第5話 墓場の守り人3

 波音の聞こえる室内はひんやりしていて肌寒かった。

 羅門らもんは白い着物を着せられて、布団に寝かされていた。起き上がって、障子を開けて見る。驚いたことに、眼下がんか琵琶湖びわこが広がっている。波音はすぐ耳元に聞こえていたのに、今いる場所はかなり高い位置にある。

「起きたか」

 聞き覚えのある声に羅門が振り返った。

 グレンチェックのスーツを着ていた男だ。今は平安貴族のような衣装、狩衣というのだろうか、それを着ている。鮮やかなオレンジの下にみえているのはミントグリーンの襟とその下に白い襟。袴は濃い茶色だ。一見バラバラの配色なのに見事に調和している。

「本来なら君のたましいだけ我が主に献上けんじょうするのだが、困ったことに君はまだ生きている。自ら魂を差し出すように誘導してきたが、なかなか難しいとわかった。しかし、その魂を我が主が食せば、よみがえりも可能な力溢れる魂だ。手放すには惜しい魂を、どう料理してみるか。久々に、この九条、血が騒いでいる」

 男は九条という名前らしい。

 羅門はまとわりつくような九条の視線に寒気を覚える。この男、見た目よりも冷酷な性質だ、と彼は九条を睨み返す。

「俺をどうする気なん?誘拐やろ、これ」

 そもそも、この異常事態を誘拐と呼べるのかわからない。それでも、どうにかして元の場所に帰らなくてはならない。

「ふふふ、こんな状況でも君の目は高貴なる気迫を以って私に迫る。真っ直ぐに君を見るのは勇気のいる事だ」

 九条は微笑みながら言い、羅門の前に立ち、彼のあごをすくう。

 この微妙な立場に焦りながら、羅門は目に力を込めて九条を見る。このまましてやられるわけにはいかない。

 九条がふいに目をらした。

「いかなる力か」

 震える声で彼は呟き、羅門から離れた。

「我が主に君を捧げる儀式は今夜行う。それまでにその肉体に別れを言うといい。否、この世に、と言った方がよろしいかな」

 九条はそれだけ言って部屋を出て行った。

 羅門はすぐに部屋中の障子を開けてみるが、もうどの戸も開かない。

「くっそ、なんなんや」

 羅門は右手の人差し指を舐めて、障子紙に指を刺してみる。これで穴が空いたら少しはすっきりするのだが、穴も開かない。

 着なれない着物をうんざりして見て、どこかの時代劇を思い出した。

「は、これ死に装束ってやつか?」

 げんなりして、ふと違和感にふところに手を突っ込んで驚く。

「なんや、これ」

 懐から取り出したのは呪符じゅふだった。羅門には馴染なじみのない字が書きつらねてある。そしてしゅ禍々まがまがしく描かれた紋様はどこかで見覚えがある。それを思い出せたら、ここから出られるかもしれないと思うのだが、全然思い出すことはできない。

「ひいひい爺ちゃん、俺のピンチを助けてください」

 神棚に祈祷きとうするように羅門が宙に向かって手を合わせる。しかし、そう都合良く事は運ばない。

 変化のない空間に閉じ込められて、羅門は岡山の家族や下宿させてくれている祖母、そして友人たちのことを思い浮かべる。

 これが走馬灯そうまとうってやつなんか。

 羅門は苦笑して、そして居住まいを正した。

 小さい頃、剣道をしていた時に練習終わりに瞑想めいそうをしていたことがある。それを思い出して背筋を伸ばし、目を閉じる。意識が無になっていく。

 カタカタと部屋飾りや建具が音を発する。

 羅門の体から黄金の光が発せられる。

「そこか」

 風丈の声がして空間に裂け目が現れ、大鎌を持った漆黒の背広を着た風丈が突風を伴って現れた。しかし羅門は気が付かない。それほどまでに意識が集中し、回りの事に気が付かないのだ。風丈はとっさに羅門の額を人差し指で小突く。

 羅門はそのまま意識を手放し、柔らかい光の繭に包まれている。

「危険な状態やな」

 風丈が険しい目で呟いた。

 異常を察して九条が慌てたように部屋に入ってきた。風丈の姿を認めると怒りに目を吊り上げる。

「おのれ、忌々しい死神め」

「忌々しいのはどっちやねん」

 面倒臭そうに言い、風丈はギラリと光る大鎌を九条に向ける。

「お前がいたたねやで。自分でケリつけな大人とちゃうわな」

 柔らかなはずの美貌に鬼のような表情を潜ませて、風丈は九条を追いつめる。

「ええか、お前は余計なことをして、お前の主に息子殺しをさせるところやってんで。わかってんのか」

「は?何を…」

「羅門は私の血筋、つまりは私と龍神の間の子らの子どもやってことや。広い意味なら息子やな」

 風丈の目が九条を捕らえた。獲物を手中に収め、ニヤリと笑う。九条は彼の瞳の前に一ミリも動けない。

「理解してない顔やな。私の生い立ちを知っているやろう?」

 風丈が九条に顔を近づけて尋ねる。ゴクリと唾を飲んで、九条は口を開く。

「確か、風神と雷神が交わって産まれた子だと…」

「そうや。忌まわしい事に、私の祖先は神と交わる変人ばっかりやで、こんなけったいな力を持つ羽目になってん。神の血脈でありながらも人間やけどな。この呪われた血が一体何の役に立つねん、ほんまに。胸糞悪い」

 九条への怒りとは別のものが風丈の怒りに加わっている。

「神の、一族…」

 九条は呆然と呟いた。

「ちゃう、死神っちゅう仇名の人間や。けど、お前が一番心配しなあかんのは龍神のことやで」

 風丈の影がうごめくようにゆらゆらと大きくなる。

「お前の主は静かに眠りたいという条件と、私との間に子を成すことで血を残すことを条件に封印されることに同意したんやで。眠りにつきながら、やがて消えていく運命やと笑ってたんや。お前、それを主の意に反して、せっせと無意識の龍神に贄を運んで生かし続けている。贄を喰らった龍神は昔のままとは限らんのやで」

 風丈の影が九条を捕らえてまとわりついていく。

 呼吸が乱れる九条に顔を寄せて、風丈は低い声で言う。

「私の嫁の望んでへんことをした罪は重いで。加えて、やしゃごに眠るもう一人の人格を起こそうとしている事は神々の怒りを買ってるっちゅうことやと理解せなあかんな」

 身の毛もよだつ声音だ。

 九条は卒倒しそうな自分を立て直し、キッと風丈を睨む。

「どういう意味だ」

「あれは魔王の人格をもっている。あいつを起こしてしまったら、この世は地獄に変わるんや」

「何だって…?」

 冗談ではないことは風丈の目つきで分かる。

「魔王なんているわけない」

「自分で言ってて自信ないやろ?羅門は私の封魔の遣いを無意識に外して行きよった。おまけに、自分の居場所が分からんように無意識に細工してねんで。そんなことをできるんは、私と同じ力か、それ以上の力ある存在。そんなん数が限られてるんや。それに、お前、感じひんか?琵琶湖が揺れてんで。大鯰おおなまずでも暴れとんのかい、って冗談も言ってられへんみたいや」

 下手をすると琵琶湖が割れる。

 それに気が付いて九条の顔色が変わる。

「我が主の命の源が…」

 琵琶湖に住む龍神は琵琶湖でしか生きられないのだ。

「お前が羅門にいらんことをするからや。怒らせた代償や。とは言え、私の嫁をみすみす死なすわけにもいかんからな」

 風丈は言いおいて、羅門に向かい合う。あどけない顔で眠るひ孫はまゆの中で無防備だ。しかし、それは表向きのこと。内面では目覚めようともがく魔王がいる。

 大鎌を羅門に向けて彼はそれを振り下ろした。

 九条が息を呑む。

 光が乱れ、羅門の体が宙に浮く。

 何重にも彼の姿がぶれて目に映る。

「なにを…」

 九条の見ている前で、羅門の体がまた一つになっていく。

「封印のやり直しや。手間暇かかるんやから黙っとき」

 集中力を要する細やかな封印の作業を黙々と風丈は進めていく。

 呪文を唱え、手で印を結び、さらに見えざるモノを呼び込み、その力を羅門の回りに壁を作るようにんでいく。先程、羅門の見た呪符じゅふの紋様が彼の体にまとわりつく。

 羅門が反抗するように大地を揺らしているが、風丈は冷静な目を失わない。

 七色の光が風丈の手からあふれ出し、羅門の胸に吸収されていく。

 光が収束しゅうそくし、暗闇くらやみに包まれる。

 パタン、と音がした。

 風丈が倒れたのだ。

 闇の中、眠る羅門と意識のない風丈。そしてあまりの事に動けずにいる九条。

 どれくらい時が経ったのか、明るい光が部屋に差し込んだ。しかし、九条は部屋が崩れ去っている事に気が付いた。ここは山の上の屋敷ではない場所だった。

 長年馴染んだ感覚に、九条はここがどこなのか思い至った。

 城か。

 九条の主が眠る琵琶湖の奥底の城の中にある祭壇の前だった。

 最初から、九条は風丈に惑わされていたのだ。

 祭壇の、奉り主が御簾みすの向こうから降りてくる気配がした。

 白い手が御簾を押し上げるのを、万感の思いで九条は見ていた。

 美しい姫君が倒れた風丈に目を止めた。

「九条、私の言いつけに背いたこと、どう弁解しますか」

 芯のある声は責めてはいない。しかし、九条の罪悪感をこれ以上に無いほど刺激する。

「申し開きのしようもございません」

 ひれ伏して、九条は沙汰さたを待つ。

 彼の主は風丈を抱き起し、風を起こしてそれを彼の中へ流し込む。

 ひゅっと息を吐いて、風丈の目が開く。

「起こして悪かったな。そこの忠臣のお陰で、えらい目におうたわ。けど、お前の姿を見られたのはええことやったな」

 風丈の甘いマスクが更に甘く映るのは気のせいだろうか。

「消えるはずでしたのにね」

 姫は微笑み、そっと風丈を寝かせる。それから羅門の方へ体を向ける。

「愛し子は無事や。ほんまに良かった」

 乱れた羅門の髪を直してやり、姫は母の微笑みで羅門を見つめる。

「九条は墓の守り人やろう。私が永遠に眠れるようにするんが、九条の役目や。間違えたらあかんえ。これから、私の血を繋ぐこの人を助けるんも、九条の仕事や。よう尽くすように」

 姫は九条に言い聞かす。顔も上げられない彼は、ただひたすら平伏している。

「九条、頼みますよ」

「…御意」

 やっとの想いで返答した九条を微笑んで見て、姫は御簾の中へ戻った。

 耐え切れず、九条が顔を上げて主人の姿を目で追いすがる。

「…姫」

 彼女の名を呼んで、九条は涙を流している。

 御簾の向こうの姫はわずかに彼を見て微笑んだようだ。すぐに祭壇の奥の岩戸へ消えた。

 しばらく身動きできない九条に、頃合いを見計らったように風丈が声をかけた。

「おい、墓守はかもり。いつまでこんな寒いとこに置き去りにしてんねん。気が利けへんやっちゃな。私の力はしばらく使えへん。誰のせいやと思てんねん、馬鹿タレ。はよう、あったかいとこに運びいや」

 息も絶え絶え、のはずだったが、虚勢きょせいを張って腹から声を出す風丈に深くひれ伏してから九条は立ち上がった。

「申し訳ない。我が主以外に気を使ったことがありませんので」

 口調はぶっきらぼうだが、優しい気遣いで風丈を抱き上げた九条は地上に彼を運んだ。琵琶湖の穏やかな波を受ける岸辺に、風丈の臣下が控えている。

「無理をさせました。申し訳ありません。このお詫びはいつか必ず」

 九条の言葉に風丈がふん、と鼻を鳴らす。

 彼の手から臣下の手へと受け渡されながら、風丈は空を映す澄んだ目を彼に向ける。

「龍神も言うとったやろ。羅門の助けになれって」

「はい。肝に命じております」

「わかってんならええわ。ほなな」

 臣下の肩に寄り掛かかり、風丈はパッと消えた。

 深くお辞儀して、九条はそれを見送った。

 長い間そのままでいた九条は、羅門が元の場所に戻されたのを気配で感じた。

 風丈の仕業だ。

 まだ力が使えるのか。

 九条は恐れにも似た感情を風丈に持った。魔王を封じる仕掛けを命懸けで作り出した後なのに、まだ力を使える。どれだけ無尽蔵な力を持っているのか。

 手を出してはいけない者に手を出してしまった。

 九条は己の無知に凍えたのだった。




 










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る