第4話 墓場の守り人2
陽が落ちて暗黒の支配する空の下、寄せては返す波の音を聞きながら、風丈は腰に手を当ててはるか先を睨んだ。
足元にはごつごつした石が並び、水泳場とは趣の異なる琵琶湖湖岸からは対岸の景色は見えない。ここは北湖で、見渡す限り穏やかな波の泡立つ美しい湖だ。南湖であれば対岸も見えてくるが、代わりに彼の目には北湖の名物、竹生島が見えている。
そんな琵琶湖の湖岸に闇を映したかのような漆黒のスーツ姿の風丈は不似合いのようでいて、とても絵になっている。
「おやおや、死神自らお出ましとは、驚いた」
皮肉な調子を混ぜながら、男が彼の後ろに現れた。
艶のあるボルドーの革のひも靴が石に足を取られることもなく近づいてくる。風丈は振り返った。男はパナマ帽を右手で抱え、一礼する。
長い黒髪が前に垂れた。色白の肌は女性のようだが、体は筋肉質で厚みがある。折り上げられたグレンチェックのスラックスに白い麻のシャツにベージュのジレという姿は羅門の見た男と同じだった。
「お前は大人しく墓守でもしとったらええねん。余計なちょっかい出してくるなら、私も容赦せえへんで」
凄みのある声が風丈から漏れた。この美貌に、この迫力だ。普通の人間ならば恐れおののいて土下座でもしただろう。しかし、相手はただの人間ではない。
「おや、あれはあなたの血縁者でしたか」
関西弁ではないイントネーションで男は答えた。
「知ってて
風丈はニヤリと笑った。その笑顔の意味するところは男にもわかったらしい。
「いいえ、たまたまです」
男は言い、ざぶざぶと湖の中へ入って行った。
「またお会いしましょう。今日は様子を見に来ただけでしょう?でなかったら、あなたはすぐに手を出すから」
やれやれ、とでも言いそうな雰囲気に、風丈の額に怒りマークが現れる。
「あのなあ、人をDV男みたいな言い方すんなや」
「まさか。私は色男、という意味で申し上げただけの事。私の主人をも魅了した死神。再びお会いできて光栄でした。では
男は慇懃にお辞儀をして湖の中へどんどん入って行き、やがて完全に水の中に姿を消した。
「なあにが、うみや。ここは
静かに凪ぐ波は風丈の足元を濡らそうと、先程より長く伸びてきた。
ふん、と鼻を鳴らして彼はその場から消えた。
一方、どんちゃん騒ぎの飲み会を早めに切り上げて、羅門ら一行は先輩の貝原を引きづりながらアパートへ向かっていた。
先頭で1人余裕の千嘉は時々後ろを振り返って、羅門と一価に挟まれてその肩に捕まっている貝原の様子を確認している。
「先輩じゃなかったら、その辺に放り投げるんやけどな」
小声で言った千嘉の言葉を聞きとがめて、羅門が慌てる。
「お前、物騒なこと言わんといてくれよ。酔ってるとはいえ、この人、ちゃんと聞いてはんで」
羅門も小声だが、貝原が聞いている様子はない。
「それ、俺も千嘉に賛成。羅門、先輩をそこのゴミ箱に入れて行こうや」
一価が嬉々として言い、楽しそうな顔になる。純粋に悪戯をしたいだけのようだが、羅門には常識というものがある。
「お前らな、先輩に失礼やで。自分がされて嫌なことは人にしてはいけませんって、習ったやろ。常識やで」
何をしてもいいが、その事だけは守りなさい、と祖母から言われて育った羅門だ。自分が酔っていても、それは順守する。
「羅門は変なところで真面目やねんな」
残念そうに一価が言い、千嘉は逆に微笑んだ。
「お前はそういうところがあるから、信用できるな」
再び前を向いて振り返らなくなった千嘉だが、先程よりは少し歩く速度が遅くなっている。気を使ってくれているらしい。
アパートに着いて布団に貝原を転がすと、三人は一価の淹れてくれたお茶を小さなちゃぶ台を囲んで飲んだ。
「それよか、羅門の呪いって、何なんや?」
改めて千嘉が問いただすと、羅門はきょとんとした顔で千嘉を見、一価も首を傾げる。今まで忘れていたようだ。
「お前らなあ、散々人を巻き込んでおいて、その顔はなんやねん」
千嘉が苦笑しつつ言い、ゴロン、とその場に寝転んだ。
「まあ、ええわ。結局、羅門の携帯型の武器みたいのんがあったら、その呪いとやらに立ち向かえるんやろ?んで、呪いっちゅうのは車道に羅門を誘い込んだりするんやんな?ってことは、呪いは羅門を殺したいけど、実際には誘導することしかでけへん。携帯型の武器がなくても、俺らが一応付いてたら、車に飛び出す前に止められるわな」
千嘉はそう言って、寝息を立て始めた。
「おいおい、ここで寝落ちか」
一価が驚いたように言って、千嘉の寝顔を見る。
「そっとしといたろ。バイトも行ってきて疲れてんのやろ」
羅門は勝手知ったる一価の部屋の押し入れから薄手のかけ布団を出して千嘉にかけてやる。お茶を下げ、ちゃぶ台を退かせて、羅門が寝る場所を空ける。
「布団は先輩だけでええか。羅門、風呂どうする?」
「先入ってきて。俺、しばらく本でも読んでるわ」
羅門は言い、カバンからパッドを取り出してアプリを開く。
一価はお先、と言いながら小さなシャワーだけの風呂場に行った。
水音を聞きながら、羅門はぼうっと窓を見た。綺麗な月が見えている。
月にウサギがいるなんて誰が言い出したんだろう、と羅門はふと思った。
ぼうっとしているうちに一価が戻ってきた。
「お先。次どうぞ」
一価は冷蔵庫から缶ビールを出して言った。
「まだ飲むんか」
「俺にしたら、あんまり飲んでない方やったで。お前になんかあったらあかんし、気が気じゃなかったっていうか。今は飲んでも大丈夫ちゃう?」
「そっか。ごめんな」
羅門は言って、シャワーを借りる。
すぐ出ると、相変わらずカラスやな、と一価が言いながら、羅門にも缶ビールを手渡した。
「サンキュ。お前、明日はどうすんの?」
「俺?授業もバイトもないし、家に帰ろっかな。実家やったらご飯出てくるし、洗濯せんでええし、掃除せんでも家綺麗やし」
「ほんまやな。誰かがしてくれるのって、ありがたいよな」
自炊学生の苦労は羅門にもわかる。祖母がいなければ、羅門は一人暮らしなどせず、岡山に帰っている。
「風丈さん、出てこおへんな。今日はもう会えへんかなあ」
一価がビールを一気飲みし、千嘉の隣に寝転んだ。
「ほな、俺も大人しく寝るわ。おやすみ」
「おう」
一価はすぐにむにゃむにゃ言いながら眠りに入った。
羅門は並んで眠る友人たちを眺めながら、ゆっくりビールを味わった。
いつの間に寝入ってしまったのだろうか。羅門は片膝を立てた状態で目を覚ました。手にはビールを持っている。中身は空だった。
空き缶をキッチンの三つに分別できるゴミ箱へ捨てて、友人らを振り返る。
ぐっすり眠っている。しかし、何か変だ。
羅門は自分の手を見た。
色がない。
世界から、色が消えている。自分も一価も、千嘉も、貝原も、白黒の世界だ。
「なんやこれ」
まだ酔っているのかと思ったが、そういうわけではなさそうだ。
これは呪いの影響か。
手首のブレスレットが金に輝いた。これだけが色を発している。
「それがなければ、君をこちら側へ呼べたのだが、仕方ない」
空気を震わせる声が耳に届き、羅門は辺りを探す。
「なんや、お前は。俺に何の用やねん」
警戒しながら、羅門は突然現れた男に質問する。
男はかがんで、グレンチェックのスラックスを折り直しながらこちらを見上げる。長い髪が瞳にかかる。彼は同じ柄のジャケットのポケットからピンを出して外側から見えないように折り上げたところを留めると立ち上がった。
「失礼、サイズが合っていなくてね。仕立て屋に文句を言わなくては」
男は自分の恰好をチェックしてから羅門に手を差し伸べる。
「?」
「握手をお願いしたのだが」
「なんでやねん」
羅門は腕を組んで男を睨む。
「その目、死神にそっくりだな。確かに、言われてみれば血縁者だ。私としたことが迂闊だった」
男の独り言に羅門の眉が吊り上がる。
「ひいひい爺ちゃんの知り合い?」
「まあ、その様なところだ。君がなかなかこちらへなびかないものだから、しびれを切らして迎えに来た」
男は言いながら、長い髪を一つにまとめてくくった。
彼はどこから取り出したのか、白いフェルトの帽子をかぶり、羅門にもう一度手を差し出した。
「ご一緒に来て頂けますか」
改まって言い、男がニヤリと微笑んだ。
男の背後に大きな影がうごめく。
羅門の目がうつろになる。そして彼のブレスレットが、カラン、と床に落ちた。
「あなたには我が主の贄になるという大事なお役目がある」
男の言葉は羅門の耳には届いていない。
羅門は男の腕の中で気を失っていた。
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