第6話 カッパの家

 羅門らもんは目の前でワインを飲みながらくつろいでいる相手を見て、もう何度目かの溜息ためいきをついた。

 羅門が龍神の墓守はかもりに誘拐されて、危ういところをひいひい爺ちゃんの風丈ふじょうに助けられた。それから気が付いた時には家のベッドにいて、床を見ると、布団を敷いた中に空色の浴衣姿の風丈が寝ていた。

 誘拐されるまで側にいた一価いっか千嘉ちかが心配して電話をかけて来た時には、風丈は寝ぼけた顔で起きだして、電話をしている彼を見てから羅門のタンスからTシャツとジーンズを出してくと、にっこり笑ってキッチンへ行った。

 呆然ぼうぜん風丈ふじょうの背中を見送って、羅門らもんはハッとして追いかける。

 風丈はキッチンで祖母ご自慢のワインコレクションの中から軽めの白ワインを選んで、祖母の一番のお気に入りのグラスにあけている。

「悪いけど、また電話するわ」

 羅門は電話を切って、風丈の前に座った。

 やけに若く見える風丈は、羅門の服を着ているのに羅門が着ているよりもうまく着こなしている。美貌のせいなのか、センスのせいなのかわからないが、どっちにしろ良い気がしない。

「で、なんでこうして目の前にいるん?」

 風丈に尋ねながら、羅門は助けてくれた恩人に礼を言ってなかったことを思い出す。

「私の力が戻るまでここにいることにした。あかんのか?」

 立ち上がって答え、冷蔵庫からチーズを取り出すと皿に綺麗に並べてテーブルに置いて、風丈はニヤリと笑った。

「いや、あかんことはないんやけど。ごめん、その前に言わなあかんことがあるよな。あの、ひいひいじいちゃん、いや、風丈さん、助けてくれてありがとう」

 羅門は頭を下げた。

 そんな羅門を見ながら、風丈はじいっと彼を見ている。

「お前に礼を言われるとはな」

 風丈は羅門の髪をごしごしかき混ぜる。

「何の助けにもなれんで、悪いな」

「え?」

「羅門のことやからホンマのこと言うで。お前はその体の中に、恐ろしい悪魔を飼ってるんや。そいつは今のお前の性格をって、いつでもなり替わろうとしているんや。そうして世界を地獄にしたろうと思ってる。私はもう何年も前からお前の中のその悪魔を封印し続けているんや。せやから、お前に礼を言われると、逆に辛い」

 風丈は目を逸らさずに言う。

「悪魔?俺は、つまり、仮の人格ってこと?」

「ちゃう。お前が本来の羅門や。私たち一族は神と交わってしまった。せやから神さんのわけのわからん性質まで受け継いでしもうた。それがお前の中の悪魔や。力と言いえてもええかな。今のお前ではその力を制御せいぎょでけへん。封印ふういんしておかんと、お前が不幸になるんや。分かってくれるか」

 風丈は寂しそうに言った。

「分かるも何も、俺がここにこうしてられんのは風丈さんのお陰やし、感謝する気持ちに変わりはないよ」

 羅門は言い、風丈が羅門に対してそんな気持ちだったのかと驚いた。

「しっかし、ややこしいな。私の孫の孫が羅門やろ?どの神さんの特性を継いだのんか、ちょっと調べなあかんかな」

 それも知らずに封印していたのか、と龍神りゅうじん墓守はかもりが聞いたら驚くであろう言葉だが、羅門にはいまいち意味がわからない。

「はあ。ところで、風丈さん。今は力が使えないって言ってたやん?」

「ああ。お前の封印に全力投球したんや。めたってや」

 風丈はワインを水のように飲み干して言って、羅門の誉め言葉を待っている。そこは無視して、羅門は困った顔になる。

「俺のせいで、死神家業しにがみかぎょうができないってこと?」

「まあ、今はな。それで天上にいてもつまらんし、ここにいることにしたんや。よろしゅうな」

 言いながら、風丈はもう一本ワインを開けている。

「おばあちゃんにどう説明しよ」

「ああ、それなら心配いらん。秋子あきこは私のことわかってるし、親類の中で私を知らんかったんはお前だけや」

 初めて重要なことを言われた気がする。悪魔が自分の中にいると言われるよりも、こちらの事実の方が重大だ。

 秋子、というのは羅門の祖母の名前だ。祖母は既に風丈のことは知っているという。

 羅門はぽかん、と口を開けて風丈の甘い美貌を見つめる。

「知らんかったってのは、まあ、封印するたんびに私が疲れてしもて隠居状態になるから、会う機会がなかったってだけやけど。ま、子供にいらんこと勘繰かんぐらせたら力が暴走しかねんしな。力の戻らん私にお前の暴走まではよう止められん。そやから危険をおかしてまで側にいいひんかったってだけの話や。それに鳳家おおとり特殊とくしゅやからな。それぞれ妙な力持っとる。そういう訳で私がここにいたって、誰一人疑問には思わへんで」

「……」

 風丈の説明に納得しつつ、仲間外れだった事実に納得はしたくない羅門の葛藤かとうが見えて、彼は微笑んだ。

「お前の為や」

 温かい笑顔は大きな存在のそれで、見た目は同年齢に近くても、風丈の格の大きさを見せられた気がする羅門だった。

「それで、風丈さんはここで何して過ごすん?」

「さあなあ。前は秋子の菓子を堪能したけどな。今回は京都の観光でも行こうか。昔とちごて、えらい人がいっぱいになっとるから、まずい知り合いに会うこともないやろう」

 風丈はどこから取り出したのか、るぶぶを見ながらまだまだワインを飲んでいる。

「もしかして」

 羅門は口に出して、しまった、という顔をする。

「そうや。秋子のワインは全部私の為に買ってくれてるんや。ま、鳳家はワイン好きやけどな。ちなみに、秋子の婿養子の小太郎こたろうも酒好きやったな。あいつ、鳳の遠縁やったけど能力は高かったんやで」

 意外な事実が次々と明らかになる。

「それじゃ、そろそろ出かけるか。お前、朝飯は?作ったるわ。何がええんや」

「え、いいよ。自分で作るわ」

「遠慮すんな。エッグベネディクトでええか」

 言いながらも風丈はもう作業に取り掛かっている。祖母のエッグベネディクトがどこから伝わったのかやっとわかった。

「ありがとう」

「気にすんな。食べたら行くで」

 風丈の言葉に羅門がハテナ、と首をかしげる。

「お前、学校ないやろ。付き合え」

「どこ行くって?」

「京都観光や言うたやろ?」

 ニヤリと光る目を恐ろしい思いで見ながら、羅門はごくりと唾を飲んだ。

 テキパキと片付けまでして、風丈は浮き浮きと羅門の肩掛けカバンに財布とスマホを詰め込んで玄関を出る。

「質問してもええ?」

 羅門がドアにカギを締めながら風丈を見る。

「ん、なんや」

「スマホなんているん?」

「ああ、それはな、便利やし。私の部下から連絡あったら、これを仲介して色んな事ができんねん。道具は使いようって言うやろ?」

 風丈の言葉に、どうやら普通の使い方以上の事がスマホでできるらしいと気付いて、妙に感心する羅門だ。

 二人で堅田駅かたたえきから京都行の普通電車に乗る。通勤ラッシュを終えた午前の時間帯で、電車は空いている。その中に二人している違和感が半端はんぱないが、羅門は慣れたら平気だと考えた。何事も、慣れ、だ。

「それで、どういう順番でどこに行くつもり?」

 羅門の質問に風丈は笑顔を返すだけだった。

 いくつかのトンネルを超えて、京都に着くころには羅門はもうお腹が減っていた。風丈が先に喫茶店に入ろうと言ってくれなかったら、腹の虫が大騒ぎするところだ。

 駅周辺にある喫茶店は昼前だというのにどこも混んでいて、路地の奥にある喫茶店を見つけて中に入る。ドアを開けた時の鈴の音が澄んでいて美しかった。

「お姉さん、ここのお店の水は琵琶湖びわこの水とちゃうね?」

 可愛らしいウェイトレスを呼び止めて、風丈が質問している。

「ああ、はい。疎水そすいの水とは違いますよ。これはオーナーが城南宮じょうなんぐうまで行ってんでくる伏見ふしみの名水です」

 気付かれたのが嬉しかったのか、彼女はちゃんと説明して、空になっていた風丈のグラスにもう一杯水をつぎ足した。

「おおきに」

 風丈は極上の笑顔で言い、彼女のご機嫌を更に良くする。

 美人って得だよな、と風丈の顔を見ながら羅門は思った。何もしなくてもモテるなんて反則に近い。

「羅門、気付いたか」

 風丈が水を味わいながら問う。

「何を?」

「ここの空間。聖域くらいんどる」

「そう言われてみれば、居心地がいい、かな」

 急に聖域とか言われてもわからない、と思いながら羅門が答えると、風丈は微笑んだ。

「店に入る前に鈴が鳴ったやろう?鈴っちゅうのは神さんの声って言われる位、物によっては力ある道具や。鈴が鳴って場所が清められる。おまけに出される水が城南宮の水ときた。ええ店があったもんやな」

 この喫茶店は風丈のお気に召したらしい。

 羅門はそれが単純に嬉しくて笑顔になる。少しづつ、風丈のことがわかってくるのが嬉しいのだ。

 風丈はコーヒーだけ注文し、羅門はサンドイッチを注文した。

 静かな時間の流れる喫茶店は居心地が良くて、ずっと居たいと思えてしまって、二人は長居して外に出た。

 太陽がだいぶ高い場所にきている。

「それで、こっからどこに行くん?」

 羅門が尋ねると、風丈はスマホを取り出した。

「位置を確認するから待っとき」

 何の、と問う前に風丈は方向を指で示す。

「あっちや」

「あっち、ってどこにどうやって行くかわからんと、ちょっと怖いねんけど」

 羅門が引き気味に言うと、風丈はニヤリと笑う。

「知り合いの家に行くんやけどな。よう家を変えるから、辿り着かんこともあるねん。追いかけるのが大変なんやけど、行きがてら、ええ観光になるで」

 それを聞いて羅門のため息が出る。

「あてのない旅みたいなもんやん」

「あてはあるっちゅうねん。お前、京都観光したことないやろ」

「ないけど」

 いつか行こうと思っているうちに、観光地にはとんと行っていない羅門のことを言い当てて、風丈はカラカラ笑った。

「ええもんやで。市外は知らんけど、京都っちゅうのはコンパクトな街やさかいな。バスもようけ走っとるし、地下鉄もあるし、最高やんか」

 風丈は言いながら、早速バス停に向かう。

「どのバスに乗るかわかってんの?」

「さあなあ」

 言いながら、ちゃんと来たバスの番号を見ている風丈を見て羅門は自分が試されているのに気が付いた。

「いけずやな」

 呟いた羅門に風丈は肩をすくめてみせる。

「バス、きたで」

 風丈は羅門を先に乗せて、自分も乗り込む。

 市バスは半分が外国人観光客で占められていた。レディファーストなのか、風丈は座ろうとせず、立ったままだ。

「こんな日が来るとはな」

「え?」

 羅門が風丈の呟きを聞きらして問い返すと、風丈は穏やかに微笑んだ。

「異国と戦争していた時代もあったけど、こうやってあちらさんのとこに行ったり、こっちに来てもろたり、楽しい時代になって良かったな」

「まあ、そうやな」

 戦争の事は羅門にはわからないが、平和な時代に生まれて良かったとは思う。家族が引き裂かれることなく、そして命の危険に怯える日々が想像できない現代。ありがたいことだ。

「風丈さんの時代は、戦争の時代やったんか」

「まあ、な。戦争、そして死神の暗黒期や。お前なんぞ、すぐに食われてたかもな」

 何に、とは怖くて聞けない羅門だった。風丈の迫力は闘いによって育成され、年季が入っているのだと納得がいった。

 バスは京都駅を離れて時々大きく揺れながら進んで行く。親切な運転手が揺れますよ、とマイクで放送してくれるが、微動だにしない風丈とは違い、羅門は大きく揺られては吊革つりかわを持つ手に力を込めている。

 いつも混む東山通りに向けてバスは進み、清水寺、知恩院を越えて進んで行く。

「どこで降りるん?」

 そわそわと羅門が尋ねると、風丈は目を天井に向けて、また羅門に戻す。

「んじゃ、次で降りるか」

「え…」

 丁度アナウンスが入り、熊野神社前で降りることになった。ここからは京都大学の熊野寮が近い。羅門の従妹達はその近くにあるスイミングスクールに通っていたこともあって、耳に馴染んだ場所だが、羅門が来たのは初めてだ。

 目前に神社が見えて、羅門が気を取られていると、風丈が道路に向かって歩き始める。

「え、危ないで、風丈さん」

 危ないどころか、風丈は車を一台止めてしまった。つやつやに磨かれた黒の車体は滑らかな曲線を描いて、高そうというイメージのエンブレムを自慢げに光らせている、ように見えるのは羅門の歪んだ目の錯覚か。

「おかしら、乗りますか」

 運転席から顔を出したイケメンが風丈に言った。耳を疑う羅門の側で、風丈は優雅に首を振った。

「歩くわ。悪いな、足止めて」

「いいえ。何かあればすぐにお呼びください」

「おおきに」

 車は止まった時同様、すぐにいなくなった。

 風丈は辺りを見回して何かを感じるように目を閉じた。

 再び目を開けた風丈はおかしさを堪えきれないというように笑った。

「風丈さん?」

「ああ、悪い。あっちこっち気配を変えるから、ほんまに馬鹿にしてるんかと思たけど、あいつ、私が来てることを追手が来たと勘違いしているみたいや」

 ご機嫌な様子で風丈は歩き出した。

「あいつって誰なんか、そろそろ教えてくれてもええんちゃうの」

「そやなあ。私の古くからの友達で、まあ、言うたらカッパや」

「…カッパ?頭にお皿が乗ってる、あの?」

 羅門が驚きとともに言葉を発すると、風丈は首を振った。

「頭に皿は乗ってないわ。まあ、命の代わりにごっつ綺麗な玉を持ってるけどな」

「じゃあ、妖怪とは違うんや」

「妖怪やで。一時期、カッパの命玉めいぎょくを狙われて大変な目におうたから、すっかり人間嫌いになってしもてな。偏屈になってしもたんや。今でも人間の中には暮らしてるけど、心は許してへんな」

 風丈は言いながら、細い路地にどんどん入っていく。

 決して早く歩いているようには見えないのに、羅門は風丈に追い付くのがやっとで、息を切らしながら風丈の背にぶつかるようにして彼は立ち止まった。

「ここや」

 一軒の古い町屋の前で風丈は羅門に言った。

 まるで、そこだけが異空間のような佇まいだ。シン、と静まり返った路地には誰もおらず、家の横には井戸があった。その隣にはお地蔵さんの社があり、町屋が続いている。

「わかるか」

「え?」

「結界や。あいつにとっての悪いもんが入っておへんようにしてある。そやから、ここ、静かやろ?」

「ああ、なるほど」

 羅門は辺りを見回して、その特異な空間に居心地の悪さを感じる。

「ははん、お前はあいつの敵と見なされているらしいな。難儀なやっちゃ」

 どっちが、と問いかけて、いきなり開いた戸に邪魔される。

「来るなら来ると言え」

 中からのっそり出て来た男が不愛想に言った。背は高く、墨色の着流しの丈が足りずにすねが半分見えている。驚いたことに、風丈に負けない美貌で、カッパと言う概念を覆すと羅門は思った。

「そっちのは」

 カッパが羅門をあごで指す。

「私の孫の孫や」

「…孫がいたのか」

「言うたやないか。よう忘れるやっちゃな。それより、お茶、飲まして」

 風丈が言うと、カッパは家の中へ二人を誘った。

 中は表から見るよりも広く、開け放たれた縁側から緑の濃い庭が見えている。壁には一面、昔の薬屋のような小さな引き出しのタンスがいくつも並べてある。他にも干した草花や書物がきちんと整理されていて置いてある。

「こいつは植物学者で薬も調合してくれる便利なやつやねん」

 風丈は羅門にそう紹介したが、カッパは溜息をついた。

「そのおおざっぱな紹介に、あえて異議は唱えない」

 文句を言うのかと思えば、カッパはそう言って、奥の部屋へ行ってしまった。

 それからしばらくして、カッパがお盆に鉄瓶と急須を載せて戻ってきた。

「ええ匂いや」

「そやろ」

 二人にだけわかる合図のようなものを感じて、羅門は彼らの間に堅い絆を感じた。

 羅門はいただきます、と言ってカッパの淹れてくれたお茶を飲んで目を丸くした。てっきりほうじ茶か何かだと思っていたら、それはコーヒーだった。

「うまいやろ」

 風丈が自分が淹れたように自慢げに言う。カッパは少し笑みを浮かべて風丈を見ている。彼は背筋をピンと伸ばし、自分用に優雅な手つきで急須からコーヒーを湯のみにうつした。まるでお茶の先生のような居住まいだ。

「ところで、風丈。平穏の時代にここまで来るとは何用かな」

 カッパがこれまた美しい所作で湯のみを口に運んだあと、そう言った。

「用なんかあらへん。けど、お前の顔を見たなってな」

「ほう」

 カッパは心なしか嬉しそうだった。羅門にはそう見える、というだけで、実際の表情は変わってはいないのだが。

「この辺も様変わりしてしもたな。懐古趣味やないけど、もっと古いもんも大事にしたらええと思うんやけどな」

 風丈はお代わりを要求しつつ、カッパの部屋をくまなくチェックしている。干してある植物を指差しては、あれは何だ、これは何に効く、と質問してはカッパの丁寧な解説にしきりに頷いている。この二人が友達だという事実が納得のいく雰囲気に、羅門は付いてきたことを少し後悔した。久しぶりに会ったであろう二人の邪魔をしているような気がして、早々に退散したくなってきたのだ。

 席を立つ機会をうかがいつつ、時々カッパのくれる視線に気が付いて、羅門はそわそわしだす。帰れと言うことなのかと思ったのだ。

 風丈とカッパは穏やかに話をしていて、そこに割って入って帰ると言い出せない羅門は、結局静かにお茶だと言うコーヒーを何杯も飲むしかない。じっと茶色い液体を見ていると、何をしに来たのか忘れそうになる。

 ふと、カッパの視線が長く羅門に留まったのを感じて、彼は目を上げた。

「え?」

 何か言われた気がしたが、気のせいだったろうか。

 羅門は風丈の可笑しそうな視線にバツが悪くなる。

「風丈さん、俺、もう帰るわ。友達のとこに寄ってくし、帰りは風丈さん先に帰っててくれへんかな」

「分かった。羅門、道に迷わんように気ぃつけや」

 風丈は保護者らしく言って、微笑んだ。

 その可憐な美しさに、本当にこの人と血が繋がっているのだろうか、と羅門が疑問に思いながら立ち上がる。

「お茶、御馳走さまでした。失礼します」

 丁寧に頭を下げて言い、羅門は玄関に行く。そう言えば、カッパの名前を聞くのを忘れていたな、と思いながら靴を履くとガラガラと戸を開ける。

 玄関を出た途端、静寂が弾けた。

 街のざわついた感じや、人々の往来が戻って来たのだ。振り返ると、もうそこにカッパの家は見当たらない。

 なんとも不思議な気分で、彼はバス停を探しに大通りに向かった。

 羅門はスマホで一価に連絡し、家に行くと伝えると、辺りを見回す。

 おかしいな。

 疑念は歩いても歩いても見当たらないバス停を探していて湧いて出た。同じ通りを何回も歩いている気がする。しかも、だんだん人通りがなくなってきている。

 昼間だというのに、しん、と静まり返った道は、なんだか暗く思える。

「どこだ、ここは」

 呟いて、スマホで現在地確認しようと手元を見ると、スマホの電源が入らない。

 ますますもって、妙だ。

 羅門は一度深く息を吐き、深呼吸した。

 気分一新。

 しかし、また同じ道をぐるぐる回っていることに気が付いた。

「なんなんや、もう」

 羅門は黙っていると気分が滅入るので、言葉に出して悪態をつく。

 幾分気が紛れて、近くの腰高フェンスに腰掛けて一息つくことにした。

 ぼうっと空を見上げると、この世界に1人しかいない気分になってくる。実際、人っ子一人いない見知らぬ路地で、何を当てにして歩いて行っていいのかもわからない。

 これは完全なる迷子やな。

 羅門は方向感覚に自信があるだけに、とほほな気分で電源の入らないスマホを見つめる。時間はあるが、こんな所で座っているだけというのも馬鹿らしい。

「おやおや、これは羅門殿。こんな所でお会いするとは、如何されましたか」

 どこかで聞いたことのある声がして、羅門は辺りを見回した。

「九条?」

 琵琶湖の龍神に仕える男が目の前にいる。今日は洒落たベージュのシャツに、インディゴブルーのジーンズというカジュアルな格好だ。

「羅門殿、キツネみちに迷いこまれましたね」

 九条は気遣うような笑みを浮かべて言った。

「キツネ道?」

「ええ。キツネ道は人を帰さないように惑わす道です。あなたは何らかの理由でここに留まるようにキツネ道に誘われた」

 九条は羅門の隣に腰掛けた。

「誰にどういう理由で囚われたか覚えはないのですか」

 九条の問いに、羅門は首を横に振る。

「私と一緒に行けば出られますが、いかがいたしますか」

 優しい目で九条が尋ねる。

 以前は冷たい男だと思った彼への羅門の印象が覆される。

 こんなに穏やかな瞳の男だったのか、と少し驚いて、羅門は立ち上がった。

「こんな所、早く出たいんやわ。案内してくれる?」

「畏まりました」

 九条は恭しくお辞儀して答え、立ち上がった。

「では、ご案内致しましょう」

 九条は先に立ち、半歩遅れて付いてくる羅門を気遣いながら歩いて行く。てくてくと付いて行くだけの羅門だったが、誰かが一緒にいるということがこんなにも安心することなのかとため息交じりに考えていた。

 そんな彼らを陰から着流しの男が見ていたが、彼らはその気配には気が付かない。

 着流しの男は腕を組んで羅門に視線を合わせていたが、彼らが道から出てしまうと、すぐにその場を立ち去った。

 やっとこさ人の気配が騒々しくある道に出て、羅門は安堵した。

 安堵はしたが、もう夕方を通り越して、夜である。正直、時間が無為に過ぎたことが悔しい。キツネ道には時間の流れがないのかもしれない。

 羅門は九条を見た。ついこの前、この男に殺されそうになった。それでも、助けてくれた九条には感謝している。何をしにあそこにいたのかはわからないが。

「九条、ありがとう。ホンマ、助かった」

「いいえ。これくらいのことは造作もございません。しかし、羅門殿、お気をつけ下さい。あなたは狙われているようです。今の時代、キツネ道に迷い込むなどそうない事です。誰の仕業かわかりませんが、死神が放っておくとは思えませんが」

 九条はそう言って、「それでは失礼」と優雅にお辞儀して立ち去った。

 羅門はその背中を見送って、風丈のことを考えた。

 今の風丈は羅門の中の魔王を封印したお陰で力がない。だから羅門を狙う罠があったとしても気が付かないだろう。それを責めることはできない。しかし、敵だった九条に助けられ、釈然としない気持ちで誰かに狙われていると教えられては不安になるのも仕方のない話だと羅門は思う。風丈に甘えていると言われればその通りだが、何か風丈からアドバイス的なものが欲しかったりする羅門だ。

 そう言えば、カッパの家から出る時に言われたな、と羅門は思い出した。

「道に迷わんよう、気ぃつけや」

 確かにそう言われた。

 羅門の肩が一気に脱落した。

 なんや、そういうことか。

 風丈は最初から羅門がキツネ道に迷い込むことを知っていたのだ。仕組まれていた。何の為かは分からないが、羅門は何らかの敵に狙われているのではなく、風丈の悪戯にまんまと引っかかったらしい。

 そう思うと、気が楽になり、羅門はほっと息をついた。

 その時、スマホから鐘の音がする。一価からの着信だ。着信音は黒電話にしていたのに、いつの間にか変えられている。これも風丈の仕業なのだろうか。

「もしもし?」

 電話に出ると、一価の心配そうな声が耳元に鳴り響く。

「お前、ずっと電話してんのに、この電話は現在使われておりませんって言われるし、何かあったのかと思って、かなり、心配したんやぞ」

 電話口の一価の声が現実を教えてくれていて、思わず羅門は微笑んだ。

「ああ、なんかキツネに化かされたみたいや。詳しくは後で話すわ。今からホンマに行くし、待ってて」

 羅門はちょうど来たバスに乗り、一度乗り換えてから一価のアパートの近くまで行く。

 一価のアパートには千嘉もいて、宴会の準備が整っていた。宴会と言っても、コンビニのお惣菜に、激安酒店で仕入れた酒類が並べてあるだけだが。

 羅門は日常の風景に大いに感激したのだった。

 











 




 





 









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