第2話 魔女の傍ら

 その女は突如とつじよその世界に出現した。本当にポッと出てきた。別の世界から、突如現れたような、そんな感じだ。何せ、どこの大学にも所属しておらず、どこの有名魔法使いの弟子でもなかった。忽然こつぜんと彼の前に現れたのだ。

 年のころは未だ十六、十七程度の小娘だった。赤く長い髪をなびかせ、如何にも魔法使いぜんとした恰好かっこうをしている。黒いローブに三角帽子をかぶっているのだ。

 彼自身も弱冠じゃっかん20と若輩じゃくはいながら少しばかり名の知れた魔法使いだ。ただし最近師匠に破門されたばかりであった。まあ、破門というよりは自ら飛び出していったようなものだけれども。彼はその才能ゆえに、低からぬ自尊心を作り上げてしまい、従属するという行為にえられなくなったのだ。

 そうして都を飛び出し、森の中に自身の研究室を作り、かつての師の鼻を明かしてやろうと思っていたのだ。かつての師が、植物や大地に起因する魔法使いであったため、彼も又その道の研究を志していた。森の中という事で地の利も生きる。

 が、半年も経たぬうちに、自分の軽率さを呪い始めた。研究は遅々として進まなかった。

 今まで習得しならった理論は、完璧に覚え、魔法の行使もその熟練度は高められているという自負があった。つまりは洗練において、師に肉薄せんと息巻いていた。しかし、新たな魔法を創出する段になると、何をやっていいのかさっぱりわからなかった。または、解明がされていない古代魔法の復元なども、遅々として進まぬ。今更ながら魔法の奥深さと、自分の能力のなさ、そして、師の偉大さを思い知らされた。

 だが、彼は矜持きょうじ強い人間である。啖呵たんかを切って師のもとを離れたのだ。何らかの研究成果がなければ師のところに帰ることはできないだろう。たとえ師が、寛容かんような人物であっても。

 そんな折にその女は、ふらりと彼のもとを訪れたのだ。

「誰だ、こんな森奥に。迷子か?」

 男が怪訝けげんげにそう訊ねると、女はじろりと、彼を一瞥いちべつする。

「ここは、何? 研究室?」

「そうだが」

「何を研究しているの?」

「小娘に言っても分からないだろうが、創出の研究。ゴーレムの創造だ。土からのゴーレム造りは、既に体系が完成しているが、その他の材質からの生成は未だ体系が出来上がっていない」

 彼は憤然ふんぜんと言う。もっとも師の受け売りであるのだが。実際は、よもやすれば師が既にその体系を完成させている可能性もあった。

「ふうん」

 女はそれを聞くとやわら部屋から出て行った。奇妙な女だと思ったが、それ以上追及はしない。さっさと帰るがいい。そう思った。

 が、外で一際大きな音がする。何事かと、外へ出てみたら女が無表情で立っていた。傍らにはウッド・ゴーレムが二体、これもまた表情無く立っているのだ。

「なんだ、これは」

「木からゴーレムを生成したわ」

 彼は圧倒された。確かに木からのゴーレム生成は不可能ではない。その理論もある。だが土から作るそれより、まだ研究されていないことが多々あった。今しがた彼の目にするゴーレムは、強大であり相当な魔力を持った強個体であることがうかがえる。彼もウッド・ゴーレムを作るのはできるのだが、これほど強個体は望むべくもない。表面は木の滑らかな質感をたたええているが、内実には木材が圧縮されているのではないかと言う質量を感じさせる。巨木という比喩が妥当のウッド・ゴーレムだ。

「お前、まさか師匠の回し者か?」

「師匠?」

 女は首を傾げた。

「違うのか? サヴィザ・ゲジュリケットと言うが」

「知らないわね」

「……そうか、まあいい。それで、俺に何の用だ」

「そうね、ある魔法を探しているの」

「魔法? 何の?」

「未来へ飛ぶ魔法」

「時空超越だと? まさか、そんな魔法は存在しない」

 彼は眉をひそめる。時々誤解する一般人がいるのだ。魔法はなんでもできるものだ、と。空間を移動したり、空を飛んだり、人を生き返らせたり……。彼女もその類だろうか? だが、しかし、彼女には魔法の素養があるように見受けられる。実際ウッド・ゴーレムを創出した。

「そう、残念ね。じゃあいいわ、さようなら」

「ま、待て。何者だ? 何故時空超越をする必要がある?」

「未来に用事があるの」

「用事だと? どんな用事があるというのだ」

「魔王を殺す」

「魔王を殺す?」

 なんだこの女は。彼は唖然あぜんとした。彼女の言う事は全て支離滅裂だ。魔王を殺すという事柄が、先ず理解不能である。魔王とは魔王領を統べる王のことであるが、人間の王とは異なり血筋ではなく強さが全てという。その強大な力、魔力で支配するわけだ。いわば最強の魔物。それをたかが小娘一人が殺すとなだと笑止千万。更に言えば、未来で魔王を殺す、と言うのも意味不明だ。

「魔王は……魔王を知っているのか? 今の魔王はエビルディアと言って、魔物の中でもナイトメアと言う希少種だ。歴代の魔王の中でも、最強と名高いぞ。何せ、いくら倒しても依代よりしろがある限り復活できるのだからな……ナイトメアという種族は――」

 彼は師匠から聞いたその魔王の受け売り話を、得意げに語る。

「知っているわ。魔王エビルディアは死んだし」

「は?」

「死んだわ」

「……馬鹿な、お前が殺したというのか?」

「いいえ、私が手を下したわけではないけれど。まあ、その場には居たわね」

「そんな、まさか」

「信じなければそれでもいいわ、それじゃあ」

「待て、どこに行く?」

 彼には直感があった。彼女は只者ただものではない。未来へ飛ぶ魔法、魔王が死んだ等およそ荒唐無稽な内容しか話していないが、彼女は何かしら才覚を持っている。そのまま彼女の話を信じる訳にはいかないが、彼女ともっと話をしたいという感情が湧き上がっていた。

「……どこかしらね。あなたの師匠はどこに居るの?」

「ここから東にあるソビラという都の、ソビラ大学に居るが……」

「じゃあ、そこに行くわ」

「待て待て待て、詳しく話せ。どこで、こんなものを学んだのだ?」

 彼は女を引き留めた。紅茶を入れ、様々な魔法の話を聞く。女はソビラへの案内や師匠への取次を条件に快諾かいだくした。そして魔法に関する議論を行った。驚くべきことだった。女の博識さに彼は圧倒された。独創的、そして創造的、論理が緻密ちみつ、無駄がない、そして彼の知らぬ魔法を沢山彼女は知っていた。彼女と話しているとまるで自分が無知の餓鬼がきのように思えてくる。そんな印象しか抱かなかった。彼よりも年下の小娘が、これほどの英知を知っているとは、いかなる理由か? 彼の矜持きょうじはその根本からポッキリと折れてしまった。たまらず彼は、師匠は誰だ? と、そう質問をした。

「両親よ。強いて言うなら」

 彼女はそう答えた。成程どこぞの有名魔法使いの令嬢か。だが、その名前を訊いても彼には心当たりがなかった。

 その日は彼女の話にただひたすら感服した。



 日をまたぎ、彼と女はソビラへ向かう。

 師匠への面通りは、意外なほどあっさりと叶った。破門されたものだとばかり思っていた彼は拍子抜けした。

「ふふ、一年くらいは帰ってこないと思っていたが、案外早かったな。シュリタケイン・アンガニー――」

 師は笑う。そして傍らにいる女を怪訝げげんそうに見遣った。

「ふむ、何か大事を成すために出ていくとのたまっていたが、女を連れて来るとは。結婚でもするのか?」

 師は思案げに、値踏みするかのごとく女を見る。

「師匠様、そうではありません。私は、ただ……」

 だがどう説明していいか彼には分からなかった。

「まあいいわ、シュリタケインだっけ。私から話すわ」

 女は相変わらず無表情に言う。

「ふむ、赤髪の小娘よ。何用であるか」

「未来へ行く魔法を知りたいの」

「ほう、未来か。そんな魔法あるなら私が知りたいところよ」

「では、そういった類の研究をしている人を紹介してほしい」

「……心当たりがないこともないが、どこぞの馬の骨の知れぬ小娘を紹介は出来ぬな」

 師は一蹴いっしゅうする。

「……お待ちください、師匠。この女は天才なのです、およそそ私の知る魔法使いと才能の格が違います。私など足元にも及びません」

「ほう。お前のような傲慢ごうまん極まりない人間にそこまで言わせるとは本当に、天才なのだろう。しかし、シュリタケイン・アンガニー。お前はその自身の傲慢ごうまんさや矜持きょうじで、しばし、物事が見えなくなるからな。何かだまされていはしないか?」

 師は冷静に彼を分析した。

 それからの出来事をどう説明すればいいか、彼には分からない。女はいくつか話をし、その場で秘術を披露ひろうした。最初はゴーレムの生成。師匠は確かに驚きの表情を見せたが、それだけだった。

 だが、その後、彼女は様々な秘術を披露し続け、その無謬むびゅうなる理論を説明し始めた。それにはさすがの師も面食らったようであった。彼自身も、既に昨夜散々聞いた彼女の話を静かに傾聴した。途中、彼には話についていけなくなることがあった。彼の師サヴィザ・ゲジュリケットは、時間の魔法を研究する魔法使いの紹介を快諾した。その代り、木からゴーレムを生成する魔術式と論理を、女は紙に記し、師に渡す。

 二人はそれから紹介された魔法使いのもとへ足を急いだ。



 そこからは、同じようなことの繰り返しだった。彼女が未来へ飛ぶ魔法の研究を求め、様々な研究室を、魔法使いを訪れるが、ことごとくそのような研究を成功させている者は存在しなかった。訪れる魔法使いたちは皆一様に彼女の所行に目を見開き感嘆し、秘術の論理と彼女自体の素性を聞き出そうとした。

 だが、女は全てを語らず、一部のみを与えて、それらの魔法使いを満足させた。ずっと傍らについている彼は、女が教える情報が一部でしかないことを知っていた。

 彼女は何者か。そんなことに思いを馳せるが、分かるわけがない。

 彼女はアーキュラスと名乗った。

 あらかた有名な魔法使いの許を回った二人は、彼の研究室へと戻っていた。森の中のである。その間、アーキュラスの語った魔王エビルディアの死は現実のものと分かった。魔王は死んだのだ。だが、誰か倒したかは全くの不明であった。名乗り上げる者さえいない。魔物の間でも魔王の死を隠そうという動かがあったため、いよいよその真相は分からなかった。つまり目の前のアーキュラスが殺したのだろう。いや彼女自身は手を下していないということを言っていたが。

 彼女はそれから研究に没頭した。未来へ行くための、時空跳躍魔法。一か月、二か月と時間が過ぎ去っていく。が、そのような不遜ふそんな魔法はいよいよ完成を見せない。当然だろう。目の前の女が、如何いか稀代きだいの魔法使いだとしても、自然界の法を捻じ曲げるなどと言う魔法は神の所行。出来るわけがない。そう思っていた。そう進言もしたが、彼女は聞き入れない。

「そもそも、過去へ行く方法はあるの」

 アーキュラスはそう言う。

「え?」

「過去へは行けるの、だから未来に行けぬはずがない。そう思わない?」

 彼女は言う。

 馬鹿な。そんな魔法、聞いたことがない。いや不可能だ。

 いや、だが、それで合点がいく。彼女はおそらく未来で魔法の研究をして、過去へ行く魔法を完成させたのだ。それから、ここへ来たのだ。しかし、過去へ来たのはいいが、帰り方が分からないということだろうか。

 そう訊ねると、「好きに想像して」と言われた。

 それから半年、彼女はひたすら研究に没頭し、試行錯誤を重ねた。その間彼はアーキュラスから魔法の様々な知識を吸収した。だが過去へ行く魔法については一切教わらなかった。理由も教えてはもらえなかった。

 そうして、また月日が過ぎ去る。

 アーキュラスはアプローチを変えていた。未来へ行くのではなく、人間の体の不死性の研究に切り替えたのだ。だが、不死というのは未来へ行くのと同じくらい不可能な神の所行である、と彼は思った。

「あなたは、どの程度の未来へ行く必要があるのですか?」

 彼は訊ねる。

「六百年」

 彼女は答える。

 六百年? 馬鹿な。そんな未来へ? そんな未来へ行って、どうするというのだ。魔王を倒すと言っていたが、しかし……。



 アーキュラスは魂の定着の魔法を考案した。魂を引っぺがし別の素体に定着させ、肉体の死から逃れるという方法だ。そうしていくつもの素体を通し、何度も魂を入れ替えて、六百年未来まで生きるという。つまり未来へ行くのではなく、六百年の寿命を手に入れるという手法だ。これを『魂の拡張と定着の魔術』という書にまとめ上げた。

 馬鹿げている、と彼は思った。

 実際問題点は様々にある。突発的な死には対応できない。六百年生きるためには何度、魂の定着と肉体の棄却を繰り返さなければならないのか、想像もつかなかった。依り代を都合よく準備できるのか、という問題もある。長寿種に乗り移ればいいが、人間以外の物に魂を拡張・定着できる可能性は高くない。そうなると人間に拡張定着しなければなるまい。しかし人間となると、何十回繰り返せばいいのか。

 結局その研究は頓挫とんざした。確実性がない、という事だった。そうして、数か月が過ぎ去った。一年半、アーキュラスがここへ来て一年半の時間が過ぎ去った。そして、遂に彼女はその答えに辿り着いた。

 六百年と言う未来へ己が肉体を持っていく方法を。

 永久凍結。自らの体を氷漬けにし、肉体の活動を停止。六百年と言う長きにわたり、肉体の活動を停止するのだ。そして六百年後にその魔法を解除する。

 理屈としては納得できるが、様々な障害があるように思えた。だがアーキュラスはそれを敢行する決意を濁さない。

 そうして彼女は、標高高き山の奥深くで氷漬けになったのだ。彼は、彼女の偉業を見届けたかった。だから自分も氷漬けになろうと思いはした。だが、いざ、その申し出を言いだそうと思っても、出来なかった。臆病者だ。この一年と半年、彼女から様々なものを学び彼女を師と仰いだ。だから、一緒に行きたかったのに。しかし、六百年も肉体を凍らせる自信は、彼にはなかった。間違いなく死ぬのではないか。彼は死を怖れた。

 おお、魔法使いアーキュラス。お前は六百年後、何を行うのだ。何をするのだ。お前は……そして魔王とは何なのだ。

 強大な氷の秘術を自らに施した幼齢の少女アーキュラス。その表情は、決意に満ちた表情。肌が白く透き通り、実に美しく、髪の色は鮮やかな赤い色。今やその女は裸体で氷の中に閉じ込められている。もう彼の手の届かないところに居る。

 何故、自分は彼女と一緒には居なかったのだ。そんな悔恨が今更ながら噴出する。だがもう遅い。彼はその場にたたずみ、それから数時間彼女の体を見つめていた。

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