第7話 四天王ロン・ウェン
女は気を引き締めるように、
そもそも、だ。アル・バジャラやアゾテックが貧弱すぎる。こんな小娘に……!
「しかし見るからにひ弱そうな小娘だ、こんなヤツにアゾテックもアル・バジャラもやられたのか、実に――」
けしからん。ロン・ウェンはそう言うつもりだった。しかし、女は既に魔法詠唱に入っていた。簡易詠唱、先手必勝ということか。
ロン・ウェンは舌打ちをする。自らも呪文の詠唱に入る。ロン・ウェンは四天王最強の魔物だ。呪文に秀で、力もあり、機動力にも自信があった。
アゾテック、アル・バジャラ、イリス三人が合わさったほどの戦闘能力を持っている。魔法はアル・バジャラを
体力にも自信がある。相手が簡易詠唱であることを受け、ロン・ウェンは通常の手続き、つまり普通の詠唱で強力な魔法をお見舞いしようと思っていた。相手は簡易詠唱であるので、その魔法のダメージは防御しない。すべて受けとめる。その上で、こちらの攻撃を叩きこむ。カウンターだ。相手は魔法使い系統であるようだ。ならば、魔法合戦の初戦で出鼻をくじけば、相手を恐怖に
が、
空間が、目の前で空間が圧縮されていく。この魔法ッ! 【圧搾爆発】魔法!
気づいた時にはすべてが遅かった。自分が行使するはずだった魔法と全く同じ魔法を、この小娘は、簡易詠唱で唱えている――
思考が思い至った瞬間。爆発。爆ぜた。魔王城全体が揺れる。
強力無比の爆発呪文。瞬間的に空気を圧縮し、球体の中に閉じ込める。圧縮のために空気が消えてしまった部分が、真空の鋭い刃となり襲うのだ。さらに、その後、圧縮された空気が元に戻ろうとし、爆発を引き起こす。
圧縮率が高ければ高いほど、その威力は増大する。ロン・ウェンは瞬時に床に伏せ、耳を防いでいた。強烈な爆発音に耳がやられてしまうことも有る。この呪文を使う己だからこそ、とっさの判断で耳を守れた。しかし、ダメージは重篤的だった。無視出来るダメージではない。
しかも己の呪文の詠唱を途中で止めてしまった。致命的である。
ロン・ウェンは飛び退きながら口を開く。その口から炎が吹き出した。
爆発で
次の瞬間その炎をかいくぐる黒髪がちらりと見えた。あの女だ。そして次には打撃音。今しがたロン・ウェンがいた場所への、杖による打撃攻撃だった。床が破壊され、舞い上がる。強力な威力を物語っている。とっさに飛び退いてなければ、相当のダメージがあっただろう。
「巨体なのに、案外素早いのね」
そして、粉塵と炎の残り香の間を縫うように、にゅっと細く白い手が伸びてくる。伸びてくる? いや、肉薄を許したのだ。
ロン・ウェンは簡易詠唱を唱え、右拳を強化する。炎をまとわせ、付き出した。
激しい衝撃が右腕を走り抜けた。手応えがあった。
あの女をこの右拳で撃ちぬいたのだ。本来なら、これで終わり、細身の人間は死んでおしまい、そうなるはずだが、あの女は油断ならない、異様な女だ。
油断はできない。追撃をしなければ。簡易詠唱で氷雪魔法を飛ばす。が、それは炎系等の魔法でほぼ打ち消された。
「馬鹿な!」
つい先刻俺の拳を受けたのに、もう態勢を立て直し、魔法を発動させたというのか。
危機感を感じる。
ごおおおおおおおおおおおおううううう。
今までロン・ウェンが居た場所。そこを黒い塊、何かが通り抜けた。すべてを貪欲に喰らうような、黒い何か。意味不明の、見たこともない魔法だった。
危険だ。なるほど、今になって理解できる。この女は、やばい。やばい。確実に、この俺よりも強い。ロン・ウェンは恐怖を初めて感じた。生まれて初めて、いや、魔王を入れれば二度目の、力の差による恐怖を体中に感じていた。
粉塵が次第に床へと落ち、空気が済んでいく。女は
「本当に素早いのね。それに強力な魔法も使う。確かに、四天王最強ね」
女は嘲笑いながら言った。見下すように。憎悪を込めて。
「なるほど、アゾテックやアル・バジャラがやられるわけだ。そして……
ロン・ウェンもできるだけ皮肉で返したつもりだったが、ただの、負け犬の遠吠えのようになってしまった。だが、意外にも、女は表情を
「私たちは……勇者一行として魔王を倒すの……」
「なんだ、それは。よくわからん、つまらん意地だな」
「意地、ね。そうかも。さて、四天王さん。魔法と機敏さは見せてもらったけど、力はどうかしらね?」
女は杖を構える。むろん、力にも自信はある。だが、今やこの女を前に自信などというものは霧散していた。
女の足下の地面がめり込み、既にぼろぼろの床が舞い上がった。女が足を踏み込んだのだ。否、それはもう跳んでいた。ロン・ウェンも呪文詠唱に入り真横に跳ぶ。だが、遅かった。
「掴んだ」
勝ち誇ったような女の声が、ロン・ウェンの耳元に囁かれるのだった。
万力かと思うた。右足に激痛が走る。締め上げられる、という表現は適さない。握りつぶされる。あるいは引き千切られる。そして、左手が振り上げられていた。殴られる――
その刹那ロン・ウェンは。呪文を完成させた。
「な――」
女の驚嘆の声。初めてロン・ウェンが女に一矢を報いた瞬間だった。
ロン・ウェンが唱えた魔法は、最初に女が使ったものと同じものだった。この魔法は空間そのものを対象にする魔法であり、つまり空間座標に設置するような認識で攻撃する。決して相手を認識して発動するような魔法ではない。かつ、強大な爆発が起こる。つまるところ、ロン・ウェンは、己のいる場所を起点にし、その魔法を発動させた。当然、そのダメージは己も等しく受ける。真空の嘶きが聞こえた。切り裂く痛みが二人を襲う。そして空気の圧縮。
そして――破裂。
圧縮それ自体も、二人には大きなダメージとして圧しかかる。
風圧と熱風が二人を中心にぶわりと広がった。爆発の余韻。だが、その余韻の中、野太い腕がズッと伸びる。
「捉えたぞ小娘!」
ロン・ウェンだった。
形勢逆転といったところか――ロン・ウェンはしかし油断しなかった。ここで殺す!
左腕に魔法力を込め、目いっぱい殴りつける。見た目通りの軽さだが、今までの戦いや、先ほど見せつけられた腕力を
だが油断はせぬ。
跳ぶ。追撃。大ぶりの右腕。叩きつける。破壊音。床が陥没する。手応えを感じる。更にもう一発――が、それはその女の右手で受け止められた。
「な――」
まずい、またあの万力で……今度こそ引き千切られる!
ロン・ウェンは口を大きく開き、炎を吐く。そして、女は爆発の呪文を唱えていた。簡易詠唱――さきほどと今度は逆だった。女を中心に、その爆発は展開される。真空の刃と圧縮と破裂。二人は吹き飛んだ。
女もロン・ウェイも吹き飛ばされていた。
瓦礫の中から、ロン・ウェンは立ち上がる。
熾烈な戦いだった。敗北が必至に思われた。
女も瓦礫の中から立ち上がった。改めて女の容姿を、冷静に観察した。
背は低い。ロン・ウェンの半分と言っても過言ではない。体重はおそらく四倍ほど差がありそうだ。黒い長い髪をしている。戦闘で服はもうボロボロになっており、白い肌が露出していた。白い肌……こんなにも透き通った美しい肌。その肌で、今まで修羅場をくぐり抜けたというのか? さらに解せないことがある。あの小さく細い腕に、かくも万力が如き腕力が有るというのか。そして強力無比な魔法を操るというのに、力も有る。この女は……バケモノだ。ロン・ウェンは、恐怖を抱いた。
女が構える。ロン・ウェンも構える。お互い魔法の詠唱にはいった。先に魔法を行使したのは、ロン・ウェンだった。灼熱の炎が、右手より放たれる。
そして女は竜巻でそれを防いでいる。だが、ロン・ウェンの魔法は囮だ。
ロン・ウェンは身体能力を魔法で一時的に強化した。強化――肉体能力だけではない。感覚――動体視力や反応速度なども高める。体の新陳代謝も上げる。純粋に肉弾戦における戦いが有利に進むためのパワーアップだった。
初めから使わなかったのは、相手が小娘であると高をくくっていたのと、この魔法には幾つかの欠点があるからだった。この手の魔法は、使用後に副作用として体に大きな負担がかかる。通常時であれば、ロン・ウェンにとって、その副作用は大したものではないが、体力が削られた今の状態では、致命傷にいたるような隙を作るかもしれなかった。
だから、これは――必殺のつもりで挑むのだ。死を覚悟して。
再び呪文の詠唱。今度は、風の魔法。かまいたちを発生させ、それを部屋中に乱舞させる。床が剥がれ、埃が舞う。極めて視界の悪い部屋の中。魔法合戦に見せかけて、わざと派手な魔法ばかりを使い、その実感覚を研ぎ澄ませ、肉弾戦で畳み込む。そういう作戦だった。
すべてがスローモーションに思えた。
研ぎ澄まされた感覚。舞い散る埃と空気の流れ。それが線を描いてゆっくりロン・ウェンの周りを駆け巡る。その間隙。視界の端に映る黒い影。捉えた、アレだ。ロン・ウェンは跳んだ。拳を振り上げる。重い一撃を放った。
ズシン、という音で言い表すのが適切なのだろうか。凄まじい衝撃が部屋中に響き渡る。確かな手応えを、ロン・ウェンは感じた。感じてはいたが、相手は生きていた。先ほどはいともたやすく吹っ飛んだ女が、拳を受けてなお、今では立っている。
「同じようなことを考えていたみたいね」
女の声が、ロン・ウェンの
「お、……前は……」
下腹部だった。焼け付くような痛み。
見れば、己の下腹部を女の杖が貫通していた。そこからぼたぼたと、血が流れている。
「殴られたせいで、手元が狂ったわ……」
ロン・ウェンの右拳は女に触れたままだった。
最早勝機はなかった。しかし、何もしない訳にはいかない。ロン・ウェンは右手を引き、再び振りかぶる。だが当然女は許さなかった。素早くロン・ウェンから杖を引きぬき振りかぶる。
ロン・ウェンの拳が女に当たる。だがその威力は虚しいほど弱かった。
やや遅れて女の振る杖がロン・ウェンを殴打した。
ロン・ウェンは吹き飛んだ。死を覚悟した。己は死ぬのだ。
しかし四天王としての
「まだやるの? もうあなた死ぬわよ」
女は言う。
ふと、女の姿に気づいた。女の体には傷が全くなかった。
何故? ああ、そうか……回復したのだな。
戦いを経、今はほぼ裸体に近いが、そもそも最初の出で立ちは修道女のようなものだった。回復が専門のはずだ。だから当然といえば当然、彼女は戦闘の中で、ロン・ウェンの知らぬ所で、回復魔法を行使したのだろう。ロン・ウェンも回復魔法は使えた。だが、それをあの女が許してくれるとも思えぬ。し、仮に回復したところで勝てる気はしなかった。
だが、
「回復するの? 無駄よ」
女はそう言った。阻止しにかかる、かと思ったが、女は
ロン・ウェンはいぶかしがるが、強者の余裕だろうと考えた。
「な……」
回復魔法が完成し、己に行使される。だが、回復しない。何故……?
「言ったでしょう、無駄だって」
「何が起った……」
「呪い」
「の……ろい?」
「そう、この杖に殴られた者は、呪われるの。回復魔法が効かないという呪い」
この女は何なのだ。呪いを使い、強力な魔法を操り、機敏性を持ち、力でもこの己を凌駕している。そして呪い。バケモノ……その形容がしっくりきた。この己より、バケモノなのだ。
結局イリスの判断は正しかった。イリスもこの女には勝てまい。四天王は全滅してはならない存在だ。イリス……お前は聡い女だ。悪口を言ってしまったことに悔恨をロン・ウェンは覚えた。
己は死ぬ。死にはするが……まあ、魔王様が負けることは、あるまい。そして死ぬ前に少し気になることがあった。女の引きずっている
勇者の顔は死ぬ前に拝んでおきたかった。
憎き弟の敵でも有る。……ロン・ウェンの弟は、勇者一行に殺されていた。
詳細は聞いていない。この女が、それに関わったかどうかも知らぬ。だが、勇者は確実に関わったのだろう。その顔を拝んでおきたかった。憎しみだ。勇者とはどのような存在なのだろうか。この女があくまで勇者一行という形にこだわるならば、この女よりも強いということか? いや、それは想像できなかった。こんな女並みの人間が何人もいれば、さすがの魔王様も危ないかもしれない、とそう思ったからだ。
勇者……どんな存在だ?
「聞くが、お前は勇者じゃ無いのか?」
「違うわよ」
「なら、その
「そうね」
女はロン・ウェンにとどめを刺さない。いつでも殺せると油断しているのだろう。ロン・ウェンは笑った。その油断があるなら、
「なに?」
女は訝しげにロン・ウェンを睨む。
ロン・ウェンはゆっくりと女に近づく。
「あのさ、分かっているでしょう。あなたは私に勝てない」
女は嘲笑った。
「ああ、分かってるさ」
答えながら呪文の詠唱にはいった。
「……! そう、あくまでも戦うってのね。しぶといねぇ。でもいいわ、認めてあげる。あなた強かったわよ」
「それはどうも」
呪文が完成した。女を薄水色の球体で包み込む。
「……何、この魔法……?」
女は攻撃魔法を詠唱していたが、それを途中で止めた。正体不明の魔法に戸惑ったのだろう。
「ただの防御系の魔法だ。相手からのあらゆる攻撃を防ぐ魔法だが……使った本人も、内側からは攻撃できない失敗魔法。本来は己自身に使用する魔法だから、お前に近づく必要があった」
「? 時間稼ぎ?」
「そうさ」
「何のよ」
女は杖を思いっきり振り、その球体の魔法壁に叩きつける。魔法壁にヒビが入った。あと一、二度殴れば壊れるかもしれない。恐ろしい怪力だ。
「今に分かるさ」
ロン・ウェンは
「! や、やめなさい」
女はようやくロン・ウェンの意図に気づいたようだ。
ロン・ウェンは
そして、
――何もなかった。その中には何もはいってなかった。チリひとつ入っていない。空っぽの棺桶だった。
「な、に……」
ロン・ウェンは
ロン・ウェンは別の
背後では魔法壁の
最後の
――空っぽ?
それ以上、ロン・ウェンの思考は続かなかった。
上空から強烈な杖の一撃が加えられ、その屈強で頑丈な頭部は、ものの見事に四散爆発した。
返り血を浴びながら、女はロン・ウェンの死体を無言のまま憎々しげに
「神よ……あの日より、祈るのを辞めました。しかし、今一度だけ、祈ります。神よ、神様……今日全てを終わらせます。どうか、勇者一行に祝福を」
彼女はそう独り
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