第7話 四天王ロン・ウェン

 女は気を引き締めるように、棺桶かんおけを持つひもから手を放す。棺桶かんおけ……ロン・ウェンは目を細めた。この女は、しかし、一人になっても魔王を倒そうと突き進むのか。愚かな女だと思った。愚かな女と言えば、あいつだ。四天王イリス。サキュバス種で、美しい女である。実際ロン・ウェンは彼女のことを好いていたが、今しがたのやり取りで多少の嫌悪感を抱いていた。こんな人間に勝てぬと? あまつさえ、この俺様よりも、四天王最強のロン・ウェンを打ち倒すと思っているのか? 下らん。と、そう憤怒ふんぬを抱いたのだ。

 そもそも、だ。アル・バジャラやアゾテックが貧弱すぎる。こんな小娘に……!

「しかし見るからにひ弱そうな小娘だ、こんなヤツにアゾテックもアル・バジャラもやられたのか、実に――」

 けしからん。ロン・ウェンはそう言うつもりだった。しかし、女は既に魔法詠唱に入っていた。簡易詠唱、先手必勝ということか。

 ロン・ウェンは舌打ちをする。自らも呪文の詠唱に入る。ロン・ウェンは四天王最強の魔物だ。呪文に秀で、力もあり、機動力にも自信があった。

 アゾテック、アル・バジャラ、イリス三人が合わさったほどの戦闘能力を持っている。魔法はアル・バジャラを凌駕りょうがし、力はアゾテックを遥かに超越していた。

 体力にも自信がある。相手が簡易詠唱であることを受け、ロン・ウェンは通常の手続き、つまり普通の詠唱で強力な魔法をお見舞いしようと思っていた。相手は簡易詠唱であるので、その魔法のダメージは防御しない。すべて受けとめる。その上で、こちらの攻撃を叩きこむ。カウンターだ。相手は魔法使い系統であるようだ。ならば、魔法合戦の初戦で出鼻をくじけば、相手を恐怖におとしいれることも難しくはない。一気に相手を畳み込む。己の肉を絶ち相手の骨を断つ!

 が、

 空間が、目の前で空間が圧縮されていく。この魔法ッ! 【圧搾爆発】魔法!

 気づいた時にはすべてが遅かった。自分が行使するはずだった魔法と全く同じ魔法を、この小娘は、簡易詠唱で唱えている――

 思考が思い至った瞬間。爆発。爆ぜた。魔王城全体が揺れる。

 強力無比の爆発呪文。瞬間的に空気を圧縮し、球体の中に閉じ込める。圧縮のために空気が消えてしまった部分が、真空の鋭い刃となり襲うのだ。さらに、その後、圧縮された空気が元に戻ろうとし、爆発を引き起こす。

 圧縮率が高ければ高いほど、その威力は増大する。ロン・ウェンは瞬時に床に伏せ、耳を防いでいた。強烈な爆発音に耳がやられてしまうことも有る。この呪文を使う己だからこそ、とっさの判断で耳を守れた。しかし、ダメージは重篤的だった。無視出来るダメージではない。

 しかも己の呪文の詠唱を途中で止めてしまった。致命的である。

 ロン・ウェンは飛び退きながら口を開く。その口から炎が吹き出した。

 爆発で粉塵ふんじんが舞いよく見えないが、あの女が居る方向へ、ともかく炎を吹きだした。威力はないが、牽制けんせいにはなるはずだ。

 次の瞬間その炎をかいくぐる黒髪がちらりと見えた。あの女だ。そして次には打撃音。今しがたロン・ウェンがいた場所への、杖による打撃攻撃だった。床が破壊され、舞い上がる。強力な威力を物語っている。とっさに飛び退いてなければ、相当のダメージがあっただろう。

「巨体なのに、案外素早いのね」

 そして、粉塵と炎の残り香の間を縫うように、にゅっと細く白い手が伸びてくる。伸びてくる? いや、肉薄を許したのだ。

 ロン・ウェンは簡易詠唱を唱え、右拳を強化する。炎をまとわせ、付き出した。

 激しい衝撃が右腕を走り抜けた。手応えがあった。

 あの女をこの右拳で撃ちぬいたのだ。本来なら、これで終わり、細身の人間は死んでおしまい、そうなるはずだが、あの女は油断ならない、異様な女だ。

 油断はできない。追撃をしなければ。簡易詠唱で氷雪魔法を飛ばす。が、それは炎系等の魔法でほぼ打ち消された。

「馬鹿な!」

 つい先刻俺の拳を受けたのに、もう態勢を立て直し、魔法を発動させたというのか。

 危機感を感じる。咄嗟とっさにロン・ウェンは真横に飛び退いた。本能が彼をそうさせた。

 ごおおおおおおおおおおおおううううう。

 今までロン・ウェンが居た場所。そこを黒い塊、何かが通り抜けた。すべてを貪欲に喰らうような、黒い何か。意味不明の、見たこともない魔法だった。

 ひるんではいられない。ロン・ウェンは火炎系の呪文を唱える。右腕から魔力が放出され、肌を焼きつくすような灼熱しゃくねつほとばしった。女が居る方へ向けて、炎がずぬりとはいい走る。すべてを焼きつくすかのように。だが、竜巻がそれを巻き上げた。再び粉塵ふんじん

 危険だ。なるほど、今になって理解できる。この女は、やばい。やばい。確実に、この俺よりも強い。ロン・ウェンは恐怖を初めて感じた。生まれて初めて、いや、魔王を入れれば二度目の、力の差による恐怖を体中に感じていた。

 粉塵が次第に床へと落ち、空気が済んでいく。女は微動びどうだにせず立っていた。見たところあまりダメージがないように見える。

「本当に素早いのね。それに強力な魔法も使う。確かに、四天王最強ね」

 女は嘲笑いながら言った。見下すように。憎悪を込めて。

「なるほど、アゾテックやアル・バジャラがやられるわけだ。そして……棺桶かんおけを三つ担いでいるところ見ると、勇者の力など借りなくとも、私一人で魔王なんて倒せますって、か?」

 ロン・ウェンもできるだけ皮肉で返したつもりだったが、ただの、負け犬の遠吠えのようになってしまった。だが、意外にも、女は表情をゆがめた。

「私たちは……勇者一行として魔王を倒すの……」

「なんだ、それは。よくわからん、つまらん意地だな」

「意地、ね。そうかも。さて、四天王さん。魔法と機敏さは見せてもらったけど、力はどうかしらね?」

 女は杖を構える。むろん、力にも自信はある。だが、今やこの女を前に自信などというものは霧散していた。

 女の足下の地面がめり込み、既にぼろぼろの床が舞い上がった。女が足を踏み込んだのだ。否、それはもう跳んでいた。ロン・ウェンも呪文詠唱に入り真横に跳ぶ。だが、遅かった。

「掴んだ」

 勝ち誇ったような女の声が、ロン・ウェンの耳元に囁かれるのだった。

 万力かと思うた。右足に激痛が走る。締め上げられる、という表現は適さない。握りつぶされる。あるいは引き千切られる。そして、左手が振り上げられていた。殴られる――

 その刹那ロン・ウェンは。呪文を完成させた。

「な――」

 女の驚嘆の声。初めてロン・ウェンが女に一矢を報いた瞬間だった。

 ロン・ウェンが唱えた魔法は、最初に女が使ったものと同じものだった。この魔法は空間そのものを対象にする魔法であり、つまり空間座標に設置するような認識で攻撃する。決して相手を認識して発動するような魔法ではない。かつ、強大な爆発が起こる。つまるところ、ロン・ウェンは、己のいる場所を起点にし、その魔法を発動させた。当然、そのダメージは己も等しく受ける。真空の嘶きが聞こえた。切り裂く痛みが二人を襲う。そして空気の圧縮。

 そして――破裂。

 圧縮それ自体も、二人には大きなダメージとして圧しかかる。

 風圧と熱風が二人を中心にぶわりと広がった。爆発の余韻。だが、その余韻の中、野太い腕がズッと伸びる。砂塵さじんにまみれた視界の悪いその中から、野太い腕が伸びてきたのだ!

「捉えたぞ小娘!」

 ロン・ウェンだった。

 形勢逆転といったところか――ロン・ウェンはしかし油断しなかった。ここで殺す!

 左腕に魔法力を込め、目いっぱい殴りつける。見た目通りの軽さだが、今までの戦いや、先ほど見せつけられた腕力をかんがみると、意外なほどあっさりと女は壁に叩きつけられた。確かな手応えだった。骨を、どこか骨を砕いた手応えがある。

 だが油断はせぬ。

 跳ぶ。追撃。大ぶりの右腕。叩きつける。破壊音。床が陥没する。手応えを感じる。更にもう一発――が、それはその女の右手で受け止められた。

「な――」

 まずい、またあの万力で……今度こそ引き千切られる!

 ロン・ウェンは口を大きく開き、炎を吐く。そして、女は爆発の呪文を唱えていた。簡易詠唱――さきほどと今度は逆だった。女を中心に、その爆発は展開される。真空の刃と圧縮と破裂。二人は吹き飛んだ。

 女もロン・ウェイも吹き飛ばされていた。

 瓦礫の中から、ロン・ウェンは立ち上がる。

 熾烈な戦いだった。敗北が必至に思われた。

 女も瓦礫の中から立ち上がった。改めて女の容姿を、冷静に観察した。

 背は低い。ロン・ウェンの半分と言っても過言ではない。体重はおそらく四倍ほど差がありそうだ。黒い長い髪をしている。戦闘で服はもうボロボロになっており、白い肌が露出していた。白い肌……こんなにも透き通った美しい肌。その肌で、今まで修羅場をくぐり抜けたというのか? さらに解せないことがある。あの小さく細い腕に、かくも万力が如き腕力が有るというのか。そして強力無比な魔法を操るというのに、力も有る。この女は……バケモノだ。ロン・ウェンは、恐怖を抱いた。

 女が構える。ロン・ウェンも構える。お互い魔法の詠唱にはいった。先に魔法を行使したのは、ロン・ウェンだった。灼熱の炎が、右手より放たれる。

 そして女は竜巻でそれを防いでいる。だが、ロン・ウェンの魔法は囮だ。

 ロン・ウェンは身体能力を魔法で一時的に強化した。強化――肉体能力だけではない。感覚――動体視力や反応速度なども高める。体の新陳代謝も上げる。純粋に肉弾戦における戦いが有利に進むためのパワーアップだった。

 初めから使わなかったのは、相手が小娘であると高をくくっていたのと、この魔法には幾つかの欠点があるからだった。この手の魔法は、使用後に副作用として体に大きな負担がかかる。通常時であれば、ロン・ウェンにとって、その副作用は大したものではないが、体力が削られた今の状態では、致命傷にいたるような隙を作るかもしれなかった。

 だから、これは――必殺のつもりで挑むのだ。死を覚悟して。

 再び呪文の詠唱。今度は、風の魔法。かまいたちを発生させ、それを部屋中に乱舞させる。床が剥がれ、埃が舞う。極めて視界の悪い部屋の中。魔法合戦に見せかけて、わざと派手な魔法ばかりを使い、その実感覚を研ぎ澄ませ、肉弾戦で畳み込む。そういう作戦だった。

 すべてがスローモーションに思えた。

 研ぎ澄まされた感覚。舞い散る埃と空気の流れ。それが線を描いてゆっくりロン・ウェンの周りを駆け巡る。その間隙。視界の端に映る黒い影。捉えた、アレだ。ロン・ウェンは跳んだ。拳を振り上げる。重い一撃を放った。

 ズシン、という音で言い表すのが適切なのだろうか。凄まじい衝撃が部屋中に響き渡る。確かな手応えを、ロン・ウェンは感じた。感じてはいたが、相手は生きていた。先ほどはいともたやすく吹っ飛んだ女が、拳を受けてなお、今では立っている。

「同じようなことを考えていたみたいね」

 女の声が、ロン・ウェンの耳朶じだを打つ。灼熱しゃくねつの痛みが、ロン・ウェンを襲った。この女もまた強化魔法を使ったに違いなかった。

「お、……前は……」

 下腹部だった。焼け付くような痛み。

 見れば、己の下腹部を女の杖が貫通していた。そこからぼたぼたと、血が流れている。

「殴られたせいで、手元が狂ったわ……」

 ロン・ウェンの右拳は女に触れたままだった。

 最早勝機はなかった。しかし、何もしない訳にはいかない。ロン・ウェンは右手を引き、再び振りかぶる。だが当然女は許さなかった。素早くロン・ウェンから杖を引きぬき振りかぶる。

 ロン・ウェンの拳が女に当たる。だがその威力は虚しいほど弱かった。

 やや遅れて女の振る杖がロン・ウェンを殴打した。

 ロン・ウェンは吹き飛んだ。死を覚悟した。己は死ぬのだ。

 しかし四天王としての矜持きょうじ。ただそれだけのために、ロン・ウェンは起き上がった。

「まだやるの? もうあなた死ぬわよ」

 女は言う。

 ふと、女の姿に気づいた。女の体には傷が全くなかった。

 何故? ああ、そうか……回復したのだな。

 戦いを経、今はほぼ裸体に近いが、そもそも最初の出で立ちは修道女のようなものだった。回復が専門のはずだ。だから当然といえば当然、彼女は戦闘の中で、ロン・ウェンの知らぬ所で、回復魔法を行使したのだろう。ロン・ウェンも回復魔法は使えた。だが、それをあの女が許してくれるとも思えぬ。し、仮に回復したところで勝てる気はしなかった。

 だが、矜持きょうじがある。戦う。最後まで戦う。呪文の詠唱にはいる。回復魔法だ。

「回復するの? 無駄よ」

 女はそう言った。阻止しにかかる、かと思ったが、女は微動びどうだにしなかった。

 ロン・ウェンはいぶかしがるが、強者の余裕だろうと考えた。

「な……」

 回復魔法が完成し、己に行使される。だが、回復しない。何故……?

「言ったでしょう、無駄だって」

「何が起った……」

「呪い」

「の……ろい?」

「そう、この杖に殴られた者は、呪われるの。回復魔法が効かないという呪い」

 この女は何なのだ。呪いを使い、強力な魔法を操り、機敏性を持ち、力でもこの己を凌駕している。そして呪い。バケモノ……その形容がしっくりきた。この己より、バケモノなのだ。

 結局イリスの判断は正しかった。イリスもこの女には勝てまい。四天王は全滅してはならない存在だ。イリス……お前は聡い女だ。悪口を言ってしまったことに悔恨をロン・ウェンは覚えた。

己は死ぬ。死にはするが……まあ、魔王様が負けることは、あるまい。そして死ぬ前に少し気になることがあった。女の引きずっている棺桶かんおけである。あれは仲間の者なのだろう。そもそも勇者は男と聞く。勇者一行として魔王を倒すと言っていたならば、あの棺桶かんおけの中には勇者が居るのだろう。

 勇者の顔は死ぬ前に拝んでおきたかった。

 憎き弟の敵でも有る。……ロン・ウェンの弟は、勇者一行に殺されていた。

 詳細は聞いていない。この女が、それに関わったかどうかも知らぬ。だが、勇者は確実に関わったのだろう。その顔を拝んでおきたかった。憎しみだ。勇者とはどのような存在なのだろうか。この女があくまで勇者一行という形にこだわるならば、この女よりも強いということか? いや、それは想像できなかった。こんな女並みの人間が何人もいれば、さすがの魔王様も危ないかもしれない、とそう思ったからだ。

 勇者……どんな存在だ?

「聞くが、お前は勇者じゃ無いのか?」

「違うわよ」

「なら、その棺桶かんおけの中に、勇者が居るのだな」

「そうね」

 女はロン・ウェンにとどめを刺さない。いつでも殺せると油断しているのだろう。ロン・ウェンは笑った。その油断があるなら、棺桶かんおけの中身くらいのぞかせてもらえるだろう。

「なに?」

 女は訝しげにロン・ウェンを睨む。

 ロン・ウェンはゆっくりと女に近づく。

「あのさ、分かっているでしょう。あなたは私に勝てない」

 女は嘲笑った。

「ああ、分かってるさ」

 答えながら呪文の詠唱にはいった。

「……! そう、あくまでも戦うってのね。しぶといねぇ。でもいいわ、認めてあげる。あなた強かったわよ」

「それはどうも」

 呪文が完成した。女を薄水色の球体で包み込む。

「……何、この魔法……?」

 女は攻撃魔法を詠唱していたが、それを途中で止めた。正体不明の魔法に戸惑ったのだろう。

「ただの防御系の魔法だ。相手からのあらゆる攻撃を防ぐ魔法だが……使った本人も、内側からは攻撃できない失敗魔法。本来は己自身に使用する魔法だから、お前に近づく必要があった」

「? 時間稼ぎ?」

「そうさ」

「何のよ」

 女は杖を思いっきり振り、その球体の魔法壁に叩きつける。魔法壁にヒビが入った。あと一、二度殴れば壊れるかもしれない。恐ろしい怪力だ。

「今に分かるさ」

 ロン・ウェンは棺桶かんおけに向かって歩いてゆく。

「! や、やめなさい」

 女はようやくロン・ウェンの意図に気づいたようだ。

 ロン・ウェンは棺桶かんおけまで歩き、その蓋を掴んだ。背後では二発目の殴打音おうだおんがする。だがまだ魔法壁は破られてないらしい。

 そして、棺桶かんおけの蓋を開けた。

 ――何もなかった。その中には何もはいってなかった。チリひとつ入っていない。空っぽの棺桶だった。

「な、に……」

 ロン・ウェンは茫然ぼうぜんと立ち尽くす。

 ロン・ウェンは別の棺桶かんおけの蓋にも手をかける。そして開ける。何もない。

 背後では魔法壁の瓦解音がかいおん

 最後の棺桶かんおけに手をかける。棺桶かんおけの扉を開く。だが…………

 ――空っぽ?

 棺桶かんおけの中は、三つとも空っぽ?

 それ以上、ロン・ウェンの思考は続かなかった。

 上空から強烈な杖の一撃が加えられ、その屈強で頑丈な頭部は、ものの見事に四散爆発した。

 返り血を浴びながら、女はロン・ウェンの死体を無言のまま憎々しげに睥睨へいげいした。

「神よ……あの日より、祈るのを辞めました。しかし、今一度だけ、祈ります。神よ、神様……今日全てを終わらせます。どうか、勇者一行に祝福を」

 彼女はそう独りち、歩みを進める。

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