第二章 緑風の客人(八)

「これを」


 殿下が差し出されたものを受け取ったわたくしは、思わずあっと声をあげてしまいました。陽の光をあびてきらきらと輝くそれは、華奢な金細工のかんざしでございました。


「そなたに。先日と今日の礼だ」


 言葉すくなにおっしゃって、殿下はふいと眼をそらされました。その頬にうっすらと血がのぼっていたように見えたのは、わたくしの見間違い、いえ、願望だったのかもしれません。


「いただけません。このような高価なもの……」

「値のことなら気にするな。そう高いものではない……たぶん」


 自信なさげに殿下はつけ加えられました。


「夏陽公子がよこしたのだ。好いた相手にやるといいと……」


 そこで殿下は、はっとしたように口をつぐまれ、勢いよく立ち上がられました。


「夏陽公子の戯言ざれごとゆえ気にするな。それはただの礼だ。好みに合わなければ売るなり、誰かにやるなりすればいい。ただ、悧才……には言うな。そなたの叔母とやらにも、朋輩にも……いや、それではつけられぬか。ならば、やはり売るといい」


 早口でおっしゃる殿下のお顔は、もはや見間違えようもなく、耳の先まで真っ赤でございました。そのまま足早に立ち去ろうとなさる殿下を、わたくしはとっさにお呼び止めしたのです。


「殿下」


 お礼を申し上げるつもりでした。過分なお心遣い、誠にありがたく存じます、と。叔母にしつけられていたとおり、女官のかがみのように落ち着いて申し上げるつもりでしたが、やはりわたくしは、どうしようもない未熟者にございました。


「……そなた」


 頭の上から、殿下のうろたえたお声がふってまいりました。それはそうでございましょう。目の前で突然女官が顔をおおってしまったのですから。


「気に入らないなら無理にとは……」


 いいえ、と私は夢中でかぶりをふりました。嬉しくて嬉しくて、笑いがこみあげてきて仕方ないというのに、同時に胸がひどく苦しくて。何も言えずに、しまいに涙までにじんできて。本当に、あのときのわたくしの醜態ときたら、思い返すにつけ顔が火照ほてるようですわ。


「……大切に、いたします」


 蚊の鳴くような声で、ようやくそれだけ口にすることができました。そうか、と、どこかほっとしたようなお声をもらされた殿下は、きっと公子の面を脱ぎ捨てた、ただの青年のお顔をなさっていたことでしょう。


 その簪でございますか? もちろん、いまも大事に持っておりますよ。残念ながら、もう髪に挿すことはできませんが。ええ、その理由わけも、これからお聞かせいたしましょうね。

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