第三章 落陽の宴

第三章 落陽の宴(一)

公子はいるか」


 夏陽かよう公子がふらりと庭園にいらっしゃっても平然とお出迎えできるようになったのは、涼風の心地よい晩夏の頃でしたでしょうか。わたくしが腰をかがめてご挨拶をしているうちに、殿下が庭におりてこられるのが常でございました。


「あなたはまた……」


 しぶい顔をなさる殿下の肩を「悪い悪い」とたたかれる夏陽公子は、いつものことながらまったく悪びれないご様子でした。


「どうしておとなしく中でお待ちいただけないのですか」

「おぬしがすぐに出てこぬものだから、さては花の精と逢瀬おうせを楽しんでいるのではないかと思ってな」

「邪推の極みですね」


 動じずに切り返された殿下も、ずいぶんと夏陽公子の軽口に鍛えられたものです。もしかしたら、騎馬のわざ以上に。


 殿下と悧才りさいさまとの間でどのようなやりとりがあったのかは存じませんが、その後も殿下は夏陽公子のお誘いに応じつづけておられました。わたくし、それを知ってたいそう嬉しゅうございました。殿下が騎馬の稽古を楽しみにしていらしたのは明らかでしたし、何より、夏陽公子が青華宮に出入れされるようになってからというもの、宏基こうき殿下のお召しがぱったり止んでいたのですから。


 王家の姫君をお母君にもつ夏陽公子は、血の濃さでいえば宏基殿下に次ぐお方でいらっしゃいました。さらに知勇を兼ね備え、ご気性も快活、ご容姿もすぐれているとなれば、そのご人望のほどは、わたくしがくどくどと申すまでもなきことにございましょう。あの頃、王宮の誰もが同じ願いを胸に抱いていたことと思います。決して口に出してはいけない、大逆罪にひとしい願いを。


 そんな夏陽公子に、宏基殿下がひるまれたせいかはわかりませんが、殿下のお苦しみの種がひとつ除かれたのは、間違いなく夏陽公子のおかげにございました。悧才さまも、そのあたりを汲んで殿下と夏陽公子とのお付き合いを妨げにならなかったのかもしれません。


「今日から騎射の稽古だ」


 覚悟はいいか、と夏陽公子は不穏当な笑みを浮かべられました。


 騎射はご存知ですよね。そう、馬上で弓を射るのです。あれはまるで曲芸ですわね。両手を手綱から離し、足だけで馬をあやつるのですから。


「絶対、落ちるぞ」

「ずいぶんと嬉しそうですね」

「あたりまえだろう。久しぶりにおぬしの無様な姿を見られるのだから」

「趣味がよろしいことで」


 あきれたように殿下がつぶやかれたときでした。館のほうからなにやら騒がしい声が聞こえてまいりましたのは。


「巴公子っ!」


 居丈高に庭園に乱入されてきたのは、乾の王太子、宏基殿下でございました。

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