魔女の章

第8話 魔女と勇者の出会い

 魔王と戦う者の一人、――魔女が最初に勇者と出会った時の話だ。彼女はその時未だ幼かった。その幼い時分、最初の勇者と出会った。

 彼女が初めて彼に出会ったとき、月が出ている夜だった。

 畦道あぜみちで二人は出会う。

 彼女、アーキュラス・アラ・ドレスは魔道士の名家に生まれた。魔法都市シャディゴアに生れ落ち、アーキュラス・アラ・ムリオとアベサ・ヤーヤの間に出来た子供だ。ムリオもヤーヤも共に魔法の道では、名の知れた魔法使いだった。ムリオは魔法都市シャディゴアのシャディゴア大学で教鞭を取る教授であった。ヤーヤにはそのような背景はないが、毎年行われるシャディゴア魔術大会で優勝を手にしたことがあり、毎年上位まで食い込むような女だった。シャディゴア大学は殊魔法においては一流であり、そういった点で言えばムリオは優秀な男だったと言えよう。ヤーヤもそれは同様で、シャディゴア魔術大会は毎年近隣の都市や町から腕に覚えのある魔法使いたちが参加するきわめて規模の大きなもので、その大会に優勝できることはそれだけで一種の誉れなのだ。

 ドレスはそんな二人の間に生まれ、優秀な魔法使いとして育っていった。

「お前はもう、高等学校に行くほどの知識はあるな」

 ドレスが九歳の時、ムリオはそう判断した。ムリオは得意げだった。

 ドレスの魔法に対するセンスは抜群で、覚えもいい。九歳にして独自の魔法を編み出すような卓越した才能を有していた。

 そして、九歳の彼女は高校に通う事になるが、そこから彼女の人生は転落へと向かう。少なくともムリオやヤーヤはそう感じていた。

 


 彼に会ったのはドレスが十一歳の時だ。

 ドレスには一つの秘密があった。彼女は見えるのだ。たましいの在り方がその視界に捉えることができる。

 およそそ生命にはたましいが宿っている。だいたいその生物の一番コアとなる部分にぼうと光のようなものが漂っている。人間であるならば心臓あたりだろうか。最初それが何かは分からなかった。そもそも物心ついた時にはそれが見えていて、それが当たり前だと思っていた。ところが両親に話すと、それはどうも普通ではないらしい。

「それはね、ドレス。たましいだ」

 ムリオが言う。

「たましい?」

「そう、たましい。生き物には皆、たましいがある。たましい、それは生きている者の、何と説明していいかな、生命そのもののようなものだ」

「魔力みたいなもの?」

「うーん、ちょっと違うな……それは……個体を認識するためのラベルだよ」

「え?」

「ああ、ちょっと難しかったね。ええっとね、そうだね……例えばお母さんとお父さんは何が違う?」

「うー? お父さんは髪が赤色で……短い。お母さんは髪が長くて、黒で……」

「そうだね、髪の色が違うね。人間は、いや生物は皆違った形をしている。でも違うのは形だけではない、心も違うんだ」

「こころ?」

「そう、心。心と形。皆違っている。たましいというのは、その心と形を兼ね備えたもの」

「……よくわからない」

「そうか、まあ、いずれ分かるさ。私のたましいとお母さんのたましいは違うだろう?」

「うん、お母さんのは……まるくて大きくて、赤い光なの。ゆらゆら揺れて。でもお父さんのは……揺れてない。しっかりしている。まっすぐしている。それで、赤い光……」

 そんなやり取りがあった。かつてまだドレスが両親と仲が良かった時の話だ。今ではもはやそんな会話はしないだろう。

 ともかく父の話によると、ドレスが目にする不思議な光はたましいというものらしい。今となってはそれが正しいかどうかは分からない。もしかしたら父親は何か適当な嘘を教えたのかもしれない。

 まあ、どうでもいい。どうでもよかった。

 どうせ、己にしか見えないのだ。誰も信じないだろうし、誰にも理解できないだろう。だからどうでもいい。

「そんなとこで何をしている?」

 彼に出会ったのはまさに不貞腐れ、たましいについて考えていたそんな時だった。

 時刻は夜だ。寂しい田舎の一本道を、とぼとぼとドレスは歩いていた。月の光では心もとなく、彼女は魔法灯を右手に提げていた。

その時に男が向いからやってきて、そう訊ねたのだ。

「歩いてるのよ、悪い?」

 男はまだ若い。若いといっても十四五に見える。少なくとも十一歳のドレスよりは大人だ。

 ドレスの物言いに男は少したじろいだようだった。しかしすぐに笑顔を浮かべた。

「こんな夜遅くに、歩いていたら危ないよ。家はどこかな?」

「こんな田舎町に危ないことなんてあるの?」

「そりゃ、あるさ。田んぼに落ちたら危ないし、魔物が出るかもしれない」

 その少年の話を聞きながら、ふと、彼のたましいが見えた。彼のたましいは……とても弱弱しかった。

 正確に言うならば、大きな大きな丸い形をしているのだが、それは薄いまくのようになっていて、そのまくの内側に小さなたましいが震えるようにあるのだ。

 こんな形のたましいは初めてだった。

 これは、そう、臆病者のたましいだ。外は大きく立派に見えるが、中身は臆病なのだ。

「あなた、臆病者なのね」

「は?」

 男は突然の言葉に驚き狼狽した。

「図星ね」

「何言っているんだ、おれは勇者だぞ」

「勇者?」

「そう、勇者。勇者クエトだ」

「ふうん」

「ふうんって……」

「ねえ、じゃあ、勇者さん……私今日ここに引っ越すの。グベルク通りってどこ?」

「引っ越す? この町に……? 親御さんは?」

「居ないわ」

 幼き魔女はそう答えた。



 ドレスはただ一人、田舎のハッシュ村グベルク通りの空家に引っ越してきたのだ。僅か十一歳の時であった。

 経緯は複雑だった。アーキュラス・アラ・ドレスは十一歳にして、類まれなる魔法の才能を有していた。それは両親に脅威きょういを抱かせるに十分だった。特に大学で教鞭きょうべんをとる父は、娘を恐れた。ドレスも自室に居心地の悪さを感じていた。かねてから家を出て自由になりたいと思っていた。無論、十一歳の娘をただ一人知らぬ土地にほっぽり出すほどの無慈悲さを、父ムリオは持ち合わせていない。世間体もあった。だが、母ヤーヤが病に伏せた。ムリオとドレスは馬が合わなかった。徐々にムリオは腫物でも扱うかのように、ドレスに接した。ドレスは父に絶望し、父を拒絶した。

 そうして、ドレスは家を飛び出したのだ。ムリオもそれを認め、家を手配した。それがムリオとヤーヤが住むシャディゴアから離れた地、ハッシュ村の空家だった。

 アーキュラス・アラ・ドレスにとって最初の困難は、家を掃除することだった。家は地下室を供え魔術工房を作るのに適していたし、一階も十一歳の小娘が一人で住むには十分すぎる広さだった。その広い家は長年手入れされておらず、ほこりで酷く汚れていた。

 ドレスは天性の魔法使いで、魔法においては器用さも強靭きょうじんさも兼ね備えていたが、経験と応用力が乏しかった。魔法で掃除をする方法を考えても思いつかず、下手をしたら家を壊しかねないと思った。掃除の魔法など今まで考えたこともなかったのだ。

 結局着いたその夜は、玄関や窓を開けっ放しにし、自身は外で寝て過ごした。簡易式の魔法の暖炉を組み立てたので、凍え死ぬことはなかったが、地面は固く、朝起きたら体のあちこちが傷んだ。

 そこに通りかかったのが、昨夜、この家まで案内してくれた勇者クエトとその弟ピピンだった。

 二人はハッシュ村グベルク通の隣の通りに家があった。

 勇者と言う存在がどういう物か、ドレスはいまいち知らなかった。だから、ただの同じ年頃の人間として二人を招き入れた。

 クエトが十四、ピピンが十一だった。

「ほ、本当にここに一人で住んでいるの?」

 ピピンが恐る恐る訊ねた。ドレスははにかんだ。

「ええ、そうよ、怖い?」

「い、いやそんなつもりで言ったんじゃないよ」

 慌ててピピンは、語気強く答えるのだった。ほこりまみれで薄暗い屋敷は、確かに不気味な雰囲気を醸し出していた。十一歳に少年には恐ろしい場所に見えたかもしれない。ドレスはそんなピピンの心情を見抜いていた。彼女は老成していた。同い年の人間が皆、自分より幼く馬鹿にしか見えなかった。いや、同い年どころではない。例えば年上のクエトに対しても同様の感情を抱いている。

「ドレス、雑巾はないのか?」

 クエトが訊ねる。

「知らないわよ」

 ドレスはつっけんどんに答えた。

「はあ? お前の家だろう?」

「昨日来たばっかりなの」

「なら探せよ。掃除するんだろう?」

「はいはい、分かりましたよ」

 ドレスは魔法灯に火を灯し、宙に浮かべる。

 ピピンは大きな黒い瞳で、その様子を興奮気味に見ていた。

「え、すっげーな、魔法? え、ドレスはぼくと同い年なんだろう?」

 ピピンははしゃぎ憧憬の目でドレスを見つめ返した。

 ドレスは正直面食らった。今しがたドレスがやったのは魔法具に魔力を込めただけなのだ。この程度のことは、魔法都市シャンディアゴでは誰にでもできることだ。

 ふと、ドレスはピピンを凝視した。そうしてピピンのたましいを覗き見たのだ。

 クエトのたましいは大きな栗色をしていた。彼の髪の毛と同じ色だ。そしてクエトのたましいと髪の色とも同じ色だった。兄弟だから似ているのか、と思った。ただクエトは薄いまくの中に小さな栗色の丸いたましいがあったのに対し、ピピンはかなり大きな丸い形をしていた。そして元気よく脈打っている。

 ドレスは、兄クエトを凝視する。たましいが見えたが、やはりそのたましいは小さく弱弱しそうに見えた。

 この時ドレスは二人を密かに栗色の兄弟と名付けた。

「残念、雑巾ないみたいね」

 ドレスは魔法灯で照らされた家の中を見渡し言った。

「はあ、しょうがないな。おい、ピピン、お前一回うちに戻って雑巾三枚取って来い」

「ええ? やだよ、兄ちゃん行って来てよ」

「……お前はおれの弟だろ……まあいい、行ってくるから、ドレスとピピンは出来るだけ片付けておけよ」

 クエトは溜息を付き、自分の家へと雑巾を取りに戻った。

「片付けろって言われても、片付けるものなんてないのにね」

 兄が居なくなったのを確認し、ピピンは笑った。

「そうね、外に出ましょうか。ほこりが酷いし」

「うん」

 自分に弟が居たらこんな感じだろうか。ふとドレスは思った。

「ねえねえ、他に魔法使えないの?」

 ピピンは目を輝かせ、訊ねる。

 ドレスは試しに炎を出してみせた。それだけでピピンは大はしゃぎだ。しかしこの程度の魔法は、先程魔法灯に魔力を込めるのと同じくらい簡単な魔法だった。

 ドレスは呆れて訊ねた。

「この村には、魔法使いはいないの?」

「いるよ、いるけど、滅多に魔法見せてくれないし。お父さんも魔法使えて、小さい頃は見せてくれたんだけどね……」

「ふうん、まあ、使用目的もないのに、魔法を使うなん軽率だから見せないのが普通だけど……お父さんはどの程度の魔法使いだったの?」

「魔法使いじゃなくて、勇者だったよ」

「勇者? 勇者って何?」

「うーん……分からないけど、魔王を倒す強い人」

「ふうん、魔王ね。魔王って、魔王でしょう? 確か、ここ数年で新魔王が誕生したんだよね? 新魔王が誕生、あ、そうか、前の魔王は死んだから新魔王が誕生したんだよね? あなたのお父さん、そのユウシャっていうのが倒したの?」

 ドレスは文献で読んだ魔王の事を懸命に思い出す。

「うん……」

「すごいじゃない、魔王ってすごい魔法を使うって、本に書いてあったわ。あなたのお父さん、魔王を倒すなんてすごい魔法使いだったんじゃないの?」

 ドレスは、そう言って驚いた。自分の口からこのような言葉、悪態以外の言葉が出て来るのが驚きだったのだ。シャンディゴアの学校に居た頃は、誰もかれもが魔法が使え、そして誰もかれもがドレスを憎しみの目で、敵意の視線で見つめていた。だからドレスもその敵意に応え、敵意を振りまいた。唯一の味方は両親だったが、父にうとまれるようになり、母は病気で家に帰らなくなった。ドレスは敵意を受け、敵意を振りまく生活しか送ってこなかったのだ。だから、悪態以外の言葉が自分の口から出る、誉め言葉が出たことに心底驚いたのだ。

 だがそれ以上に、ぎょっとした。ピピンは涙をその栗色の双眸そうぼうたたえていたのだ。

「え?」

「死んだんだ、お父さん」

「え、そうなの……あ、ごめんね」

「……」

 ピピンは沈黙した。ドレスはどうしていいか分からなくなった。もしもこれが、昔のクラスメイトの誰かであるならば、弱っているところを嘲笑あざわらい、何らかの悪口を言い追い打ちを掛けたかもしれなかった。だが、そんな気にはなれず、申し訳ない気持ちがあふれかえってきた。どうにかしてなぐさめなければ、という気持ちになった。

 その時クエトが戻ってきた。手にはバケツを抱えていた。

 ピピンはそれを見て慌てて涙をぬぐった。

「兄ちゃん、遅い!」

 と、わざと大きな声をあげ、ピピンは虚勢を張った。

「うるさい、水もんで来たんだ」

 クエトは溜息を吐きながら言った。

「お前達こそ、なんで、外に出て遊んでるんだ?」

 更に続けざま、憤慨ふんがいして、クエトは二人を睨み付けた。

「片付けるものなんてないもの」

 アーキュラス・アラ・ドレスはいたずらっぽくピピンに目くばせをした。クエトは再び大きな溜息を吐いた。

「だいたい、水なんて私の魔法で何とかなるわ」

 ドレスはそう豪語したが、実際はうまくいかなかった。家の中心にバケツを置き掃除を始めたが、バケツの水はすぐに黒くよどんでしまった。川からんでくるよと提案したクエトだったが、ドレスは先程の台詞を述べたのだ。大気から魔法で水を取り出す。初歩的とは言わないまでも、ドレスにとっては簡単な魔法だった。水の大気の精霊に干渉し、水を抽出ちゅうしゅつすればいいだけの話だ。ただピピンやクエトを前にして、少し張り切りすぎた。過剰な魔力を放出してしまい、バランスが崩れ、爆発した。水は辺り一面に、しかも大量に飛び散ったのだ。クエトもピピンもびしょ濡れになり、栗色の無造作に跳ね天井を向いていた髪の毛は、今や水濡れで、ぺたんと地面を向いている。当のドレスは、慌てて炎の膜で自分の全身を包み、手先が少し濡れる程度で済んだ。

「勘弁してくれよ……」

 びしょ濡れになったクエトが、その場に座り込みドレスを睨んだ。

「す、すごい、今の魔法何?」

 それとは対照的にピピンは大はしゃぎだった。

「あーうん、そう、掃除の魔法よ」

 ドレスは咄嗟にそう答え、そして顔を赤らめた。

 


 勇者クエト、弟ピピン、そしてドレスはすぐさま一緒に遊ぶようになった。家が近所という事もあり、年齢が近いという事もあった。ドレスは自分が九歳から十一歳まで二年間所属していたシャディゴア高等学校のことを思い返す。周りが全部敵で、皆、陰険いんけんで、嫉妬しっとと敵意が渦巻く空間だった。

 ここはそんなことはない。ピピンは純粋に、ドレスを慕い、ドレスの操る魔法に憧憬どうけいしていた。クエトは年長者らしく、一人で暮らすドレスを気遣った。

「うちの子になっちゃえば?」

 そう申し出たのは、クエトとピピンの母親だった。

 ドレスはしばしクエトの家に遊びに行き、二人の母親サリーとも交流があった。サリーを見ていると、自分の母ヤーヤのことが頭に浮かび上がる。母は元気だろうか。病気は治ったのだろうか。

 彼女は……ヤーヤは自分のことをどう思っているのだろう。

 ふと両親を想い寂しくなる時がある。

 そんな時は、独り家でひとしきり泣き、泣き止み落ち着いてからクエトの家に行くのだ。そうするとクエト、ピピン、サリーが優しく迎えてくれる。

 サリーは料理やお菓子を作って、ドレスに食べさせるのだ。その日は、冬の寒い日で、ドレスがこのハッシュ村に来て半年が過ぎたある日のことだった。サリーは温かいシチューを作り、ドレスに食べさせ、それからくだんのように言ったのだ。「うちの子になっちゃえば」と。その場にピピンとクエトは居なかった。二人は村の学校に行っていたからだ。ドレスは、二人が居なくてよかったと思った。その場でぽろぽろと大粒の涙を流した。

 あの広い家は寂しい。魔法都市シャンディゴアに居たころは自分の居場所がない。家の中でも、父親から腫物はれもののように扱われ、母は不在で、自分が安心できる場所などなかった。

 でも、誰かが居た。腫物はれもののように扱われようとも、親が居た。病院に行けば母親が居た。

 学校ではそのほとんどが敵と言ってもよかったが、ドレスを気に掛ける教師も居たのだ。ドレスの才能を認め、目にかけてくれる教師が。たとえ、ドレスがそれを拒んだとしても。

 居心地の悪い世界だったが、独りではなかった。

 でも、ここは違う。あの場所は一人だ。十一歳の少女には、広すぎる部家、薄暗く冷たいじめじめした地下室、その場所には何もない。ただアーキュラス・アラ・ドレスが一人存在しているだけだ。ドレスはいつもあの家で待っている。ピピンやクエトが遊びに来る時を、ずっとずっと待っている。今日は来ないのかな、と窓から外を眺め待っている。

 だから、サリーの言葉に、ドレスは涙を流した。

「……ごめんなさい」

 でも、ドレスはそれだけしか言わなかった。言えなかった。理由は分からない。甘えてはいけない気がした。十一歳と言う少女に芽生えつつあった自立心が、あるいは高校生活で生まれてしまった自尊心がそうさせたかもしれなかった。

「うん、まあ、いつでも遊びにおいで。そして寂しくなったら、本当にうちの子になっちゃいな」

 栗色の髪の毛の、女性サリーは屈託くったくない笑顔を浮かべる。

 クエト、ピピン、サリー、栗色の親子。

 私の大切な人だ、とドレスは心のうちで呟いた。

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