第二章 緑風の客人(七)

「楽しかったのでございましょう?」


 しばらく悩んだ末、結局わたくしが口にしたのは、ひどくありきたりな言葉でした。


「殿下が楽しいとお思いになったならば、よいことではありませんか」

「……そなたは」


 殿下は思い出したように小さくお笑いになりました。


「夏陽公子と同じことを言うのだな」


 おもしろかっただろうと、夏陽公子は別れ際にお訊ねになったのだそうです。殿下がお答えになる前に、ではまた明日、とおっしゃって立ち去っておしまいになられたとか。


「明日も、でございますか」


 あらまあ、と、わたくしもつられて笑ってしまいました。


「すっかりお気に入られたようでございますね」

「どうだか。よい玩具おもちゃが見つかったとでも思っているのではないかな」


 宏基殿下とはちがいましょう、と危うく口をすべらせるところでしたわ。


「おそらく、今日かぎりだ」


 あらかたお手当てがすんだところで、殿下は襟を直しながらそうおっしゃいました。


「悧才……が、許すまいよ」


 あり得ることでした。殿下の体面をおもんぱかって悧才さまが反対なるのは。それに何より、毎回このようにたくさんの傷をこしらえてお帰りになっては、悧才さまの愁眉も開く暇がないというものです。


 わたくしがそう申しあげると、殿下はふと口の端をゆがめられました。


「そうだな」


 どことなく翳りのあるお声でした。


「あれは誰よりも巴公子の身を案じているゆえ」


 巴公子とは、乾における殿下の呼称でございました。巴からいらしたから巴公子、夏陽からいらしたから夏陽公子。単純でございましょう?


 悧才さまが殿下のお体を気遣っておられるのは当然ですが、そのときの殿下のおっしゃりようには、奇妙にひっかかるものがありましてね。あのとき殿下が、懐からそれを取り出したりなさらなければ、わたくしは分不相応にも殿下にお尋ねしていたかもしれません。

 

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